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「V+てある」について
日本語を勉強している中国人です。初投稿ですからよろしくお願いいたします! 昨日は「v+てある」を改めて勉強しました。そこで、以下のようなの質問が出てくるのです。 (1)「…をしてあっている」といえますか? (2)「てある」と「ている」区別は、「ある」と「いる」の違いに遡源できるのかな。。つまり「ある」は命がないものに適用し、その主体は意志がないから、他動詞に付いて、「誰がやってくれた」と暗示するのに対して、「いる」は意志がある主体に適用するので、自動詞に付き、「自らそういう動作をした」を意味するっ感じで理解しても宜しいでしょうか? よろしくお願いします!
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私は日本語を母語とする者です。だから自然と使い分けてきたのですが、改めて考えてみます。 (1)については、言えません。「ある」か「いる」のどちらか一つしか使いません。 (2)例として 他動詞「開ける」と自動詞「開く(あく)」 を使って例文を作ります。 1.猫が出入りしやすいようにドアを 開けてある。 自然な日本語です。主語は「人が」などで、その人物の動作がすんで、その動作によって できたドアの状態に主眼が置かれた表現のように感じます。 2.猫が出入りしやすいようにドアを 開けている。 自然な日本語です。主語は「人が」などで、ドアよりも人の行為に主眼が置かれている 気がします。 3.猫が出入りしやすいようにドアが 開いてある。 不自然な日本語です。一部の地方で方言として使われることはあるかもしれません。 4.猫が出入りしやすいようにドアが 開いている。 自然な日本語です。主語は無生物である「ドア」で、誰が開けたのかは不明です。とにかく 見たら「開く」という状態だった。その状態が続いている。 このように考えれば、「ある」は動作ではなく動作が終わってできた状態の継続を言う、と考えられませんか。だから3の文には使えないのです。3の文では「開く」が自動詞で、ドアが自分で動作をしたような言い方だからです。 「いる」は動作そのものの継続を言います。2の文で、このドアは上下にスライドするドアです。手を離せばすとんと落ちて閉まってしまうので、飼い主が手でドアを支え「開け」続けています。4の文ではドアそのものの「開く」という動作が続いています。人が関係していないので、動作はドア自体がしたことになります。 まとめると「ある」は状態の継続、「いる」は動作の継続。 他動詞か自動詞か、生物か無生物かは、例文の作り方で変わるので、基準にはなりにくいと思います。 教科書のようなわかりやすい説明にならなくてごめんなさい。日本語の勉強、がんばってくださいね。
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- j-mayol
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No.1の回答者さんの回答への補足。 この場合の「いる」「ある」はいわゆる補助動詞と呼ばれるものです。 「いる」「ある」のもともとの意味を失って前の動詞に意味を添える働きを行うもの と理解していただいて大丈夫だと思います。 ところで、辞書によりますと、両者の補助動詞としての意味は以下の通りです。 「ある」=ある動作や行為などの結果が現在まで引き続いている意を表す。 「いる」=動作・状態が続いて、現在に至ることを表す 動作・作用の結果が、続いて現在もあることを表す ということは「ある」の意味は「いる」の意味に含まれるようです。
お礼
参考になりました!わざわざ調べてくださって、どうもありがとうございました!
お礼
ご丁寧に説明してくださって、ありがとうございました! 中国での教科書(標準日本語)は、まず「V+ている」が「動作の継続」と「結果の状態」を意味していると説明しておきました。これに基づき、「結果の状態」を意味する場合、「V+ている」には、Vはほとんど自動詞で、「V+てある」には、Vはほぼ他動詞であるという風に説明していますから、質問が出てきました。MARISUKAさんのご解説によりまして、「~て~ある」と「~て~いる」の基本的な意味が分かるようになりましたから、改めて、ありがとうございました!^^