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憲法解釈の変更:集団的自衛権
- 日本政府は、数十年間、集団的自衛権を憲法上認められていないと解釈してきましたが、自民党の選挙公約によりその解釈が変わる可能性があります。
- 集団的自衛権を認めた場合、同盟国からの要求や国連軍への参加を断ることはできるが、その論拠は明確に示される必要があります。
- 日本がアフガニスタンなどに派兵を断らない場合、外交上の評価やアジア諸国の親日感情が損なわれる可能性があります。また、恒常的な派兵は自衛隊の入隊希望者を減らす可能性があります。
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ちょっと前提となる議論があるので、それを抑えてから本題に入ります。 これを抑えておかないと、話をするのもケシカラン!という神学論争で終わっちゃう話なので。 まず、自民党の政権公約が何をやると言っているか。 こんなこと書いてますね。 114 国家安全保障基本法の制定 政府において、わが国の安全を守る必要最小限度の 自衛権行使 (集団的自衛権を含む)を明確化し・・・ というわけで、「定義の明確化」をすると言っています。 じゃあ今の定義は? これは現在の日本国政府の定義。集団的自衛権の定義と解釈は1981年の答弁に出てきます。 「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、 実力をもつて阻止する権利を有しているものとされている。」 この答弁では国際法(国連憲章51条)で認められているけど、質問者さんのおっしゃるとおり、 憲法違反だから日本でやっちゃだめー!と言っています。 もちろんこの解釈のおかげで、今までは一定の抑止力にはなりましたね。ただ、これって、 ひとつの危険性をはらんでいる解釈なんです。それが現行の国際法の定義とのズレです。 では国際法上の定義は? もちろん集団的自衛権を使っていいよ、というのは国連憲章51条に認められているんですが、 自衛権の定義・運用については国際司法裁判所の判例で基準が提唱されています。 具体的には ・必要性 ・均衡性(反撃しすぎはダメ!の意味です) ・犠牲者の宣言 ・援助要請 という要件が設定されています。(この他、安保理の認定や国連報告義務のような加盟国であることの前提もあります。) このうち下の2つは1986年の「ニカラグア事件」で設定された要件でして、 1981年設定の現在の日本政府の見解は、これを反映していない古いものがそのまま使われている状態とも言えます。 特に、現行の集団的自衛権の定義は、「自国が直接攻撃されていないにもかかわらず」という文言 が挿入されてしまっているせいで、必要がなくとも攻撃できる、と取られかねないわけです。 ですから、この場合は憲法上はダメ。当然です。 ただ、集団的自衛権の定義を、現行の国際法解釈に習合させることについては、全く問題がないと思うのです。 つまり、集団的自衛権は簡単に発動できるわけじゃないよ、というのを定義化することで、 単純に(現行解釈の)集団的自衛権をOKと変えてしまう危険性を少なくできるんじゃないでしょうか。 以上のネタが、鳩山首相(当時)と自民党の石破氏との答弁でちょろっとだけ出たことがあるわけです。 将来、どんな人がまかり間違って、政権とってしまうか解らない時代ですからねー。 法というのは、為政者の行動を制限するものでもありますから、やはり明確化はどのような形であれ必要なわけです。 前置きが長くて申し訳ないですが、以上を踏まえてようやく本題です。 1:国連軍への参加を、明確に断ることができるか。またその場合の論拠は何か。 国連の手続きを踏んだ上で、それでもどうしても国益上、断りたいというなら・・・ 1-A:義務化されている特例(日米安保における米軍など)を除いて自衛権は義務ではなく権利なので、行使しないことができます。 1-B:再定義されるであろう、必要性・均衡性の要件を満たしていない(道理が通っていない)と指摘できるのであれば、行使しない理由になります。 このどっちか使えると思います。効力としては「憲法上の制約」と変わりません。 「国民の同意が得られない」状態を説明するわけです。 2ーイ、ロ:派兵を断らない場合の得失 当然、一義的には反撃参加国の賞賛と、被攻撃対象の批難を受けるでしょうね。 ただ戦争を起こさないためにはどちらが良いか、というと、不法が行われたときに、派兵を断らない態度を示すことです。 そもそも反撃参加国ってどういうどういう人たちでしょう? 現行の日本政府の集団的自衛権の定義では、付き合いのある国が攻撃された場合で、 特に被害をうけていなくとも参加できます。 攻撃をしたくてタイミングを伺っているだけの人の行為も正当化されてしまう。 これを、国際法準拠の集団的自衛権の立場を取るならば、 反撃参加国は先制攻撃を受け、犠牲者を出し、救援要請を出した国。 あるいはその犠牲者の声に応えた人々です。 被攻撃対象は先制攻撃を行った政治集団に限定されます。 戦争を起こさないためには、先制攻撃の不法性を示し、徹底的に批難しうる体制づくりが必要です。 戦争が起きなければ、世界の利益、すなわち日本の国益はさらに増進されるでしょう。 これは先制攻撃を制約し続けてきた平和を志向する日本の考え方にも合致するんじゃないでしょうか。
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- Streseman
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>1、「集団的自衛権」を認めた場合、『アフガニスタンなどへテロとの戦いに派兵せよ』というような同盟国からの要求や国連軍への参加を、明確に断ることができるか。またその場合の論拠は何か。 簡単 主権国家の自治裁量権 ちなみに、上記の派兵せよ、というのは、集団的自衛権は関係ないんだが? 基本的な集団的自衛権の知識を履き違えているよね(ちゃんと学習してから質問してほしいな) そもそも、テロ相手なら「戦争」にならないので、憲法的には問題ないのだよ・・対テロ紛争ならね 駆けつけ警護の部類は、個別自衛権で処断することも可能で、そもそも、集団的自衛権だけを射程にする話ではない 個別的自衛権で出来ることもしない状態で、集団的自衛権の話しているのは、滑稽と思えないのかね? > 2、日本がアフガニスタンなどに派兵を断らない場合の、外交上の日本に対する評価の得失 尚、回答の際に、以下の二点も含めて、回答をお願いします。 イ.戦後、他国の領土内で一切の戦闘行為を行わず、他国の民間人に対して、日本が殺傷したことがないという事実を失って、唯の大国の一つとなる点や、アメリカの世界戦略から見て、派兵先がアジアが多くなり、アジア諸国の親日感情を失うことにならないか。 根本的に間違いだよね 日本政府としては、他国の領土内で戦闘行為は行っていない。しかし、PKO事例で自衛官が個別で刑法範囲で武力行使した事実は存在している。(憲法問題ではないから騒がない) 国家の自衛権の行使と自衛官という公人の自衛権の行使は近似するものであって、表現としては、精査しないとね 憲法論じるなら尚更のこと 同時に、日本が派兵する要件は、国連決議が大前提。露骨な日米同盟の視座の行動など日本の外交姿勢からして不可能である そして、アジア諸国は、質問者が抱くような幻想を持ち合わせていない。アジア諸国は日本の安全保障についての関心・興味は低い。その筋の人は別にしてもね > ロ、アメリカが、他国に常に派兵して戦っているのと歩調を合わせて、アメリカの世界戦略上の要地であっても、日本の軍事的危険とはつながらない他国の戦闘地域に、日本も恒常的に派兵することが、自衛隊入隊希望者を減らすことにならないか。 すでに恒常的派遣しているんだが? UNDOFはPKOの歴史とほぼ同じだ 日本のUNDOF(ゴラン高原停戦監視活動)は、恒常的な派兵活動として、入隊する自衛官は知っているはずだが?w アメリカの戦略以前に、国際政治上の安全保障に日本を含まれて行動している事実なんぞ、入隊する上では基礎だろう むしろ、知らないで入隊する方が異常であって、そんな異常な志願兵なんぞ兵力として信用できるはずもない 自衛官のレベルは低くないのにw 質問の前提条件が破綻しているのが多い 基礎的国際安全保障情勢の基礎知識がないとこのような質問になるのだろうか? 正直、この程度の知見で憲法改正などを指摘する人間がいるのが、困る
お礼
回答、ありがとうございました。
- nyakobu
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数十年間アメリカの適当に作った憲法で日本は生活してきましたね。 他国が作った憲法の国は日本だけではないでしょうか。 日本は自衛隊から国防軍へかえる と自民党は言っていますね。 ただでさえ定数割れし、まともに銃もつかえない自衛隊が日本を守ってくれるでしょうか?? 憲法改正は遅いくらいです。 集団的自衛権 になり、アフガニスタンへ派兵されたとしても、イラクと同じ事をすればいいんです。
お礼
回答、ありがとうございました。
補足
<集団的自衛権 になり、アフガニスタンへ派兵されたとしても、イラクと同じ事をすればいいんです。> 質問に対する回答はどのようなものなのでしょうか。 イラクにおいては、非戦闘地域の復興作業をするために自衛隊が行ったと言うだけで、「集団的自衛権」は、行使されていません。 憲法解釈を変えて、「集団的自衛権を行使できる」ようにした上で、イラクのように「集団的自衛権を行使しない」ということを続けるならば、初めから憲法解釈を変える必要がないのではないでしょうか。
- hekiyu
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1、「集団的自衛権」を認めた場合、『アフガニスタンなどへテロとの戦いに派兵せよ』というような同盟国 からの要求や国連軍への参加を、明確に断ることができるか。またその場合の論拠は何か。 ↑ 憲法というのは、その国の問題ですから、憲法を理由に 派兵を断ることは理論上できません。 事実として、憲法に違反するから駄目だよ。そこを解って くれ、というだけで、対外的な論拠にはなりません。 2,イ 現代の日本は、世界でもトップクラスの高い評価を受けている国です。 評価していないのは、世界2百もある中で南北朝鮮と中国だけです。 この高い評価の要因の一つとして、戦争をやらないという ことが上げられます。 従って、他のアジアの親日感情にはマイナスとなるでしょう。 ただ、親日感情は気分がよいですが、それがどれほどのものか 本当に国益に繋がるのかは問題があるところです。 イスラエルの政府高官が発言していました。 「我々は、世界に賞賛されて滅びるよりも、非難されながらも 生き残る道を選ぶ」 2,ロ 戦争があるならイヤだ、という人は当然いるでしょう。 そういう人達の入隊希望は減ると思われます。 反対に、これぞ軍隊らしい軍隊だから、ということで 入隊する人が増える可能性もあります。 事実、そういう人は少なくありません。 自衛隊では物足りない、男子一生の仕事とは思えない、という ことですね。 差し引きどちらが多いのか、ということになりますが どうでしょう。
お礼
回答、ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございます。 以下は、質問範囲から逸脱しているので、質問者の独り言と見ていただいても結構です。 <憲法というのは、その国の問題ですから、憲法を理由に 派兵を断ることは理論上できません。 事実として、憲法に違反するから駄目だよ。そこを解って くれ、というだけで、対外的な論拠にはなりません。> 日米安全保障条約は、『双方の憲法の定める範囲に置いて』という枠があります。 日本の場合、「集団的自衛権がない」という憲法解釈による枠があるわけですが、これを「集団的自衛権がある」と変更する枠の拡大を行うことは、アメリカに対する相当大きな譲歩で、相当有効な外交カードです。 もし、長年続いてきた憲法解釈を変えるという大きな外交カードをアメリカに対して切るなら、それに替わる物として、何がアメリカから得られるでしょうか。 TPPにおいて、農業の関税維持をアメリカに認めさせる替わりに、「集団的自衛権」の憲法解釈変更を申し出ているのでしょうか。 お閑でしたら、アメリカとどのような取引が可能か、お聞かせください。
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
- ベストアンサー率16% (149/890)
1、「集団的自衛権」を認めた場合、 この意味は、あくまでも国家自衛権ですから、>アフガニスタンなどへテロとの戦いに派兵せよ<と言われて派兵になることは無い。 仮に、物資輸送に参加援助して、相手国から攻撃を受けた場合、自衛権は成立つ、と言うことでしょう。 アフガニスタンへの戦争参加となることは別の見地である。 2、日本がアフガニスタンなどに派兵を断らない場合の、外交上の日本に対する評価の得失< 政治者がどう視るか判りませんが、全く論拠外と言える。 攻撃する、戦争に参加するとは、根本的に解釈が違います。 この、安部氏の「集団的自衛権」とは、尖閣諸島の問題を大きく意識したものであり、そこを占領するかのような行動に中国が出た場合、尖閣諸島を守る為に、日本も集団的行使ができるようにする必要性が有ると考えから出たものでしょう。 つまり、中国が日本を攻撃してきた場合、日本は徴兵し、これに応える必要性を神経過敏に捉えて謳いだしたものでしょう。 私にはくだらないものと思いますが 参考です、この限りでは無い事も、あわせておきます
お礼
回答、ありがとうございました。
補足
1、回答者さんの言われている趣旨が今一つ分からないので、確認します。 9.11の自爆テロに対して、「テロに対する戦争」と位置付けられたアフガニスタンでの戦闘ですから、日本人も多数死亡している以上、『日本も集団的自衛権を行使』して、EUやアメリカと共に共通の指揮のもとで闘うのが当然と考えられるのではないでしょうか。 その場合において、「アフガニスタンに派兵しない」ということが、単にその時点での政権の意思として派兵しないのではなく、派兵できないとする法的な、または国際公約的な論拠があるかお聞きしています。 2、 非武装の自国民が、テロ攻撃によって多数殺されたことに対して、そのテロ組織の存在している国の政府も被害を受けた国の派兵を受け入れているという背景のもとで、派兵できないとする論拠があるかどうかを聞いています。 <全く論拠外と言える。攻撃する、戦争に参加するとは、根本的に解釈が違います。> 民間人が攻撃されれば、反撃してこれ以上民間人が殺されないようにするのが、自衛の戦いの根本です。 その自衛の戦いにおいて、同じ相手からの攻撃で、複数の国家が被害を受け反撃するならば、「集団的自衛権を行使する」のが極めて自然ではないでしょうか。 全く論拠外とする『根本的な解釈の違い』について、補足回答いただければ幸いです。 <この、安部氏の「集団的自衛権」とは、尖閣諸島の問題を大きく意識したものであり、そこを占領するかのような行動に中国が出た場合、尖閣諸島を守る為に、日本も集団的行使ができるようにする必要性が有ると考えから出たものでしょう。 つまり、中国が日本を攻撃してきた場合、日本は徴兵し、これに応える必要性を神経過敏に捉えて謳いだしたものでしょう。> 現時点での理由はどうであれ、「尖閣諸島地域だけ、集団的自衛権を認める」・「それ以外の地域では集団的自衛権を認めない」などという対応ができる根拠を私は想定できません。 もし、それが可能ならば、どのような考え方を取るのでしょうか。 そのような考え方がないなら、一般論として「集団的自衛権」を認めるしかありません。 政府の憲法解釈、つまり「憲法は何を規定しているか」という日本政府の理解が、周辺国の外交方針の変更や国力増大によって、その時々で変わるのは如何なものでしょうか。 国際情勢が変わったことで対応を変える必要があるなら、憲法改正をすべきではないでしょうか。
お礼
回答、ありがとうございました。 掘り下げた検討で、理解が深まりました。