• 締切済み

余命半年がんの母 私のすること

lanlan21の回答

  • lanlan21
  • ベストアンサー率49% (50/101)
回答No.10

あまりの辛さに、心が自然と逃げ出すのでしょう。 それは、誰しも、しょうがないことですよ。 でも、あなたは、ここでどうしたら向き合えるかを 相談してらっしゃる。少しでも、逃げるのをやめようと 思ってらっしゃる。 少しずつ、あなたはスタートできそうな気がします。 向き合い始めていますよ。 私は最愛の妻が余命1ヶ月との告知で亡くなりました。 そういう経験がある人に聞いて、 当時心に留めたことがあります。 「残る日々を後悔しないようにおくること。」 これだけは絶対だということでした。 あなたのように、今何ができるかを 真剣に考え始めているだけでもスタートです。 スーパーマンでも神でもない我々にできることは 限られているかもしれません。 でも、この日々を真剣に自分の心に 後悔しないようにすべきです。 今より、前の日々で後悔することがあっても、 今、逃げ出したり、投げたりして後悔する事は、 ただでさえ深い傷が、手の施しようもなくなります。 今は、弱くなる心と決然と闘っていきましょう。 限られた時間でお母様と幸せに過ごすには、 裏ではその闘いが必要かもしれません。 後悔しないように残された日々を送るとなると、 それを心に問うと、大体において、お母様が 残された時間で喜ぶことは何だろうというところに 想いが至ると思います。 母と娘であれば、母は、自分の事より 娘の幸せを望むでしょう。何より、 自分がいなくなっても、明るくこの子は 生きて行けると確信を持ちたいはずです。 そういうところから、考えていきましょう。 病院につきっきりでも、母親は心配するでしょう。 大学にきちんと行って、明るく過ごして、そして 空いてる時間は精一杯お母さんと過ごしましょう。 話しておきたいことはすべて話しましょう。 一緒に過ごすことが大事ですよね。見舞いに来てるという 感じではなく。弱るからだや、きつい事もあるでしょうが、 その中で一緒に過ごせることを大事にしていきましょう。 一緒にいるということが大事なので、特に何かをということは ないように思いますよ。

関連するQ&A

  • 余命宣告を受けた母との接し方

    昨日、医師より連絡があり、父と病院に行ったところ・・・ 母の余命宣告を受けました・・・ あと数ヶ月だそうです、 数ヶ月といわれても・・・どのくらいですか?聞いてみたが・・・ 1年持たないでしょうとの事 母は現在、骨折で入院しております 過去に甲状腺ガンを患い2回手術を行っており・・・ 昨年末、私が県外からUターンしてきた時、本人から「手術で取れないところにまたできた」と 聞かされていましたが、余命宣告までは受けていなかったそうです。 先日の医師の話の内容については、母は聞いているとの事でしたが・・・ 医師に確認したところ、直接母には余命は伝えていないそうです。 父は前回の手術のときから覚悟はしていたと言ってましたが・・・ 正直いって私は受け入れられない状況です・・・ なぜなら・・・今は入院していますが、癌とはまったく関係ないものであり いまは元気で、退院を待ち望んでいる状況で、あれをしなきゃと色々言っているのですから 身内びいきと思われるかもしれませんが・・・ 私の父、母は私にはもったいないくらい立派な人たちです・・・ 死は平等に訪れるものですから、受け入れなくてはなりませんが・・・ 私を含め兄も、何一つ人並みの幸せなことをしてあげていません 40歳を過ぎた私のみならず兄も独身・・・ ふつうなら、孫の2~3人いてもおかしくはありません 母と同年代の人たちはみな、孫の世話をして余生を過ごしています。 せめて、将来を誓った相手がいるならば・・・それを楽しみ、また生きがいとさせることも可能でしょうが・・・ そのような相手も居らず、母に、これからも希望を持たせる話題すらありません・・・ こんな、駄目な私は今後、母とどのように接していけばよいでしょうか? 母の姉妹などに打ち明けようかと思いましたが・・・ 出産を控えた姪もいるため、やめておこうとのことで・・・ やむにやまれず・・・ここに書き込みさせていただきました。 なにとぞ、よろしくお願いいたします。

  • 先日、母が肝臓ガンの末期でステージ4余命半年だと言

    先日、母が肝臓ガンの末期でステージ4余命半年だと言われました。 2年ほど前から小さい癌ができ、その都度治して再発しての繰り返しでした。 先々月再発したと知ったときも小さい癌だから大丈夫と言われました。ただ大丈夫という言葉で内容、進行具合など何も知りませんでした。 今月に入り治療するために入院したさいには直径が見つかったときの5倍になってたそうです。 まず妹が親を通して主治医から呼び出され、妹と主治医の一対一での話をしたそうです。 そのあと母も一緒に話を聞きました。 ただ妹と主治医が面談したとき、妹は母には余命は知らせないで、病状のみにしてくれと言ったと。 その直後、妹から僕のほうに連絡がきていてもたってもいられなくなり病院に向かいました。 大学病院の先生に連絡なしに行って会えるはずないと思いながらも向かわずにはいられませんでした。 主治医には会えました。聞けば聞くほど目の前が真っ暗になるようでした。嘘であってほしい。夢であってほしい。。。 その時お見舞いと称して母にも会いました。こんな元気な人が半年以内に死ぬのか?そんなことあるのか? 妹は看護師をしているため、ある程度のことは分かっているかもしれません。腹をくくっているかもしれません。 でも僕は素人です。何も知りません。でも逃げたいけど知らないといけないと思い、勉強して学びました。いかに今が絶望的な状況なのかを。勉強して理解すれば何か変わる。何か良い方法が見つかるかもしれないと思ってました。 自分なんてどうでもいい。女手一つで育ててくれた母を救いたい。僕が5歳、妹が2歳のとき父は他界しました。その後24年間僕ら兄妹を死に物狂いで助けてくれ育ててくれたこんな人が死ぬなんて。。。 僕は母元を離れて、一人暮らししてます。妹には、余命宣告もしてないからいつも通りの距離感を保てと言われました。 変に会いにいくと逆に心配すると。 無駄あがきかもしれないけど、何か救う手立てがあるかもしれないと新たに医者を探したりしてます。 でも変に冷静に死んだときのこと、死ぬときのことを考えてしまいます。なぜ諦めると自分に言いながらも考えてしまいます。 なんて自分は冷酷な人間なんだと。 今が何をどうすればいいのか分かりません。何もかもが分かりません。僕に何ができるのか。何が正解なのか。 もしかしたら、正解なんてないのかもしれませんが、この様なときどう対処すればいいか誰か教えてください。 泣いてもなにも起きないのに、ただただ涙がとまりません。 文面めちゃくちゃですいません。だれか教えてください。

  • 余命半年の父。 何を伝えておくべきか、何を聞いておくべきか。

     先日、父がStage4の食道癌で、余命宣告を受けました。  「まだ若すぎる」という気持ちと、「でも助かるかも」という気持ちが入り交じりつつも、まだ実感がありません。  入院した当初からずっと(この時はすぐ退院出来ると思ってたのですが)、土日を父の病室でテレビを見たり、他愛のない話をしたりして(私が口下手なのと、父が発声が辛い為、ポツポツですが)一緒に過ごしています。  勿論治る希望を失わず接するつもりですが、身内は疎か、知り合いの「死」からも縁が遠かった為、送られる側の気持ちも到底分からず、送る側の送った後の気持ちも分からず、でも後で後悔は、したくないのです。  もし良かったら、生きている間に出来る事、やっておけばと思った事、教えて下さい。  もう会えなくなるなら、その前に伝えておけば良かったと思う事、話しておけば良かったと思う事があれば、教えて下さい。  お願いします。

  • 余命数ヶ月の母について

    母は余命数ヶ月と診断されて入院しています 私はちょうどその頃海外留学を終えて帰国して親の余命を聞き、家にいることにしました 母は今まで自分が病気になって私が必要になると、海外から私を呼び寄せ、自分が元気になり私の存在の必要がなくなると、ふとした口論をきっかけに、家から出て行けと、言う人でした。 日本国内ならば、まだいいのですが海外から人を呼びました 一度目は留学期間を2ヶ月切り上げて帰国し、二度目は留学を延期しました。一度収めた学費や、飛行機のチケット代など100%は返金されませんでした。出てけと言われた時、そのことを言うと、それはこっちには関係ない、でてけと言われました。  私はこんな人、もう知らない!と思っていたのですが、今回余命宣告されたこともあり、そばにいることにしましたがふとした事にカチンときます  ある保険に入っていて、そこから病気の保険金がおりたというお知らせの手紙が来たときのことです。私はその手紙の内容を知りませんでした その手紙には今回入金した保険金額のお知らせと、次回の保険金請求用紙が入っていて、母は私に保険金請求書を渡し、また書いておいて出してほしいと渡そうとしたのですが、私は処理上、手紙の全体の内容を把握しときたかったのでもう一枚の紙も見せてほしいというと、母はこれはあんたに関係ない!そんなにいくら保険金がおりたか知りたいのか?とぬかしました。私はその紙が保険金額が書かれていた紙と知らなかったので、一瞬耳を疑いました。  己が育てた娘をそんな風に見ていたのか。。 そんなに大切ならどうぞ墓場まで持っていけ、と思ってしまいました 病気で外出などできないのに、入院先の部屋の自分用の貴重品入れに家の通帳をがっちり入れている姿に愚かさを感じます 入浴も看護婦さんが一緒に入りますと言ってくれているのに、わざわざ私の付き添いをご指名する。これってわがままじゃないの?毎日毎日。 だけどそれを本人に言ったらむこうは悲劇役者を演じ、私は100%の悪者になるし、いつか自分も後悔すると分かっています だから言いません。 だけど、あなたはこのまま私に今までごめんねという言葉ひとつ言わないまま勝手に死んで行ってしまうのか?と思う気持ちがあります  今日私は歯医者に行き、そのためお見舞いの時間が遅くなり、母は私を待っていたようですが結局一人で入浴を済ませて、遅く来た私に、何の役にも立たないと言いました  余命短いのだから私は言い返すべきではないのでしょうか 余命短くとも、悟ることもなく文句ばかり悪口ばかり皮肉ばかり。  せめて最後くらい心が平和であってほしい、でもそう思うのは私自身病の苦しさを分かってあげられてないのかなとも思います だけど憎まれ口たたかれると、優しくしようとする気持ちが吹っ飛び、とんでもないことを口ばしりそうな自分が怖いです」  ご意見や体験談などお聞かせいただけるとうれしく思います 長文になり失礼いたしました

  • ガン患者の余命

    先日、ガンになった父の事で質問させてもらった者です。http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1342993 大学病院に行き検査し、来月の6日に入院が決まりました。 父は、糖尿、うつ、十二指腸潰瘍と、様々な病気を抱えており、手術は困難なものになるそうです。 今のところ、父は痛みなど訴えておりませんが、鼻血は止まりません。ガンは痛みが伴う病気だと聞いていたのですが、鬱のせいか、それとも鬱の薬のせいで痛みが麻痺しているのでしょうか? 今はそんなに強い薬は出されていないはずなんですが・・・ あと、がん患者がよく余命何年など宣告されていますが、父の場合何も言われていません。 ということは、末期患者じゃないんでしょうか? だから、手術をする道を選ぶのでしょうか? 鼻から目までの転移があるので、素人判断でかなり進んでいると思っていましたが、そのくらいなら治るのでしょうか? それとも、このガンは直接死に結びつくものではないんでしょうか? 母は先生に任せると言っていますが、無駄に顔を傷つけられるのはどうしても嫌なんです。神経が集中している所だから、痛みがひどいんではないかと思います。 後になって疑問がたくさん浮かんできます。 なかなか、私が一緒に話を聞けない状況で、後から母に聞かされるので、母に質問攻めをすると「わからない。覚えてない。そんな事を聞ける雰囲気ではない」と言われてしまうので、私の頭は???だらけです。 直接先生に、聞かなければならない事ばかりですが、今から入院までかなりあります。(この間にガンが進行するんではないかも心配) 知識・経験がある方お知恵を貸してください。 どうかよろしくお願いします。

  • 余命宣告された友に

    シングルマザーの友達が余命宣告されました。今は入院中ですが、自宅療養する予定のようです。今後、どう接していけば良いのでしょう。度々、顔を出して手伝いをしたりがよいのか、必要とされるまでは、そっとしておくべきか、迷ってます。よろしくお願いします。

  • 末期癌性胸膜炎

    親戚が先日「胸膜炎」ということで入院しました。詳しく検査して、昨日「癌性胸膜炎」と診断され、余命1年と宣告されました。突然の事で、最初は、以前結核にかかったことがあったのできっと結核性だと思っていたのですが、癌性ということなので放心状態です…この癌性胸膜炎という病状が良く分かりません。70歳の高齢ともあり、もう手の施しようが無く、余命まで宣告されてしまいました。本人には、相当ショックを受けると思うのでまだ宣告していません。どんな顔をして見舞いに行ったらいいかわかりません。顔を見たらきっと泣いてしまいます。この病気はもう治らないのでしょうか?

  • 余命1年未満と宣告されました

    母が余命いくばくもない、と昨日主治医に宣告されました。 慢性単球性白血病で、現在急性に転化した状態だといいます。 悲しくて悲しくて、辛くてどうしようもありません。 骨髄移植とかをすれば奇跡も起こるのでしょうか? 骨髄移植するにはどうしたら良いのでしょうか。 本人もうすうす、余命がもうないと気付き始めたようです。 今は元気で笑って話しもでき、食事もしています。ただ、退院ができずに、1年半ずっと入院したままです。白血球数を下げる抗がん剤治療を行うのですが、それと比例して正常な血が作れず、貧血を起こすので輸血が必要になります。 そのため、数値の良いタイミングを見計らって、せいぜい3日程の退院しかさせてもらえません。 元気そうな母の顔をみると、本当に逝ってしまうのかと疑ってしまいます。 旅行がしたい、お洒落して東京に遊びに行きたい、と、本人は元気に退院できると信じ続け、これまで何とかやってきましたが、昨日の医師の宣告で(本人に余命の話はしていませんが、遠まわしにもう無理です、という説明は受けました)、もう退院はできないんだ、とがっくり肩を落としています。 彼女がすくならからず元気なうちに、ずっと行きたいと言っていた京都の百万篇市につれて行くのは可能だろうか、とか、せめて、楽しい思いでを最後に、気持ちよく逝かせてあげたい、と思っています。 同じような体験をされた方、どのように親との最期を過ごされましたか? 私は、平日都内で仕事をしており、会えるのは週末だけです。それでももどかしいです。 家で療養しているわけではないので、実家に戻る、ということは選択肢にありません。 私はまだ40歳です。まだまだ、母親から色々と話を聞きたかったのに。母と一緒に遊びたかったのに。母に悪態をついたあの言葉、行動が、悔やんで悔やんで悔やみきれません。

  • 父がガンで余命宣告を受けています。

    父がガンで余命宣告を受けています。 父(55歳)が昨年の夏に健康診断で肺に影が見られると指摘され、医療センターで精密検査を受けたところ、「小細胞肺癌(進展型)、手術不可能」と診断されました。 その時点で、脳、骨、副腎にガンの転移が認められるとの事で、抗がん剤(パラプラチン)による治療を始めました。 素人なりに小細胞肺癌について調べ、抗がん剤の効きは良いが予後不良、生存率の低さ等が判っていましたので、父の入院後すぐに担当の医師に余命を聞いたところ、「持って2年」と宣告されました。(父には話していません) 確かに抗がん剤の効きは良く、たまに肺が痛む事以外は父は発病前とほとんど変わらず、何よりも入院生活自体に苦痛を感じている父でしたので、癌が小さくなっていて、体調も悪くない事から、医師からも了承をしていただき、2ヶ月程度で一旦退院をしました。 しかし、その後やはり父の体調は思わしくないようになり再入院、再度の抗がん剤(カンプト)治療、少し体調が良くなったところで父の意向により退院、体調不良により再々度の入院、この時はカルセドによる抗がん剤治療を行いました。 先月、一時帰宅中に父が歩く事も儘ならない程に体調が悪くなったので、すぐに医療センターへ連れて行きました。 そこで医師から訊いたお話では、「もう父の体には抗がん剤は効いていない事、これからは脳と肺自体に放射線治療を行う事、余命はもって夏まで」というものでした。 今では父の身体が放射線治療にも耐えられない為か、麻薬を打つ事で何とか痛みを抑えている状態(延命治療でしょうか?)です。 父も、食事もほとんど喉を通らなくなり、歩くのも、喋るのもおぼつかず、放射線で焼けた父の顔を見るのも非常に辛いです。 現在の担当医師には「もう、これ以上出来る治療法はない、このまま入院をしていても良いし、退院しても良い」と言われました。父も言われたそうです。 父には余命の事は伏せていますが、父自身の身体ですので本人も察しているようで「俺はあと2ヶ月だ」と言っています。 今このような状況下で、今後どうするべきか悩んでいます。 現在通っている病院は車で40~50分かかります、父は入院中はほとんど放心状態で、家族が面会に行くととても嬉しそうにしています。 面会に行けない時などは、母や私に、日に何度も用も無いのに電話を掛けてきたり、面会時間ぎりぎりまで他愛もない話をして家族を引き止めるような行動をする、とても寂しがり屋の人です。 父は「余命が知りたい」と言っています。家族は「余命は怖くて聞けないからお父さんが本当に知りたいのなら医師に自分で聞いてみたら」と返しています。(父は自営業なので、身辺整理など、やりたい事も沢山あると言います) 明日、父も含め家族揃って医師に話を聞きに行く予定です。 あくまで母と私の気持ちですが、このまま、もう治療の余地のない病院に父を置いておくのなら、転院をさせてあげたいと思っています。 ・余り評判の良い病院ではないですが、今の病院でも治療の余地が無いのなら、家から自転車で10分程でいつでも父に会いに行ける病院への転院(父の一時帰宅も容易になると見込んで) ・或る程度有名なガンセンターへ希望(他に治療の余地があるかも知れない)を持って転院(しかし、ガンセンターは入院待ちの間に父の命が持ってくれるか分かりません) ・今の病院でこのまま延命治療を続ける(転院となると、また検査が続き父の身体が心配です) 明日の説明で父が余命を知るかは判りませんし、最終的には父の希望を1番にと考えていますが、今の父の状態では判断力も思考力も衰えています。 まだ55歳の父です。このまま死を待つには早すぎます、諦めたくありません。 それから、私は川崎市在住ですが、良い病院等の情報があれば教えていただきたく思います。(少々遠くても望みが持てるのならば時間は惜しみません) 長文になりましたが、これからどういった選択をして行ったら良いのか、何でも構いませんのでご意見、ご教授願えればと思います。 長々と読んで下さり、有難うございました。 宜しくお願いいたします。

  • 現在留学中なのですが、祖母が余命半年と宣言されました。

    タイトルの通りなのですが、現在アメリカの大学に留学中なのですが、祖母が余命半年と宣告されて、今自分がどうすべきか悩んでいます。 自分の心に素直に行動できるのならば、祖母のそばにいて出来る限りのことをしてあげたいんです。 しかし、親に相談したら、祖母の入院費がかかって家計が苦しくなっているのにもかかわらず、これから去り行く人のことでお前の人生を狂わせたくないからアメリカで頑張って来い、と言ってくれました。 自分はアメリカで勉強を続けるべきか、日本で祖母近くにいてあげるべきか…自分では納得のいく答えが出せません。 自分はどうすればいいのでしょうか?