• 締切済み

3万人の救い方

宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど人は強くないと思いますし、その場しのぎで生きられるほど人間社会はぬるくないでしょう。 自殺およびその前段であるうつ病(自殺の理由のすべてではないが)への予防策として、 「宗教または哲学」これしかないのではないでしょうか。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーのようではありませんか。 万人を救えるとは言いませんが、効果はあるとおもわれないでしょうか。

みんなの回答

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.15

>世間様という言葉が示す通りある種の人格を持った存在という認識なのでしょう。 「世間体」という言葉がありますように、日本人にとっての世間とは、身体性を伴っていると言っても過言ではないでしょう。 >それゆえ場合によって己よりも優先順位が高くなるのかもしれません。 「場合によって」と言いますよりも、「基本的に」己の優先順位を下げて行かないと事が進まないのが現実ではないかと思います。 その行き着く先に、「自殺」が含まれると解釈した方が、自殺問題を考える上で理に適ってる気がしています。 しかしながら、(「個」を極力認めない割には)自己責任論や努力・根性論を振りかざし、そういった意味合いでの「個」だけを扱い、あたかも「個」のみにメスを入れれば自殺問題が解決するかの様な錯覚に陥り易い面が、世間の中に内在されていると感じます。 そういったのも含めて、世間の中にある宗教性や哲学性を分析していく事も、決して無意味ではないと、私は考え続けているのですが、中々「世間」には受け入れられないのが実情です。

shift-2007
質問者

お礼

これは私のプライドなのかもしれませんが、世間の受け入れを期待するよりは個々人が世間から自立するために自己に対する理解を深めるほうが現実的かなと思います。 我々自身が世間を構成する一要素であることは間違いないのですから。 今回の震災で外国からほめられている点に関しては『世間』のよい部分でもあるでしょうから諸刃の剣というところなのでしょう。 ご回答ありがとうございました。

回答No.14

#4ですがなにかトンチンカンなお礼回答しか得られないのですがまずあなたの質問に回答します。宗教や哲学を学んでいるからといってうつ病になりにくいという根拠はどこにもありません。ましてやうつ病患者のすべてが自殺することも無いです。これは精神科医師に聞けばすぐわかることでしょう。 でも貴方が書いている宗教や哲学を学んでいる人がうつ病にならないという根拠を提示してくださいと言っているだけです。そんな有効な手段があるのなら私も実践したいので。きちんとそういう根拠を示してもらえないんだったらいくらでも連答させてもらいます。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

shift-2007
質問者

補足

回答になってないよ

回答No.13

#4ですが貴方はお礼回答にこう書いています。 >お礼ご回答ありがとうございます。 哲学者に自殺者が少ないのは事実です。 こう書くのには根拠があるのでしょうからどこの国のなんという国の哲学者が自殺してないというデータをしめして下さい。職業で自殺者が多いとか少ないとか比べること自体がナンセンスだと思うのですが。曖昧な回答は意味が無いと思うので今現在日本人に宗教や哲学を持っている人の数字を教えて下さい。

shift-2007
質問者

お礼

お礼書くの大変だから連投しないでくれる?

shift-2007
質問者

補足

正確な数字は出せません。 だったら聞く耳持たないですか。

回答No.12

>宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 こう書かれていますが裏をかえせば宗教や哲学を学んでいいない人はうつ病になりやすいと書かれているのと同じではないですか?だから私もうつ病になりたくないのでどこの宗教とどんな哲学を学んだらいいのか提示したください。なんの根拠もなしにこんなことを書いたわけではないんでしょう?

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なりにくいと、ならないはずいぶん違いますがまぁいいでしょう。 哲学も宗教もどちらも共通して外せないのは自分を知るということです。 自分という人間はどんな人間なのかという主観的な理解と、そもそも人間という生き物はどういう生き物なのかという客観的な理解です。 それを理解することが哲学であり宗教の基礎だと思います。 自分を知ることにより他人が理解できその集合体である社会を知ることができるのではないでしょうか。 特定の○○教や○○主義を勉強しろというつもりはありません。 全ては自分自身を理解するための素材であり手段ですから。 >宗教や哲学でうつ病を予防できるのなら誰も苦労をしませんよ。 貴方はうつ病でもなければ、哲学や宗教も信じていない。 ではこの根拠は? 貴方はこのカテゴリにある質問たちをみてどう感じますか。 薬を飲んでいればそのうちうつ病がなおったり自殺者が減ると思いますか。 貴方は年間3万人の自殺者をどう救うつもりなのかぜひご意見を聞かせてください。

shift-2007
質問者

補足

しかし宗教はわかるとして哲学がどうしてこんなに毛嫌いされるのだろう。日本人の全体主義が原因だろうか。一般論に執着しているようにさえ思える。

回答No.11

貴方は宗教や哲学を学んでいる人はうつ病にならないと書いていますね。私は哲学者に自殺者が少ないことの根拠を提示してくれなんて言ってないですよ。 宗教や哲学を学んでいる人が実際にうつ病にならない根拠を示してくださいと言っているんです。うつ病になったから全ての人が自殺するわけではないです。ちゃんとしたデータを示して下さい。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >貴方は宗教や哲学を学んでいる人はうつ病にならないと書いていますね。 記憶がないのですがどこですか? リンク先をコピペしてください。

shift-2007
質問者

補足

このカテで哲学や宗教に懐疑的な意見が多いのは当たり前と言えば当たり前か。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.10

#6です。 >隠されてきた(触れられずにきた)心根は日本人にとってオカルトじみて見えるのかもしれません。 宗教や哲学に対する毛嫌いはそのためなのでしょうか。 私も、その関連性が強いと感じます。 欧米を始めとする一神教国で分離可能となったものが、何故日本では未だに分離出来ないのか? どうやっても分離不可能であれば、そこからくる苦しみを緩和する方法は無いのか?と、日々地道に考えてます。 実を言いますと、私は長年精神疾患を抱えており、子供の頃から自殺願望が出てきて、その後何回か未遂もやっており、その間何年も精神科通いをしました。 その頃は、自分の悩みの根本原因が見えず苦しんでいたのですが、ある時期「世間」を知った事により、ある程度楽になれた部分が大きかったのです。 (と同時に、日本の精神医療の限界も見えたので、以降は治療から、ある程度距離を置いてます。) 「世間」を知った以降は、それ以前よりも自殺衝動が大きく出て来る事が減った様に感じてます。 (極度の落ち込みは度々ありますが・・・。) 「世間」について調べていく程、日本人における宗教(観)との関連性の強さを認識すると同時に、そこ(世間)にメスを入れる事の難しさも意識せざるを得ません。 一つの可能性を探るとすれば、「宗教」や「哲学」いった言葉やアプローチからではなく、この国が抱えるダブルスタンダード(「社会」と「世間」)の観点から諸問題の解決を探る方が良い様な気もします。 そこから、最終的に「宗教」や「哲学」へ繋がっていけば、それも良しではないかと思うのです。 少なくとも、私から見て、日本の自殺防止運動に大きく欠けている視点は、「日本は「世間」がベースになっている」という点の認識不足だと感じています。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 世間様という言葉が示す通りある種の人格を持った存在という認識なのでしょう。 日本人にとっての個とは世間の構成要素という意味なのかもしれません。 それゆえ場合によって己よりも優先順位が高くなるのかもしれません。

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.9

ANo.3の続きです。 > ルールを知らない人間が勝つ方法を教えろというのですから困ったものです。 ルールを知らないからウツに成るのですか。 それともウツに成らないですむ方法を教えろと言われたら、困ってしまうのですか。 情けない、考えの浅い哲学をお持ちなのですね。 ある哲学者は、哲学の「て」の字も知らない人でも実践すれば、ウツにならない方法を教えています。 あなたも勉強された方が宜しいのではありませんか。 哲学の効を説く場合には、実際に効果を見せねば成りません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.8

>宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど人は強くないと思いますし、その場しのぎで生きられるほど人間社会はぬるくないでしょう。 その通りですが、聖職者でもうつ病になる人はいますし、 自殺を禁止している宗教でも自殺する人はいます。 (この場合、心身喪失として扱われるらしいです)

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 全てを解決する魔法の呪文や薬はどこを探してもないでしょう。

noname#183132
noname#183132
回答No.7

特に宗教について 私は「宗教や哲学(や心理学)を学べば楽になる」 という意見には以前から疑問を持っています 例えば宗教は「目に見えない神様や生死についての考え方」です そこには善悪の定義があり理想があります 己を省みて理想と比較、分析し、その理想に なるだけ添えるようにと、自分を変えてゆかねばなりません しかし、人間には人間らしい欲があるのが本来の姿です 本能に従った場合、大抵の理想とされる姿にはなりません このジレンマはそれらの考え方を知らなかったら生まれないものです 知ったばかりに増える苦しみも有ると思います (理想から外れた自分、 理想に近づけない自分、など) そしてすべての人がその苦しみを乗り越えられ訳ではないでしょう 私は万人向けの救いにはならない、と思います 私は信仰が原因で苦しんでいる人を今まで多く見てきました また、今現在心を病んでいる人は 気持ちを休めることが必要ですから 尚更関わらない方が良いと思います 最近の似非宗教は安易に楽になるようなことを 宣伝するので困りものです (ちょっとかじっただけの素人が勧誘するから、そうなるんですかね?)

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとございます。 宗教を持ち出すまでもなく人はなんらかの理想を持っているのではないでしょうか。 このカテの質問者たちは皆、自分自身の理想と現実のギャップに苦しんでいるのだと思います。 それが人間でありそうでなければ犬や猫と変わりません。 >今現在心を病んでいる人は気持ちを休めることが必要ですから 確かにそれは言えてはいますが一生休んではいられませんよ。 人生の大部分は人との関わりが占めているのですから。 ストレスにならない生き方というのが必要なはずです。

  • t78abyrf9c
  • ベストアンサー率47% (3029/6402)
回答No.6

「宗教」を「心根」と捉えますと、私はある意味「効果あり」だと感じます。 ある種、「心根の体系化(言語化)」が、宗教であるとも言えるのではないでしょうか。 そう考えますと、日本の場合で厄介なのが、「心根を体系化した歴史がない」という点に行き着くのではないかと思います。 別の言い方をすれば、「心根の体系化」は、元来日本人の性に合わず、それを避け続けてきた歴史ではないかとも思われます。 まぁ、今まで(恐らく江戸時代まで)は、それでも何とかやっていけたのでしょうが、キリスト教文化圏からの制度や規範を取り入れた明治以降は、「心根の体系化」を避け続けてきた事による弊害が、日増しに強くなっている感じがしています。 私は、自殺の増加も、それ(避け続けてきた弊害)と無関係とは思えないのです。 そういった意味で、自分達の心根を見つめ直し、それを体系化し、対象化する事が不可欠になってくると思います。 それが実現すれば、自殺問題だけでなく、この国が抱える多くの問題を解決へ導く大きなヒントも得られるのではないかと思ってます。 その上で重要なキーワードになるのが、『世間』ではないかと、ここ数年考え続けてます。 「世間」は、日本人にとっての大きな心根であり、宗教に匹敵する威力をもった存在ではないかと思うのです。 しかしながら、その「世間とは何か」を真っ向から分析し、体系(対象)化し、それを確立した歴史が日本には無い様に思いますので、既に体系化が確立されている海外の宗教や哲学などから解決を探るよりも、(多少の時間が掛かってでも)自国の「世間」を宗教や哲学などの観点から再検証する事が大切ではないかというのが、私の考えです。 「世間」と「自殺」の関係性をみますと、自殺は世間に対する「究極の謝罪手段」ではないかと思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34834995.html http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34841225.html http://blogs.yahoo.co.jp/ddogs38/34871531.html

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 世間と自分とを一体化しているというのは日本人の特性なのでしょうね。 隠されてきた(触れられずにきた)心根は日本人にとってオカルトじみて見えるのかもしれません。 宗教や哲学に対する毛嫌いはそのためなのでしょうか。

関連するQ&A

  • 3万人の救い方

    宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど人は強くないと思いますし、その場しのぎで生きられるほど人間社会はぬるくないでしょう。 自殺およびその前段であるうつ病(自殺の理由のすべてではないが)への予防策として、 「宗教または哲学」これしかないのではないでしょうか。 著名人で見る限りでは哲学者、宗教家に自殺者が少ないのは事実のようです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーのようではありませんか。 万人を救えるとは言いませんが、効果はあるとおもわれないでしょうか。

  • 3万人の救い方

    宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど人は強くないと思いますし、その場しのぎで生きられるほど人間社会はぬるくないでしょう。 自殺およびその前段であるうつ病(自殺の理由のすべてではないが)への予防策として、 「宗教または哲学」これしかないのではないでしょうか。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーのようではありませんか。

  • ゲームの参加者としての自覚があるか

    宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病などの精神疾患になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど人は強くないと思いますし、その場しのぎで生きられるほど人間社会はぬるくないでしょう。 自殺およびその前段であるうつ病(自殺の理由のすべてではないが)への予防策として、 「宗教または哲学」これしかないのではないでしょうか。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーのようではありませんか。

  • 三万人の救い方

    宗教、または哲学を持たない現代人がうつ病になるのはある意味必然ではないでしょうか。 無神論者を気取るほど、人は強くないと思います。 自殺およびその前段であるうつ病(自殺の理由のすべてではないが)への予防策として、 「宗教または哲学」これしかないのではないでしょうか。

  • うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 皆さんはどう考えるでしょうか

  • 哲学はウツの治療に役立つか

    哲学者に自殺者は少ないという話をたまに聞きます。 Wikiで調べると確かに少数派のようです。 理由は簡単で理性的にモノを考えることが癖でライフスタイルにさえなっているからです。 うつ病の人たちの多くは「希死念慮」、「自殺願望」を持っています。 哲学者に自殺者が少ないなら哲学がうつ病の治療に役立つのではないでしょうか。 自殺しなくなるのはもちろん、その先の人生においても哲学は有用であるはずです。 正直、メンタル面で問題がある人は「哲学」を持っている人が少ないように感じています。 万人に効果があるとは言いません。 しかし効果がある人がいるなら良しとします。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか。

  • ウツ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 人はパンのみで生きるにあらずです。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 皆さんはどう考えるでしょうか。

  • うつ改善のための宗教的視点と哲学的思考

    この質問を立てるのも何度目なのか数えるのも面倒なくらいになりましたが、 薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身ひいては人という生き物に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分を責めるのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 現代人はまるでゲームのルールを知らずに参加しているプレイヤーの様ではないでしょうか。 数千年前から人の基本は変わってはいません。 痛み止めにしかならない薬を飲んでその場をしのぐのではなく、人生を通して全的に考えるべき事柄ではないでしょうか。 当事者の皆さんはどう考えるでしょうか

  • うつ病と哲学について

    現代病の一つとしてうつ病がありますが、そのうつ病の予防方法として哲学するのは有効ではないでしょうか。 うつ病の方々は自分自身に対する客観性が今ひとつ欠けているように思われます。誰でもそういうところはあるのですが、自分に振り回されすぎる傾向があり、気がつくと普段の生活にも支障がでるほど重症化してしまった。というように見受けられるのです。 このカテの住人?の方はうつ病とはあまり縁がなさそうにも思います。哲学しすぎてうつ病になったという方はその経緯などを教えていただけいないでしょうか。 重症化してしまったら医学の手を借りなければいけませんが、予防方法として哲学は有効だと思うのです、哲学とはなんぞやというのはちょっと脇に置いといて、心理も含め広い意味でということでお願いします。