日本とイギリスの言葉の共通点は?

このQ&Aのポイント
  • 日本とイギリスで似たような言い回しはありますか?言葉が生じた経緯や書物に載っている情報を教えてください。
  • 日本とイギリスで似た言い回しを見かけますが、これは本当に国が違っても同じような考え方や表現をするのでしょうか?明治以前の書物にもこれらの言い回しが見られるのでしょうか?
  • 日本とイギリスで似たような言葉や表現があると聞きましたが、どのような経緯で日本に入ってきたのでしょうか?明治以降の西洋文化の影響が関係しているのでしょうか?
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英語と日本語で似たような言い回し

表題の例として、以下のものがあります。 ・Love is blind. 愛は盲目 ・Third time lucky. 三度目の正直 ・It's a small world. 世間は狭い ・Seeing is believing. 百聞は一見にしかず ・Walls have ears. 壁に耳あり これらに関して「国が違っても似た考え方、表現をする」と紹介されたのですが、本当にそうなのでしょうか?日本とイギリス(あるいはアメリカなど)で独立に生じた言葉ではなく、一方が元になって、他方に和訳あるいは英訳され、その国の言葉として定着した、ということは考えられないでしょうか(特に「愛は盲目」なんて、日本ぽくない言葉のように思えます)? 例えば、明治以降西洋文化が日本にたくさん入ってきたあと、英語表現が和訳され、さも日本に元々あったかのように、思われている可能性はないでしょうか? 明治以前の書物に上記の表現が見られるなら、元々日本で生まれた言葉と言われても納得できるのですが、、、。 「こんな書物に載っている」とか、言葉が生じた経緯に関する情報を御存知なら、ご教授下さい。

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  • tanuki4u
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回答No.1

http://kotowaza-allguide.com/ta/taizanmeidou.html こんなのもありますね http://kotowaza-allguide.com/hi/hyakubunwaikken.html http://kotowaza-allguide.com/sa/sandomenosyoujiki.html 漢籍の出典のないのは、明治期の翻案くさいですね たとえば 愛 なんて言葉が原題の意味が付加されたのは明治以降のはずだし。 日本語化したキリスト教用語 [単行本] 岩村 信二 (著) このへんにあるかも知れない

baaakkkiii
質問者

お礼

詳しく、納得できる御説明をありがとうございます。大山鳴動.. が西洋由来とは意外でした。たいへんありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • tanuki4u
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回答No.7

青空文庫で検索してみた http://www.aozora.gr.jp/cards/000157/files/45969_22968.html 明治25年 北村透谷 恋愛が盲目なればこそ痛苦もあり  http://www.aozora.gr.jp/cards/000058/files/371_42021.html 明治41年 伊藤左千夫 恋は盲目だという諺ことわざもあるが http://www.aozora.gr.jp/cards/000311/files/4164_14759.html 昭和戦前期か? 宮本百合子 ト翁は、人間が結婚を欲するのは、情慾に動かされるからだ、と云って居るのを、彼の日記の中に見る。又、個人を愛するのには盲目に成らなければ愛せない。 ※ ト翁とはトルストイ http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2359_13797.html 昭和8年 寺田寅彦 恋は盲目である 「恋は盲目」という表現形態は、明治の末期ころになって定着したのではないかと思われる。

baaakkkiii
質問者

お礼

詳しくご教授いただき感謝致します。日本人の感覚から生まれにくい言葉だと感じましたが、的外れではなかったようです。ありがとうございました

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.6

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/proverbs/forum22.html 「日本語のことわざの中心部分には想像以上に西洋由来のものが多い点、日本、西洋におけることわざにおいて言語、民族、階級、宗教を越えて伝播している例、そしてそれぞれが到着地点において意味や用法をダイナミックに変容させていることが紹介され、そこに口承文芸であることわざの特性がいかんなく発揮されている点が指摘された。」 以上引用 http://www.246.ne.jp/~kotowaza/frame3.htm http://www.amazon.co.jp/%E5%8C%97%E6%9D%91-%E5%AD%9D%E4%B8%80/e/B001I7KITC こんな本を出しているらしい。

baaakkkiii
質問者

お礼

ご教授頂き、感謝致します。古くから日本にあるように思える言葉でも、以外に歴史が浅いものもあるのですね、ありがとうございました。

  • Oubli
  • ベストアンサー率31% (744/2384)
回答No.5

二度あることは三度ある 英語だと Never twice without thrice. ですが、これはフランス語の Jamais deux sans trois. の直訳です。日本語に元々あった表現かどうかは解りませんが、尤度を考えると、p^2>0.5なら、p>0.7ですから、三回目も同様になる可能性が高いですね。

baaakkkiii
質問者

お礼

なるほど、こんな例もあるのですね。御教授頂き、感謝致します。ありがとうございました。

  • renkorus
  • ベストアンサー率38% (34/88)
回答No.4

表題にあったものはすべて正しいです。まだまだあると思いますが、今思いついた分だけですが、 類は類を呼ぶ、Similar attracts, Similar flocks チャンスは2度来る、Chance knocks twice 言葉や習慣が違っても、悲しい気持ち、嬉しい気持ち、愛する気持ち、愛する人を亡くした気持ち、その他の叡智に国境はないと思います。すべて人間の心の本質は同じだからだと思います。

baaakkkiii
質問者

お礼

新しい例を御教授頂き、感謝致します。「人間の心の本質は同じ」ということには、十分納得できます。たいへんありがとうございました。

回答No.3

Love is blind. は 「人を好きになると相手の欠点が見えなくなる」 「あばたもえくぼ」なんでしょうね。 日本語の場合,「愛は盲目」というより, 「恋は盲目」 人に恋すると周りが見えなくなるくらい一途になる。 元は訳なのかもしれませんが,違う意味のようにも思います。 Seeing is believing. はたまたま「見る」があるだけで, 「百聞は一見にしかず」というのは外国語とは関係ないでしょうね,少なくとも英語とは。

baaakkkiii
質問者

お礼

元は同じだったとしても、愛から恋へ変わっているところが日本らしさ。興味深い見方を御教授頂き、感謝致します。詳しく見ると発見があるものですね。ありがとうございました。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.2

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189) [新書] 柳父 章 (著) この方が専門に研究しているらしい。 「かつて、この国に「恋愛」はなかった。「色」や「恋」と区別される“高尚なる感情”を指してLoveの翻訳語がつくられたのは、ほんの一世紀前にすぎない。社会、個人、自然、権利、自由、彼・彼女などの基本語が、幕末―明治期の人びとのどのような知的格闘の中から生まれ、日本人のものの見方をどう導いてきたかを明らかにする。」 著者説明より ということで、図書館で借りてみます。

baaakkkiii
質問者

お礼

元々日本になかった概念を理解し、日本語に訳すことがいかに大変だったか、想像できます。それが今や、ごく普通に理解され、使われている。たいへんな変わりようですね。御教授頂き、ありがとうございました。

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