• ベストアンサー

全ての体罰が悪なのでしょうか?

 ニュースで体罰の問題がクローズアップされています。 確かに、生徒を自死に至らしめるような体罰は悪と思いますが、 私は全ての体罰が悪とは思いません。  私が中高くらいの15年前は、不良や校則違反に対して ゲンコツや平手は日常茶飯事でした。 しかし、父母たちは「もっと厳しくしつけてやって下さい」という風潮でした。  どう思いますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.14

質問者の仰るように,私も体罰を全否定するものではありません。 ただしそれには厳しい条件があります。 「体罰」とは言え,立場の強い者が無抵抗の相手に身体的苦痛を与える訳ですから,緊急性と他に手段が無い場合であることが必要だと思います。また「教え諭す」という教育の敗北でもあり,下記に示すように「傷害罪」「暴行罪」などの犯罪行為でもあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%B7%E5%AE%B3%E7%BD%AA よって,体罰を行うからには「自らの職を辞する覚悟」が必要でしょう。「熱心な指導の余り」や「愛のムチ」などと自己弁護や擁護されることも少なく無い様ですが,自らの犠牲も厭わない無償の行為・使命感によるものだけが「愛のムチ」と呼べる行為であると思います。 >私が中高くらいの15年前は、不良や校則違反に対してゲンコツや平手は日常茶飯事でした。 生徒は学校の規則「校則」に従わねばならないように,教師は「学校教育法」などの法律に則って職務を行う義務があります。自らが違法行為をしながら,生徒の校則違反を指導するのは正しい行為であると思えません。 「宿題を忘れた」「スポーツの試合でミスした」程度でゲンコツや平手打ちをする教師は教育者ではなく,言葉の通じない「ペットや家畜の調教師」に過ぎないのではないでしょうか。 暴力による支配でなく,人を人として育てることこそが教育であると思います。 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm 回答の中で「ペットや家畜の調教師」という言葉を使いましたが,決して生徒を「ペットや家畜」と認識している訳でも無く,調教師という職業を教師よりも下に見ている訳ではありません。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%93%E7%BD%B0
QThoney
質問者

お礼

 「教え諭す」という教育の敗北 まさに、その通りかと思いました。  結局、相手の考えを汲み、それに対して いかに「正しい」考えを理論的に諭すか、 ではないかと思います。

その他の回答 (21)

  • mtap
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.22

叩く以外の指導が苦手な方が多いからかもしれないし、自分が叩かれて育ったなら当たり前だと思います いずれ「体罰じゃない」という人が増えれば、それは体罰ではなくなっていくはず どんな「叩く」でも一種の慣れや麻痺らしく、大人は自分の信念を省みるのが怖いだけと言われましたが、まだ私も心のどこかで「大したことじゃない」と信じています

QThoney
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。私も叩かれて育ちました。いずれ、昔と違って世間の常識が変わっていくのかもしれmせんね。  

回答No.21

学校で、体罰という名で行われていることの多くは、教育的指導ではなく、比較的未熟で粗暴な教師たちが、単にかっとなって子どもや生徒に暴力を振るっている例が多いので、そういうものをなくすためには、学校での体罰は、完全に禁止した方がよいと思います。

QThoney
質問者

お礼

 最近は、体罰はいかなる場合でも悪という風潮ですね。私も自分の中でどのような方法が最良なのか悩むところですが、最近は少し考えが変わってきたところです。

回答No.20

全ての体罰が善です。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.19

確かにどんなものにも例外はありますよ。 あなたの言う善となる体罰もあるでしょう。 でもやはりそれは例外なんですよ。 例外的に生徒のためになる体罰があるからといって、 日常的に30~40発殴っていいわけじゃないんですよ。 例外はどこまで行っても例外なんですよ。 例外と通常の区別がつかなくなる、それが学校という狭く閉ざされた社会の怖さですよ

QThoney
質問者

お礼

 生徒のためになる30-40発の鉄拳は、ないですよね。 自分(叩いた本人)の中だけで完結するのではなく、体罰を受けた生徒の思いをいかに正しく感じるか、が難しい問題なのだと思います。

  • miz-yuka
  • ベストアンサー率13% (19/144)
回答No.18

危険なことや犯罪行為すれすれなら、止めさせるその場では必要かもしれないけど、それ以外では必要ないでしょう。効果がないと言う意味です。 今回の事件も、叩く必要ないでしょう。ミスばっかりして怒りたかったのなら、ベンチに下げればよかったのです。使ってもらえないと言うのが一番の罰です。 しっかりやれ!ならお尻や背中を1つポーンと叩いて送り出せばいいのです。 顔を平手打ちして闘志が沸いてくるとは思えません。みんなの前でやられたらプライドずたずた、ふてたくもなります。やる気が出るわけないでしょう。 そういう点で、教育者として失格じゃないでしょうか?

QThoney
質問者

お礼

 確かに、今回の件では生徒の気持ちを全く汲み取っていない体罰が 自死の原因となったのでしょうね。  何が一番本人にとって効果のある指導なのか、難しいですね。  

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.17

竹刀を持った指導者が、生徒を竹刀で叩くのがダメなら・・剣道部は成立しませんね。 体罰は肯定はしませんよ。 生徒が指導者を尊敬・信頼し、自然と厳しい指導などにも従うなどと言うのが、最善だからです。 ただ、そんな「師弟ともに人格者」みたいなケースばかりじゃありません。 むしろ、そんなケースでは無い方が、圧倒的に多いと思います。 いずれにせよ、「いじめが悪い」「体罰が悪い」なんて言ってる間は、問題は解決しないことだけは確かです。 「犯罪が悪い」などと言ってるのと同じで、極めて幼稚なコトを言ってるに過ぎませんし、「犯罪は無くならない」のと同様で、いじめも体罰も、決して無くならないです。 むしろ、いじめや体罰ばかりを問題視すれば、いじめが陰湿化したり、精神的な苦痛を与えるなどが増えるだけだし、それらもますます隠ぺいされる様になると思います。 あるいは、たとえ無くなったとしても、ではその先は、「親が殴って子供が家出」だと、「親がやり過ぎ」なんて言い出すのでしょう。 それが自殺と言う例だって、有り得ますしね。 社会に出て、上司の暴言がイヤで・・クレーマーの対応に悩んで・・などで自殺だって有り得ます。 自殺の問題に対して、「自殺の原因」に、焦点を当てても、キリが無いです。 問題解決は、「何があっても、自殺だけは防ぐ」です。 体罰の良し悪しは判りませんが、学校での教育や指導と言うものは、社会に出てから最も要求されるものの一つである「我慢」を教えると言う側面もあると思います。 たとえ殴られた教師を、一生、恨んでも構いませんから、それでも「それを乗り越えて生きて行く!」が、基本では無いか?とは思います。 スポーツで、肉体的には強くても、精神が弱ければ、無意味です。 本人か、指導者か、学校か、親か・・・。 誰かが、「絶対に自殺だけはいけない!」と徹底的に教え、それを納得させていれば、最悪の事態だけは 避けられました。 問題の本質は、それだけでは?と思います。

QThoney
質問者

お礼

 乗り越えて生きていく力を、どのようにつけさせるか? コトバで言っても解らない生徒に対する指導は、非常に難しいですね。    ただ、相手(生徒)の気持ちを解ろうとせずに、自分の考え(情熱?)だけで 手を出すことは、たとえ自殺に結びつかなくても悪だと思いました。

  • shin1417
  • ベストアンサー率27% (199/721)
回答No.16

今騒がれている大阪の高校の件は「体罰」ではありませんよ。 自殺した生徒は殴られなければならないような事をしてないでしょう? 教師の気分で生徒を殴るのは体罰ではありません。 だから、大阪の橋元市長は「あれは体罰なんてものじゃ無い、暴力だ!」と公言しているわけで。 これを「体罰、体罰」と報道する方がおかしいんですよ。 大阪の高校の件は「体罰問題」とは関係無いことです。

QThoney
質問者

お礼

 たしかに、体罰問題とは無関係です。 しかし、もし悪いことをした生徒がいて(罰の対象となる)、 それに対する指導者の対応はいかなるものが最善か?  「カッ」となる先生は、やはり教育者としての資格に?マークが つくのではないかと思っています。 指導者は、生徒の気持ちをわかった上で、冷静に対処することが必要と思います。    

回答No.15

教師の体罰は学校教育法で禁止されている違法行為です。 人を教育する立場の者が違法行為を行なうことなど、 どのような理由をつけても正当化されません。 私の通っていた学校にも暴力教師はいましたが、 殴られて反省している生徒など私は見たことがありません。 校則に違反した生徒に、法律で禁止されている体罰を加えて、 規則を守れと説教したところで何の説得力もありません。 タバコを吸っている所を見つかって殴られた生徒は、 次は見つからないように吸うだけです。 暴力で人を従わせるのは一番安直なやり方で、 熱心な教育者が行なう行為ではありません。

QThoney
質問者

お礼

 結局は、生徒の心に訴える指導は 暴力では得られなという考えは、 私も賛同します。  

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.13

確かに、御指摘の通り騒ぎすぎ、という 感じがします。 自殺者が出たから、体罰は絶対にダメという のは行き過ぎです。 それなら、交通事故で人が一人死んだら、以後 自動車の運転、製造販売は総て禁止することに なりかねません。 ただ、体罰などなくても済むようにすることが 一番大切だと思います。 生徒に尊敬されるような教師であれば、体罰など 使わなくても、教育は出来ます。 生徒のしつけがきちんとなされていれば、体罰 の出る幕などありません。

QThoney
質問者

お礼

 体罰を使わなくても教育ができる先生、 羨ましいです。 すぐカッとなって手が出るのは、 やはり「教育」者としては指導力不足、そのものですね。

  • qzec
  • ベストアンサー率41% (176/425)
回答No.12

教育現場全体の考え方としては「絶対悪」にすべきでしょうね そうしないとまた同じような事件が起こります あなたのように「全ての体罰が悪ではない」と考える人は多くいるでしょう しかし、必要な時は体罰も辞さないというような考え方は非常に危険な考え方なんですよ 日本の教育現場では体罰は昔からずっと禁止されています。 あなたが子どもの頃も規則上は禁止されていたんです そんな禁止されている行為を肯定しちゃうとですね、歯止めが効かなくなるんですよ 通常であれば、「規則に反する」という事が一つの「歯止め」になるんです 規則に反することはやってはいけない。当たり前ですね で、体罰というのは、程度に関係なく体罰という行為自体が既に規則違反です 禁止されている行為を暗黙的に認めてしまうと、「歯止め」を自己の裁量に任せるようになってしまうんです 自己の裁量に任せる。これは非常に危険だということは説明不要だと思います 今回のように、生徒を自殺に追い込んでしまうようなことだって起こりえるのです 他にもにも生徒が教師に殴られて歯が折れたとか、発覚していないのも含めると 体罰によって多くの問題が発生しているでしょう 個々のケースを考えれば、確かに体罰が必ずしも悪というわけではないかもしれません しかし、何度も言いますが、そもそも体罰は禁止されている そこに例外を認めると徐々にエスカレートしていきかねず、自殺のような悲しい事件を生みかねないのです 教育現場全体として考えれば、今回のような悲しい事件を起こさないために必要なのは「体罰禁止の徹底」なのです 仮に必要な時は体罰を認めるのであれば、「明確な規則」が不可欠 曖昧な規則だとやはりエスカレートしていきかねない

関連するQ&A

  • 体罰 ユーチューブ

    顧問の教諭がバレー部員を平手打ちする動画が You Tube に公開された高校で、こうした体罰が日常的に行われていた疑いが出ている。 ユーチューブに(告発)された高校バレー部での41歳のド変態教諭による平手打ちの連発。こうした体罰はこの時だけではないらしい。 「練習試合に絶対殴られる。週に必ず練習試合があった。一日30回ぐらいはやられた」と元高校バレー部員は言う。また他校の生徒も体罰の光景を目にしていた。 高校では 「体罰が日常的に行われていたという認識はない」と話しているが、今後、さらに部員から聞き取りなどをしたうえで、教諭の処分などを決める予定だ。 ・・・強くするためなら殴ってでも、というのであれば、より多く殴った学校が全国上位になりやすくなる。教師から理性が失われた場合、日本全国でバレーの練習よりも、ビンタの方が盛んになるだろう。投稿された動画のレベルまでビンタすると、(顔が原形をとどめていない)と思われる。 それほどまでにドーピングなビンタではなく、練習だけで強くする方法はないのか、誰か教えてください。 https://www.youtube.com/watch?v=kXhy7ZsiR50

  • 体罰の安全運用のご提案

    体罰と聞いただけで、今は子供の虐待問題で揺らいでいますが、 わりと安全に体罰をおこなっている海外事例や自身の経験などを踏まえ、先生方に提案します。 法令は絶対ですから、日本では法令上「体罰禁止」ですが、提案ぐらいは出来るのではないかと、考えてみます。 まず、教師が生徒を指導してもいいですが、「それで生徒を変えられる」これを捨ててください。 せいぜい、「法律、道徳を守れ、親やお年寄りを大事にしろ」これを教えてください。 先生が「正しい生徒の態度」を捨てると、意外と心に余裕が出て、実は体罰もそれほど必要はありませんが、抑止力(痛そう、嫌だ)は必要です。実際、生徒によっては対応が分かれるのが実際ですが、オーダーメードのように生徒それぞれに対応していては大変なので、ルール(校則)をつくります。 体罰は有効かどうか、この考えも捨ててください。 きっちりとルール化することが必要です。歯止めがないと危険です。 1)男子は、有無を言わさず「お尻を叩く」、何歳から(個人的には中2から)、何(アメリカのパドルが一番良い)何回お尻を叩くのか(まあ、6回ぐらいまでで、実際はしないが最高24回ぐらいにしておくと抑止力としてよい) 2)女子に暴力は絶対にしない。居残りを命じる。 男子校で運用しやすい。実際、自分の体験でそうです。 校則で、何が違反か、お尻を叩かれる回数をきめ細かく決めておき、生徒にも教えておく。 遅刻・・・1回目は注意、3回でお尻を何回叩く。 授業中に携帯電話・・・即時に取り上げる。昼休みに返すが、お尻を何回叩く。 生徒が生徒に暴力・・・お尻24回 教師に反抗・・・お尻24回 喫煙・・・お尻24回 これを知ったうえで、生徒が喫煙したら、なかなか生徒のお尻を叩くのは難しいですが、そこは教師なら、叩かなければなりません。 日本は「体罰禁止」で思考停止し、教師の一時的感情で生徒に暴力、これは犯罪です。 校則の見直しと、どの違反でどうするのか決めておいた方が、安全だと考えます。 教師も、しゃくにさわる生徒のお尻なら叩いてもいいとなると、心に余裕が出て、案外、生徒の言動が気にならなくなり、実際、ほとんど何も起こりませんでした。 それこそ、お暇なときにでも、ご意見賜れば幸いに存じます。

  • 体罰ではない暴力

    テレビである学校の剣道部の練習風景が映されていました。 その中で指導者らしい男が生徒に対して腹を蹴る、殴る、 頭を捕まえて投げ飛ばすといった暴力をしていましたね。 私が小学生時代に受けた担任教師の暴力に似ていて吐き気 がしたのですが、これを見た人はどうでしょうか。 私が受けた暴力は隣の席に座っている女生徒のイタズラを 見抜けず、私が怠惰な態度を取っていると勘違いしたもの によるものでした。それは酷かったですよ。平手打ちで気絶 して昏倒した私をそれでも脚蹴りして救急車で病院に運ばれ ても意識が戻らなかった。一週間程記憶喪失にもなりましたが 教師は謝らなかったですね。そして席替えで女生徒が私から 離れると今度はその女生徒の隣の子を殴りつける。 こんなバカが教師をやっているのかと当時思いましたね。 結局、その教師は生徒のことを思う熱血教師という名誉 を得て、ずっとやっていたようです。 世の中の熱血と言われるような人間は得てしてこういうもの です。本質を見ずに現象だけで判断するとワルを見逃し 被害者を叩くことになる。 こういう人間が幅を利かす風潮がまだあることに対して皆さん はどう思いますか。

  • 体罰について疑問に思う事があります。

    昔は口で言っても理解できなかったり、理解したとしてもそれを無視するような子供には体でわからせるってケースが多かったですよね。 ですが、今ではそういう風に手を出すと、それがどんなに軽いものでもやれ体罰だ、やれ暴力だと騒ぐ人が出ると思います。 そこで質問です。 口で言っても聞かない以上体で覚えさせるって考えはそんなに異常ですか?いくら悪さをしても口で言うだけだから何ともない、うるさい説教なんて従う必要ないから無視してしまえ、そんな考えの子供が幼少期青年期問わず増えているから、モラルもなく公共の場で騒ぎ立てる子供や社会に迷惑をかける不良少年がふえているのではないでしょうか? そういう人を最後まで口だけで説得できる自身はありますか?口で言っても無駄ならしょうがないなら諦めようって考えは当然なしですよ? そして、これは私が最近抱くようになった疑問です。体罰を完全に否定する人の主張は、自分が体罰を受けて酷い目にあったから体罰を否定する、もしくは体罰を認めたらしつけと称して児童を虐待する人が増えるというものです。 しかし、本当に児童虐待を受けて育ったのならともかく、自分が悪さをしたせいで拳骨を受けたがために体罰反対と主張するのはただの逆恨みですし、体罰を認めたら虐待をする人が増えるというのも極端な話です。しつけと暴力の区別がつかないのでしょうか?両者に線引きをする事すらできないのしょうか?両者を区別して余りにしつけとはかけ離れた暴力ならそれを罰すればいいだけのことです。 そして、私がこの点で一番疑問に思うのは、子供に体罰として手を上げたら怪我をするじゃないか!と本気で主張する人がいる事です。子供を躾けるがために手を出すというだけで、何で本気で怪我をすると思うのでしょうか?尻たたきだって、軽く尻の肉をペンペンするものから尻を骨の髄まで蹴り上げるものまで様々です。顔を叩くのだって、ペチンと音がするぐらいの軽い平手打ち、コツンと頭を小突くぐらいの拳骨、瘤どころかあざまでできるぐらいの拳骨、頬を本気で殴り飛ばして歯を折るものまであります。ですが、しつけが目的なら怪我をさせる必要はないのですから、普通に加減をすればいいだけの話です。感情に任せずに冷静に判断すればできる話じゃないですか。 怪我をするから手を出してはならないという人は、下手に手を出す事を認めれば感情に任せて子供を大怪我させるほど殴り飛ばしてしまうと主張してるようにしか思えません。普段からそういう風に人に手を出しているのでしょうか? 何か体罰などの問題は極論に走る人が出るので難しいと思いますが、肯定派にせよ否定派にせよあなたはどう思いますか? まあ、私の感じた疑問や主張事態が極論なのかもしれませんが。

  • 学校での罰について

    現在女子校に通っている者です。私の通っている高校は校則違反を3回すると生徒指導室というところに行かなければいけません。 それで私はこの前3回目の校則違反をしてしまい、生徒指導室へ行くことになりました。 生徒指導室に行くと先生に「気をつけ!」と言われその場で気をつけの姿勢をとらされ自分の名前と校則違反の内容を言わされました。 それから校則違反に対しての謝罪をしてそれで終わりかとおもったのですが、罰として気をつけの姿勢のまま30分くらい立たされました。 その時もしっかり指先まで伸ばしておかないと先生に「指先!」と指摘をされたりしました。 こういうのって体罰にならないのでしょうか?こういうことをさせることにどういう意味があるのか教えてほしいです。

  • 暴力が抑えられない人にとって必要悪なる組織も必要?

    暴力が抑えられない人にとって必要悪なる組織も必要? 反社会的な暴走族や暴力団はそうですし、 それを辛うじて止めているのが、昔の芸能界や野球選手 プロレス ボクシング 相撲部屋などもそうだったと思います。 暴力は犯罪で、いじめもいけないのは最もなのですが、 中に抑えられない人種がおり、そのようなタイプが 抑えられるのがその様な組織なのでしょうか? 「体罰はいけない」のですが、この様なタイプは 1 殴り、この人は叶わないと思わせる(占める 焼きを入れる) 2 暴れる精神を野球等に打ち込む事で闘争心があるので   その様な気質の者が使える(今はメジャーな競技も増え  大リーグへの挑戦する選手もいるのでそういえないが、  昔は球技なら野球 格闘技ならボクシングかプロレスか相撲  に限られていたのでそういう感じだったと思います) 3 家でも暴力に慣れているので、この様なタイプの方が使える と云う事なのでしょうか? 「体罰はいけない」「未成年の暴行なども法律で逮捕させるべき」 真っ当な意見ですが、彼らにとっては「暴力による統制」が居心地がよく、それで感情がコントロールされているのでしょうか? 大阪桜宮高校のバスケットボール部の小村氏や島根開星高校野球部の野々村直通氏等はその様な生徒の立場に立ってその思いを発揮させてやりたいと云う事なのでしょうか? 唯、1980年頃私の学校の運動部の顧問は 普通の生徒で仮入部で辞退する生徒に体罰 ついていけない生徒の退部も認めず体罰(結局辞めたが) 残った生徒は血の気の多い暴力的なタイプが多く、 優秀な成績を残してましたが、不良生徒の為に 一般生徒が犠牲にならないといけないのでしょうか? 又、当時は今ほど体罰が問題になりませんでしたし、 罰則や悪い事をすれば仕方ない位に思っておりましたが、 この顧問をする教師は「気合を入れる」「強くする」為に 体罰が必要であると考えており、普通の真面目な生徒で 「唯日常的に殴られるのは嫌」と云う生徒にも 「あいつは根性がない」といい大人しい生徒や特に非道せず 唯暴力的な組織に順応できない生徒にも自分の思いを押し付け ておりました。(戸塚ヨットスクールの校長と似た様な感じでした) 流石に当時でもこれは問題になり、この教師は退部を認めるようになりましたが、不良生徒を生かす道、その様な生徒を統制する為にはこの様な感覚になるのでしょうか? ご回答お願いいたします。

  • 小中学での体罰について

    45歳男性です。 私が小学生、中学生だった昭和の時代は、教師による体罰は日常茶飯に行われていました。 体育の授業で、行儀の悪い態度の悪い生徒に、ビンタ、足蹴りする体育教師の光景はよくみました。 私の担任の男性教師も、他の生徒ですが、給食中に食べ物を投げ合って遊んでいたら、先生に呼び出され、40人位のクラスの生徒の前でビンタされました。 私も、体育の授業の終了時のお決まりの体操で、手を横に広げたときに横の中の良かった友人の腹をくすぐっていたら、授業終了時に、「●●(私の苗字)以外はかえてよし」といい、自分だけ広い体育館に残され、「いま何をしていた?」と聞かれ、返答に困ってだまっていたら、ビンタされたました。私は「●●君のお腹をくすぐっていました」みたいなことを答えて、帰されたことがあります。 また、中学時代も、ビンタはみたことがないですが、体育の教師が、たいした理由でもないのに、金属バットで生徒の尻を叩くのが恒例でした。生徒間では、「●●のケツバット」として有名でした。自分も一度されたことがありましたが、結構痛かったです。 上記のような行為は、今の小中学でも行われているのでしょうか。 教師の暴力が社会問題化されるようになってから、自粛モードがひろまって、いまでは禁止されているのでしょうか。 教えてください。

  • 体罰肯定論の限界

    現在、アンカテで同趣旨の質問をしているのですが、質問の仕方が悪いかったのか、質問にすら答えていただけない状況です。 ですので、質問趣旨を明確にした上で、再度質問させてください。 体罰肯定論者は、「言ってもわからないやつは殴るしかない」と言います。 それは、殴れば分からせることができる、という前提に立っているからでしょう。 しかし、どうでしょう。 実際、体罰によって心変わりする生徒がどれほどいるのでしょうか? 多くの場合、誰かに殴られれば、反省心よりも怒りの感情が先行すると思うのですが。 もちろん、中には「ああ、先生は自分のことを想って手をあげてくださったんだ、お優しい」と改心する人もいるでしょう。 しかし、義家弘介氏のように、体罰ではちっとも更生しなかったが、偉大な教育者の言葉によって教師になろうとまで思うようになったケースもあるわけですね。 また、原口一博議員のように「殴られたら殴り返す」主義の人もいるでしょう。 かくいう私も、小中は札付きでして、イジメや万引きは日常茶飯事。 しかし、大学受験を控え、勉強し始め、様々な書籍を読んでいるうちに、自分の行いがいかに間違っていたかを痛感することに。 まあ、体罰肯定論に突っ込みを入れようと思えばキリがないのですが、今回はもっとも根本的な突っ込みを提示したいのです。 つまり、体罰によって反発心しか生まれない人間も少なからずいるが、その事実を肯定論はどう乗り越えるのか?ということです。 まさか、「そんな分からず屋はしーらない」と逃げるわけじゃあるまい。 私も、その矛盾を乗り越えられる理論が、肯定論者にあるのなら是非聞きたいと思っております。 よろしくお願いします。

  • 血の気が少ない時点で欠陥なんでしょうか?

     私は完全な体罰否定派ではありませんし、  生徒が私語や授業妨害をする事等は言語道断で、体罰が駄目ならば、  それに代わる罰則があっても良いと思えるのです。  私は学生時代も基本的な事は聞いており、(と云っても規則の上にあったのでそれを  なくすといけないですが)非行や校則違反等の問題も起こしませんでした  唯、怖い教師(あくまで私の学校に居られた先生ですが)はその様な生徒より、  不良予備軍的な生徒を好み、体罰も罰則ではなく鍛える為に使うと云う事をモットーと  しておりました。  私の同級生に 「喧嘩で強く成れ」と父親から体罰の日常で育ち、  「喧嘩で負けると」父親から更に体罰を受けていた方が居りました  彼は普通の教師の私語や提出物を出していない、掃除をやらないと云う事には暴れ、  先述の教師が「気合を入れる」と殴ったり、「白でも黒と云え」と云うと  受け容れておりました  彼からすれば、「叶わない 強いから従う」(そこには愛情もあると思いますが)  先述の教師の側からすれば、「鍛えがいがある生徒」と云う事に成るのでしょうか?  彼とその教師の関係はそれで良かったのですが、先述の教師は全くタイプの違う生徒にも  同じように接しておりました  組織によっては、非道をしなくても、「血の気が少ない」と  云う時点で欠陥になるのでしょうか?  (保守的な感覚で体罰肯定を説く方等の意見はその様な感覚の方が多くおられます   学校には色々な生徒がおり、彼らを躾、個性を引き出すと云う役割は担っていると   思えるのですが、   怖い教師は普通に基本的な事を聞くが絶対服従等は出来ない生徒が一番扱い難いと   云う意見や   「不良生徒を圧倒的な力で従わせる」と云う事も不良には必要ですが   「普通に云う事を聞く 他で失礼な事をしてまで特定の人間に絶対服従できない」   と云う人間が嫌われる傾向にあります)   (田母神俊雄氏や戸塚宏氏の「強く逞しい人間を育てる」のは彼等が第一であり、    「理屈の正しさ」で行う人間は鍛えられないので駄目なんですね?)   この辺りの事をご回答いただきたいと思います    

  • 法律と校則

    法律と校則はどちらが優先されますか? 例えば、生徒の私物を教師が「校則違反だから」と勝手に没収して返さないとか(窃盗?)。 法的に認められた権利である「結婚」や「免許の取得」を校則で制限するとか。 あと、生徒の髪の毛を校則の元に勝手に切っちゃったり勝手に色を黒く染めたり(傷害?)。 「単位をやらない」などと脅して言うこと聞かせるとか(脅迫?) あと、生徒側に非があっても体罰は暴行罪? 実際に学校の中では治外法権かというようなことがまかり通ってるわけで・・・。 法的にはどうなんでしょうか?