純然たる観念論とは存在しない?

このQ&Aのポイント
  • 観念論とは、目に見えないものや手で触れることのできないもの、例えば神や霊などが存在する世界を指す。
  • しかし、純然たる観念論は存在しないと言える。
  • 人間は観念論に支配されていても、食事をするなど唯物論に戻ることがあるため、観念論と唯物論は切り替え可能なものである。
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純然たる観念論というものは決して存在し得ない

純然たる観念論というものは決して存在し得ない 目に見え、耳に聞こえ、手で掴むことができ、味も匂いもするもの、例えば目の前にある一個のおにぎりは実は存在しないと言い、その一方、目には見えず、耳にも聞こえず、手で掴むこともできないもの、例えば神とか霊などは存在すると言う世界、つまり観念論というものがあります。 しかしながら純然たる観念論というものは決して存在し得ないのです。 なぜならば、観念論に支配された人間であれ飯を食ったり水を飲んだりしないわけにはいかないので、今自分が食っているおにぎりは存在しないのだなどと考えつつ飯を食うはずはないからです。 つまりこのような人間もおにぎりを食っている間は唯物論に支配されているわけであり、飯を食い終わって一息つき、うたた寝を始めるあたりから観念論に戻るという具合なわけです。 すなわち観念論というのは頭の中に一種の切換えスイッチがあって適当な時間帯になると唯物論から観念論に切り換わるようにできている、単にそういう類のものということができましょう。 従って宗教や神学などを含め純然たる観念論というものは決して存在し得ないということです。 さて皆さんはどう思いますか。  

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

 まず、ここでの観念論をプラトンの言うようなイデアリスムとして考えます。プラトンが言うには、我々の存在する世界する世界は、イデア界という世界の影にすぎないのです。つまり普段我々が見聞きしたりしているものは、イデア界のものがほんの一部仮の姿で現れたにすぎないと考えるのです。  そしてそれは人間も例外ではないのです。人間の魂はイデア界に属していますが、肉体に拘束されていると観念論者は考えるのです。ですから人間が目の前のおにぎりを食べる行為は肉体が余儀なくするのであって、魂は別なのです。よって観念論は否定されないと思います。

g3452sgp
質問者

お礼

プラトンもおにぎりを食っているときは観念論は忘れ、唯物論に浸っているはずなのです。 もちろんおにぎりを食い終わり昼寝の時間になると、イデア界や観念論に浸ることになるのですが。 もう一つ言えることは、もしプラトンが食うべきおにぎりも無く毎日ひもじい思いをしていたならばイデア界などどうでもよく、観念論に浸るなど決してなかったということです。  

その他の回答 (1)

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.1

肉体の秩序と精神の秩序をわけているんじゃないですかね、ヨーロッパの人は。

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