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存在原理と人生観・世界観・価値観が分かれば・・・?

私の考えでは存在原理と人生観・世界観・価値観が分かれば、人間は心置きなく生きて 思い残す事なく死ねるのではないでしょうか? 存在原理は存在性の働き方、人生観は人間は精神、世界観は唯心論と唯物論の融合  価値観は存在することが価値です。 何の問題もない ノープロブレンです。 やった~バンザ~イ 夏休みの宿題は出来た^^ 後は遊んで暮らすだけだ みなさんもこの奥義を知りたいでしょう(^^ゞ 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギーです。この性質の多くが存在性として働きます。 この性質が精神を構成しているのです。精神も存在性です。存在するように働きます。 どうでしょうか? ご感想をどうぞ?

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回答No.1

毎度、同じことを繰り返していて、ウンザリ。 もっと哲学の話題がないんですか? 哲学書を読んでいれば、プラトンやアリストテレス、デカルトやカント、ヘーゲルなど、いくらでも疑問に思うことがあり、質問するタネはいっぱいあるはずなのに、いつも決まったことばかり。 存在性なんて、どんな辞書にも、ウィキペディアにも載っていない、あなたの造語で、誰もそんなことを言っても、何のことだか分からない。 要するに「デタラメ」。 自分だけが分かっていて、他人には何のことか分からない。 哲学の議論をするんだったら、共通の土俵に立って、共通の言葉を使わなければならない。 自分勝手な言葉を発明して、それで議論すべきではない。 存在は存在者(物)とは違って、抽象的な概念で、中身は空っぽ、そんな存在にいかなる性質も、本性もない。 存在者(物)ならば、本質があり、性質があるかもしれないが、存在にはいかなる性質も本質もない。 すでに前から指摘しているのに、あなたは依然として同じ、存在性という言葉を使い続けている。 啞然としました。 要するに人のいうことなんか、耳を傾けない、馬耳東風という訳ですね? 人の意見を一切無視、だから私はあなたの質問に回答する気にならない。 あなたは大学を中退して多少の物理学は学んだけれども、哲学はまったくと言っていいほど知らない。 哲学書を読んだこともない。 だから、質問するのも、毎回同じことの繰り返しになる。 カントやデカルトやヘーゲルなんて読んだことがないんだから、無理もないけど。 あなたは物理学の話をしていればいいので、哲学だとか思想を論じるべきではない。 もし、それを論じるのだったら、哲学の基礎的な知識を学ばなければならない。 それを学ばずして、自分勝手な思想だとか、哲学を述べるべきではない。 まあ、こんなことを言っても、あなたは相変わらず、人のいうことには耳を傾けず、馬耳東風で、存在性なんて言い続けるのだろうが。 「存在観は人間は精神」と言っているけど、その「精神」というのはどこにあるんですか? ただの言葉に過ぎない。 脳にある? 脳は神経繊維・ニューロンと化学物質・シナプスの膨大なネット・ワーク、そんな脳に精神なんて存在しない。 心だって存在しない。 だとしたら、あなたの言う精神というのはどこにもない、ということになる。 つまりただの言葉だということ。 精神にはいかなる実質はない、中身は空っぽ。 だから「人間は精神」というのは、人間には中身が何もない、空っぽと言っているにすぎない。 中身と言ったら、肉だ、細胞だ、原子だ、そして肉も細胞も原子も人格を持たない。 精神なんてない。 世界観はともかく、人生観・価値観というのは主観的だから、それを言うところの本人にしか存在しない。 他人はあなたとは別の人生観、別の価値観を持っている。 それが分かれば、人は心置きなく生きて思い残すことがなく死ねるのではないでしょうか?と言っているが、あなたが自分の主観的な人生観や価値観を持ち、それと心中するのは勝手だが、他人を巻き込まないでほしい。 私は私の人生観や価値観があるのだから、あなたの人生観や価値観に賛同する義務はない。 要するに、自分の人生観・価値観を信じて、それを抱いて死んだらいいじゃないか、それはあなたの勝手、私を巻き添えにしないでほしい、ということ。 唯心論と唯物論は存在論上の考え方の対立。 実在論と観念論が認識論上の考え方の対立。 だから唯物論と唯心論は世界観の問題ではなく、世界が何によって出来上がっているのかという問題。 「観」とは、見方の違い、唯物論と唯心論は見方の違いではない。 唯物論と唯心論は融合なんてできない。 唯心論と唯物論を融合するって、どうやって融合するのか? 言葉だけで、融合するのか? 唯物論が物質だとすれば、唯心論は心、物質と心をどうやって融合するのだ? 融合したら、物質でもない、心でもないものが出来上がるとして、それはどんなものなのか? 「存在することが価値です」と言っているが、存在することは単なる事実に過ぎない。 その事実を、主観によってどう見るかによって、価値が生じる。 存在そのものはニュートラルなんだから、いかなる価値もない。 たとえば、あなたが存在するとして、それにどんな価値があるというのだ? あなたが存在することに、いかなる価値もない。 ただ、そんな自分でも人の役に立つんではなかろうか、と考え、他人から感謝されたりしたら、価値が生じることになる。 自分が存在するだけでは、いかなる価値もない。 他人に役に立って初めて価値が生じる。 「存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギーである」なんてデタラメを言っているが、笑っちゃう。 前述したように存在者(物)ならば、性質も本質も持っているかもしれないが、存在は抽象的な概念で、中身は空っぽ、何もない。 中身が空っぽな抽象的な概念には「個性」なんてものは無い。 人間ならば個性があるかもしれないが、存在は必ずしも人間とは限らないし、植物や鉱物も含むから、そのようなものには個性なんてない。 特質はあるかもしれないが、人間ゃ動物ではないんだから、個性なんてない。 もちろん、エネルギーなんてない。 物質ならエネルギーはあるかもしれないが、存在のように抽象的な概念、ただの言葉にはいかなる意味でも、エネルギーなんてない。 存在には、性質なんてないのだから「この性質の多くが存在性として働く」なんてこともない。 そして性質は存在者(物)ならばあるかもしれないが、存在にはないのだから、「その性質が精神を構成している」なんてことも言えない。 精神は物ではないのだから、構成されたりなんかしない。 構成って、積み木を積み上げるように、また建物を作るように、精神を持って、積み木を積み上げるのか、それとも建物を作るのか? 「精神も存在性です」と言っているが、精神なんて前述したようにただの言葉、脳にもどこにも存在しない。 そして存在にはいかなる性質も、本質も、本性もない。 あなたのデタラメに付き合うのは大変です。 たまたまヤフーの知恵袋にいい質問がなく、手が空いたから回答しましたが、それでなかったらバカバカしくて回答しないところ。 同じような質問ばかりしないで、たまには別の、哲学らしい質問をしたらどうか? もう、聞き飽きたよ。 あなたの質問を見ている、このOKウエイブの閲覧者もきっとウンザリするとともに、またか? と思っているのではないですか? 失笑を買っているだけなのだから、その自分を客観視して、今後は別の質問をしてください。 お願いします。

yuniko99
質問者

お礼

全くです。存在性とか言っても誰も分かりませんね (^^ゞ どうもありがとうございます。

その他の回答 (2)

回答No.3

金が餌のニワトリ。 それが君たちだ。 価値とは金の事だ。 価値観とは、手元の100円玉で何お買おうかという選択だ。 それらは生活上の尺度の一部でしかない。 君達は、 金が命だ。 人生金だ。 自由は金持ちの特権だ。 金、金、金。 生活上の一部の尺度が、生きる目的で、価値が全てだと錯乱している。 金の他に、生きることの意義が無い。 そう言う事は資本家が王様より偉い近代以降の社会規範だ。 君達はそれに溺れている。 いくら私がニワトリ相手に不毛な愛情を傾けてもニワトリの脳細胞では、価値観至上主義から抜け出せない。 君が個人的ニワトリ能力で無駄な抵抗をしても、それは、自らが神のように崇める、現金至上の価値観から抜け出し切れないからだ。 私はこうしたむなしい、生ける屍相手の親切を、親愛を込めて「猿回し形式思索法」と命名したのだが、さらに退化して今やニワトリだ。 私の本来は君達の期待した、仏陀そのもの。 まさしくそうだが、君達にとっては闇の仏陀黒き明星なのだよ。

yuniko99
質問者

お礼

あなたはブッダでしたか それは失礼しました。 ナンマイダブ ナンマイダブ 先生の高き教えを垂れてください よろしくお願いします。 どうも大変ありがとうございます。

回答No.2

 《性質》とは何か? これを定義してからにしてくれたまえ。  さもなければ 犯罪行為の上塗りになります。  《わたしはわたしである》  《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》  この命題であなたが言おうとするところは みな含んでいます。

yuniko99
質問者

お礼

性質は、物質やエネルギーが持つ量にに対して必ず働く、その状態に於ける真理に従った特色を持った作用、相互作用です。 とまで言わなくても人それぞれ違うが「性質」という言葉の語感にある作用のことです。 性だけ書けば分かるでしょうし 質だけ書けばわかるでしょう それから想像してください。 どうもありがとうございます。

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