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「いずれとも」と「いずれでも」の使い分け

「いずれとも」と「いずれでも」は、大まかに言えば「どれでも」という意味がある点で共通しています。 しかし「いずれとも言えない」は正しいですが「いずれでも言えない」とは言いません。 また「いずれでもない」は正しいですが「いずれともない」とは言いません。 いますぐには思いつきませんが、どちらを使ってもかまわない使用例はあるのでしょうか。 私にはいまのところ、個々の具体例をあげて説明することしかできません。 外国人に両者の使い分けを説明するには、どのようにすれば理論的に理解してもらえるでしょうか。 関連して「いずれの人とも」「いずれの人でも」の場合は、どうでしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.4

1. 「いずれとも」の「と」は引用の格助詞と思います。「も」は「全面的」という用法の係助詞でしょう。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%82&dtype=0&dname=0na&stype=1&pagenum=1&index=18174500 「A」と言うことも、「B」と言うこともできない、という意味で『「いずれ」とも言えない』のような構図になるのだと思います。 『「いずれ」ともない』という表現は引用になっていませんから不可。 2. 「いずれでも」の「でも」は、下記辞書の 4.(不特定をさす語「なに(なん)」「だれ」「いつ」「どこ」などに付いて)すべてのものにあてはまる意を表す。 という用法でしょう。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A7%E3%82%82&dtype=0&dname=0na&stype=1&pagenum=1&index=12783700 「すべての(どちらの)ものにあてまはることはない」という意味で「いずれでもない」と表現するのでしょう。 「いずれでも言えない」は、「すべての(どちらの)ものにあてはまることは言えない」という意味不明の文になってしまいます。 3. 「いずれ」が「いずれの人」に置き換わっても同様のことが言えると思います。   

Mister0413
質問者

お礼

助詞に重点をおいてのご回答、ありがとうございました。 この角度からの説明も、外国人には有効でしょうね。

その他の回答 (4)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

#4です。 >どちらを使ってもかまわない使用例はあるのでしょうか。 : に関してですが、 「いずれでも言えない」は、まず間違いと断定してよいのではないでしょうか。 「いずれともない」は、「どちら共ない」という意味でなら可能でしょう。 ただ、用法は全く別物になります。 この場合の「とも」は、下記辞書のうちの、 [3] 複数のものを表す名詞の下に付いて、それらが全部同じ状態であることを表す。 という用法になるでしょう。 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%81%A8%E3%82%82&dtype=0&dname=0ss&stype=1&pagenum=1&index=114266000000

Mister0413
質問者

お礼

追加のご回答、ありがとうございました。 おかげさまで、いい勉強になりました。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 こんにちは。「いずれとも」と「いずれでも」この両者の違いですが、「いずれとも」は「いずれとも+動詞+打ち消しの助動詞“ない”」をとる形の表現です。例を挙げますと「何れとも言えない」「何れとも決められない」などの形です。  これに対し「いずれでも」とした場合は「いずれでもある」と「いずれでもない」の二つの受け答えが考えられます。英語ならば“or”を文脈に沿ってどの様に解釈するかは場合によっても異なります。最低限二つの考え方がそこにあるとの前提が働いていると理解できるでしょう。  と同時にこのことは現象として「正」と「反」さらには「合」の三つの段階に思考が深まる様相を物語っているとも言えるでしょう。ある事象に対しAという意見が出され、それに対するBという対立した見解が示された場合、何れが果たして的確性を有しているかと両者の間で議論がなされ、その過程でもし双方の見解よりも優れた見解が見いだせたなら、最初の論点から深化した形と言えるでしょう。それは場合によってはAとBの他にそれを判断するCという第三者の目線かもしれません。第三者の目から見た場合、Aにも一理あるBにも一理ある。しかしながら何れが優位であるとも決めることも困難であるとして「何れでもあるが何れとも言えない」が問題の中心となります。ここで着目すべきは「も」です。  「も」は文法的な説明として係助詞になります。係助詞の「も」は、類似した事物の提示や並列・列挙や添加・程度・感動・強調・不定称の語について全面的な否定及び肯定などを示す性質があります。  もし「何れでも言えない」がなり立つなら、それは「エスプリは英語と日本語の何れでも適切に言えない微妙なニュアンス(フランス人独特の発想)」などの表現が考えられるでしょうか。この場合には三つ目の視点が働いていることになります。また買い物に出掛けて店員に「○○と××はありますか」と尋ねた時、店員が「申し訳ございません、何れとも在庫を切らしております」といった場合なら、意味として「いずれともない」になるともいえます。これはあくまでも、頭の中で一度翻訳した形といえますので、論理的に意味は通っているといえます。  理論的な説明というよりも、意味を的確に論理的に説明できるかとの問題であるかと存じます(理論は論理の整合性がなければ成り立たない性質を有する)。  「何れの人とも」「何れの人でも」は助詞「も」の性質が作用しますから、肯定も否定も何れもありえます。

Mister0413
質問者

お礼

少し難しい内容ですが、本格的なご回答ありがとうございました。 外国人にはこの内容をベースに、整理して説明したいと思います。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>「いずれとも」と「いずれでも」は、大まかに言えば「どれでも」という意味がある点で共通しています。 しかし「いずれとも言えない」は正しいですが「いずれでも言えない」とは言いません。 言われてみれば、紛らわしい表現でありますが・・・前後の会話や文節にて判断したり、日常、使い分けていると思います。 何(いづ)れとも言えない・・・複数の事象が有り、特定のモノに決められない。 何(いづ)れでも言えない・・・何れでもないor誰にも言えないと表現します。 >また「いずれでもない」は正しいですが「いずれともない」とは言いません。 「いずれでもない」は→何れも該当しない時に用いる表現。 「いずれともない」は→誰とも無いとか、何れとも○○ない・・・と補足する言葉が入る表現にするのが分かり易いのでは。 >いますぐには思いつきませんが、どちらを使ってもかまわない使用例はあるのでしょうか。 私にはいまのところ、個々の具体例をあげて説明することしかできません。 意味・意思を伝えられず、誤解を生じるような短絡省略表現よりも、具体的な形容詞や名詞を加えた表現や文節の方が良いと思います。 >外国人に両者の使い分けを説明するには、どのようにすれば理論的に理解してもらえるでしょうか。 関連して「いずれの人とも」「いずれの人でも」の場合は、どうでしょうか。 ex、 何れの人とも面識がない 何れの人でも構わない のように、使い方や表現シーンが異なると思います。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 おかげさまで問題点が整理できましたので、大いに参考にさせていただきます。

  • sporespore
  • ベストアンサー率30% (430/1408)
回答No.1

「いずれとも」は誤用でしょう。「いずれも」ではないでしょうか。 「いずれ」は代名詞で、問題の物事を指して、「どれ」「どちら」「どの一つ」のように用います。「いずれが正しいか」のように用います。係助詞「も」が付いて、「いずれも」は「どちらも」「両方とも」の意味で用いられているように思います。「どちらとも」の言い間違いではないでしょうか。 「いずれでも」は「どれでも」、「どちらでも」ということですので正しい使い方です。

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 お言葉ではありますが、「いずれとも言えない」のような表現はあちこちで見受けられますし、私も知人も普通に使っています。それが誤用であるとの議論は聞いたことがありません。 「花に水をあげる」が誤用かどうかという議論なら聞いたことがありますが、最近では手元の辞書にもそれが正しい用法として載るようになってきました。これもそれと同じレベルのことなのでしょうか。 いずれにしても、ご意見は参考にさせていただきます。

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