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F.ニーチェの良いところをおしえてください。

noname#221368の回答

noname#221368
noname#221368
回答No.9

 エーベリアン事件と対角線論争で、自分はなかなかあなたの言わんとする処がわからない、と気づき、とりあえず勝手な事をほざいてみて、あなたの応答を待つ事にしたというのが本音です。  まず自分の出自を、はっきりさせておきます。以下いずれも日本語に限ります。 (1)ニーチェ,ヘーゲル  一般啓蒙書か解説書のレベルです。特に、「絶対の無意味の中で・・・中略・・・神と無関係な超人となった」は、自分の印象であり、自分なりの浅はかなニーチェの読み方です。 (2)ウェーバー  原典を可能な限り読みました。また1970年代に一世を風靡した、ウェーバーフリークと呼ばれる人たちの著作。 (3)カントール  集合論の専門書は読んでいます。しかし納得できないので、数理哲学や数学史,物理学史の本に手を出していき・・・。 (4)結局  もともとは構造主義数学とは何?、が始まりです(響きが良かったので)。ところが構造主義と言えば、レヴィ・ストロースやチェムスキーばっかりで、数学の話はほとんどない。もっと遡るべきかと思って深入りすると、今度はマルクスやウェーバーまで出てくる。構造主義にはシニフェとシニフィアンの対立項が出てきますが、(どっちだったか忘れましたが)どうもシニフェが生の哲学に関係してるらしい・・・。それでサルトル,シモーヌ・ヴェイユ,キェルケゴールなんかをつまみ食いし始めた。で、これらの主義,人達(構造主義からキェルケゴールまで)は、直接/間接に、ヘーゲルの弁証法の否定という視点で、整理できそうに思った。 1.視点の違い  という訳で今回も、論点(視点)は噛み合ってないと思いました。 >けれどもヘーゲルはそれほどその《観念論》において 《観念の神――つまり そんなものは想像の産物であるからには はじめから死んでいる――》をもてあそんでいるとも思えないのです。  この一文を誤解してないとすればですが、まさにそこが問題だった。内容が胡散臭い訳ではないです。自分は、次のようにしか表現できませんが、底に置かれた暗黙の基本前提(公理)が問題だった。  ヘーゲルは精神(や思想)が歴史を先導すると言った。暴力的な単純化ですが、マルクスの言葉で言えば、上部構造が下部を規定すると言った。しかしそうではないと、あの時に少なからず誰もが考え出した。  ヘーゲルの考えに従っても、ドイツは相変わらずヨーロッパの後進国のままで、真の資本主義は芽生えなかったからです。マルクスはヘーゲルの影響下にあったが、時代を先取りし、上部が下部を規定していないと思った。実情は逆だと。それで下部が上部を規定する、史的唯物論を提唱し、結果として、資本の自己運動を許すヘーゲル流の政治体制の転覆を狙った(自分の独断です)。下部や上部が全面的に他方を規定するという考えは、今にして思えば、どちらも行き過ぎだとなるでしょうが。  ウェーバーの時代になっても、ドイツは後進国のままで、上からの近代化はなっても、資本主義の自発的発展はなかった。それどころか、シュモラーやモムゼンによれば、上からの近代化はヘーゲル流の弁証法の歴史科学的必然だとなる。もしそんな事を認めたら、信念(政治理念と価値含む)や信仰は、論理と科学で根拠付けられたものになり、この態度はたやすく現状追認に直結する。 >・・・ ☆ という論理で 《信仰》が成り立つわけのものではない。という物言いを言いたいという意味です。  それはそうです。論理と科学で根拠付けられないから、《信仰》が成り立つとは言っていません。逆に信念や信仰は、科学によっては成り立たない、と言っています。それらには、科学以外の別の根拠がある。ただし、ヘーゲルの宥和には騙されるなよ、と(過激に言えば)。 > ★ 信仰とは、訳もなく信じるもので、信じたいから信じるのだと。  ☆ というかたちで 成り立つものとは思えません。それは 《信じる》のは 《訳もなく》だというとき ・・・中略・・・。神なら神 もしくは ブラフマンならブラフマン キリストならキリストというようにその名を受け容れるのが ふつうだからです。 >そして次には《信じる》のは 《信じたいから》だというとき 上で言った《その名を受け容れる》の意味として《単純に好きだから》でもいいわけで 《信じたいから》がそういう意味だとすれば――わたしの見解では――分かりますが ですけれども 《受け容れる》のであって・・・  それでウェーバーは、なぜ 《受け容れる》(認める)のかを知りたいと思った。《受け容れる》という実践的行為は価値の問題で、それは科学の範疇ではない。その意味で訳もなく、です。余談ですが、ウェーバーがこういう度に、アウグスティヌス(だったでしょうか?)の「不合理な故に神を信じる」を思い出します。自分には言い当て妙と思えるんです。趣旨は違うのかな?(^^;)。  しかしそのような価値を認めたと仮定して、どのような行動をとるかは研究できる。そのような価値を認めるために必要な信念なり信仰は何か?、という無限後退をある程度科学的に追跡はできるし、理解する事はできるはずだ。科学に出来るのは理解する事だけ。それは認める事とは違う。この点でウェーバーはモムゼンと対立し、モムゼンの秘蔵っ子から、ドイツ歴史学派の鬼っ子になります。実際の発言は、「科学集団である歴史学派が、現在の官僚体制を礼賛するな!」という、非常に政治色の強いものですが。 > けっきょく どうなんでしょうか? 《神についての観念論》 これに対して人びとは抵抗した。ここまでの実態であるように思われます。  では 成果は 何か? どうなんでしょうねぇ。  ありていに言えば、成果はなかった。成果を得る事が非常に難しい事が、逆にわかってしまった。ウェーバーは、ただこう言うだけです。   「価値(信仰)は論理や科学では通約不可能だ。解決策はない」   「それを受け入れろ、引き受けろ。そして責任倫理によって闘え」  (まるで、今の世界情勢みたいじゃないですか・・・)  ここで責任倫理は、抽象的論理も扱えたウェーバーにしては、非常に常識的であいまいなものになりますが、理解しかできないと思った時点で、決まっていたのかも知れません。また責任倫理を持ちだしたという事は、彼も人間一般に普遍的であるような価値の存在を、心の底では信じていたという事だと思います(あえて言えば、訳もなく)。 2.ニーチェ  当時の人達にとって、この世界が精神主導でないと考えるのは、非常に難しかったと思えます。弁証法を唯物論的に転倒させたマルクスさえ、ヘーゲルへの反動という意味では、ヘーゲルの影響下にあった(個人的意見です)。  世界を動かす精神の中には、神様がいます。それを諦めるという事は、「神を克服する」と(ニーチェが)自分に言い聞かせる必要を生んだ。そんな風に思えるんです。  次も個人的意見です。  人間の意識は、自分で自分をモニターするので、数理的には非常に強力なフィードバック機構です。負のフィードバックが生じれば、すぐにも「死に至る病」に陥るような・・・。で、この世には、この悪しき循環(フィードバック)を断つ、だいたい2つの方法があった。  一つは、何らかの方法で生の意味を絶対的に認める方向:西欧的「現世支配的類型」。もう一つは、生の意味を積極的に却下する方向:東洋的「現世逃避的類型」。現世支配的類型として、ニーチェのような行き方は、自分には納得できます。 3.カントール  カントールを、ニーチェとウェーバーに並べるのは、やっぱり無理がありました(面白いとおもったんですが(^^;))。中世の数学は、そんなに暗黒時代じゃありませんでした。スコラ哲学者達は、ガリレイやニュートンに100年ほど先んじて、微積分と同等なものを発見しています。ただし証明方法は、可能無限しか認めない取り尽くし法になります。微積の発見者と言われるニュートンは明らかに、無限小,無限大の考えを用いていますが、新技術の欠点を突かれるのを恐れ、公の刊行物には、取り尽くし法による証明しか与えていません。  数学的神秘主義の歴史は長く(今も形を変えて存在し)、宇宙は数学的被造物として神が与えたとなります。そこでは宇宙の天球は、有限距離にある有限個の(地球を中心とした)有限球殻である必要がありました。中世の数学は、神様が与えた数学です。  カントールが「数学は自由だ!」と言ったとき、それは人間の数学で、人間の自由だったわけです。  という訳で、長かった上に、落ちはやっぱり強引でした・・・。すいません・・・(^^;)。 

bragelonne
質問者

お礼

 (つづきです)。  現実世界に向き合って 問題に対処する行き方としてふたつがあると。  ★ ~~~  一つは、何らかの方法で生の意味を絶対的に認める方向:西欧的「現世支配的類型」。  もう一つは、生の意味を積極的に却下する方向:東洋的「現世逃避的類型」。  現世支配的類型として、ニーチェのような行き方は、自分には納得できます。  ~~~~~  ☆ たぶん中国はいやがおうでも現実主義でしょうね。  インドは ニルワーナ=消滅=灰身滅智=死という看板をかかげつつ どこかひそかに・あるいは時にはおおっぴらに 実際問題として現実のなかに生きているでしょうね。密教・タントリズムという現実肯定のあからさまなオシエにまで行き着きましたから。   日本は どうでしょう? 武士道として・またその一部として 罷宴(避宴)の思想――あるいは死の思想――が生まれたかも知れません。  西欧でも アッシジのフランチェスコは どう思ったからか 聖書のイエスの語ったことをそのまま行動に表わそうとしました。じっさいに厭離穢土のような思想と行動を持ったのではないでしょうか。その軌跡が歴史から消えなかったとすれば 自己の無化なるニルワーナの傾向も人びとのあいだにあるのではないでしょうか?  すみません。  ★ 現世支配的類型として、ニーチェのような行き方  ☆ これは 例示がないように思うのですが どうでしょう? むしろ反対であるように思うのですが?   つまりたとえばわざわざ《ルサンチマン》をけなすためのように概念として取り上げた。くよくよしなさんなと言うだけなら分かりますが ウラミを一度としていだいたことのない人間がいますか? それでも誰もが これを自分で克服しようとして生きています。その生活態度をもけなして もうこの世界から去って行けとでもいうような論調を持っているのではないでしょうか?  《超人》を体得していないおまえらは 猿だと何で言わなければならないのか? 自分が恥ぢ入って 消えてしまえばそれで 世の中は 勤勉な生活を送る市民中間層が栄えて 申し分ないのにと思いますが どうでしょう? つまり そんなことを言う前に ふつうの人びとと話し合いを持って ふつうの生活態度を身につけるなら もっと違った道をたどっていたことでしょうと思われます。  § 3.カントール  ★ 中世の数学は、そんなに暗黒時代じゃありませんでした。  ☆ ただし  ★ ~~~~~   数学的神秘主義の歴史は長く(今も形を変えて存在し)、宇宙は数学的被造物として神が与えたとなります。そこでは宇宙の天球は、有限距離にある有限個の(地球を中心とした)有限球殻である必要がありました。中世の数学は、神様が与えた数学です。  カントールが「数学は自由だ!」と言ったとき、それは人間の数学で、人間の自由だったわけです。  ~~~~~~~  ☆ といったところでしょうか。  ○ 創造主としての神  ☆ これは あくまで《無限・絶対》を擬人化した表現の問題だと見ます。  そこには 確かに人間とこの経験世界を超えた場に対するきよらかなおそれを感じさせるものがありますが。そのおそれは 有限と無限とのあいだの矛盾にかかわっているとは思います。つまりは 非思考の庭としての信仰の問題だと見ます。

bragelonne
質問者

補足

 そうですね。《出自》ですか。  ――まづは ご回答をありがとうございます。  わたしは 経営学専攻ののち アウグスティヌスによって道が開け 聖書を基にして 自己流の解釈を展開している。でしょうか。系統立って読んではいないですし 原語での素養も少ない。研究史の研究を怠っているという点では 学問のガの字にも届かないと自白せねばなりません。    (1) ニーチェ,ヘーゲル  これは両人とも その著書のかなりを読みました。ヘーゲルは カントからの流れで哲学の基礎をきづく内容だと考えます。  ニーチェは ご覧のとおり《よきもの》を見い出し得ません。  (2) ウェーバー  これもかなりの量を翻訳でそして日本の研究者たちの著書をもかなり読みました。大塚久雄にわたしのようないぢわる心があったら ヱーバーをぼろくそに批判してもっともっと活性化させ得たと考えます。  (3) カントール  分かりませんという告白もむなしくひびくほどです。  (4) 結局  ★ 構造主義  ☆ ひとえに――《神は死んだ》としても その概念内容としての――《実体》の問題 またその実体とつらなるような《主体》の理論 これの《観念論的な固着性》を批判するあまり 振り子が他方の極に振れ切って 《無主体による歴史過程》の理論にまで行き着いた。そのことが ひとえに マチガイだったと見ています。  構造としての関係主義が 網の目の連結線のところをのみ捉えて結節点――つまりそれとしての《主体》たる人間――を見なくなった。これを批判します。  その基礎としてのようなソシュールの《言語記号の恣意性》説については すでに批判的視点から 幾度か問うています。  【Q:《言語記号の恣意性》は 神話である。】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5664705.html  ソシュールないしむしろ丸山圭三郎の説は 《シニフィアンとシニフィエとの間に――聴覚像として(つまり音韻として)―― 自然で論理的なきづなはない》と言っていると思います。《自然で論理的なきづながある》という例証をしています。  ここでヘーゲルを擁護する観点を提出しておきます。  ▲ (アウグスティヌス:無限と有限) ~~~~~~~~  たしかに時間的なものと永遠的なものの違いは次の点にある。  時間的なものはそれを手にする前にはとても大切に思われる。  しかしいったんそれが手に入ると 値打ちがなくなる。  永遠だけが真実の確かな住み処である人にとって 時間的なものはたましいを満たしてくれないからである。  ところが永遠的なものはそれを獲得しようと願っていたときよりも ひとたび獲得すると 以前よりもいっそう熱烈に愛するものとなる。  (アウグスティヌス:クリスチア二スムのおしえ 1・38 加藤武訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  § 1.視点の違い  ★ ~~~~  ヘーゲルは精神(や思想)が歴史を先導すると言った。暴力的な単純化ですが、マルクスの言葉で言えば、上部構造が下部を規定すると言った。しかしそうではないと、あの時に少なからず誰もが考え出した。  ~~~~~  ☆ 次のようにわたしなら書き直します。  ○ (ヘーゲル哲学のもんだい) ~~~~~  1. いわゆる唯物論と言わば振り子の両極に位置しあって姉妹のような関係にある唯心論 これにもとづき確かに《第一形相》ないし《世界精神》を その根源に据えました。  1-1. (これは――なぜ姉妹関係かというと―― 《第一質料》なる《物質》は すでに目に見える物ではなく 或る意味でイデアなのであり けっきょく物質〔なる神〕があたかも自己運動を起こして世界が生成し自己展開するというのと同じように ヘーゲルの場合は《世界精神》が自己運動をおこなう。と見ている。この構図においてです。《歴史の狡知》は 人間がその有限の能力において この世界精神にまでは思いも認識も馳せ得ないからだと考えられます)。  2. すなわち 世界精神は この経験世界においてモノにも人間の身と心にも そのチカラをおよぼす。と言っている。その世界精神のハタラキによってか・それを知らずに勝手にか 人間はその能力に応じて世界を生き動き存在する。  3. つまり《世界を先導する》のは 想定上《世界精神》であるが それはどのように経験事象に現われているのか それは 分からない。人間が世界精神でないからには 《分からない》というのは どういうふうにも《おれは分かった》と言って自説を展開することが 展開することまでは可能であり それは自由だとなる。  4. ということは 思想や宗教やあるいは政治なる上部構造が土台を動かすこともあると見れば ぎゃくに土台が上部構造を規定することもあると見ている。のだと考えます。弁証法は それほどちゃちでやわな世界観ではないはずです。  5. マルクスは ヘーゲルが 前項のあとの半分つまり《土台から上部構造へのハタラキ掛け》は説いていないと言ったことになっていると思います。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ その結果としては 次のご見解と内容をひとしくします。   ★ 下部や上部が全面的に他方を規定するという考えは、今にして思えば、どちらも行き過ぎだとなるでしょうが。  資本主義の――つまり資本の原始的蓄積から始めての――起こりや発展にかんしましては まだ保留としまして。(基本的には――上からの政治の要請によるものであろうと人びとの自生的で内発的な内からの起こりであろうと―― 勤勉の精神とガリ勉の超越精神とのからみ合いによると見ますが)。  ★ 余談ですが、ウェーバーがこういう度に、アウグスティヌス(だったでしょうか?)の「不合理な故に神を信じる」を思い出します。自分には言い当て妙と思えるんです。趣旨は違うのかな?(^^;)。  ☆ ひとつに《信じる》というのは 《無限と有限との矛盾を引き受けるもの》である。ゆえに《不合理ゆえに》だと捉えます。要するに この有限な経験世界にあってわれは閉じられていないと宣言することだと見ます。  もうひとつに 究極的には煮詰めたかたちでは このいまの矛盾を惜しみなく引き受けた存在として・経験世界の因果関係からまったく自由な場を示し得て《特異点》とも言うべき《十字架上のイエス・キリスト》を原点とする。それを受け容れる。こんな《ばかばかしいことゆえに 信じる》という意味だと思います。  ▲(パウロ:コリント前書2:2) ~~~~  なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。  ~~~~~~~~~~~~~  ☆ たぶんヱーバーも ここまでは見ていない・言っていないでしょう。  ★ ~~~~~  「それを受け入れろ、引き受けろ。そして責任倫理によって闘え」  (まるで、今の世界情勢みたいじゃないですか・・・)  ~~~~~~~  ☆ ヱーバーのこの側面については 同感します。ただし かれはわざわざ《心情倫理》などというわけの分からないことをも言ったと思います。《心情》などは 心のうわべの心理のウゴキだけですから 意志行為としての答責性にはなじまないと考えます。つまり 《ふたつの倫理》と言ったとしたら それはマチガイである。倫理にはひとつの意志行為しかないと言わねばならなかった。こう考えます。  資本主義うんぬんにつきましては どうもすでにおこなったわたしたちのやり取りを繰り返すことになりそうで まづは その箇所を掲げておくかたちを採ります。  【Q:キリストは勝手に人間となり 磔に遭って死んだのだ。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6778821.html  (全編――三つの問答――が そのやり取りです)。  § 2.ニーチェ  ★ 世界を動かす精神の中には、神様がいます。それを諦めるという事は、「神を克服する」と(ニーチェが)自分に言い聞かせる必要を生んだ。そんな風に思えるんです。  ☆ 次のように見てもよいのでしょうね。  ○ (ニーチェは 何をたくらんだか) ~~~~  1. まづ デカルトのあと むしろ《わが精神 わが理性こそが 神である》という思潮が少なからず世の中を支配した。のではないか?  2. だとしたら もし《神を克服する》とたくらんだのなら それは 自分たちのあたまの中からその《観念として残っている神なるもの》を捨て去ろうとした。のではないかと。  3. つまりは 予期に反してかどうか 理性なる精神は そのまま――あたかも神であるかのごとく――残ったし 人びとの思潮の中に君臨する存在であった。  4. そのあとさらに自然科学をあらたな神とするかどうかは 人それぞれであったかも知れません。が おおむね思潮は そのように流れたのでしょうね。  ~~~~~~~~~~~~~  (つづきます)。

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    ニーチェの力への意志によると 人は自然を学問で克服しようとし、他人を道徳で克服しようとするとしているそうですが、では神と他人はどう克服していくのでしょうか? 教えてくださいm--m

  • ニーチェの《生きる》からソクラテスのそれへ!?

     ニーチェ論において次のような課題つきの回答をもらったところ その次にかかげるような応答をしました。  この問答そのものを主題として問いたいと思います。    無条件にご自由にご見解を述べておしえてください。  ◆ 《或る回答》 ~~~~~~~~~~~~~  ニーチェの思想に対抗するなら  ソクラテスの思想になると思います。  「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  この「善く生きる」でしょう。  ソクラテスの自殺。  もしくは無理やり仏教の話題を出すなら  ブッダである、サーリプッタの自殺。  長生きしたゴータマ・シッダッタよりは  サーリプッタのほうが、生への執着を断っていると思います。  このヨーロッパとインドの自殺。  善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  さすがアイロニーの使い手のソクラテス。  結論が自殺なんですから。  ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ 《応答》 ~~~~~~~~~~  おおきな主題を投げ入れてもらいました。  てめえで考えよというところも 結果的にあるようですが それはわたしはいぢわるですからハッキリと言っておきますが  ◆ 善く生きるなんて言ってソクラテスは自殺した。  ◆ ソクラテスの思想は難しいですね。  ☆ というふうに触れておられるからには ご自身もこの主題を立てつつさらに問い求めるという姿勢でいられるものと思います。  そうですね。ボールはこちらのコートに入ったからには これはねじり鉢巻きで打ち返さねばなりませんね。  1.ニーチェにおいて《生きる》とは? ソクラテスの《善く生きる》とは?  ● (渡邊二郎:補論 ニーチェ――生きる勇気を与える思想)~~~~  もうひとつ 『悦ばしき知識』におけるニーチェのもっと恐ろしい言葉を掲げよう。     *註 《もっと恐ろしい》:この議論は次の《恐ろしい言葉》の指摘のあとを承けている。          《小さな復讐は たいていの場合 まったく復讐しない      ことよりも なにかいっそう人間的なものである》     ( Eine kleine Rache ist zumeist etwas Mensch-     licheres als gar keine Rache. )      (『ツァラトゥストラ』I 《まむしのかみ傷》)    《生きる( Leben )》とは 何かと言えば それは      《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》   ( fortwaehrend Etwas von sich abstossen, die sterben will )  である。したがって   《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》   ( grausam und unerbitterlich gegen Alles sein, was schwach    und alt an uns, und nicht nur an uns, wird )  である。それゆえ《生きる》とは   《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を   持たないこと》   ( ohne Pietaet gegen Sterbende, Elende und Greise sein )  ではないのか それなのに 老いたモーセは 《汝 殺すなかれ!》と言ったが それは矛盾ではないのか と ここでニーチェは仮借なく鋭鋒を振りかざして しかも問題の矛盾点を指摘したまま ぷっつりと断想を打ち切ってしまうのである(『悦ばしき知識』26)。  (渡邊二郎編解説:『ニーチェ・セレクション』 2005 pp.302 )  ~~~~~~~~~~~~~~~  論者の言おうとするところは ニーチェが恐ろしく過激な言い回しを用いているが 真意はそこにはない。です。  そう見ておいて たしかにニーチェも《生きる》ことについて考えを述べています。  回答者さんの主眼点は しかももしたとえその定義をふくむ議論を受け容れたとしても なおその上に問題は《善く生きる》という主題がわれわれ人間には持たれているのだ。にありましょうか?  ◆ 「それはつまり、大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、  善く生きるということなのだというのだ。」  2. 《善く生きる》には 《自死》を避けることがむつかしいか?  しかも・しかも 《善く生きる》とき人は この人間の社会にあっては《自死》というかたちを取ることさえあるのではないか?  《アース役》を超えるか? の主題でもあるようです。  2-1. 幼い時からの親友でゴータマ・ブッダの同輩弟子であるマウドゥガリヤーヤナ(モッガラーナ)が死に臨むとき シャーリプトラ(サーリプッタ)は 《死のうとする何ものかをたえず自分から突き放すこと》をせずに 自死をえらんだのか?  それとも そのときには《死んでゆく者たち 哀れな者たち 年老いた者たちに対して 敬虔な念を持たないこと》を実行し その考えをみづからにもおよぼしたのか?  あるいは もうそのときには じゅうぶんこの世を見たのだ じゅうぶん過ぎるほどわれは生きたと捉えたということなのか?  2-2. マウドゥガリヤーヤナにしても かつて間違った考えを持った人たちにそのマチガイを指摘したことの恨みを買って とうとう攻撃を受けたとき それは 受けねばならないとさとって暴力に甘んじたというのは シャーリプトラと同じような心境だったのか?  2-3. それにしてもゴータマ氏は 自分の寿命のことについて話をしたとき弟子のアーナンダがそうではなくもっと説法をつづけてくださいと言うべきところを言わなかったそのことを うらみつつ 死地に就いた。寿命を延ばすことも出来たが アーナンダの振る舞い(無反応)があったから もう生き続けない・つまり自死をえらんだ。というのかどうか。の問題。  2-4. おそらくアブラハムが長子イサクをいけにえにささげるという考えを持ったとき 大錯乱に落ち入り迷いに迷った挙句に得た結論。《人は他人(ひと)をもおのれをもころさない》。理屈抜きと言うべきか。公理と言うべきか。これが 人間の自由だと言うべきか。  ちなみにモーセはこのアブラハムの心なる《非思考の庭(信仰)》に火花を散らしたヒラメキの中身を《なんぢ ころすなかれ》と言いかえたのである。倫理規範としたのだ。このオシエなる形態とシンジルかたちとは別である。  2-5. ソクラテスの場合は けっきょく自分の弟子にあたる人間ふたりがアテネの町に害を及ぼしてしまった。人びとはその教師ぶりをうたがってとがめた。ソクラテスは――先ほどのマウドゥガリヤーヤナの場合ではないでしょうが―― このような自分の仲間としての弟子たちにしろ一般の市民たちにしろその咎めを受け容れ死刑のさばきにも甘んじた。のではないか?  おそらく《善く生きる》にしろ《生きる》にしろ アテネの町の人びとにおいてさらにさらに熟慮を持ち得た〔のにそれを打ち切った〕のではないだろうか?  3.  ● 《われわれの持つ 否われわれだけが持つばかりではない あらゆる弱化   するもの 老化するものに対して 残酷で仮借ない態度を取ること》  ☆ これは 《あらゆる弱化するもの 老化するもの》というのは 《歳を取ることにおいていわゆる自然に反する考えや振る舞いをおこなうことによってシガラミを増し加えるかのごとく現われて来る老弱化のそのこと》であると採ればよいかも知れない。  つまり《者》つまりその老化する人間に対して《残酷で仮借ない態度を取る》のではなく そうではなく 要するに考えと行動について自然(ないし人間の自由)に反するようなマチガイに対して容赦なくこれを捨てるということ。そのマ(間)の違いをおのれの内面において捉えこれを自然本性への違反として(ないし人間の自由への違反として)みづから批判しこれを内的に棄てるということ。であればよいかも知れない。  《生きる》ないし《善く生きる》のささやかな議論でしたが 《2》は課題として述べて立ち止まり思惟をなお残しております。そのおあとがよろしいようで。  ~~~~~~~~~~~~~~~

  • デカルトの良さをおしえてください。

     『方法序説』に限って 批判しますが――《wikipedia:方法序説=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E6%B3%95%E5%BA%8F%E8%AA%AC》――  (1) 《わたしは考える。ゆえにわたしは存在する》は けっきょく 理性信仰であるのではないか?   パスカルは その文句が アウグスティヌスの《われは あやまつならば 存在する》に源を持つけれども 独創性があると言っていたと思いますが そのかれが そのような理性による合理的・論理的な思考としての《幾何学の精神》とともに 人びとの情感の現実性をとうとぶ《繊細の精神》をも 同時にかかげた。というのに デカルトは 結局 幾何学の精神のみを 説いた恰好となったのではないか。  (2) 上の文句とともに 神の存在証明のような議論を その完全性という主題のもとに おこなっているが そのことによっても 同じく 理性信仰を強めたのではないか。  方法序説における神の存在証明は すべて 観念の観念による構築であると思われる。ゆえに (1)の文句が 余計に 変なかたちで 強められたのではないか。  このように 鬼っ子であると考えますが もしそうではなく 良さがあるとすれば おしえてください。

  • 「神(仏)の御心」、「人類の叡智」、「私の理性」の相違は?

    信仰の対象は問いません。主題は何でもよいのですが、信仰のある人が仮に食料危機、人口爆発、地球温暖化等々の人類に共通の困難を克服する方法について考えるとします。 このとき、 1 「神(仏)の御心」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 2 「人類の叡智」に忠実であろうとし、これを探りつつ考える。 3 「私の理性」に忠実であろうとし、これに従って考える。 1、2、3によって結論に変化が生じますか。どんな違いが生じますか。 信仰をもつ方の見解を知りたいのですが、信仰をもたない人の場合も論理に基づいて推論することによって1、2、3の各場合の異同について答えられるのだと思います。よって、回答者に資格制限はありません。 よろしくお願いします。

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの〔ニーチェの〕文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてそんなに熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。

  • 再考: 《神は死んだ》か?

     ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論    第十章 《神は死んだ》のか  ▲ (ヰキぺ:神は死んだ) ~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AF%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0  (あ) 神は死んだ(かみはしんだ、独:Gott ist tot, 英:God is dead)は、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として、ニヒリズムを表す言葉として広く引用される言葉である。  (い) ニーチェは、キリスト教的な神や価値観が、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰が消滅して、現実の生・世界が無価値・無意味になり、ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~    問い‐1. 《ニヒリズム》とは どういう思想ですか?   (う) こう問うわけは 虚無志向というのは あくまで往復の道があって 当初はその虚無の国行きだけの片道だと思っていたとしても けっきょくには 復路もあるとなるはずではないか。だから いったいそれとして言わば独立した思想があり得ますか? という問いです。   問い‐2. 《神》は 果たして《死ぬ》ものか? つまりいつか・どこかで《生まれた》ものか? きわめておかしな表現であると考えられるのだが どうか?  (え) 《価値観が消滅する》という意味で《死ぬ》と使っても むろんおかしくはありませんが。    問い‐3. この場合に《現実の生・世界が無価値・無意味になり》というのも おかしな表現(思惟)ではないか?  (お) なぜなら もしそれがほんとうだとしたら 《キリスト教的な神や価値観が〔無いところでは あるいは〕、プラトン的な形而上学的真実在、超越的な彼岸世界への信仰》が無かった土地とそこに暮らす人びとにとっては もともと昔から《現実の生・世界が無価値・無意味》であったとまわり回って言っていることになる。のではないか? そんなバカな話があるのでしょうか?  問い‐4. ▲ (い) ・・・ヨーロッパが歴史的に危機状況にあることを、神は死んだ(も同然だ)ということばで表した。  ☆ だからと言って 《超人・大地・大自然》を あらたな神のごとくに持ち出せばよいというものではない。はずだ。どうか?

  • どんな《神は死んだ》のか?

     どんな《神は死んだ》のか?  主題は ふたつです。  神とは何か?――あるいはつまり 神とは何でないか?  ニーチェのたましいをやすらかな眠りにみちびくことばをかけるとしたら それは何か?  まづ 三島憲一のニーチェ論の一端を引きます。あとで 具体的に問います。  ▲(三島憲一:ニーチェが戦ったもの) ~~~~~  ニーチェが『喜ばしき知識』の中で《神の死》を宣告した話はよく知られている。    寒くなってきてはいないか?    これからはますます夜に 夜が深くなっていくのではないか?    昼前から行燈を灯す必要はないのか?    神を埋葬する墓掘人たちの音がまだなにも聞こえないというのか?    神が腐る臭いがまだしてこないのか?    ――神々といえども腐るのだ。    神は死んだ!    死んでしまい 蘇ることはない!    しかも 我々が殺したのだ!    殺しの中の殺しをしたの我々は いかにして自分たちを慰めたらいいのだろうか?    これまで世界が持っていた最も聖なるもの 最も強いもの その神が我々のナイフによって血を流して死んだのだ。     (『喜ばしき知識』125番)  大方の思想史では このいささかパセティックで安っぽいレトリックに溢れた文章によって ニーチェはプラトニズムとキリスト教がその根拠となっていたヨーロッパの道徳の自己崩壊を確認したということになっている。形而上学の完成と解体が告げられている とされている。  しかし 考えてみれば 変な話である。すでに一八世紀の啓蒙主義以降 知識人は 家庭のつきあいを別にすれば キリスト教の神は信じていなかったはずである。プラトンのイデアとなればなおさらで 大学の哲学科の訓古注釈の営みの外で そんなものを信じている銀行家や工場主や労働者や農民や そしてなによりも将校たちが多数いたとは到底考えられない。なぜ キリスト教の神の死を ニーチェはいまさらのごとく触れ回ったのだろうか。  実際には・・・ニーチェはいわば 自己の議論の正当化のために 当時において標準化されていたヨーロッパの思想の歴史を逆転して 新たに構築しただけであって 実際に闘っていたのは一九世紀の自分の周囲の生活形式(あるいは文化)であり それへの抵抗の中で このようなキャッチフレーズを生み出したのである。  《我々が殺したのだ》ということは 神を生かしておくも 殺しておくもこちら側 つまり我々の思うまま 我々のさじ加減一つということである。すでに神は我々によって構築されていたことが含みとしてある。つまり 神を構築してきた当の我々が葬られるべき存在なのである。ニーチェが闘った相手は 神の語をむやみに重視する一九世紀の生活形式であり 文化なのであった。  ひとことで言えば この生活形式の中核は ナポレオン戦争の終結とともに だがさらには一八四八年革命以降 特に顕著になったヨーロッパの再キリスト教化 そしてそれとタイアップした市民階級の再封建化といわれる現象である。ニーチェはその知的生涯においてそれと闘う中で 彼の《破綻の美学》を生み出したのだ。  ・・・  再キリスト教化自身が ニーチェには神の死を意味していたのである。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 第五章 破壊的理性の美学――素描の試み   pp.149-151 )  ~~~~~~~~~~~~~~~~  一九世紀の《再キリスト教化》について三島は きちんと例証していると思います。  そこでそのことに深入りはせずに 全体としてこの三島の議論に 必要な注釈をつけたり あるいはちょっと違うのではないかという批判を加えたり 言うべきことがありましたら まづそれらをおしえてください。  と言っておいて あとは 神とは何か? を問います。  三島も触れていますが 《われわれが構築した神をナイフで殺した》のなら それは《観念の神》であって・あたまの中の想念の中に描かれた思いや考えであって 劣ったものであったり時代遅れになったりしたら ナイフで切り殺されても当たり前です。ただの想像の産物を相手に闘った。またそういうたぐいの文章である。  つまり そんな《ただの観念の構築と抹殺といったお遊び》のことを どうしてその熱情を燃やして闘ったりしたのか? それは どこから見ても《神》ではなかったというのに。  いったいニーチェとは何だったのか?  レクイエムを書いてやってください。