• ベストアンサー

道真怨霊伝説

菅原道真死後に起こった 朝廷や藤原氏周辺での一連の不審死や清涼殿への落雷はすべて偶然でしょうか?

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数2

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

仮に偶然でないとしたら必然だったという事になろうかと思います。 失礼ながら今回の回答においては「霊は存在するのか?」などについては問題としません。それを踏まえた上で申し上げるべきこととして、質問者様はむしろ何者かの手によって一連の騒ぎがおきたと想像されておられるのでしょうか?であれば少々タフな論証が必要でしょうし、その材料をそろえるのもなかなかどうしてという具合でしょう。 また落雷にせよ疫病にせよ、当時にあってはおこり得る災害でしょうからね。それらを越えた部分で何者かの暗躍を証明するのは現段階では非常に難しいと思います。 と申しますのも、『菅家文草』において、道真自身も「臣もし止むを得ずして朝列に就くべくは、なお炉炭に踞して以って焼亡を待ち、冶氷を履みて陥没を期するがごとし」といった具合に、彼の異例の昇進を中央貴族が快く思っていないことについて、彼自身も熟知するほどだったんですね。ようは藤原氏に連なる人々のジェラシーなんです。そしてそのジェラシーは道真配流にいたる時にあって力を発揮します。具体的には時平たちが配流の決定に際し、上皇と天皇を会わせないように仕向けたのでしょう。なぜならば道真配流の障害になるものは宇多上皇以外に朝堂には存在しなかったからだと考えられます。それほどに道真は孤立しており、結果として配流を受け入れざるを得なかった。ようは彼には宇多上皇以外に援軍はいなかったんです。そのような彼の恨みを晴らすべく数々の暗殺を重ね、清涼殿を焼くなどのテロを計画し、さらに実行に移す気概のある者を探すのは非常に困難だと思うからです。 ですから結論とすれば「偶然」と理解するより仕方がないかな?と僕は思いますが。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

その他の回答 (1)

  • izuhara
  • ベストアンサー率31% (97/310)
回答No.1

ネットも本も他人も信用できない質問者にあう回答をしましょう。 あなたが偶然と思っているなら偶然です。 偶然と思っていないなら、怨霊の仕業でしょう。

azuki-7
質問者

お礼

ふむ

関連するQ&A

  • 藤原道真って誰ですか?

    こんにちは。 早速なんですけど、 藤原道真という人は歴史上の人物の中にいるのでしょうか? 1016年に摂政になる、と本には書いてあるのですが、 それは藤原道長なのではないかと思うのです。 遣唐使の廃止を~というくだりでも藤原道真という名前が出てくるのですが、 それは菅原道真なのでは?と思うのです。 藤原道長と菅原道真がごっちゃになって出てきた架空の人物なのでしょうか。 回答をいただけたらとても嬉しいです。よろしくお願いします。

  • 菅原道真はなぜ左遷されたのでしょう?

    右大臣で藤原氏のライバルとは言え彼には政治的な野心もなく 確かに娘を入内をさせてはいましたが その子供の皇子は皇太子でも無く 道真が藤原氏のような朝廷と結びつく権力者になる事は考えにくかったのに… 宇多天皇のお気に入りだったのが気に入らなかったんですか? まぁ道真を追放したせいで藤原家は散々な目に遭うんですが(笑)

  • 「左遷」の菅原道真が「天神」とはこれいかに

    菅原道真は太宰府に「左遷」されたんでしょう。藤原氏に陥れられて遠隔地に流されて「監禁」されて虐待されたわけでもないのになぜその「左遷」があれほど大げさに言い伝えられているのでしょうか。「東風吹かば・・・」なんて歌は当方には恨みつらみより甘い感傷を感じます。当時の社会の藤原氏憎しの気分のせいで天神にまで祭り上げられたに過ぎないと当方は思うんですがいかがでしょうか。

  • 菅原道真はどのようにして学問の神となったのでしょうか。

    菅原道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり 死後、天変地異や疫病の流行がおこったのは菅公の怨霊の仕業だとされました。 菅公が雷神となって祟る様子は北野天神絵巻にも描かれており 菅公が怨霊であったことは疑いのない事実です。 が、現在では菅公は学問の神として信仰されています。 私も学生のころよく天満宮へ御参りにいきましたが 菅公が怨霊であったことを知ったのはほんの10年くらい前のことです。 家の近所の天満宮には絵巻風に菅公の生涯を描いたものが展示してありましたが 雷神となって祟るシーンはありませんでした。 菅公が怨霊から学問の神へと神格を変えたのはどういった経緯によるものなのでしょうか。 時を経るうちに菅公が怨霊であったことが忘れられたのでしょうか。 天満宮の経営戦略によるものでしょうか。 それとも全く異なる経緯によるものなのでしょうか。

  • 怨霊対策は「神として祀る」、では生霊対策は?

    こんにちわ。 オカルトではなく、日本の歴史として質問させていただきます。 日本には古来より怨霊信仰がありましたね。 政治的陰謀により不幸な死を迎えた人は死後怨霊となって祟るとする信仰で、 疫病の流行、風水害、世の中の乱れ(乱など)などは怨霊の仕業とされたそうです。 怨霊の心を鎮めるために、神として祀った例は 菅原道真・崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、橘逸勢、文室宮田麻呂など 数多く存在します。 日本では怨霊の他に生霊の存在も信じられていたようですね。 源氏物語には六条御息所が生霊になるという話が描かれていますし 崇徳上皇は「生きながら天狗になった」と言われています。 後鳥羽上皇も生霊になったと考えられたようです。 (1)生霊になったと考えられた人物は崇徳上皇・後鳥羽上皇以外にもいますか? (2)生霊を怨霊のように神として祀るということはあったのでしょうか。 (崇徳上皇は白峯神宮などに祀られていますが死後怨霊となったと考えられたためのようです。) (3)生霊対策として、源氏物語では刀を寄せる、鳴弦などが行われていますが、その他にも生霊対策(例えば御霊会のようなものをするなど)はあったのでしょうか。 推測するためのヒントなどでもいいので回答くださると嬉しいです。

  • 【神=怨霊】→【神=すぐれた能力を持つ者】への転換期はいつ?

    現在では、すぐれた能力を持つ人のことを「神」といったりします。 エリック・クラプトン = ギターの神様 マイケル・シェンカー = 速弾きの神様 などですね。 しかし、かつて怨霊と神とは同義語であったといいます。 菅原道真・井上内親王・藤原広嗣・早良親王など、 神として祀られている人は政治的陰謀によって不幸な死を遂げた人々だとされます。 ということは 【神=怨霊】と言う概念が、いつのまにか【神=すぐれた能力を持つ者】という概念に転換したのだろうか、と思います。 A.この転換期はいつだと思いますか。   またそう思われる理由はなぜでしょうか。    B.それともかつては神には【怨霊】【すぐれた能力を持つ者】の二種類があり、  そのうちの【神=怨霊】と言う概念のみ失われてしまったのでしょうか。  そうであるなら、【神=怨霊】と言う概念が失なわれたのはいつだと思いますか。  またそう思われる理由はなぜでしょうか。 C.それともA・Bどちらでもないのでしょうか。   そうであるなら、現在概念がないのはなぜでしょうか。   それとも、【神=怨霊】という概念は現在でもありますか。 質問の形式がややこしくて申し訳ありませんが ABCを選択の上、回答いただきたく思います。 もちろん、推測でも結構です。 よろしくお願いします。

  • 実在の人物の幽霊や亡霊を教えてください!

    ちょっとした調べものをしているのですが 死後に亡霊と化したという逸話が存在する実在の人物を教えてください! 例としては崇徳院や菅原道真、平将門などです お菊やブラッディ・マリーなどの創作や伝承は含みません 時代や国などは問いません、お願いします!

  • 不比等の死がもたらした影響とは?

    藤原不比等の死がもたらした影響って何でしょう? 小テストのキーワードになってるんですが、いまいちよくわかりません。 不比等の死後の、藤原四子と長屋王の対立あたりをさしてるんでしょうか?

  • 苗字と名前の間の’の’

    ガキのころから気になっていたので誰かご存知の方がいらしたら教えてください。 ちょうど平安から鎌倉に時代が変わるころのことです。 菅原道真や藤原道長や平清盛、源頼朝は苗字と名前の間に 'の'がつきますよね。たいらのきよもりみたいに それが執権の北条氏になったらそれ以降'の'がつかないじゃないですか。 足利氏や徳川氏などいろいろ歴史で学んできましが'の'がつく人はいません。 これは何ででしょうか。 ちょっとしたことですが気になるんです。 よろしくお願いします。

  • 逆賊

    一時期逆賊とされた人たちがたくさんいますね。 菅原道真、南洲西郷隆盛、平将門。などなど。 その他に逆賊とされた人はおられますか。 その死後何かと祟りがあったとか。それが故か、神として祀られたとか。 最近ではコロナの危険を指摘して留置拘束された中国の医師。 浮かばれないですよね。 このほかのお気の毒な方についてご存知の人物を教えてください。