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古典伊勢物語

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.1

 こんばんは、質問者様は高校生でしょうか。それならばこの作品の主人公に擬せられた人物とその人物像を手掛かりとして、この問題を読み解いてみましょう。  『伊勢物語』は平安時代初頭に成立した物語として知られ、その主人公は在原業平をモデルとしたとされています。この在原業平は希代のプレイボーイとして浮き名を流したことで有名な人物です(つまりは女癖の悪い人物)。  この物語は別名『在五中将の物語』とも呼ばれ、在原氏の五番目の男子である人物が官位としては従四位下の務めにあったことを語っています。官位としてはそれほどの高位でもなく将来の出世にも期待が適うとは言いかねる複雑な立場です。  さて本題に戻りますが、「東下り」の部分をよ~く読んでみますと、次の一節に出会います。三河の八橋という場所に差し掛かった折、そこでしばしの休息をとっていたが、咲いていた燕子花の花を見て歌を詠むという、あのシーンです。男が詠んだのは、都に残してきた妻への思いでした。「愛しい妻を都に一人残す形で、自分は都を離れて旅をしている。今頃あの妻はどうしていることだろうか」との悔悟に満ちた歌です。  しかしこの人物に色恋沙汰にへの反省など微塵も見られてもいなかった。現在の隅田川あたりに着いたとき、今度はそこに群れ飛んでいる都鳥の姿を見て「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と先程の「妻に対する思慕」とは別に自分が愛している女性が今はどうしていることか、まさか他の男に寝取られてはしまいかなどとあらぬ妄想を一人で掻き立てています。それほど、「この男なる人物」はしょーもない人物といえます。  こうした背景を考えますと、「昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして」の「えうなき(要なき)」の語る意味は「実務的な意味」ではなく、恋に破れた無残な男の生き様を綴るものと僕は解釈しています。  都ではなく地方に飛ばされる左遷ならば、それは西国でもよいことになります。この人物が何らかの罪を犯したかどうかは記されていないことから、それが五罪の「流罪」ではないことも推測されます。  流罪となれば、菅原道真の左遷をはじめ崇徳上皇の讃岐配流、後醍醐天皇の隠岐流罪や世阿弥の佐渡流罪などがありますが、何れも権力者に対する反逆意思への報復措置とされていますので、伊勢物語の話とは別な問題になります。  東国を選んだのは、当時の「東国に対するイメージ」が「西国に比してそこは人跡未踏の地である」との印象が強くあったことも影響していると思われます。  失恋の傷手を癒すといえば聞こえも良いのですが、自らの素行を顧みない哀れな男が、それでも何とか取り繕おうとしてもがいている姿が、僕には滑稽にみえるだけの話です。  長々とお話ししましたが、以上です。

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