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「いずれとも」と「いずれでも」の使い分け

TANUHACHIの回答

  • TANUHACHI
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回答No.3

 こんにちは。「いずれとも」と「いずれでも」この両者の違いですが、「いずれとも」は「いずれとも+動詞+打ち消しの助動詞“ない”」をとる形の表現です。例を挙げますと「何れとも言えない」「何れとも決められない」などの形です。  これに対し「いずれでも」とした場合は「いずれでもある」と「いずれでもない」の二つの受け答えが考えられます。英語ならば“or”を文脈に沿ってどの様に解釈するかは場合によっても異なります。最低限二つの考え方がそこにあるとの前提が働いていると理解できるでしょう。  と同時にこのことは現象として「正」と「反」さらには「合」の三つの段階に思考が深まる様相を物語っているとも言えるでしょう。ある事象に対しAという意見が出され、それに対するBという対立した見解が示された場合、何れが果たして的確性を有しているかと両者の間で議論がなされ、その過程でもし双方の見解よりも優れた見解が見いだせたなら、最初の論点から深化した形と言えるでしょう。それは場合によってはAとBの他にそれを判断するCという第三者の目線かもしれません。第三者の目から見た場合、Aにも一理あるBにも一理ある。しかしながら何れが優位であるとも決めることも困難であるとして「何れでもあるが何れとも言えない」が問題の中心となります。ここで着目すべきは「も」です。  「も」は文法的な説明として係助詞になります。係助詞の「も」は、類似した事物の提示や並列・列挙や添加・程度・感動・強調・不定称の語について全面的な否定及び肯定などを示す性質があります。  もし「何れでも言えない」がなり立つなら、それは「エスプリは英語と日本語の何れでも適切に言えない微妙なニュアンス(フランス人独特の発想)」などの表現が考えられるでしょうか。この場合には三つ目の視点が働いていることになります。また買い物に出掛けて店員に「○○と××はありますか」と尋ねた時、店員が「申し訳ございません、何れとも在庫を切らしております」といった場合なら、意味として「いずれともない」になるともいえます。これはあくまでも、頭の中で一度翻訳した形といえますので、論理的に意味は通っているといえます。  理論的な説明というよりも、意味を的確に論理的に説明できるかとの問題であるかと存じます(理論は論理の整合性がなければ成り立たない性質を有する)。  「何れの人とも」「何れの人でも」は助詞「も」の性質が作用しますから、肯定も否定も何れもありえます。

Mister0413
質問者

お礼

少し難しい内容ですが、本格的なご回答ありがとうございました。 外国人にはこの内容をベースに、整理して説明したいと思います。

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