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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:作文「かきかた」の手順について、教えて下さい。)

作文のかきかたの手順と進級に伴う変化について

このQ&Aのポイント
  • 作文のかきかたの基本的な手順や進級に伴う変化について教えてください。
  • 作文の基本的な手順や進級に伴う変化について調べても、情報が見つからないため、質問いたします。
  • 小学校で学ぶ作文のかきかたの基本や進級に伴う変化について教えていただきたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (657/1685)
回答No.2

>書いていく文章の性格によると思われるのですが、基礎的な文書作成とその仕上がりまでの過程 >質問させていただいたのは、その違いのプロセスに共通性があるのだろうか?と言うことだったのです。  回答者No.1様へのお礼文を読んだうえで回答いたします。最初は何を回答していいか判らなかったので。要は上記のような「文章作成の一般的な過程」ですね? そう思って私の思う所を書きます。ごく一般的な(原則的な)話なので、ご要望にそえるかどうか。細かい点についてはご自分で判断をなさってください。 (1)文章を書くには、まずその文章でいちばん言いたいことを決めます。  生徒作文なら「題材」であったり、読書感想文なら特に強烈に感じた感情であったり、エッセイならラストの感想部分であったり、論文なら結論であったり、です。 (2)その言いたいことを読者に納得させられる材料を集めます。  出来事、体験、登場人物の言動、他の資料に記載された証拠、データ、など。  ちなみに、短い文章ならこれら一つ一つが「段落」となります。長い文章だと、これらの一つ一つはさらに細かく分かれ「段落」となり、大きなひとかたまりは「大段落」「節」「章」などと呼ばれます。 (3)それらの材料を、納得させるのに効果的であるような順に並べます。  話を論理的に進めるのか、文学的に進めるのかによって、その並べ方は変わってきます。そこは書き手の腕の見せ所です。どんな場合でも、最も簡単でしかもわかりやすいのは、時間順だと思いますが。 (4)文章を書きます。  最初に書くのは「下書き」です。  ちなみに、最終的な完成の文章を書くのが「清書」です。パソコンだと、「もう直さない文書」を入力または上書きした時が清書ですね。 (5)推敲します。  自分で書いた文章を自分で何度も読み返し、文章表現や内容に、誤りや判りにくい箇所がないか探し、訂正することです。自分では良いと思って書いているので、なかなかミスは見つかりません。他の人に読んでもらうのがいいでしょう。プリントアウトして、完成です。  私は、これが「プロセスの共通性」だと考えています。結局、「決める→探す→並べる→書く→見直す」です。  私としては、どんな種類の文章を書くときもこうしています。具体的な個々の動作は違いますが、やってる中身は同じです。本をめくって「探す」ときもあれば、町を歩きながら「探す」こともあります。いや、そんなたいした文章なんて書いてませんけどね。ここは(笑)が付いていると思ってください。  蛇足ながら、失礼ながら、質問者様は読点( 、)の打ち方に迷いがあるようにお見受けしました。もしそうなら、このサイトで以前そういう質問を見かけましたので、検索してみてください。  お役に立てば幸いです。

RuBuRaN
質問者

お礼

回答いただいて、ありがとうございます。 そうなんです。これが探していたカタチです。 みなさんありがとうございました。 「き・さ・な・か・み」の法則おしえてくれてありがとう。 きっと書けるぞ    ← 決める さくさくと      ← 探す なぞ見つけてきて   ← 並べる かんたんに書けば   ← 書く みるみるうまくなる  ← 見直す どうもありがとうございました。 読点のことですが、ご指摘ありがとう。 気をつけます。 こんな情報を記録に残したらもっとウェブって良くなるはずだ。

RuBuRaN
質問者

補足

すべてがベストアンサーです。 こちらで選んだ基準は欲しいカタチに見合ったもので決めました。 なのでありがとう。

その他の回答 (1)

回答No.1

・題材をさがし ・書きたいことを見つけます。 まず、書きたいことを見つける必要はありません。是非、書きたいこと、書いておくべきことがあった時点で、書けば宜しいのですね。それには、日頃の読書が必要でしょうし、特に、思想・哲学分野のものを読み始めれば、書きたいことがどんどん広がります。既にサイトにある題材を拝借したところで、独自性のあるもの、個性的なものは書けないわけで、既に、世に広まっている当たり前のことを書いても誰も読んでくれませんよね。人は、当たり前のことではないこと、社会的にはどうかと思われるが、しかし、そういうのも正論かなと思わせる文章を読んでみようとするのです。当たり前のことを当たり前に書くのが「物書き」としては最もいけません。即ち、当たり前のこととは何かを知る必要があるわけでして、つまり、まず、ものを書くには、常識とか一般通念を熟知する必要があることになりますよね。そういうことを知ってからが勝負でして、それ以降、独自の個性を鮮明に打ち出せます。そして、それが、ものを書く力になります。 ・下書きをする ・清書する パソコンの時代に、下書きも清書も不必要です。 一番い言たいことを手短に纏めて、それを核に据えます。 で、その前に、そういう思いに至った経緯とか、そのような結論に達するまでの紆余曲折の過程を記します。あるいは、裏付け資料となる書物を読んで(探し出して)、時には、その参考文献からの「引用」をします。出所を明記した上での「引用」ですね。 で、書き進めてみて、結局、最初の思いに変更が無ければ、当初の考えが結論でしょうし、様々な考え方を整理整頓して書き進めるうちに、ちょっと、結論が変わっちゃったとか、ちょっと、修正すべきと思われたら、それを末尾に付け足して完成です。

RuBuRaN
質問者

お礼

回答していただき、ありがとうございます。 ということは、 ・日頃から読書をしておく ・大事な箇所には目印をつけておく ・なぜそれが自分にとって意味あるものかを考えること こういうことかな。 ものを書いていくのに、きちんとした順序というものは、 意識せずとも、想いを連ねていけば良い。 そのときどきの心の働きには強弱があって、何が一番大事か、 最初はつかめないけれども、とにかくスタートを走って行く。 そのうちに、何か作用が働いて、想いがまとまっていく。 書き出せないときには、あせりは禁物。 世間からはみ出そうな意見は、どうしたら形成できるのか、まだ疑問です。 それは自分で考える癖を、持っていないからだと結論をいそぐのではなくて、 どうしたら絵画の大御所ピカソのように、自分の見ている絵を、 他人にも同じように考えさせる、絵に仕上げられるか? ということなんです。 その方法論というか、文書作成の過程が一般化しているとするなら、 なぜ、学校教育では、それを教えないのだろうという疑問です。 また、平均的に日常生活では、論文も書かなければ、 締切に追われて作品を仕上げるという、高級テクニックは必要ないように思われます。 A4で2~3枚を書ける力と、それ以上の長い文章を書いていく過程には、 違いがあって当然だと思っています。 質問させていただいたのは、その違いのプロセスに共通性があるのだろうか? と言うことだったのです。 期待されて書くモノと、期待されないで書くモノには、 たぶん心理的にも過程が異なると思うのです。 回答していただき、ありがとうございました。 もうちょっとこのことについて考えてみたいと思います。