- ベストアンサー
仏国土の謎に迫る!六道の外に存在する天界の秘密とは?
日比野 暉彦(@bragelonne)の回答
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 ブッダター(仏性)というのは 霊ですよ。 まぼろしです。 まぼろしを実在と見てしまうなら・またそう説くなら それは まやかしです。 実在ではないと規定するのも 勇み足です。まぼろしなのですから。 霊で我慢しないなら どこまでもシンキロウを追いかけることにしかならない。 つまり仏国土や浄土という概念は要らないというまでになるための修行の道として 浄土や仏国土という言葉があります。 そのように言えなかったゴータマは 阿呆でありペテン師です。 神あるいは霊については すべて まぼろしです。 まぼろしをつかもうとするのは まやかしです。 わが心の《非思考の庭》においていだきます。
関連するQ&A
- 仏教の輪廻転生の条件は?
仏教の輪廻転生に六道(天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)というのがありますが、この六道間の輪廻転生はどのような条件で起こるのでしょうか? 例えば、畜生道に生きた人が、他の六道に移って転生することは可能でしょうか? 可能だとすると、その条件は何でしょうか?
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 浄土真宗本願寺派お西。入仏式に十二礼を拝と言われた
浄土真宗本願寺派。お西です。 親しいお方が亡くなりお寺さんを紹介してくださいと言われ紹介しました。 仏壇が入りお寺さんにお願いに上がりましたら檀家になるのでしたら引き受けますと言われましたのでお願いしました。 お経は十二礼を拝みますと言われました。 お経が違うのではないでしょうか。不思議なのです。 入仏式の法要は、阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経ではないでしょうか(私の間違いなのでしょうか) 幼なじみの親友なので力になってあげたいのです。 どなたかよく知っておられるお方教えて下さい。お願いします。 お寺には聞きづらいのです。よろしくお願い。
- 締切済み
- マナー・冠婚葬祭
- 浄土真宗本願寺派お西入,仏式に十二礼を拝まれました
浄土真宗本願寺派。お西です。 親しいお方が亡くなりお寺さんを紹介してくださいと言われ紹介しました。 仏壇が入りお寺さんにお願いに上がりましたら檀家になるのでした引き受けますと言われましたのでお願いしました。 お経は十二礼を拝みますと言われた。 お経が違うのではないでしょうか。不思議なのです。 入仏式の法要は、阿弥陀経、観無量寿経、無量寿経ではないでしょうか(私の間違いなのでしょうか) 幼なじみの親友なので力になってあげたいのです。 どなたかよく知っておられるお方教えて下さい。お願いします。 お寺には聞きづらいのです。よろしくお願い。
- 締切済み
- マナー・冠婚葬祭
- 阿弥陀仏は架空の仏
お世話になります。最近日蓮聖人の思想を勉強しておるものです。ちょっと分からない所がありますので、教えてください。 日蓮聖人系の宗派のサイトを読んでいますと「阿弥陀仏は架空の仏であって、拝んでも何の意味も無い」という、批判があげられています。 問1、こういった考えは、日蓮聖人のどのような文章が論拠となっているのでしょうか?? また、『妙法蓮華経』の中にも 西方に二仏、一を阿弥陀と名け、二を度一切世間苦悩と名く。(化城喩品) 若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。」(薬王品) と、迹門本門通して阿弥陀仏が説かれておりますが、『法華経』に説かれている阿弥陀仏と、『浄土三部経』で説かれている阿弥陀仏と違いはあるのでしょうか?真実の経に、架空の仏が説かれているというのも、不思議な気がします。 このような問いに関しては、例えば中国唐代の天台宗の僧湛然は「『観無量寿経』に説かれている弥陀とは違う」といい、また恵心は「『法華経』に弥陀は、西方の弥陀ではなく、己心弥陀である」と解釈しています。 問2、日蓮聖人は『法華経』に説かれている阿弥陀仏にはどのような解釈を加えておられるのでしょうか?(特にこちらの文章が見つからず困っています。) 問1、問2、どちらかでも分かる方は教えてくさい。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 六道にはどの割合で往くのか
仏道の世界での話なのですが、ヒトは六道(天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道)を輪廻すると言われていますが、どのくらいの人数の割合でそれぞれの道を歩むことになるといわれてるのでしょうか。 また前世によって次の世界が決まるといわれてますが、ランクとしては天道→人間道→修羅道→畜生道→餓鬼道→地獄道でいいのでしょうかね
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 十界図の絵解きをお願いします。
http://kumadoco.net/kodo/img/report/event/14/kansin_letter.gif ↑ 上記に十界図の写真と説明があります。 十界とは人間の心の全ての境地を十種に分類したもので、 六道(地獄道・飢餓道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に 四聖(声聞・縁覚・菩薩・仏)を付加したものだそうですが (1)この絵のどの部分が六道と四聖をあらわしているのでしょうか。 向かって右、中央部に武士の絵が描かれていますのでこれが修羅道? 針山で女性を追い続ける地獄・血の池地獄・地獄の釜・竹の子を探す地獄とあるのは地獄道ですよね? 畜生道は向かって左墓地に描かれている犬でしょうか? 声聞界は仏法を学んでいる状態→中央の心の下に描かれている僧侶? 縁覚界は仏道に縁することで、自己の内面において自意識的な悟りに至った状態→心の右に描かれた衆上? 菩薩界は仏の使いとして行動する状態→心の左、閻魔大王の上に描かれた天女? 仏界 は悟りを開いた状態をさす→山の上に描かれた御仏? 一応、こんな風に考えてはいるのですが。 (2)上部に描かれた虹のようなものは何ですか。白道でしょうか? (3)これは「倶舎論」の須弥山説に基づいて描かれたものですか? (4)十界と言いますが、鳥居が8つなのはなぜですか? よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 歴史
- いつから、全員が天国行きになった!
大半の日本人にとっては瑣末な事なのかもしれませんが、メディアは死亡した人に対して「○○さんは天国へ旅立ちました」とか「天国にいる○○さん」と言うように、その方の宗教・宗旨を無視して、死亡した人を勝手に天国送りとしております。 そのせいなのか、或いはメディアが後から追随しているのか、有名人の葬儀で弔辞を読む場合にも、仏式で葬儀をしているのに『天国』行きと決め付けているように感じてなりません。 私の認識では、仏教徒にとって「天国」とは六道輪廻における「天界」を指すものであり、それでは葬儀に際に長い読経を必要とはしません。一方、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の教えでは、それらの宗教を信じていない者は天国へは行けなかった筈です。 又、どなたの著書だったかは忘れましたが、天国も仏国土も同じ場所を指すと言う考えを読んだ気もいたしますが、それであればキリスト教が日本に布教された戦国時代よりも前に流布していた仏国土(極楽浄土や瑠璃光浄土など)を使い続けない理由が判りません。 で、ここからが質問 何でもかんでも天国行きがメディアで一般化した(或いは、一般化したと考えられる)のは「どの時代」や「どの事件」からなのかを何かご存知の方は、浅学な小生にお教え願えませんでしょうか? もしかして、戦前の『天国に結ぶ恋』が原因なのでしょうか?
- 締切済み
- メディア・マスコミ
- ゴータマ・シッダールタの説いた教えとは?
ゴータマ・シッダールタには師がなく、自らの修業の末に啓示を得て教えを説いたと聞きました。 そのときシッダールッタが説いた純粋な教えとは何だったのでしょうか。 仏教は歴史が古いのであとから付け加えられたものが随分あると思います。 八正道などは分かりやすくてよいのですが、次のようなものを本人が説いていたのか疑問に思います。 1.仏像などを造ることを許していたか?偶像崇拝の禁止。 2.捨身飼虎などの自らの過去世の話。 3.人間の魂は輪廻転生するものである。 4.輪廻転生の鎖を断ち切ることが悟り。 5.只管打坐。ひたすら座ることで悟りを得ることが可能。 6.須弥山を中心とする三千世界。 7.仏を守護する天や明王の存在。 8.阿弥陀仏来迎や極楽浄土の存在。 9.未来仏である弥勒菩薩の存在。 10.宇宙の中心の大日如来の存在。 11.末法思想。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 「六道絵」同性愛も地獄堕ちる原因?
7日の「月曜から夜更かし」で、滋賀県にある「聖衆来迎寺」に国宝「六道絵」があり、その中に同性愛者がお尻の中に銅を流し込まれる絵があると、紹介していましたが、このお寺は「天台宗」でありながら浄土信仰の色彩の濃い寺院である。寺名の「聖衆来迎」とは、臨終の際に西方極楽浄土から阿弥陀如来と諸々の菩薩(聖衆)が現れて、亡者を迎えに来る(来迎)という意味で、開基は「最澄」、本尊は阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来であるが、そもそもこれらの菩薩は何億万というお経の中の登場人物で、実際にこの世に御出現され、この濁悪の世に生きる我々人間を救ったというものでは無い、「死んだら極楽、地獄がある」と言うのは浄土信仰特有の思想であるが、今、現代からすれば大きくかけ離れた考え方に過ぎない。
- 締切済み
- 歴史
お礼
ご回答ありがとうございます。 他の回答者さんのお礼にも書いていますが、 1世紀インドの無量寿経を書いた人やそれを信じた人の立場からの 説明でないと私の疑問は解けないのです… そもそも、仏国土という観念自体がゴータマの思想とかけ離れていますよね。