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自然数の集合論的な定義について

自然数の集合論的な定義を知りましたが、こう定義するメリットはあるのでしょうか? 見事な定義であると賞賛している本がありますが、「自然数とは何か」「1とは何か」という問いに真正面から答えるものではまったくないと思いますし、わざわざこんな風に定義する必要があるのでしょうか? なんだか、なんでもかんでも集合論で基礎づけてやろうという強引さが感じられるのですが。 なお、当方、数学に関しては無知ですので、容赦ないコメントはご遠慮ください。 優しくご指導お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

前の回答者の方々の回答に全面的に賛成しつつの補足みたいなものです。 集合における自然数の定義とされるものは、自然数なら満たすとされるであろう条件群を満たすように作られています。その条件群が公理であり、このような集合をその公理のモデルと言います。つまり、数学的には集合による定義というよりは、自然数の公理系(現代的にはペアノの公理ではなくペアノ算術PAが普通)を満たす模型を(標準的な)集合論の中で構築してみせたということです。定義自体はPAでなされていると考えるべきでしょう。 数学をやる上で自然数とは何かというのは、本音では「我々の知っているはずのあの自然数」なんですが、この「あの自然数」に対して本当にすべての面で皆に共通認識がある保証はありません。したがって、たとえば 自然数の理論内の言語で表された閉じた文で証明できないものがある とか 自然数の理論と集合論の理論には演繹も含めた対応がある などといった主張について語る場合、「あの自然数」ではたとえば理論の範囲を定めることは不可能であり、数学で扱うことができなくなります。しかし、公理により自然数を特定すれば、理論の範囲も明確になり、上記の定理も実際に証明されています。このように、自然数やその理論について語る場合、明確な定義である公理化が不可欠になります。 ところが、その公理が矛盾していると、理論は何も示すことができなくなります(正確には何でも示すので使い物にならない)。標準的な集合論は様々な状況証拠のようなものから矛盾していないと信じられていて(矛盾がないことを万人が納得するように示すことは事実上不可能)、矛盾のない公理系だけが集合でモデルをつくることができるとわかっています。集合論で自然数を「定義」できるということは、自然数の公理系がまず矛盾しないという保証が与えられることになります。 このように、集合論で自然数を定義することは自然数の公理系が矛盾しないであろうという保証を与え、その保証の元で明確に定義された自然数・自然数の理論などを数学の対象として扱えるようになるため、このような定義がされるわけです。 なお、このような自然数の公理系が我々の知っているあの自然数を表していない可能性もあります。そうなり使えないとなったら困るんじゃないかと思われるかもしれませんが、そうなったら公理系を代えれば済むことです。数学は絶対的真理じゃなくただの道具ですから。

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。

その他の回答 (6)

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.6

A No.4 の後では、今更な感じもするが、 No.2「お礼」欄へのコメント: 証明は、我々が直観的に抱いている自然数観に基づいて行うことはできず、 自然数も何らかの定義を必要とすることは間違いない。 定義された「自然数」が直観的な自然数観に沿うものであるかどうかは、 個人の感想に属する事柄で、検証不能な以上、数学の対象ではないと思う。 > 幾何学における点のような無定義述語なのではないでしょうか? それが、先述の第三の選択肢を指しているのなら論外としても、 「無定義術語」という語を通じて公理的定義を指しているのであれば、 それはそれでいいのだと思う。どちらが好きかは、趣味の問題でしかない。 ペアノの公理は、後者写像の「実在性」に漠然としたモヤモヤが残るように 感じられるので、それのモデルが集合演算を使って構成的に示せるなら 安心感があるような気はする。公理的集合論の上で何言ってんだ…という 批判は、もちろん正しいのだが、あくまで気持ちの問題として。 幾何学だって、モロの「原論」は別として、ユークリッド空間は 基礎体の直積というモデルを持っているのだから。 …何か、酔っ払いの哲学談義みたいで恐縮だが。

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.5

No.1です。諸先生方が出てきてくださっていますので、簡単に。 私を除いて、お三方、とんでもない先生方ですからね^^;m(_ _)m ペアノ公理ですよね・・・。 確かにあれ見て、何でこんな面倒なこと・・・ってなりますもんね。 もっと簡単にできないか! って言うのができないんですね。  数学って、分かりきったことでも証明しないと使えないんですよ・・・。  弱点だと思うけれど。 自明というのはあるけれど。 自然数は「数え歳」とか「指を折って数える数字」とかよくやりましたけど、 これでは、定義も証明もなってないんですね。 面倒だけど、一つ何かあれば他に応用できたりしますよ~、ってことなんでしょうね。 数学は何も答えてくれない って言うのは、けだし名言ですね。  だから勝てる気がしないんだよなぁ~。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。 ペアノの定義はたしかに定義しているって感じですけど、集合論的な定義は、もはや定義とも思えません。 同語反復的な感じがします。

  • kabaokaba
  • ベストアンサー率51% (724/1416)
回答No.4

「他にどないせっちゅうんじゃあ」に同感. 「数学は何も答えない」に同感. 数学ってのはずるいところがあります. ある物を定義したいとしますよね. まず,そんなものあるのかどうか分かんないにも関わらず 勝手に名前をつけます.「HOGE」としましょう. 次に,HOGEが満たしていて欲しい性質を列挙します. 性質1,2,3,・・・みたいに. で・・・「HOGEの定義」を以下のようにします. HOGEとは以下の性質をみたすものである (満たして欲しい性質を列挙) 「HOGE」とは何か?には何にも答えません. 性質を吟味するうちに,性質同士の関係がわかって 本質的な性質だけが定義に生き残るかもしれません. そうこうしているうちに そんな「HOGE」は存在しないことがわかったり, その「HOGE」の実体が構築できたりするわけです. ややこしいことに,実体が構築できなくても 存在だけが確認できることもあります. うやむや感はあるけど,論理的には 存在は間違いないというものがやまほどあるわけです. じつは,それの代表格が「数」なんですよね(^-^; #実際は,「数学的実在」のすべてが「物理的実在」ではないですけどねー で・・・その「数の存在」を論理的に確実にしようというのが 「自然数の集合論的な定義」です. 自然数を「ペアノの公理系」で規定して,それを満たす体系を, 空集合の存在と,集合から集合を構築するルールでくみ上げていくんですよね. 自然数の集合論的定義に代表される, 「最低限のものの存在」「最小限のルール」で 「期待する性質をもつ」ものを構築するという枠組みが大事なんですよ. これって,枠組みの前提にさえ合致すれば あとは以下同じで構築できるってことですから. 集合論をベースにするのは, 「存在」を議論するものだからでしょうね. 同じようなものに,最近ここで投稿された 「直線とはなにか」というものもありますね あれはまさに「数とは何か」と同じ質問ですけど 数学は集合論でしか回答できません.

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.3

「ひとーつ、ふたーつ、みっちゅ・・・」と幼い子供が数を数えます。どの時点で人間は数を認識するのでしょうかね? でも物心ついた頃には間違いなく数を認識してはいます。さてさて難しい質問ですね。 「自然数とは何か」「1とは何か」という質問者さんのほしいだろう問いに対しては数学は何も答えません。が私の意見です。

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。 「数学は何も答えない」 仰るとおりだと思います。 結局、数学はどこまで行っても数学なんですよね。 こういう問題は、集合論という数学の話ではなく、数理哲学という哲学の話なんでしょう。

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.2

既にラッセルの林檎をかじってカントールの楽園を追われた 我々現代人にとって、全てを集合論に帰することに大きな感慨はない。 しかし、一方、数学が証明を必要とする限り、用語や概念には、 直観だけでなく、形式的な定義が必要となる。 我々は、自然数に、あまりにも多くを負っているので、 自然数の定義を記述し得る基礎的で強力な体系というと、 集合論くらいしか思いあたらない。 集合論的自然数論に同意するか、他の基礎的体系を提案するか、 自然数の諸性質は、全て公理と思って証明ぬきで受け入れるか… 三択なのだと思う。その中で、第二の選択肢が無意味であることを ゲーデルが証明してしまった以上、集合論に立脚することには それなりの意義があるように感じられる。 …と書くと話は長いが、要するに、「他にどないせえ言うんや?」

mijukamin
質問者

お礼

ありがとうございます。 集合論的に定義したところで、我々が直感的に抱いている自然数観に変化が起こるわけではないし、数学的にどう定義しようと、結局は、直感に依拠することになる、と思ったのです。 つまり、たとえば、微分とはどういうことかを定義することは、初学者には初耳の言葉なので必要なことですが、自然数をそんな形で定義したところで、何がどうなるわけでもないのではないか、と思いました。 実質的には、幾何学における点のような無定義述語なのではないでしょうか?

  • B-juggler
  • ベストアンサー率30% (488/1596)
回答No.1

えっと、どういう定義の仕方でしたか? それが分からないとなんとも言えないかも? 元代数学の非常勤講師。 (=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

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