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目的語が二つで、用言が一つの文の構造の解剖
- 目的語が二つで、用言が一つのような文の構造について解説します。
- 上記の例文Aでは、「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を」という部分を受ける動詞が見当たらずに困っています。
- 同様に、例文Bでも「人間の感覚器官を」という部分を受ける動詞が見つからない状況です。
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A. 「他の動物にはかつてなかった重さの脳」は「頭部」を修飾するものですが、その位置が適切でないため分かりにくい文章になっていますね。つまり、 「直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部(人間の場合は他の動物にはかつてなかった重さの脳であるが)を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 と言う意味です。 B. 「人間の感覚器官を説明するにあたり、エドワード・ホールは感覚受容器という言葉を使うことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。」 と言いたかったのでしょうが、説明と言う言葉を2回使うのは目ざわりと考えて一方を省略したため変な日本語になっています。
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- fxq11011
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直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、支えることができるようになる。 修飾語=骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、(支えることができるようになる) 修飾語=他の動物にはかつてなかった重さの脳を、、(支えることができるようになる) 修飾語=何の苦もなく直上に、、(支えることができるようになる) 上の修飾語、ひとつだけ使用でも十分通じる文章になります。 同順位の長い修飾語が3つも付いているため理解しにくくなっています。
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ご親切に回答していただきありがとうございます。参考になりました。本当にありがとうございました。
- hakobulu
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端的に申し上げると、この2つの例文は、どちらも文法的に間違った日本語です。 A.「直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 : 『しかし、「何の苦もなく直上に支えることができるようになる」はすでに「他の動物にはかつてなかった重さの脳を」という部分を受けているでしょう。』 という質問者さんのご指摘は全くそのとおりです。 原文は正しい文法に則った日本語ではありません。 不自然さを感じるのは正常な感覚です。 『直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、他の動物にはかつてなかった重さの脳を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、何の苦もなく直上に支えることができるようになる。』 とするのが正しい構文です。 この(正しい構文の)「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、他の動物にはかつてなかった重さの脳を」という部分は、 「あの素晴らしい自然の恵みを、他では代替の利かない太陽のぬくもりを」などといった構文と同じです。 「頭部≧脳」「自然の恵み≧太陽のぬくもり」といった構図。 この場合の「を」には、≧(あるいは≒)という意味が含まれていますが、そのことを明確にするために、使えるのが「なかんずく(就中)」という言葉です。 http://dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%9A%E3%81%8F&stype=1&dtype=0 「特に~」といったような意味です。 『直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、なかんずく他の動物にはかつてなかった重さの脳を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、何の苦もなく直上に支えることができるようになる。』 のようにすると非常に自然な日本語になります。 B.「人間の感覚器官を、エドワード・ホールは感覚受容器という言葉を使うことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。」 : これも、ご指摘のように、「説明しようとしている」は、「人間の感覚器官」を受けているとも、また「各器官のはたらき方」を受けているとも言えるわけで、文法的に間違った日本語表現です。 Aの場合のように、≧ や ≒ といった要素を含んでいないからです。 『人間の感覚器官を、エドワード・ホールは感覚受容器と呼ぶことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。』 または、 『人間の感覚器官に対して、エドワード・ホールは感覚受容器という言葉を使うことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。』 のようにする必要があります。 こうした表現に違和感を覚えるのは、極めて正常な感覚です。 ただ、全ての日本人が正しい日本語表現をしているわけではありません。 しかし、非常に曖昧な、端的に言うと間違った日本語表現でも日常的に通用しているのが現在の日本の状況です。 その意味で、「理解する必要のある日本語」と「学ぶべき正しい日本語」は分けて捉えていく必要があるでしょう。 ご質問文の日本語に特に不自然な点はありません。
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ご親切に教えていただきありがとうございます。理解できるようになりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- spring135
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A,Bとも話し言葉ではあり得ますが、文章としては悪い見本のような文章です。 いったいどんなところで日本語を習っているのですか。 まともな文章は以下のように書きます。 A.「直立した人間は、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって支えることにより、他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 ”手を自由に使うだけでなく”本筋に関係ないので削除します。 ”支えることにより”これを入れることにより正しい日本語になります。 もっとすっきりした日本語は 「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって支えることにより、直立した人間は他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 B.「人間の感覚器官を、エドワード・ホールは感覚受容器という言葉を使うことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。」 正しい日本語は 「エドワード・ホールは、感覚受容器という言葉を使うことによって、人間の感覚器官のはたらき方を説明しようとしている。」 ”受け手としての各器官の”冗長でダブっています。削除すべきです。 もっと簡潔に言えば 「エドワード・ホールは、人間の感覚器官を感覚受容器と呼ぶことによってその働き方を説明しようとしている。」
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ご回答ありがとうございました。
- j-mayol
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日本語の動詞であっても目的語を2つ取ることはありえます。例えば 私は姉に誕生日プレゼントをあげた。 という場合などです。 この文では動詞「あげる」が目的語「姉に」と「誕生日プレゼントを」を取っていることになります。 質問文ABともにこれと同様に考えて良いと思います。 私は学習塾で中学生に対し国語を教えられる程度の国語力は持っております。逆に言えばその程度しか持っていないわけですが・・・。その私から見るとABともに非常に不自然な日本語に感じられます。その原因は質問者さんの質問と同じところにあります。少なくとも自分が文章を書くときにこのような組み立ての文では書きません。 Aであれば A.「直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 ではなく 直立した人間は手を自由に使うだけでなく、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部をまた他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。 と書くでしょうね
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早速のご回答ありがとうございます。参考とさせていただきます。本当にありがとうございました。
- bakansky
- ベストアンサー率48% (3506/7250)
> A.「直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって、他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる。」 > Aの「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を」という部分を受ける動詞はいったい何でしょうか。「何の苦もなく直上に支えることができるようになる」でしょうか。しかし、「何の苦もなく直上に支えることができるようになる」はすでに「他の動物にはかつてなかった重さの脳を」という部分を受けているでしょう。 「直立した人間は手を自由に使うだけでなく、四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、他の動物にはかつてなかった重さの脳を何の苦もなく直上に支えることができるようになる」 という文の中に、 「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって」 という文が挿入されている形だと思います。 その挿入部分は本来なら 「四足の動物が水平方向に持ち出していた頭部を、骨盤の上にS字形を呈する脊椎と胸郭によって支えて」 となるべきはずのものです。 書き手の頭の中では、挿入部の後に続く部分に 「支える」 という表現を入れることが前提になっているために、ここでは省いてしまったのでしょう。日本語の文は、述語となる動詞を最後に持ってくる傾向があります。 ただし、日本人が読んでも分かりやすい、読みやすい文であるとはいえないかもしれません。私が書き換えるとすれば、たとえば 「直立した人間は手を自由に使うことが出来るだけではない。四足の動物は頭部を水平方向に持ち出しているが、直立した人間は、脊椎と胸郭を骨盤の上にS字形に呈することで、他の動物にはかつてなかった重さの脳を、何の苦もなく直上に支えることができるようになる」 とするかもしれません。「S字形に呈することで」 の部分は 手段 を表しています。英語の前置詞 by を連想します (たとえば by forming S のような形です)。 > B.「人間の感覚器官を、エドワード・ホールは感覚受容器という言葉を使うことによって受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている。」 > 「人間の感覚器官を」という部分を受ける動詞が見当たらずに困っております。 これも A. の場合と似ていますね。 基本的には 「人間の感覚器官を、エドワード・ホールは、受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている」 という文で、その中に 「感覚受容器という言葉を使うことによって」 という説明が挿入されています。 この挿入部分は、英語なら分詞構文なんてものを使うところかもしれません。using the term "sensory receptors" なんて文を挿入する形です。挿入ですから、それに対する述語動詞は不要だとも言えます。 要するに 人間の感覚器官を、エドワード・ホールは (感覚受容器という言葉を使うことによって) 受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている として、( ) の中は挿入部分であると見ることが出来ます。 少し書き換えて エドワード・ホールは、(人間の感覚器官について、感覚受容器という言葉を使うことによって)、受け手としての各器官のはたらき方を説明しようとしている としてもいいかもしれません。(ただし、こうすると、「・・・ について」 と 「・・・ によって」 という表現が連続して重なるために、日本語の文としては、少しくどい印象を与えます)。
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早速のご回答ありがとうございます。参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
ご丁寧に教えていただきありがとうございます。よくわかりました。とても参考になりました。本当にありがとうございました。