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「六道絵」同性愛も地獄堕ちる原因?
7日の「月曜から夜更かし」で、滋賀県にある「聖衆来迎寺」に国宝「六道絵」があり、その中に同性愛者がお尻の中に銅を流し込まれる絵があると、紹介していましたが、このお寺は「天台宗」でありながら浄土信仰の色彩の濃い寺院である。寺名の「聖衆来迎」とは、臨終の際に西方極楽浄土から阿弥陀如来と諸々の菩薩(聖衆)が現れて、亡者を迎えに来る(来迎)という意味で、開基は「最澄」、本尊は阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来であるが、そもそもこれらの菩薩は何億万というお経の中の登場人物で、実際にこの世に御出現され、この濁悪の世に生きる我々人間を救ったというものでは無い、「死んだら極楽、地獄がある」と言うのは浄土信仰特有の思想であるが、今、現代からすれば大きくかけ離れた考え方に過ぎない。
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ご質問に多少誤解があるかとおもいます。 >「天台宗」でありながら浄土信仰の色彩の濃い寺院である。 「ありながら」ではありません。 天台宗は総合的な宗派です。 現在浄土宗とか浄土真宗、日蓮宗、禅宗などと宗派としてよばれるものは全てこの天台宗から分かれて独立したものです。 天台宗のどの教えを主眼とするかで、分かれていったものです。 聖衆来迎寺は、阿弥陀如来を中心とする浄土思想を主眼としているお寺です。 天台宗の寺院で、浄土思想を専門に学ぶ場所(念仏道場)としたのが源信です。 現在でいえば総合大学の一研究室がキャンバスの外にあるのと同じです。 >実際にこの世に御出現され、この濁悪の世に生きる我々人間を救ったというものでは無い 「濁悪の世に生きる我々人間を救う」というのは如来になるための菩薩行とよばれる修行です。 如来にも菩薩時代がありそこで衆生救済をしていました。 自身はすでに如来であるにも関わらず、この菩薩業を続けておられるのが観音菩薩です。 衆生救済のために、その願いや時々に応じて姿を変えて衆生のもとに現れるとされています。 三十三の姿があるとされています 衆生のあらゆる苦しみを見届けるということを象徴したのが十一面観音像でその苦しみを救うあらゆる手立てを持っているということを象徴したのが千手観音像です。 阿弥陀如来が法蔵菩薩と呼ばれていた時期に四十八の願をかけられて、そのなかに、如来になったならば自分を信じて名前を唱える者全てを自分の浄土に受け入れる、という願がありました(弥陀の本願) 現在目出度く如来になっておられるので、この願に従って信じて名前を唱えれば、阿弥陀如来の浄土である極楽浄土へ受け入れてもらえるということになります。 これが浄土思想です。 浄土思想で念仏を唱えるのはこのためです。 (仏様は各々浄土を持っておられます、阿弥陀様の極楽浄土に対て薬師如来様の浄土を瑠璃光浄土といいます。) >「死んだら極楽、地獄がある」と言うのは浄土信仰特有の思想であるが、 浄土信仰特有ではありません。 地獄というのは釈迦の時代からある六道輪廻の六道の一つです。 仏教共通の基本的な考え方です。 (六道:天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄) これを可視化して絵にしたのが六道絵です。 人が死ねば生前の行いに応じてこの六道のどこかに生まれ変わる(輪廻転生)とされています。 この輪廻を抜け出して仏となることを目的としているのが仏教です。 この六道のなかの地獄の光景を詳細に述べたのが源信です(往生要集) 源信が著した往生要集に、地獄に対比するものとして阿弥陀仏の浄土である極楽浄土に関する記述もあります。 これが短絡されてご質問のように「死んだら極楽、地獄がある」という受け取りかたになったのだと思います。 二者択一はキリスト教やイスラム教の考え方です。 昨今はこの影響もありますかね、 >現代からすれば大きくかけ離れた考え方に過ぎない。 このようにお受け取りになられるか否かは受け取る方の考え方次第です。 古来、沢山の受け取り方考え方があります。 修行を積めば死ななくても仏になれる(即身成仏)というのが空海が唱えた真言宗です。 修行を続けながら死ねばその身が仏となるというのが「即身仏」です。 現在24体の即身仏(ミイラ)が湯殿山などで確認されています。 修行を積んで悟れば仏の境地に達することができるというのが禅宗です 法華経に忠実に暮らせば、この世そのもののが浄土になるというのが日蓮宗です。 阿弥陀如来に対する信仰を寺院建設など具体的な物で表すのが浄土宗です。 修行など自力ではとてもやれないので、ひたすら弥陀の本願にすがり、念仏を唱えるのが浄土真宗です。 (従来一向宗と呼ばれていましたが、途中で浄土真宗と名称を変更しました) 禅宗の考え方が宗教ではなく哲学だと言われるようになり、諸外国から永平寺などに修行にこられる方が増えています。 修行を終えてそのままお寺の住職になられた方もおられます。 奈良や京都でもお寺訪れる外国人相手の観光ガイドを務められて重宝されておおられる方もいるようです。 近年アメリカでも仏教の考え方が見直されてきて、キリスト教の牧師さんなどがお寺に出入りされておられるようです。 チベット仏教だろうがなんだろうが世界中の宗派のお寺が全て建っているのはロスアンゼルスです。 そのうちにアメリカ仏教というものが生まれてくるかも知れません。
- chiha2525_
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昔の人が言ってたことが絶対正しいなどと、どうして思えるのだろうか。
お礼
有難う御座いました。
補足
それはそうですね。ただ昔は昔でそれが民衆の人達の中で定着していた。でも今は違います。「信教の自由」なのですから、自分が正しいと思う考え方に賛同すれば良いのですから。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34634)
ほんでご質問はなんでございましょうか。
お礼
有難う御座いました。
補足
「浄土信仰特有」の思想は現代社会に合わないのでは?との質問で御座います。如何でしょうか?
- oteramairisuki
- ベストアンサー率34% (511/1475)
南無阿弥陀仏と唱えれば、誰もが極楽へ行けるという考えですが、9段階あると言われています。上の上、上の中からはじまって最低レベルは下の下です。 とりあえず地獄には行きたくないので「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えるわけですが、それが気に入らなかったのがそれまでに高いお金を出して、荒い修行をしてきたそれまでの宗教家たちです。よって法然や親鸞は流罪になるわけですが・・・ ま、そのことは別として、本来お坊様は女犯を禁じてきたわけですから、どうしても男色に走るしかありません。また子どもを持つことのない男色こそ究極の愛の姿と捉えていたかもしれません。 そういう意味であえて宗教家に向けての「男色禁止」ということだったのではないでしょうか?
お礼
有難う御座いました
補足
なるほど凄く解りやすいご回答有難う御座いました。
お礼
分かりやすい回答を有難う御座いました。