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太平洋戦争時、東京で米軍の短波放送を受信できたのか
- 太平洋戦争時、東京では米軍の短波放送を受信することができたかについて質問です。
- また、戦争終盤において昭和天皇の情報源に短波受信機があった可能性についても検証しています。
- この質問は現代史に詳しくない人でも理解できるように丁寧に回答いただけると幸いです。
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当時、皇居内に高性能な短波又は全波受信機などが完備されていたとしても、 何も不思議ではないとは思いますが、 下記URLの記述をみますと、少なくとも公的には、 陛下ご自身が短波・中波ラジオ等を直接聴取されていらしたわけでもなさそうですね。 ◆ネットジャーナル「Q」 http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/ ◇第135回『終戦と放送』の中の http://www2u.biglobe.ne.jp/~akiyama/no135.htm 「【2】―1ザカライアス放送とは■トルーマン米大統領の対日声明」によれば、 「日本側でもこの放送(※ザカライアス放送)はすべて外務省、同盟通信、 放送協会などで傍受していたが、日本でこの放送が聞ける短波受信機は、500台程度だった。 一般国民は中波のラジオ以外の所持を禁止されていたからだ。 また、中波でもサイパンからいわゆる「謀略放送」が行われたが、 日本側の妨害=防圧放送で、一般国民はほとんど聞くことが出来なかった。」とあります。 「【2】―4天皇の決断に影響も」では、 …加瀬俊一著『日本がはじめて敗れた日』には、 「無条件降伏を緩和または解明せよと議論が、漸増しつつ、我が方の傍聴所を通じて流入した。 これらの報道は、適切な分析ののち、毎日遅滞なく政府要路に配布された。 このうちには、もちろん、陛下も含まれていた。」と記している。 加瀬俊一東郷外相秘書官らは「(ザカライアス放送の内容は) 実は、(天皇の)お耳に入っているんです。入るようにしたのは我々です。」と述べ、 天皇の弟宮である高松宮を通じて伝えたという。 (NHK国際放送ラジオ・ジャパン「終戦の条件を探れ」1991・8・15)… 続いて、VOAをサイパンで中継した中波放送(周波数1010kHz、出力50kW)などに対して 日本側では放送協会が最大33箇所(東京方面:川口送信所10kWなど)から 防圧放送=雑音放送を実施していたようですから、聴取するには難はあったようです。 またネット検索では、短波放送に対しても妨害工作の記述も見受けられるようですが、 はっきりしません。 戦時下のラジオ聴取状況に関しましては、下記URLが興味深いです。 (抜粋するには無理がありますので、未読なら御一読いただければと思います) ◇関西学院大学>社会学部紀要>第87号 (寄稿)「太平洋戦時下における日本人のアメリカラジオ聴取状況/山本武利」 http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/87/87-ch1.pdf あと、米軍側でも妨害電波の対抗策として周波数を少しずらして放送する事も考慮して、 宣伝ビラには「周波数が850~1100kHz(kc)の間で変動するかもしれない」 と記載されていたようです。 さすがに全周波数同時妨害などは物理的に無理でしょうし、 逐一周波数を合わせるにしてもタイムラグが生じるでしょうから、 結局はイタチごっこ。 だとすれば、当時高額だった短波又は全波受信機が無くても、 そこそこ普及していた中波ラジオでも断片情報は得られたと思いますし、 何より雑音放送が届かないエリアであれば当然聴取出来たはずです。 さて、肝心の東京となると、実態は定かではありませんが、 (知識が希薄の為、あくまでも私見にすぎませんとお断り申し上げた上で) 例えば、愛宕山受信所(東京・芝※港区)が1945年7月焼失、川越移転に関連して、 ◇『川越市立博物館 博物館だより 第63号』<5/8> http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/ippan/pdf/63.pdf 「ポツダム宣言の受信」項目によれば、 「…同盟(※同盟通信)は、独自に世田谷区上北沢の住宅に小規模な受信施設を設けた。 そこではロイター、AP、UP、サンフランシスコ放送を傍受していた。…」などと 記述されています。 愛宕山受信所であれ、世田谷区上北沢であれ、何れも「東京」、 単純に考えれば傍受する以上は妨害電波などはもってのほかでしょうから、 受信可能人口を考慮すればサイパン中継の中波放送等に対する妨害工作は必然としても、 サンフランシスコ放送(VOA短波)など受信可能人口が極めて僅かであろう 短波放送に関しては、傍受を阻害するような妨害工作は出来なかったと思いますから、 少なくとも東京では短波放送は受信出来たと考えますが如何でしょうか? 何れにしても、制空権を握られ大量の伝単を撒かれる状況に陥った末期には、 妨害電波など焼け石に水に過ぎなかったかもしれませんね。 では、また、いつかどこかで?…
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- k16399638
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1 ヴォイス・オブ・アメリカ、は戦時中、 「日本のみなさま、こちらはアメリカの声であります」 と言って、放送をしていました。放送終了時にかならず次回の周波数を日本語と英語でアナウンスし、景気のいいマーチ調のエンディングで締めていたそうです。 私の父は東京特別区で全部の空襲をかいくぐった人ですが、おおっぴらではないけれど、聞いている人は意外といたそうで、旧制高校の学友には、ジャズを楽しみにしているといった人もいたそうです。 父とは関係ありませんが、アメリカの声はチラシも盛んにまいており、周波数、放送時間が刷ってあるものを、大学の資料室でみたことがあります。 2 終戦の決断を下したときの内閣は鈴木貫太郎の内閣ですが、海軍主導の内閣で、発足時から天皇に正確な数字をあげていたといいます。 特に昭和20年は大凶作の見込みで、かつ専売公社による家畜用の塩供給が非常に危うい、というリアルな情報をあげています(家畜に一定の塩を与えないと斃死します)。外電から、広島に使用された爆弾は核分裂を使用したものであるとの情報もあげています。全てではないにせよ天皇に鈴木貫太郎内閣は相当リアルな情報をあげており、天皇の、もう終戦しかないという考えを補強したといえるでしょう。 天皇自身が短波聞いていたというのは、ちょっと無理があると思います。そのような情報収集の手間を取らせることは臣下の怠慢、という考えの世の中なのですから。
お礼
当時の様子を思い浮かべることができるような話を教えて下さってありがとうございます。 VOAは、次回放送の周波数を番組終了時に知らせていたのですか……どのような理由によるものか分かりませんが、電波妨害もあったでしょうから、何かの対策だったのでしょうね。興味ある話です。 次回の「周波数」だけでなく「時間」も知らせていたのかも…。 建前は、聴いてはいけないことになっていても、隠れてこっそり聴いていた人もいるはずで、今の北朝鮮でも同じことが言えるのでしょうね。 >天皇自身が短波聞いていたというのは、ちょっと無理があると思います。そのような情報収集の手間を取らせることは臣下の怠慢、という考えの世の中なのですから。 なるほど、そうでしょうね。 「臣下の怠慢」に違いありません。納得しました。
- blackhill
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手元に実物が見当たらないので正確ではありませんが、阿川弘之氏の処女作『春の城』が、学徒動員で通信隊員となっ見習年士官の戦争体験を取り扱っていたと思います。新潮文庫に入っています。同じ作者の『雲の墓標』と混同しているかもしれませんが、間違っていたらごめんなさい。 それはともかく、 戦後7年目の刊行で、若者が戦争で何を体験したかの報告だけでなく、青春文学としても忘れられない傑作です。今では、作者よりお嬢さんの方が有名かもしれませんが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 阿川弘之氏ですか…、「聯合」艦隊であって「連合」艦隊ではない、とエッセイで読みました。 『春の城』『雲の墓標』心に留めておきます。
- suicyo
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ザカライアス放送というのがありました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9%E6%94%BE%E9%80%81 ウィキペディアの記述には疑問も提示されているようですが、ザカライアス放送の存在ものものは事実です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「サガライアス放送」初めて聞きました。 中公文庫『昭和史の天皇 3 本土決戦とポツダム宣言』に出ているとのこと、 とても興味がありますので、図書館で調べてみます。 天皇は、国体護持に相当な自信があったと、側近の日記にあるそうです。 この放送によるものかも知れません。 質問した甲斐がありました。感謝します。
- murskkaoru
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私は戦争を体験していませんが、当時の経験を聞くことはできました。 当時の中学生で、ラジオを作ることができた人は、(短波放送受信機は市販されていなかった、ということだと思うが)アメリカ、ソ連他の日本語放送を聴いたと言います。 ほかの方が触れているように、聴いたことを話すとどうなるかは、ラジオを作ることができるほどの人は、見当がついたので、内容についてどの程度周囲の人と共有できたのかは、よくわかりません。 米軍によってまかれたビラについても同様ですが、やはりラジオを聴くほどの人は、情報の意味するところを判断して、今日に到るもそれを保存している方もおいででした。 今日、たとえば原発を巡る情報がおかしいと感じることと、おかしさについて自分で情報を求め始めることと、デモなどの形で「おかしい」という発信を始めることくらいの対応の違いがあると思いますが、これらの間には、相当の隔たりもあるものと思います。 どうしたら、「発信」まで行くのでしょうか。 というよりは、あの時代、どうして「発信」までいかなかったんでしょうか。 これでは答えにはなっていませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は、鉱石ラジオを経験した世代ですから、中学生が乏しい部品をかき集めて、受信機を作る姿を想像することはできます。 >これでは答えにはなっていませんね。 そんなことはございません。隠れてこっそり聴いていた当時の状況がわかりました。 参考になりました。
- HAL007
- ベストアンサー率29% (1751/5869)
以前戦時中の資料探しをして居るときに海外のラジオ放送を報告した資料を見つけたことがあります。 どこのサイトか今になると分らないのですが作成は内閣だった様に記憶しいます。 日報の様になっていたので傍受部門があり、ラジオを受信出来る放送は聞いていたのだと思いました。 読んだもものはどこの放送かもかかれていて1局だけではなく5~6局はあった様に思います。 書かれてものが内閣限りだったとしても、写しを天皇に届けることも考えられなくはないと思います。 ポツダム宣言を受入れるかで内閣だけでなり陸軍など軍も色々と動いていたようですから 受入れ派が戦況を伝えるものを届けても不思議ではと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 内閣や軍部は、当然放送に関心をもっていたはずですね。 >受入れ派が戦況を伝えるものを届けても不思議ではと思います。 なるほど、それは言えると思います。参考になりました。
- Verhalten
- ベストアンサー率17% (36/201)
戦時中は短波ラジオの製造が禁止され、短波を受信する事すら禁止されていました。 英語が話せる方が短波ラジオを自作し、小さな音で聞いていたそうです。 もしバレたら終わりです。 ミッドウエーの内容や、ガダルカナルの惨状など、日本の新聞とまるで内容が違う事を 知っていましたが、言えば大変な事になるので黙っていたそうです。 アメリカも短波でのVOA日本語放送を1942年2月24日に開始しました。 詳細な戦況を伝え、空襲予告も行います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB 戦争末期になるとサイパン島のからの中波放送で大体の日本人は聞けました。 しかし、聞いているのが憲兵にバレたら大変でした。 爆撃機が撒くビラも拾って読んでいるのを見つかると大変な事になったそうです。 しかし、大体の方はおかしい事に気がついていたそうです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 VOAの短波放送があったのですね。 サイパンからは中波放送があったのですね。 しかし、ジャミングされてまともに受信できなかったとすれば、放送から戦況を知ることは困難だったのかも知れません。 大体の様子が解りました。参考になりました。
- Yelm
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戦時中の日本で普通に出版され、一般人が読む事が出来た書籍にもルーズベルト大統領の炉辺談話(米国民向けラジオ放送)の内容が引用されていますし、当時の米国議会での議事録も記載されているなど、その手の情報は検閲上も問題あるものと見なされている様子はありません。 またタイム誌など米国の雑誌も中立国ポルトガルの植民地であるマカオ経由で輸入されており、東京など大都市なら手に入るものでした。 戦況の分かる米国側の発表については多くの日本国民も知っていたのは間違いありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 タイム誌もそんなルートで入手できたのですね。 参考になりました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 教えて下さったリンク先はどれもこれもすばらしいサイトですね。 日本の敗戦が必定となった大戦末期に日米両国がラジオ放送を通じて、無条件降伏や国体護持について、応酬しあっていたのですね。 これはもう<驚愕>(こんな言葉を使うのは初めてです)です。 ネットジャーナル「Q」 第135回『終戦と放送』の中に、私が抱いた疑問の発端が書いてありました。 8月14日の第2回の「ご聖断」を下した御前会議で天皇は最後まで国体護持を要求する阿南陸相に「連合国の回答文書を疑いたくない」と述べている。(大平進一著『最後の内大臣 木戸幸一』) 私が何かの本で読んだのは、国体が護持されることに自信がある、と天皇が阿南陸相に語られたという内容で、それは短波放送を受信されていたのでは、という推測でした。 このサイトによると、(私はこのサイトの記事を信用しています)「ザカライアス放送」を介在させて、日米が「国体護持で応酬」していたのですね。 「国体護持に自信がある」との天皇の発言の謎が解けました。 関西学院大学>社会学部紀要> (寄稿)「太平洋戦時下における日本人のアメリカラジオ聴取状況/山本武利」 この論文は、私の疑問を解くことができるすばらしい内容でした。 ジャミングについてもこれでよく分かりました。 『川越市立博物館 博物館だより 第63号』は、「ソ連参戦」のニュースのドタバタなど臨場感あふれる読み物でした。 結論として、日本各地で米側の放送を聴く必要があれば、政府や軍は受信可能だった、と言えると思います。 具体的には、「軍、政府のリーダーたちは短波のラジオ放送によって戦況をかなり正確に把握していた」ということが解りました。 解ってしまうと至極当然な結論です。 親切で丁寧なご回答に感謝します。