• 締切済み

自殺について。

辛い人生だから、それに耐えられないから(嫌だから)、自分の為に消えたい(自殺したい)という考えは間違ってますか。 36歳独身女の考えた事です。生き辛い人生なので死にたいです。理由は長くなるので省略させて頂きますが・・・この世に生まれてきちゃったのがそもそも間違いでしたね。 私の意識に、死にたい・死のうかなという考えが芽生えたのはまぎれもない事実です。 人生においてもモノは考えよう、でしょうか。 哲学者達は、人間が抱えるこのような苦悩に対して、何か役立つ考え方やアドバイスしてませんでしょうか。 どなたか知っておられたら、お教え頂ければ幸いです。 (哲学は全く勉強したことありませんので、分かり易く書いて頂けると嬉しいです。カント・ニーチェ・デカルトとかいましたっけ)

みんなの回答

回答No.14

ウィトゲンシュタイン 幸福に生きよ! ↑これでググれば参考になるかもしれない

noname#195588
noname#195588
回答No.13

No.7です。 すみません。引用した文を読み返したら誤字がありました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 誤:超越論的な問題 正:超越的な問題 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自殺について 他四篇 ショウペンハウエル 著 斎藤信治 訳 我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて 8 余興としての小対話篇 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

black-01
質問者

お礼

再び 有り難うございました。

  • kanto-i
  • ベストアンサー率30% (180/596)
回答No.12

辛いものは辛いし、自分の抱える苦痛は自分だけのもの。 辛く感じて、死を考えてしまうのは間違いではないと思います。 自殺は殺生です。何かや誰かをいかすための殺生以外は無益な殺生になります。 無益な殺生をしてしまうことに間違いは存在するように思います。 もろもろの事物のうえに張られた、成長する輸の中で私は自分の生を生きている。おそらく私は最後の輪を完成はすまい。だが、私はそれを試みたいと思っている。  リルケ 愛されることは、燃えつづけることでしかない。愛することは、暗い夜にともされたランプの美しい光だ。愛されることは消えることだが、愛することは永い持続だ。 リルケ もっとも尊重せねばならぬのは、生くることにあらず、よく生くることなり。 ソクラテス それを考えることしばしばにしてかつ長ければ長いほど 常に新たにして増し来る感嘆と尊厳とを以って心を充たすものが二つある。 それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳律である  カント 哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することである カント 思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。 釈迦 もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。 釈迦 他人の過失を見る必要はありません。他人のした事と、しなかった事を見るのではなく 自分がした事と、しなかった事だけを見るようにしなさい。 釈迦 哲学者だけでなく、多くの人がいろいろ言葉を残しています。 私は、そんな言葉ではげまされ、自分を奮い立たせた時期があります。 あなたにもいつか、心の平安が訪れますように。。。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません >辛いものは辛いし、自分の抱える苦痛は自分だけのもの。 辛く感じて、死を考えてしまうのは間違いではないと思います。  人生は素晴らしくありません。それは素晴らしい生き方ばかりを経験した人だけが言えることだと  思います

回答No.11

 こんにちは。  あなたは だいじょうぶです。    りゆうは長くなるので省略させていただきますが・・・早く言えば こたえをご自身で知っているようだからです。  しばしやすむときを持つということも 《強制的に》しなければならないかも知れませんね。    でもこれも 的外れであるかも分かりません。  あとは よく分かりません。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません >あなたは だいじょうぶです。    大丈夫ではありません。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.10

私も死にたいと 結構しょっちゅう思ってますよ。しかし矢張り待てよとおもいますねえ 僕は障害者です 哲学科に行きたかったけど親の反対で行けませんでした 仕方なしに行った教育大も二度中退 七転八倒の人生です 今は底辺生活です。 哲学は勉強してませんが ゲーテはこう言っていますよ 「どうせ人間は死ぬんだ だから生きてる間くらい活き活きと生きよ」と 今無理して死ななくても(死ぬのも大変ですよ 自分も苦しいし 勇気が要るし 傍にも迷惑を多大にかけます) 人間どうせ死ぬのです 60歳くらいまで生きてみて こりゃ駄目だと思ったら 死ぬ気力が残ってるうちに死んでもいいのかも? 60まではまだまだ逆転可能です 野球は知ってますか?今は6回の表 敵の攻撃で満塁のピンチ どんな球を投げても打たれそうで怖い 実際にはそこまでなくても精神的に参ってしまう 失望 絶望 夢も希望も無い・・・・ しかしチャンスは訪れるのです 僕は入院中は考える事も出来ませんでした 始めは食事も出来ず 痩せて行きました それが今では哲学だ音楽だと結構楽しんでいます まだ6回の裏のチャンスが待っているのです 貴方はまだ冬の中にいます。春がまだ来ていない しかし北海道の大地にも 北極の白熊にも春は訪れるのです 競争で勝ち抜いたエリートがリストラや病気でどん底に落ちたら悲惨です 狂ってしまうかもしれません しかしどん底で生きてる我々は 良い友達に恵まれただけでも幸せ感じられるのです。 私の持論に拠れば 存在する事が目的なのです 存在する事が価値なのです。 生きてるだけでもそれで価値ある人生なのです 大昔の人は酷い環境の中で生き延びる事だけ考えて生きたのです 戦時中 終戦後もそうです。生きてるだけで精一杯だったのです 中国の文化大革命でしたでしょうか それを映画にしたものがありましたが 男と女が引き裂かれる時に 男が女に言います 「たとえ牛馬のように扱われても生き抜け きっと きっと生き抜くんだぞ!」 私の高校の先輩は言いました「行き抜かなければ、死に切れない らいいよ」 僕も貴方の友達です 是非生き抜いて下さい。いつか笑顔が漏れる日を願って。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません >60歳くらいまで生きてみて こりゃ駄目だと思ったら 死ぬ気力が残ってるうちに死んでもいいのかも?  今もうすでに、こりゃ駄目だと思います。

noname#180507
noname#180507
回答No.9

もしかしたら、過去の人生のなかで、成育歴につまずきがあったり、 いじめ等、社会から、疎外される体験があったのかもしれませんね。 自己肯定感が失われ、慢性的な空虚感もあるのでしょうか。 》死にたい・死のうかなという考えが芽生えたのはまぎれもない事実 ふっと死の願望が芽生えたとしても、悩みぬいた末だったとしても、 自殺という行動の結果は、同じです。 「生」と「死」の境目は、紙一重にしか過ぎません。 自殺しようがしまいが、いずれ、「死」は誰にでもやってきます。 「生」を手放せば、再び、あなたの元には、戻ってきません。 質問者さんと、背景も状況も違うでしょうが・・ 十数年前、私も、もう駄目だと思ったことがありました。 ぐるぐる思考回路で、悲観的になり、客観的な状況が感じれなくなりました。 自己評価も低くなります。 苦しくても、絶望的な「状況」じゃないかもしれない。 絶望的な状況と感じていたとしても・・ 抑うつな気分が続いているようなら、心療内科・神経科など受診されるほうが いいです。うつ病には、いろいろなタイプがありますが、薬物療法が効果的な ものも多いです。 人格にまで影響を及ぼしている場合は、薬物だけでなく、カウンセリングなど 何らかの精神療法も併用することが、望ましいかもです。 いずれにしても、きちんとした診断がなくては、適切な治療は受けれません。 「いのちの電話」 http://www.find-j.jp/zenkoku.html 一方通行のQ&Aで相談するよりは、いいと思いますよ。 場合によっては、住所地の相談窓口も、具体的に教えてもらえるかもしれません。 酷な時に、支えになった聖書の言葉です。 コリント人への手紙(第一) あなたがたの会った試練は、みな人の知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に 会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、 試練とともに、脱出の道を備えてくださいます。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません 聖書は、内容に矛盾点を含むので信じられません。

noname#221368
noname#221368
回答No.8

>辛い人生だから、それに耐えられないから(嫌だから)、自分の為に消えたい(自殺したい)という考えは間違ってますか。  人間は、死を選ぶ自由すら持っているという、恐ろしく誇り高い意見もあります。だから間違いではないと思います。 >36歳独身女の考えた事です。生き辛い人生なので死にたいです。理由は長くなるので省略させて頂きますが・・・この世に生まれてきちゃったのがそもそも間違いでしたね。 >私の意識に、死にたい・死のうかなという考えが芽生えたのはまぎれもない事実です。  自分にも、そのように思った、そのような考えが芽生えた時はありました。でも自分は、命意地が張ってるので(命汚いので)、同時に生きたがっている自分にも、気づいてしまいました。単純な話で、今この瞬間には(今日には)死ねないなと、気づいてしまったからです。  それに気づく事によって、明日(次の日)を生きて行ける場合もあります。結局、自分が生きたがってるんだったら、自分は生きてて良いんですよ。理由はありません。文句言う奴は、知った事か!。  たぶんカントとデカルトは関係ない。ニーチェはちょっと関係するかも知れないが、不健康過ぎる。どちらかと言うと、ハイデガーやサルトルだが、今は読まない方がいいと思える。  人は誰でも、一回はそういう思いに駆られますけど、   ・自分が生きたがってるんだったら、自分は生きてて良いんですよ。   ・理由はありません。文句言う奴は、知った事か!。 だと思いませんか?。  自分が消えて良い理由は、少なくとも近代哲学では、どこでも否定されます。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません >人間は、死を選ぶ自由すら持っているという、恐ろしく誇り高い意見もあります。だから間違いではないと思います。  この世に生まれてきたい、と願って生まれてきた訳ではないのですから、死ぬ事位自由であるべき です。

noname#195588
noname#195588
回答No.7

哲学者だとショーペンハウアーの本で 『自殺について』があります。 岩波文庫にあります。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 26ページ 8 余興としての小対話篇 トラシュマコス 要するにだね、僕が死んだら僕はどうなるんだろう、簡単明瞭に頼むよ! フィラレートス 一切にして無だ。 トラシュマコス さあ、困った! 問題の解決は矛盾だときている。ごまかそうたって無駄だよ。 フィレラートス 超越論的な問題に、内在的認識のために創られた言葉で解答を与えようとすれば、矛盾に陥らざるをえないのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 哲学書なので読んでも面白くないかもしれません。 肉体は魂の墓場、ソーマはセーマだとか、仏教の灰身滅智だとか、 死んだほうが幸せという思想も世の中にはあります。 メメントモリ。 輪廻転生を信じる人なんかは、解脱が目的の場合、生まれてきたこと自体が間違いだったと 考えるようです。 聖書にもたしかコヘレトの言葉に、 幸福なのは生まれてこなかった者だ。とか書いてあったような気がします。 死は穢れ、忌むべきものから、死は美しく、生は浅ましいなどと考え方も変わり、 人によっては不当に貶められた生を復権しようとしたりいろいろです。 人が死にたくなるのは、生物的な理由なのか文化的な理由なのか、よくはわかりませんが。

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません 『自殺について』読んでみようと思います。

noname#181290
noname#181290
回答No.6

哲学を研究している者です、他の人達も 「カント・ニーチェ・デカルト」だけを研究されている だけではないと想います。 人間が抱える苦しみの悩みだけではなく、 嬉しい悩みに対して、何か役立つ考え方や アドバイスはされて居ません。 なぜならば人には悩むことが好きというか、 努力よりも楽なのではないのか?と思えるほど 悩むことに一生懸命な人が多いのです。 哲学は、むしろ悩むことへの応援程度でしょうか。 従って、哲学の本が売れ、研究者が生活出来、また悩める。 のかな~と悩めます。 どうして言い切れるのか?それは私の持つ悩みが500を 下回らないし、悩んでも次の悩みに追われてしまい「悩みがい」 がない、せっかくの命を懸けての悩みを無駄にしてしまっている からなのです。 36歳の独身女性の意識に、死にたい・死のうかな という考えが芽生えたのはまぎれもない事実なのですね、 その原因が“辛い人生だから”“それに耐えられない” “嫌だから”という考えは間違いか?との問に関しましても 研究されていません。 人生において(も)モノは考えようか。←これを哲学と言うのでしょう。 つまり、この事への理屈づけなのです。←人生の課題と思います、 >この考えの理由は長くなるので省略させて頂きますが・・・ >この世に生まれてきちゃった、そもそも間違いでしたね。 ↑ 何故?を付けて悩んで見てください。 何故?この考えの理由は長くなるのか? 何故?省略されるのか? 何故?この世に生まれ?選ぶ事が出来たのか? 何を?間違えたのか?間違えない事が出来たのか? そして、ご自分なりの回答は都度必ず出してくださいね。 なぜなら、次の悩みがスグ出てきます。 主語+述語で断定的にして下さい。 どうか諦めないでください、哲学を全く勉強しなくてもイイのです。 哲学は人類が生まれる前から有ったわけではありません。 当初は、腹減った!このままでは死ぬ!だったのでは? とても、哲学でとか、人生のなんたるかとか、ドコロではなかった! のでは?してみますと悩める今は、幸せ!?

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません 勉強になりました。

回答No.5

 「疑問」をたくさん抱えたままで、死んでは死にきれません。それは不完全な“死”なので、死んでからも「はたして死を選んで良かったんだろうか」と悩み続けます。  人生の理不尽さをもう少し“世界を広げて”見てはどうでしょうか。  生命とは、人間とは、まったく理不尽な世界ですね。  善良な人が苦しんだり、悪意ある人の運が良かったりと・・・・・  仕方ありません。  “こころ”自体も恵まれていたり、恵まれていなかったり、“体”も恵まれていたり恵まれていなかったり、と人は様々。  こうした“自分”を我々は受け入れるしかないのです。  まだ、死にたくないという気持ちがあるならば、その心を大事にしましょう。  「もっと生きたい」という気持ちを、自分で大切にしなければ、だれが大切にしてくれるのでしょうか。  心こそが“大切な自分”なので、苦しんでいる自分は自身で慰めて、いたわってあげましょう。  ☆ 人の心は神仏とつながっているので、手を合わせて自身の心を見つめてみてください。ご両親の心の懐に飛び込むような気持ちで、その先にいる神仏の心を想ってみてください。  

black-01
質問者

お礼

有り難うございました。 哲学カテなのに、人生相談のようになってしまい申し訳ありません 参考になりました。

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