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哲学はウツの治療に役立つか

哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由は簡単で理性的にモノを考えることが癖でライフスタイルにさえなっているからです。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 自殺しなくなるのはもちろん、その先の人生においても哲学は有用であるはずです。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 万人に効果があるとは言いません。 しかし効果がある人がいるなら良しとします。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか。

みんなの回答

  • yonesuke35
  • ベストアンサー率11% (609/5531)
回答No.7

  >哲学はウツの治療に役立つか  仏教とか聖書、コーランなどを読んだらいいのではないかと思います。 コーランも自殺は勧めていないはずです。  

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですねそういう物も役に立つと思います。 日本人の宗教嫌いもメンタル面に影響しているのかもしれません。

  • khirano
  • ベストアンサー率34% (123/361)
回答No.6

あらかじめお断りしますが、否定するわけではありません。 ただ順番が逆だと考えます。 自殺未遂を3回程やったわたしがいうのもなんですが、3回目の未遂の後に、生命軽視に対する反感の哲学が生まれました。 いまは、まったく自殺企図をするつもりはありません。 わたしの病名は双極性障害II型です。 鬱の波と、躁の波が交互にくる治療薬が開発されていない病気です。 哲学を先に学んだものは、鬱病に掛かることは確率的に低いのかもしれません。 哲学で自立した人は、たぶん自分自身をコントロールできるので、鬱病には掛かりずらいのではないかと思います。 しかし、鬱病に掛かってしまった人は、すでに無気力、無関心状態に陥ってますので、哲学を自発的に学ぶことは難しいのではないかと考えます。 治療の一環としての哲学は、家族、友人、医療従事者による暖かなマインドコントロールだと思います。 それと対処療法としての投薬ではないかと考えます。 それを適切に行われなかった患者さんの、延長線上に、自殺企図、生命軽視の考えが生まれるのだと考えます。 確かなことは、自分自身が死なないという哲学をマスターしない限り、その哲学は成り立たないことだと思います。 哲学者ではないですが、作家、小説家などではかなりの自殺者も沢山います。 わたしは哲学者はあまり知りませんが、考えれば考える程、鬱病に掛かる危険は高くなり、自殺企図、生命軽視の危険も高くなると考えます。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうです、本来であれば哲学は予防においてその力を発揮します。 ですからこのカテで哲学の話をするのは一歩遅いのですが、それでもやらねばならないのではないでしょうか。 あたりまえですが自分のことなのですから。 結局は新しい生き方をしなければウツは完治しないのです。 >哲学者ではないですが、作家、小説家などではかなりの自殺者も沢山います。 わたしは哲学者はあまり知りませんが、考えれば考える程、鬱病に掛かる危険は高くなり、自殺企図、生命軽視の危険も高くなると考えます。 そうですね、ただし文学者と哲学者は思考の方向性が全く逆なのです。 文学者が私はどう生きるべきかを問うとしたら、哲学者は私とは何だと問うのです。 文学者の「私」は肥大化し、哲学者の「私」は微細化します。 文学者は私をベースにしますが、哲学者はそのベースを疑います。 恐らく宗教家もある面では哲学者と同じような思考をするでしょう。 宗教的にいうところの無我に近づくほど私は私に振り回されず、私に殺されることもなくなるわけです。 哲学を持たずに生きることはルールを知らずにゲームに参加するようなものだと思います。

noname#141408
noname#141408
回答No.5

>哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 >自殺しなくなるのはもちろん、その先の人生においても哲学は有用であるはずです。 答えはズバリYESでしょう。shift-2007様の着眼点は当たっています。ズレているというご意見の方は哲学をやっておられないからでしょう。しかし哲学的思考はエネルギーが必要なのです。要はやる気があるかでしょう。 自分を肯定する心理療法、自分の信奉者を欲しがっている患者が大部分で、哲学的探究心に燃えている患者は殆どおらず、自分に都合のよい思い込み=妄想を追っているうように感じられます。親の愛情云々の議論は存在しても、愛とは何か?という哲学的議論は此処にはありません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 確かにその通りだと思います。 同じ傷をなめあうだけのQ&Aでは何ら解決しないでしょう。 要は本人次第なのですが、それは当たり前といえば当たり前ですね自分のことですから。

noname#141408
noname#141408
回答No.4

>正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 確かに仰る通りです。メンタル疾患に罹っている人は「自分の主観」を判断基準としており客観的・理性的に異なる角度や様々な思考法で物事を判断しているのではありません。あくまで、判断基準は「自分だけの」感覚です。 意欲が湧かない、死にたい、イライラする、疲れる....等々、すべて主観的な感覚であり、理性で思考しているのではありません。 理性的に思考するためには、現在の考えを根本から疑うことも欠かせません。 メンタル系の患者さんが、自分を疑う事は少ないような気がします。死という現象に関しても、哲学的・宗教的若しくは科学的に考察している方は少なく、半ば衝動的・刹那的な気がします。切々と自分の感情を吐露される方は多いのですが、哲学的な考察はこのカテでは少ないですね。自分を疑ってしまったら余計辛くなってしまうからでしょうかね? 自分の感覚を理性的に前提条件を変えて哲学的に考えるより、主観的に「暑い!」やら「イライラする!」と叫んだ方が簡単ですし、疲れませんからね。 宗教は自分で勉強してみて、意外と難しいので無神論だった人間として衝撃を受けました。不定愁訴を並べていた時期より、違ったタイプの辛さでメンタル系が「自己肥大」するのに対して、超越的命題を前に「自己消滅」するような感覚でした。徐々に自己を殺していく過程が宗教だと感じました。 ハマって、哲学もやり始めましたが、頭がジリジリするような疲労感もあり、起床して余裕のある時だけ朝一で哲学書を読んでいましたが、認識論の辺りで指導者もいない事もあり挫折しました。一人で悶々且つ延々と考えてしまう癖もあり、哲学者のように計画的に考える生活はとてもできないな~~と思いました。 哲学は関心はありますがが、意図的に余裕をつくってトライしていました。ちなみに私は現在患者ではありません。個人的な心配事があると、集中できないような気がします。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 人によっては宗教、人によっては哲学でいいと思います。 新興宗教のせいか、日本人はいつの間にか宗教嫌いになってしまいましたが、宗教の哲学部分は非常に有用だと思います。 自分がだんだん小さな存在になっていく、或いは自分という者にさほど興味が無くなる感覚が分かると面白くなってきますよね。

noname#234035
noname#234035
回答No.3

うつ病は考え過ぎてしまうという側面を持っていて、その挙句に今度は考えれなくなってしまったや考えがまとまらないなどが起こって来ます。 そのような疾患にこんがらがってる哲学分野を理性的に考えるのは至難の業ではないでしょうか。 ただでさえ頭疲れてるのに余計疲れちゃうよ。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ウツの人は考えているといっても同じ結論になる思考回路をどうどうめぐりするだけで、一向にらちが明きません。思考のレパートリーが少ないとも言えます。 私が思うにウツ病の人は元々考え方が下手だと思います。 ウツになったからではなく、元々の性格や考え方がそうなのだと思います。 これは薬ではどうにもなりません。 何十年もそうやってきたのですから、その考え方を変えるのにも恐らく何十年もかかるでしょう。 でもウツはそうしろと教えてくれていると思います。 ウツとは哲学的な側面をもった病気だと思います。

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.2

うつ病を改善するためには、考え方と行為を変化させる必要が有ると教えられています。 「あなたの哲学」が柔軟なものなら、問題を解くのに考え方も変える必要があると主張できるでしょう。 うつ病を治すには、一つの心理学を持たねば成りませんので、その心理学に流れている哲学が大切だと思います。 体系的な考え方は「○○哲学」と呼ばれるでしょう。それがうつ病を治してくれると信じています。 『メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ない』と言うよりも。柔軟な哲学ではないと言えると思います。 心理療法は、柔軟な「哲学」だと思いますよ。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私はウツ病患者を哲学者にするつもりはありません。 哲学の定義はどうでもよいのです、単なる道具ですから使って便利ならそれでよいのです。 ただ、方向性としては私とは何かなど根源的なものへの探求でなければ効果は薄いでしょう。 小麦粉から何百種類もの料理が出来ますから小麦粉という元を知ればそれは柔軟な調理方法へと発展するでしょう。

  • NicksBar
  • ベストアンサー率26% (176/673)
回答No.1

医学的に「効果」があるかどうかの判断は臨床に任せるしかありません。 しかし、「正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。」とおっしゃっている根拠が希薄です。 また「哲学」そのものの定義が曖昧です。 質問というより「感想」を述べていらっしゃるだけのように思えます。 まぁ、暇なときにでもという程度の質問ですから、目くじら立てる必要もないんですが・・・ あまりにも・・・・・なので。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

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