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「甘やかせすぎ」は「甘やかしすぎ」の間違い?
- 家庭の教育力低下についての調査結果や理由について説明
- 質問文のなかの「甘やかせすぎ」は「甘やかしすぎ」の間違いかについての疑問
- 質問文の不自然な表現についての要求
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東京人と大阪人で受け取り方が違います。 東京人は、現代語としては「甘やかせる」で間違いではないと言う人が少なくないかも知れません。 「食事を済ましてから」は方言か老人語で、「食事を済ませてから」が現在は標準的だと考えます。 最近は「耳を澄まして」ではなく「耳を澄ませて」と言う人が出てきました。 さすがに「湯を沸かせた」、「鐘を鳴らせた」とは言いませんが、将来は分かりません。 一段活用の自動詞から派生した他動詞の場合は使役表現とは語形が歴然と違うので、混同は起きにくいのですが、五段活用の場合は似た形のため、混同が起きやすく、規範意識による不要な“矯正”が行われがちなのです。 「降りた」に対応する派生他動詞「降ろした」と使役表現「降りさせた」が別々に存在することは当然と考えられます。 五段活用の場合、「浮いた」に対応する派生他動詞「浮かした」と使役表現「浮かせた」が別々に存在するということが分かりにくくなりました。 その結果、「体を反らして」、「腰を浮かした」ではなく「体を反らせて」、「腰を浮かせた」が正式な形であると感じられるのです。 これにはもう一つ理由があって、大阪弁などでは、明らかな使役表現を「作文を書かした」、「責任を取らした」のように言うことあります。 これらは方言であって、共通語では「作文を書かせた」、「責任を取らせた」と言うのが正式な形です。 そこで上に書いた例で“規範意識による矯正”がはたらくわけです。 「食事を済ました」ではなく「食事を済ませた」が現代では標準的であるということになります。 これらのことから言えるのは、「ア段+した」、「ア段+して」は方言か老人語の臭いがして、「ア段+せた」、「ア段+せた」に“矯正”されがちだということです。 「尽きる」の派生他動詞は「尽くす」でウ段です。 この場合は「尽くした」を「尽くせた」(可能動詞に非ず)に“矯正”する人はいません。 「尽くす」と使役表現「尽きさせる」とは歴然と違うからです。 ところがもう一つ派生他動詞が生まれました。 「愛想を尽かして」は「ア段+して」ですね。 そうすると、たちまち「愛想を尽かせて」と言う人が出てきます。 「甘やかす」の場合「甘える」からの派生で「か」の挿入を伴うタイプ*ですが、音形的には同じですから、「甘やかして」ではなく「甘やかせて」の方が妥当なように感じられてくるわけです。 * 「冷える」からは「冷やす」のほかに「冷やかす」が派生していますね。「はぐれる」→「はぐらかす」も同類。 三十年後、東京人は「長い髪を背中に垂らせて」と言うのが普通になっているでしょう。 「ア段+して」「ア段+した」が忌避される結果です。 「耳を澄ませて」が「食事を済ませて」と同等の地位を獲得するのに、十年を要しないかも知れません。 「澄む」が五段活用ですから。 同音の「澄ませる」という形が正しい形(使役)として存在しているわけですから、耳で聞いたときに違和感を覚えません。
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- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
僕の考えは東日本と西日本では動詞の活用が違うばあいがある、と言うことに基礎をおいています。例えば、下記の例では、飽きる(東)、飽く(西)、借りる(東)、借る(西)、のような違いで、東は1段、西は5段活用です。 http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E8%BF%91%E7%95%BF%E6%96%B9%E8%A8%80_%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88#.E4.BD.BF.E5.BD.B9 したがって「甘やかす」という5段は西、「甘やかせる」は東、それぞれの連用形に「過ぎ」をつけると、「甘やかしすぎ」(西)、「甘やかせすぎ」(東)ができて、両方とも正しいと思います。
お礼
ご丁寧に教えていただき誠にありがとうございます。参考になりました。
- japaneseenglish
- ベストアンサー率35% (226/638)
他社サービス知恵袋に類似の質問がありましたので、リンクを下側に付けます。 ご質問の内容は、西日本では違う発音になることがあります。 わたしの生まれた地方では、「甘やかせすぎ」とは言いますが、「甘やかしすぎ」とはあまり聞きません。 数字の7も、東日本と西日本では発音が変わります。「しち」が共通語の発音ですが、「ひち」と西日本では発音します。 ですから、西日本の人は、どちらが正しかったか時々わからなくなります。 川北義則氏は、大阪出身の方ですので、ご質問のような表現を使ったのだと思います。 なお、日本語は、方言がたくさんあり、教育で習うものは共通語(昔は標準語と言っていました)です。この共通語は、東京地方の方言を基本に、人工的に作られた日本語です。 東京の方も、共通語を使っているわけではなく、厳密には東京地方の方言です。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。いろいろ参考になりました。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1471/3838)
かなり正確な日本語で遜色がないのですが強いて言えば次の3か所が自分には不自然に感じました。 >川北義則の「父親の品格」を読んでおります。印刷ミスではないかと思う表現が出てきました。 推奨: 川北義則の「父親の品格」を読んでいて、印刷ミスではないかと思う表現が出てきました。 が自然な感じがします。 >「甘やかせすぎ」は「甘やかしすぎ」の間違いでしょうか。 推奨: 「甘やかせすぎ」は「甘やかしすぎ」の間違いではないでしょうか。 自分の意見を表現する場合はこの様に言った方が自然な感じがします。 >ここは少しおかしいと思って、よく理解できません。 推奨: この部分が少しおかしい感じがして、理解できません。 さて、本題ですが、「甘やかせすぎ」は「甘やかしすぎ」の間違いでは無いと思います。 日本語ではその様にも使うし、意味合いやニュアンスも「甘やかしすぎ」 とは少し違ってきます。 「甘やかせすぎ」 は親が子供に対して 「甘やかす」 という使役、をしている状態ですね。子供がわがままを言って(して)いるのにそれを咎めずにし放題にしている状態。 「甘やかしすぎ」 は子供に不要なものを与えすぎや自分でできるのにやってあげる。転んだの起こしてあげる。などが挙げられます。 勿論かなり意味の重複している部分が有る為、同じ様に使う場合もあり、それは習慣上、不自然に感じない場合があることも事実です。 ネイティブが感じないことを鋭くご指摘される点は敬服致しします。 改めて日本語というものを考え直しました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。いろいろとても参考になりました。質問文までも添削してくださり、心から感謝いたします。今後、気をつけます。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
全くおっしゃるとおりで、原文は明らかに間違いです。 印刷ミスなのか、筆者の勘違いなのかはわかりませんが。 理由も、質問者さんが述べておられるとおりです。 たとえば、幼稚園の園長が「先生に対しては、もっと園児を甘やかすようにしなさい、と指導しています」と言っていたとします。 それを知った親が、「園長は、甘やかせすぎだ」のように言う場合に使う表現です。 これは、園長は、先生を使って園児を甘やかしすぎだ、という使役の意味になります。 難しい言い回しが多いのですが、かなり正確に表現なさっていると思います。 あとは、以下の2箇所を修正するとほとんどネイティブに近い表現になります。 1. >「甘やかす」の使役は「甘やかせる」だと思っています。 →「甘やかす」の使役は「甘やかせる」だと思います。 : ここは継続を表わす「ています」ではなく「います」と現在形を使うほうが自然です。 2. >ここは少しおかしいと思って、よく理解できません →ここは少しおかしいと思いますし、よく理解できません : 「おかしいと思うこと」と「よく理解できないこと」には、因果関係がありませんから、「て」で接続すると不自然になります。 因果関係ではなく、むしろ、似たような意味です。 「おかしいと思う⇒だから、理解できない」 ではなく、 「おかしいと思う=同時に、理解もできない」という構図。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。質問文の添削にも感謝いたします。これから気をつけます。
お礼
文法の面から詳しく説明していただきありがとうございました。外国人には難しいですね。とても参考になりました。