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どうして受け身の形が尊敬になるのでしょうか

  • 暇なときにでも
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れる、られるのことなのですが、ただ自動詞でも同じような形なので理解が根本から誤っているのかもしれません。たとえば、来られるという言い方は英語では存在しませんね。日本語では歓迎しないお客が来た場合などにも使いますので、尊敬で同じ形でももともと受け身の意味ではなかったのかなとも思います。しかし、やはり同じ形をとっている理由というものもあるように思います。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.6

ベストアンサー率 46% (1655/3578)

個人的な感覚ですが、「れる、られる」の尊敬用法は、自発用法から派生したという考えもありかな、という気がします。
「自発」とは、ウィキによると、
『日本語の文法における自発(じはつ)とは、 動詞の表現様式で、行為・動作を人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう表現である。助動詞の「れる」「られる」などによって行われる。』
と定義されているようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95)

・これから社長が歌われます。
・今から先生がお話しされます。
・天皇陛下はすぐに泳がれます。
・そのとき、女王はこちらを振り向かれました。

これらの例のように、尊敬用法というのは、必ず尊敬すべき主体による主体的行為や動作を表わすことになります。
こうした「主体的行動や動作」であるにもかかわらず、
「(その)人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう」ことによって、
その人の人間臭さを消すことを画策し、そのことによって相手を人間以上の価値を持った存在として持ち上げているかのように表現する。
これが尊敬用法の根幹的な構図ではないか、という気がします。
こうした意味で、個人的な感情や感覚を抑えることが美徳とされてきた日本ならではの表現のような気がしますが、検証はしておりません。
全くの個人的感覚による、独断的見解にすぎませんが、このように思う次第ではあります。
    
お礼コメント
noname#194289

なるほど、そういう考えかたがあるのですね。受け身もちょっというか、かなり「自発」に似ているように思えました。そのことに対応して同じ助動詞が使わえるようになったというのは説得力がある考え方のように思いました。
投稿日時 - 2012-11-24 04:05:01

その他の回答 (全5件)

  • 回答No.5

ベストアンサー率 31% (790/2548)

 お尋ねいただきありがとうございます。
>私なりには文法的な理由と他の方がご指摘になっておられるように心理学的理由の両方があるのかと………

 この部分ですが、実は前回に書き落としていた部分です。英語にも日本語にも共通するのですが、「敬語的表現」はただ単に身分や秩序関係に依存せず、話し手と聞き手の間での意識部分にもよるとの研究があります。
 英語で“Please,~”や“Help,me~”を着けてもそれは所詮「命令文」です。ですから日本の学校教育による英語教育では“Please give me some orange juice. ”が「文法的に正解」ではあっても、それが「社会の中で適切であるか」との大きな括りで言えば文化的背景にまで留意する必要があるといえます。

>文中の「来られる」は「いやな奴に来られた」というような自動詞の受身形でI have been come byとは言わないという意味でした。
 要するに「招からざる客が来た」との文言を遠回し(婉曲)な表現と置き換えれば済む問題ですね。主体からすれば、この場合は「呼びもしないのに」が意識として成立しています。ですからそれは尊敬表現とはならないことになります。
 「れる・られる」は受動以外に可能・使役を示す場合にも使われます。それらの違いは文脈から推測する以外にはありません。実際の日常会話や文章を読む時に、日本語ネイティブである私たちは無意識のうちにそしてどんなコンピュータよりも速くその違いを頭の中で翻訳しているともいえます。
 ※英語の“come”は自動詞ですので「受動態」を作ることはありません。目的語がないからです。例示いただいた英文はケアレス・ミスですよね?。 
お礼コメント
noname#194289

詳細な分析をご教示いただきありがとうございました。無意識のうちに身に付いたものの分析は大変難しいものだと思いました。
投稿日時 - 2012-11-23 18:08:27
  • 回答No.4

ベストアンサー率 31% (790/2548)

 こんばんは、少しばかりお邪魔します。
>来られるという言い方は英語では存在しませんね(英語には敬語的表現がありませんね、の意味?)
ですが、英語にも「敬語的表現」はあります。
 英語を母語とする民族は個人主義を尊ぶ文化をもっています。彼らの言語行動もこれを反映して、相手の行動や意思決定の自由を侵さないように配慮することを丁寧表現の柱としています。いわゆる negative politeness と呼ばれることばのストラテジーです。
 ですから文意として「相手に許可を求める」形として“Can I~?”を用い、相手の許可に基いて自分で行動するという言い方が、彼らの感覚にしっくりするようです。
 これに対し日本語の文化構造は「主従関係の『関係』」に重心のある文化ともいえます。西洋の封建制が「契約関係」と見なされるのに対し、日本の封建制は「人的関係」に象徴されます。
 助動詞「れる・られる」として同一の形がなぜ受動と尊敬になるのかの問題は、今少し調べてみます。
お礼コメント
noname#194289

拙文中の「来られる」は「いやな奴に来られた」というような自動詞の受身形でI have been come by とは言わないという意味でした。私なりには文法的な理由と他の方がご指摘になっておられるように心理学的理由の両方があるのかと思っています。
投稿日時 - 2012-11-22 03:23:04
  • 回答No.3

ベストアンサー率 52% (2343/4488)

実は英語だけでなく「受動態」が敬語になる例は各国語にあります。

なぜ「受動態」が敬語になるかといういうと「動作の主体」が客体になるからです。

そもそも「尊敬表現」というのはどの国語でも共通した認識があります。それは
・相手から見て自分が謙る。
・自分が相手を尊敬する。
ということです。

日本語の場合「尊敬表現」があり、たとえば「ご飯を食べる」が「ご飯を召し上がる」のように「動作」そのものを尊敬表現として単語を変えることができるのです。

しかし、英語を例に出しても他言語で食べる→召し上がる、のような尊敬語を持つ国はあまり多くありません。そのかわり「相手から見て自分が謙る。」というのは非常によく見られる表現になります。
たとえば、直接相手を意味する言葉を口にするのも憚れるような場合、
日本語では ミカド・御前(私の目の前にいらっしゃる方)などのように間接的に表現しますし、
英語でも  Yes.Your higness. Yes.Your Majesty のように「高貴なお方」と具体的に名前を呼ばずに間接的な表現をとります。

この様式が具体的な動詞になると受身形になるのです。つまり「あなたがどんな行動をなさっても私はそれを受け入れます。」ということです。

たとえば英語で丁寧な表現とされるのに、"would you mind ・・・”というのがあります。これを直訳すると「あなたが心から○○したいならば・・・」ということであり、その意味するところは「あなたがしたいと思ってくれるなら、私に○○してください」ということであり、相手に「したいかどうか」ということを問いかけている、というのが丁寧な表現になる根幹になります。

つまり「あなたがしたいと思」わなければ私はそれをあきらめます。という謙りの意味があり、そもそも「相手がこれをする、と決め、それに従う」という受身の状態を表しているのです。

実は英語を初めとして諸言語では、丁寧な言い方はすべて受身、というのが実際のところです。
なぜなら「相手のすることを私が決める」または「相手がすべきことを私が指示する」というのは、相手を私の意のままに動かす、ということであり、ものすごく失礼な表現になるからです。

この点は日本語でも同じで、親や先生・上司に向かって「○○から電話がありました。折り返し電話しなさい」とは言いません。実は「○○から電話がありました。折り返し電話してください」というのも、本来的には相手の行動をこちらが決める(電話をしろ、と要求している)という意味であまり好ましい言い方ではありません。

特にお客様に対して「○○から電話がありました。折り返し電話してください」とは言わないでしょう。たとえばホテルのフロントなどであれば、
「○○様からお電話がありました。折り返しお電話いただきたい、とのことです」(このとき「電話をくれ」と要求しているのは○○であってフロント係ではない、という意味になるのが尊敬表現)伝え方になるでしょうし、ホテルが客に電話を欲しいという風になるなら
「お客さま、恐れ入りますが弊社の○○までお電話いただけないでしょうか?」(電話してほしいが、するかどうかはあなたが決めてください)という風になるでしょう。

このときに「お電話いただく」というのは十分に受身になっているわけです。

つまり「受身」というのは「相手に行動するかどうかの判断を任せる」ということであり、これはどの言語でも尊敬表現の基礎でもあるのです。

そして受身は過去形と相性がいいので(なさいました、とかいただけました?とか)若者が「よろしかったですか?」という間違った丁寧語の表現に過去形を使うことにつながっているのです。

ですから「自分で行動を決めないで相手に行動の判断を任しそれを受け入れる」という意味で受身は尊敬表現になるといえるのです。
お礼コメント
noname#194289

詳しくご説明いただきありがとうございました。大変勉強にないました。
投稿日時 - 2012-11-22 03:12:33
  • 回答No.2

ベストアンサー率 21% (932/4337)

尊敬語としての受け身は使われています。
先生は毎朝散歩されます。
会長は明後日イタリアから帰られます。

可能を表すときも使われます。
そろそろ美しい桜の花が見られる。

さすがにまぎらわしいので、
外国人向けの日本語教育では「おVになります。」「なるそうです」
という風に教えるそうです。
会長は明後日イタリアからおかえりになります。~なるそうです。

理由は不明すみません。
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