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F.ニーチェの良いところをおしえてください。

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.13

 #12です。  もう良いだけ放言したので、この辺でやめておきます。というか、舌噛みそうなので、逃走しします(^^;)。  なんとなく、あなたの立ち位置がわかった気がします。その立ち位置からすれば、 >世は 理性信仰 つまり 理性なる神 理性という神が はびこっているところへ その観念なる神は観念なる神であるに過ぎないと指摘しつつ 観念の神は死んだと言ったのではないでしょうか。 >つまり そんな神は もともと 死んでいるというふうに指摘しなければいけなかったのではないか。 >そこを そうではなく わざわざ その観念の神を克服しなければならないと思いこみ そのためには 《自然 大河 あるいは 超人であれ》と わざわざ 説くにいたった。・・・ >これでは すべてが コップの中の茶番劇であるのではないでしょうか? となるはずです。  あなたは常に、内容を問題とされていた。私は終始、外面を話していた。こういう処だと思います。  良いだけ放言した後なので、若干後ろめたいのですが・・・、   「私に永劫回帰の評価なんて、求めないで下さいよ!。出来る訳ないじゃないですか!」  自分は、そんなレベルには達していません。  理系人間にとって(ふつうの人でもかな?)、生の哲学や実存主義はとりわけ鬱陶しく(近づき難く)、大抵は外面だけ見て、わかったようなふりをするんだ、と思います(自分のように)。私は、ニーチェの行き方を良いとは思っていません。出来れば避けたい行き方ですが、自分の経験と重ね合わせると、19世紀西欧人のステレオタイプのようなニーチェの行動には、とても納得のいく面があります。でも自分は結局、晴れの文化を選んだようです(←日本人ですね(^^;))。「意味がなけりゃ生きて行けない程、お前は情けない奴なのか?」などと正面切って言った事はないですが(言ったようなものか)、最近は、そんな風に「能天気ここに極まれり」のような、呑気な生活を送っています(仕事は違いますが)。  以下は自分の放言に、いくらかでも妥当性があればですが、ニーチェを外面から敢えて評価すれば、次のようになります。  ウェーバーが言ったように、今や(冷戦が終了したので)大抵の人は、20世紀よりももっと「社会との異様な緊張を孕みながら」生き、典型的には国家間は「通約不可能な価値(信念,理念,宗教)の争い」をしているように見えます。その背景にあるのは、マルクスが正しくも予想した、グローバル化だと思います。そんな中では、   ・ニーチェの行き方は、現代にも通用するやり方だ. と思います(使わないで済むなら、使わない方が健全だとは思いますが)。また19世紀という時代は、中世の体系が現実社会の中で、物理的現実として壊れて行った時代でもあります。思想的には、その前から始まっていましたが。それを決定づけたのは、20世紀の欧州大戦です。  そのような意味で、時代を先取りしたという意味において、   ・ニーチェの行き方の歴史的意義は、無視できない. と思います。  以降は余談です。  はっきり言うと、最初あなたには、あまり良い印象は持っていませんでした。しかし対角線論争をやってみて、使ってる言葉が違うだけじゃないの?、と思うようになりました。対角線は、自分の専門領域に近かったからです。   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7775052.html を読みました。いや~、あなたって分かりにくいですよね(自分もそうですけど)。誤解されてる気は、十分にします。  余談なので、話は脈絡なく飛びます。  ウェーバーを初めて知ったのは、大学の社会思想史の講義でした。その担当教官(教授)がこれまた、大のウェーバー・フリークでした。   「ウェーバーの研ぎ澄まされた言葉を聞け~!」 と、何回聞かされ事か(「俺の歌を聞け~!」じゃないですが)。  ウェーバーの論文は(訳の悪い事もあり)、確かに難渋なんですが、確かに研ぎ澄まされた論理が、そこにはあると思いました。理念型モデルなどは、まさに抽象数学を読むような感じです。その辺りで、理系人間との相性が良かったんだなと、今では思います。  落ちになったかなぁ~(^^;)。

bragelonne
質問者

お礼

 (つづきからです)。  但し書きは 次である。引用文の中に 《模範型》という言葉が出てくる。例に取り上げられた一キリスト者の文体表現は 自己到来した自分がわたしする表現行為ではなく 自らの想像において描く理念像の表明になっているから 客観性を求める科学行為から逸れており それは 模範型であると捉えられている。わたしたちにあっても この理念の想像行為・それとしての模範 これを表明することを 自己表現としての文体行為であるとは 見ていない。文体行為たろうとしているものであろうが そこでは まだ 文体としては 成立していないと見なければならない。ただ細かく言うとすれば 逆に 模範型を 自己表現のなかに用いることは ありうる。模範や理念を模範や理念であるものとして(そうことわって) 表現のなかに用いる分には なんの支障もない。文体行為として成立するはずである。――抽象的には そのように捉えておくことができるであろう。  さらに焦点は次に絞られる。文体行為につきものの価値判断――自らの志向性の表明――のために必要な科学的客観認識 これは――そもそもやはり過程的なものでもあり しかしそうであること以上に――わたしたちが得ることが無理な場合が考えられるという点である。言い換えると 万人の主観に共通の客観認識が むしろ得られるかどうか 分からない場合である。客観認識の可能性が 可否いづれとも 客観的に知りえない場合である。文体行為が 自己到来を表出しようとするものであるからには その自己到来には 当然のごとく わたしといわゆる絶対者との関係がかかわっていると思われるからである。先の例で 一キリスト者が 絶対者である神との関係において 自己還帰したと表明したい場合 これには 科学という補助手段には 客観的な基礎構築のための力に 限りがあると言わざるをえない。  単純・簡潔にいえば 文体行為は 科学では論証し得ない部分領域を持つと考えられる。万人が共同主観しえない部分があるからと言って 文体は 科学に 後行し劣るとは 考えられない。一方で 科学にいわば信をおいて価値判断を〔つねに〕保留する文体と 他方で 科学以上のものに信をおいて――論証をなしえないのだが――価値判断をも表明する文体 これら二つの種類のあいだで 優劣を決めるのは 難しいと考えられるのではあるまいか。  ウェーバーも かれ自身 《価値判断――あるいは 生活の全体としての文体行為――》をしないとは言っていないのであるから もし批判という点では まだ微妙ではあるが ひとまず以上のように考えられる。      *  ヱーバーは びみょうだということを言いたいためです。  ニーチェは そこまでにも到っていないのではないか?  もし有効な考えがあれば おしえて欲しい。やはり こうなります。  ありがとうございました。

bragelonne
質問者

補足

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  そうですね。まとまった文章からその見解や立ち位置を捉えていただくのがよいと思います。  § 文体とは――  わたしの存在は わたしがわたしであるという自同律(アイデンティティ)の展開過程である。  自己到来するわたしの自乗・三乗・・・とその連乗積をかたちづくっていく過程である。わたしが一であるなら この冪は つねに一である。  わたしとは何か。わたしと名のる存在である。ここから わたしが自己到来をつねに新たに展開していく過程は 表現行為の過程である。一般に内面における自己還帰の確認は 広く自己表現として表わされる。外化される。直接・間接あるいは顕在・潜在を含め広く ことばをとおしての表現行為として展開される。  内面における自己同一性〔たるわたし〕そのものは 必ずしも定かになるわけではないが ことばの表現をとおして・もしくはことばを介した認識をとおして 了解し合われる。表情・振る舞いが 解釈され これを ことばの表現として認識し了解していく。  かくて わたしの生きる過程は 文体として展開される。これらの限りで 文体行為の過程が わたしである。(Le style, c'est l'homme même.)  文体の原則(命題):  1. 文体は 生活である。文体にはわたしが生きていることが先行している。  2. 文体は 生きることであるなら 過程行為であり 行為過程である。  3. 生活は 自然界や社会やの世界すべてを含む。《わたしの自乗》理論は 過程としてこの世界のすべてであろうと欲する。文体行為としては 一人の人間の一主観であるにすぎないというのも然ることながら その(=世界過程の)事後的な認識であるにとどまることが多い。  4. 過程行為である文体は 《わたし》相互のあいだの了解を求める過程として展開する。各自のわたしに修められた主観としての世界観は 共通の基礎を問い求め 互いの共同化に進む。主観の共同化は 経験合理性にもとづく科学行為によってその基準が用意される。  5. 科学によってもたらされた新しいいわゆる客観認識を持ったとき わたしは ふたたび自己に到来し これを自乗・三乗して生きていく。   6. 文体行為そして科学行為は いづれも わたしが生きることに後行している。科学によるあらゆる客観知を得ない場合にも 文体は 自己の判断によって表現行為に出発する。文体がいわば確立しておらず 自己の判断がまだ定まっていない状態にあっても そこに生きる人間は 世界の絶対的な現実である。また 絶対的な現実であるゆえ 一人ひとりのわたしに 自らの文体行為が促されるであろうし 望まれる。  7. かくして わたしは 科学を補助行為として持ちこれを利用しつつ 文体過程として生きる。    ここからわたしたちの持つ課題は  8. 文体とその補助行為たる科学との関係は如何に。  9. 文体の確立を目指すとするなら 科学のほかに(=その活用以上に) どのような補助行為があると考えるべきか。もしくは 補助行為以上の事柄があるのかも知れない。  10. わたしの自己還帰がもし間違っていた場合 これをどのように質し正すか。《わたし》相互の間では・さらには広く社会一般においては これをどのように行なうか。    § ささやかなM.ウェーバー批判  文体と科学との関係にかかわって ウェーバーの方法にかんする吟味から入っていきたい。ウェーバーとしては 次のように表現することがらが 文体をめぐる問題である。  ▼ ~~~~   われわれの科学があらゆる科学と同様に研究に使用する概念の論理的な機能および構造は いかなるものであるか または 決定的な問題にかんしてもっと特別な言い方をすれば 文化実在の認識に対する理論ならびに理論的な概念構成の意義は 何であるか。  (M.ウェーバー:《社会科学的ならびに社会政策的認識の〈客観性〉》1904  富永祐治・立野保男訳《社会科学方法論》)  ~~~~~~  わたしたちの関心は 《文化実在・その認識・そこに使用する概念・概念構成としての理論》 これらを用い文化実在をめぐって自己表現する文体と その補助行為だと考えられる科学との 関係ということになる。  ウェーバーはと言えば 《文化認識の〈客観性〉の考察にあたって 方法上 興味ある問題》として 上の引用節の内容をもって 説明している。かれにとっては この論文に関する限り 《客観性》という観点が 一つの中心主題である。わたしたちのは 《文体》である。客観性のあとのことであり 客観認識をもちいての自己表現のほうに 重心がある。ウェーバーは この問題を《方法論》としておこなうと言っている。方法論は 《文体論》と同じだと考える視点があるはずだが ウェーバーの場合の方法論は わたしたちの見る補助行為としての科学のためのそれに重心をおいているように思われる。  ウェーバーは わたしたちの文体行為の過程性という一原則を 科学研究の過程性というかたちで言っている。たしかに――広げて捉えるなら――科学的な客観性が 文体ないし文化現実つまり要するに現実の歴史に 先行するものではないと言おうとして 次のように論じる。長いひとまとまりの議論を参照して これを検討していく。  ▼ ~~~~~  例えばキリスト教の《本質》に関するすべての叙述(文体――引用者。以下同じ)は 経験的に存在せるものの歴史的叙述として見られることを欲するときは いつでもまた必然にはなはだ相対的なかつ問題的な妥当性しかもたない理想型にすぎぬが  これに反して それがもっぱらそれにもとづいて実在を比較し測定する概念的な手段として用いられるならば(――このことが 客観の 本質的な後行性を言っているとして 読むことができる――)  研究にとっては高い索出的(heuristisch)価値を有し 叙述にとっては高い体系的価値を有する理想型たるのである。かかる機能においては理想型(Idealtypus――要するに概念・ことば――)は正しく不可欠である。  ところがかような理想型的叙述には 通常その意義を一層錯綜せしめる今一つの他の要素が付着している。通常この理想型的叙述は 論理的意味においてのみならず 実践的意味においても 理想型的であろうとし 或いは無意識的にそうなっている。すなわち――我々の例では――キリスト教が叙述者の見解に従えばそうあらねばならぬもの 永久に価値あるものであるが故に 彼にとってキリスト教における《本質的なもの》(――そういう意味での客観的なもの――)であるところのものを含む模範型(vorbildliche Typen)たるのである。こういう場合には ――それが意識されていることもあるが また意識されていないことは更に多い――この叙述が含んでいるのは 叙述者がキリスト教を評価しつつそれに関係せしめる理想 すなわち彼がそれにもとづいて自己のキリスト教の《理念》を整頓するところの課題と目標とであって この理想は 同時代の人々〔かりに原始キリスト教徒〕がキリスト教をかかわらしめた価値とは無論非常に違っているかも知れない いな疑いなくいつでも違っているに相違ない。だがそうなると かかる意義においてこの《理念》は勿論もはや純理論的補助手段でもなければ それによって実在を比較しつつ測定する概念でもなく かえってそれは それからして実在を評価的に価値判断するところの理想なのである。ここで問題たるのは もはや経験的なものを価値にかかわらしめるという純理論的な過程ではなく キリスト教の《概念》の中に取り入れられた価値判断なのである。  (前掲《社会科学方法論》)  ~~~~~~~  すなわち わたしたちにとってここで問題たるのは 《経験的なものを価値にかかわらしめるという純理論的な過程》である科学行為は 文体にとって 補助手段であり 現在過程である文化現実に対して 後行するということである。後行するというのは 時間的にもそうならざるをえないであろうし 考え方のうえでこそ 従属的であろうという意味である。  今の例でいわゆるキリスト者としての文体行為が 一方で 人々が共通に主観として保持しうる文化現実の基礎認識に欠けていたり それから逸脱していたりすれば それは そういう問題である。共同主観としての基礎が弱いということである。その指摘と訂正を求めることとを わたしたちは 発言していく。他方で やはり今の例を用いるなら 一キリスト者が 自らの自己到来を公的に表現したという現実が すでにあるとするならば それはそれで まず 文体行為が成り立ったと捉えなければならないということ この出発点のことを 問題にしたいと思う。  焦点は やはり《価値判断》にある。文体行為に価値判断はつきものであり その内容が客観性に乏しいことと 文体として成立しないとして斥けることとは 別だと考えられる。もしウェーバーも 全く同じことを含んで言ったとするなら その方法論は 科学行為の客観性を取り扱うことを 文体にとっての補助行為であると明らかに言ったことになる。    (つづきます)。

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    信仰の対象は問いません。主題は何でもよいのですが、信仰のある人が仮に食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難を克服する方法について考えるとします。 このとき、 1 「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 2 「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 3 「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。 1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。 信仰をもつ方の見解を知りたいのですが、信仰をもたない人の場合も論理に基づいて推論することによって1、2、3の各場合の異同について答えられるのだと思います。よって、回答者に資格制限はありません。 よろしくお願いします。

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。

  • 再考: 《神は死んだ》か?

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第十章 《神は死んだ》のか  ▲ (ヰキぺ:神は死んだ) ~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0  (あ) 神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。  (い) ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~    問い‐1. 《ニヒリズム》とは どういう思想ですか?   (う) こう問うわけは 虚無志向というのは あくまで往復の道があって 当初はその虚無の国行きだけの片道だと思っていたとしても けっきょくには 復路もあるとなるはずではないか。だから いったいそれとして言わば独立した思想があり得ますか? という問いです。   問い‐2. 《神》は 果たして《死ぬ》ものか? つまりいつか・どこかで《生まれた》ものか? きわめておかしな表現であると考えられるのだが どうか?  (え) 《価値観が消滅する》という意味で《死ぬ》と使っても むろんおかしくはありませんが。    問い‐3. この場合に《現実の生・世界が無価値・無意味になり》というのも おかしな表現(思惟)ではないか?  (お) なぜなら もしそれがほんとうだとしたら 《キリスト教的な神や価値観が〔無いところでは あるいは〕、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰》が無かった土地とそこに暮らす人びとにとっては もともと昔から《現実の生・世界が無価値・無意味》であったとまわり回って言っていることになる。のではないか? そんなバカな話があるのでしょうか?  問い‐4. ▲ (い) ・・・ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ☆ だからと言って 《超人・大地・大自然》を あらたな神のごとくに持ち出せばよいというものではない。はずだ。どうか?

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてその熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。