• ベストアンサー

F.ニーチェの良いところをおしえてください。

littlekissの回答

回答No.7

さて、wikipediaをちょい開いて ニーチェ みてみましょうか? フリードリヒ・ニーチェ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 - 1900年8月25日) ↑ いま、何年でした?2012年でしたね。 1900年8月25日に他界されてます。 ほらね、この世にはおられませんよね。 開いたついでに、ちょいと中に目を通してと、 ポーランドがどうしたこうしたとニーチェについて云々書かれてありますね ちょいと 飛んで↓ここ開いてみてみましょうか グダニスク http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%AF ポーランド王国の消滅と街の運命 18世紀、度重なる戦争によってグダニスクの経済は徐々に衰退していった。1734年にはロシアに占領された。1793年には第2次ポーランド分割が行われ、グダニスクはポーランド王国から奪われてプロイセン王国に併合され、公式な名称を「ダンツィヒ」に変更された。1807年から1815年にかけてのナポレオン戦争の期間は、ナポレオンの政策によって自治都市としての地位を取り戻した。ナポレオン戦争が終結すると、ダンツィヒは再びプロイセン王国の支配下に置かれ、西プロイセンのダンツィヒ地方の行政中心地とされた。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人)となっていった。 下剋上、栄枯盛衰、祇園精舎の鐘の声と… ガーーーーン)))))))))) なんか、音聞こえてきそうですね おっと、ニーチェのいいところといえば… ゴーギャンよろしく われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのかhttp://okwave.jp/qa/q4917187.html ↑ 「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」 この謎にニーチェも問いを馳せ、いいかえれば未来に思いを馳せてたんじゃないのかな 超高齢社会に求められる近代的アイデンティティと道徳性 ~日本社会の変容と道徳的葛藤を巡る現代の諸相~http://www.nkri.or.jp/PDF/2011/Rep116kawai.pdf 【主要な著書・論文等】 (著書) http://www.intcul.tohoku.ac.jp/european/kyouin/nunota/top.html 議院の意思決定手続に於ける棄権及び無効票の取扱い( 一) : プロイセン王国に於ける実務を中心として http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/14021/1/03878937_35_07.pdf プロイセン第二院乃至代議院における棄権及び無効票の取扱(上) http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/14072/1/03878937_40_08.pdf http://jairo.nii.ac.jp/0004/00008535

bragelonne
質問者

お礼

 問いはすでに問われていたもの。  答えが出せないのに 大きな顔は出来ない。

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     『方法序説』に限って 批判しますが――《wikipedia:方法序説=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E5%BA%8F%E8%AA%AC》――  (1) 《わたしは考える。ゆえにわたしは存在する》は けっきょく 理性信仰であるのではないか?   パスカルは その文句が アウグスティヌスの《われは あやまつならば 存在する》に源を持つけれども 独創性があると言っていたと思いますが そのかれが そのような理性による合理的・論理的な思考としての《幾何学の精神》とともに 人びとの情感の現実性をとうとぶ《繊細の精神》をも 同時にかかげた。というのに デカルトは 結局 幾何学の精神のみを 説いた恰好となったのではないか。  (2) 上の文句とともに 神の存在証明のような議論を その完全性という主題のもとに おこなっているが そのことによっても 同じく 理性信仰を強めたのではないか。  方法序説における神の存在証明は すべて 観念の観念による構築であると思われる。ゆえに (1)の文句が 余計に 変なかたちで 強められたのではないか。  このように 鬼っ子であると考えますが もしそうではなく 良さがあるとすれば おしえてください。

  • 「神(仏)の御心」、「人類の叡智」、「私の理性」の相違は?

    信仰の対象は問いません。主題は何でもよいのですが、信仰のある人が仮に食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難を克服する方法について考えるとします。 このとき、 1 「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 2 「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 3 「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。 1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。 信仰をもつ方の見解を知りたいのですが、信仰をもたない人の場合も論理に基づいて推論することによって1、2、3の各場合の異同について答えられるのだと思います。よって、回答者に資格制限はありません。 よろしくお願いします。

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。

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     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第十章 《神は死んだ》のか  ▲ (ヰキぺ:神は死んだ) ~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0  (あ) 神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。  (い) ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~    問い‐1. 《ニヒリズム》とは どういう思想ですか?   (う) こう問うわけは 虚無志向というのは あくまで往復の道があって 当初はその虚無の国行きだけの片道だと思っていたとしても けっきょくには 復路もあるとなるはずではないか。だから いったいそれとして言わば独立した思想があり得ますか? という問いです。   問い‐2. 《神》は 果たして《死ぬ》ものか? つまりいつか・どこかで《生まれた》ものか? きわめておかしな表現であると考えられるのだが どうか?  (え) 《価値観が消滅する》という意味で《死ぬ》と使っても むろんおかしくはありませんが。    問い‐3. この場合に《現実の生・世界が無価値・無意味になり》というのも おかしな表現(思惟)ではないか?  (お) なぜなら もしそれがほんとうだとしたら 《キリスト教的な神や価値観が〔無いところでは あるいは〕、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰》が無かった土地とそこに暮らす人びとにとっては もともと昔から《現実の生・世界が無価値・無意味》であったとまわり回って言っていることになる。のではないか? そんなバカな話があるのでしょうか?  問い‐4. ▲ (い) ・・・ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ☆ だからと言って 《超人・大地・大自然》を あらたな神のごとくに持ち出せばよいというものではない。はずだ。どうか?

  • どんな《神は死んだ》のか?

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