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ベトナム戦争でアメリカが負けた理由
本を見て調べなさいとか言われそうですが、 ベトナム戦争でアメリカが負けた理由というの はどう言ったものが考えられるでしょうか? 大戦相手の北ベトナムの戦力、それを支持したソ連の戦力など 複数の原因を考慮する必要があるのですが、 詳しいかたがいたら教えてください。
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いろいろな理由があるでしょう。 まず、アメリカ国内での反戦運動。 朝鮮戦争までは海外に出征した軍人は大きな賞賛と敬意をもって迎えられていました。けれども、ベトナム戦争では、ご存知の通り、帰還した兵士達は非難をあびました。これでは軍全体の戦意が喪失しますよネ。それに対して、イデオロギーに狂った北側は革命に命を捧げるということを当然のこととして実行しました。非常に対照的ですよネ。 物量作戦が有利にすすむときだけが勝機であるというアメリカ流の戦略が通じないゲリラ戦であったこと。ベトナム戦争末期に行われた北爆や枯葉作戦は非常に大きな国際的な非難を浴びましたネ。攻撃側(アメリカ)からすると、ある程度止むを得ない選択であったのでしょう。というのも、ベトナム戦争は軍服を着た組織との戦いではなく、ごく普通の民間人と思っていたら突然撃ってくるとか、小さな子供が手榴弾で自爆攻撃をかけてくるという、徹底的なゲリラ攻撃を行った北側はアメリカの戦意を削ぎ、また、実際に大きな戦果をあげ続けました。いまだに精神障害を持ったままの元アメリカ兵が沢山いることがゲリラ戦のすさまじさをあらわしていると思います。 政治的・経済的判断。 最終的には南ベトナムを救った場合の経済的利益と、軍を駐留させなければならない等での出費とを考えたときに、プラス面が少ないという収支バランスから、傷口がこれ以上大きくならないうちに辞めてしまおうという結論に達したと考えられます。政治的・経済的判断の結果でしょう。 とりとめもなく書いてしまいました。 kawakawaでした。
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- orthanc
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軍事的要因から挙げるとすれば、南ベトナム政府が住民の支持を失っており、米軍が住民の支持を得られぬ敵対的な地域での対ゲリラ作戦の遂行を余儀なくされたことだと言えるでしょう。 友軍である南ベトナム政府軍は士気も低く、多くの内通者を抱えており、米軍の作戦行動は敵に筒抜けでした。前線の拠点でも、付近の住民の中に情報提供者がいて機密保持は困難な状況だったわけです。 そして対ゲリラ戦というのは、偵察を繰り返し、敵の位置を突き止めて急襲するというものですから、情報戦ともいえるわけです。となると、情報を握った南ベトナム解放戦線や北ベトナム軍を叩くのは困難であったでしょう。空振りだったり、時には待ち伏せの罠に嵌まったりという結果になりました。 思うように戦果があがらず、損害は多い。戦場の環境はジャングルで劣悪。後背地も安全でなく、休養を安心して取れないとなると、士気もがた落ち、国内の反戦気運もうなぎ上りでお先真っ暗というものです。 敵地での作戦>作戦の失敗>世論の反対+士気の低下 >戦争遂行が困難 という形でしょうか。
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たいへんわかりやすく説明していただきありがとうございました。 ところで、アメリカに勝機があったとしたらどこでしょか。
- meipuru
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kawakawaさんのおっしゃる通りだと思います。最大の原因は、反戦運動の盛り上がりにあると思います。 ベトナム戦争は、テレビで生中継された最初の戦争と言わ れてます。生々しい映像が、テレビを通じてアメリカや世 界のお茶の間にライブで流れ、アメリカがベトナムでして いる事に、非難や疑問の声が巻き起こりました。 湾岸戦争では、アメリカを中心とした多国籍軍は、厳しい 報道規制をし、残酷な映像が流れないようにしました。 そして、戦争を正当化するような(?)油まみれの鳥の映 像を流して、軍事行動の正当性を訴えてきました。 これは、ベトナム戦争の教訓をいかしたものだと思いま す。 戦略的には、ジャングルや地下に張り巡らされた地下道によって、アメリカの近代的な航空機や戦車等の能力が、十分に発揮できなかったと思います。 また、ベトナムは昔から隣国の侵略に遭っていたので、自分たちの戦い方を、熟知していたのも要因だと思います。
お礼
ありがとうございます。 湾岸戦争にこのような報道戦略があるとは知りませんでした。 たいへん勉強になりました。
お礼
ありがとうございます。 アメリカの侵略は無理気味だったのかも知れませんね。