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「られる」:自発、尊敬、可能と受身の用法に分類されますが、すべて自発であると主張したい。
以下のような説明を読みました。筆者は「られる」のいくつかの用法(自発、尊敬、可能と受身)の可能の用法としていますが、私はそれらの4つの用法はすべて起源とも内面化された語義素とも「自発」の用法に収斂しうる、と主張します。その点からすると、「英語を話せる」で目的格マーカーである助詞「を」を使うのは「英語などの外国語からの影響」であって、ごく近代になって初めて可能になった用法であると推測します。伝統的には、自発のようほうなので助詞の「が」が要ると思われます。 皆様はどうお考えですか?たしか、「自発」が起源であるとするのは私が始めてではありません。 引用:「話せる」は、自動詞であるとは限りません。 「英語を話せる」の「話せる」は、明らかに他動詞です。 元が他動詞である「英語を話す」を、単に可能動詞に代えただけですから。 自動詞として「話せる」を使う例は、今、私の頭の中にありますけれども、 それは、ここには書きたくありません。:引用おわり
- epitaxy
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まぁ、歴史的には「自発」からだというのが定説ではありますが。 ただ、語義が拡張された以上、完全に収斂させるのは無理でしょう。 受動=「自発」+α、可能=「自発」+β、尊敬=「自発」+γ というなら、分からないではありませんが。 また、語義の拡張には構文の変化も伴います。 おっしゃるとおり、 自発:将来「を」案じる 将来「が」案じられる 可能:一人で着物「を」着る 一人で着物「が」着られる という格助詞の交替が見られます。 #私自身は 「一人で着物「を」着られるようになった」 には何の違和感もありません。 また、「話せる」は可能動詞であって、「れる、られる」とは別物としておきます。 しかし、すべての「れる、られる」の用法で格交替があるわけではありません。 尊敬:英語「を」学ぶ 英語「を」学ばれる 受動:頭「を」殴る 頭「を」殴られる 面白いことに、「頭「が」殴られる」は、明治以降に、翻訳の影響によって生じた言い方です。 受動に関しては、 雨が降る 私は雨に降られた といういわゆる「迷惑の受け身」が存在しますが、これを自発とするのは相当無理があるでしょう。 あえてやるなら、 雨が降ることを原因として、私に自然発生的に迷惑が生じる となるでしょうが、「○○を原因として」と言う部分と「迷惑が生じる」という部分が、単なる自発とは違っています。 この回答の冒頭部分に倣って言えば、 自発+「○○を原因として」+「××に迷惑」 となるかもしれません。 しかしこれでは「収斂させた」ことにはなりませんね。
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- garamond
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すべては「受身」に由来します。 「可能」「尊敬」を分離したのは理解できます。 「自発」を分離するなど笑止です「受身」のなかの一グループです。 「英語を話せる」は語法の誤りです。 「話せる」を他動詞などというのは、この語法の誤りを糊塗・追認するための弥縫策です。 「英語を話す」ことが「できる」のであって、「英語を」→「話せる」でないことは明らかです。 そもそも「英語が話される」と言うべきなのに「HANAS【AR】ERU」の【AR】を省いたAR抜き言葉「話せる」を容認したのが、「TABER【AR】ERU」(「食べれる」)の形を生むに至った元兇です。
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お礼
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