なぜ日本の刀にはバリエーションがないのか?

このQ&Aのポイント
  • 日本の刀にはバリエーションがない理由について考えてみましょう。
  • 日本刀の形が確立した平安時代以降も、その形はほぼ一定であり、バリエーションは少ないです。
  • 日本刀が他の国の刀と比べてバリエーションが少ない理由は、戦闘での優劣の問題ではなく、使われ方や携帯性の要素が大きい可能性があります。
回答を見る
  • ベストアンサー

日本の刀はなぜバリエーションがない

 ヨーロッパや中国は、刀剣だけでもたくさん種類がありますが、日本刀が確立すると、ほとんど一種類のみです。直刀時代や、小烏丸のような例外もありますが、平安時代に日本刀の形が確立すると、太刀と打刀、曲がり方、重ね、切っ先の違いがあっても、根本的には同じ形です。脇差にしろ形は同じで短いだけ。  中国やヨーロッパになると刀だけでもものすごい種類があります。又、日本の場合は鎚(つち)やマサカリで戦った、なんて話は聞いたことがありません。なぜ、日本は刀のバリエーションがすくないのでしょうか?(日本刀が優秀だから、というのはなしですよ。実際の戦闘でほとんどの死傷は弓矢、鉄砲が出てからは鉄砲なんですから)  もしかして、実際の戦闘は弓矢で行われ、近距離は昔や薙刀、中世以降は槍が主武器で、日本刀は携帯性が良かった(軽いし)から、そのままの形だったのでしょうか?どう思われますか?

  • 歴史
  • 回答数15
  • ありがとう数3

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • MichiyaS
  • ベストアンサー率40% (34/83)
回答No.7

比較的国土が狭い単一の集権国家だから、情報の伝達が早く、各地で価値基準(流行)や製造技術や刀剣格闘技術を共有しやすかったんじゃないでしょうか。 しかも諸外国の刀剣と比較できる現代においても平安期に確立された日本の彎刀が相対的に優秀だと評価されているわけだから、当時においても外国の刀剣に影響されることは少なかったんじゃないかと思います。 実戦で弓や槍や鉄砲の方が刀剣より活躍したのは日本に限ったことではないでしょうから、主因ではないと思います。

nobuake
質問者

お礼

 >>比較的国土が狭い単一の集権国家だから、情報の伝達が早く、各地で価値基準(流行)や製造技術や刀剣格闘技術を共有しやすかったんじゃないでしょうか。  >>日本のワン等が相対的に優秀    慧眼だと思います。情報の伝達が早く、各地の価値基準や製造技術が共有されていたから、  というのは、なるほどと思います。

その他の回答 (14)

  • MichiyaS
  • ベストアンサー率40% (34/83)
回答No.15

話が逸れますが、私は逆に、諸外国の刃物になぜ日本のような合わせ鍛えや焼刃土で硬軟を変えた刃物が見当たらないのかが不思議です。 昔の刀剣だけでなく現代の実用刃物である包丁も鋏もノミも鉋も、外国製のものはことごとく全鋼で峰から刃先まで同じ硬さです。だからあまり硬く無い、もしくは分厚い。鉋なんか特に刃先の鋭さが命の刃物だから欧米の物はオモチャみたいです。ハサミも甘くて研いでもすぐ磨耗してしまう。 日本ではいつ頃から合わせ鍛えが行われているのか調べてみましたが、「古代刀と鉄の科学」によると弥生時代に出土した鉄戈(てつほこ)で既に確認できるそうです。だから大陸から技術が入ってきた可能性は十分にあると思うんだけど中国にも朝鮮にもそういった刀剣の記録が無さそうなんです。もしあったとしてもその技術は現代に伝わっていません。 英語が不得手なので全部読めていませんが、 Types of swords http://en.wikipedia.org/wiki/Types_of_swords Chinese swords http://en.wikipedia.org/wiki/Chinese_swords Korean sword http://en.wikipedia.org/wiki/Korean_swords Japanese sword http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_swords 外国の刀剣は確かにバリエーションが多いようです。しかし記述は日本刀がものすごく長い。 刀の細かい部分にナカゴだのキッサキだのミネだのハミチだのハマチだのムネマチだのハモンだのシノギだのシノギジだのヒラだのボウシだのヨコテだのヒだのフクラだのと神経症の患者みたいに名前を付けまくっているのは日本人だけで、刀への偏執がただ事ではないのは間違いないでしょう。 そして合わせ鍛えのバリエーションである造り込みについて解説があるのはやはり日本刀だけです。 反りが生まれるのも峰と刃先に硬軟の差をつけるからですね。そういう観点からは、外国の刀剣が殆ど直刀である理由は丸鍛えだからと言えます。サーベルやククリ刀はおそらく火造りの段階で曲がってるでしょう。 突き刺す武器としては槍が優秀で、刀剣に求められた機能があくまで斬ることであったなら、やはりその点に於いて直刀より彎刀の方が優れていたのではないでしょうか。居合いをやらないので実際どうなのか知りませんが。二つ胴とか三つ胴とか言ってたわけだから切れ味に強い関心があったのは確かでしょう。 そして外国には日本刀と一見類似した軽い刀や彎曲した刀があるにせよ、丸鍛えで総焼入れということは薄くて硬いと折れてしまうわけだからボヨンボヨンとしなるソコソコの切れ味の剣にしかなり得ず、取り回しが良いという理由だけでそのような形に収斂することはできなかったので、重くて取り回しが悪いけれどデカくて頑丈な刀剣も並存したのではないか。お国贔屓ですがそのような想像も思い巡ります。

回答No.14

No.13です そもそもあなたが理解していない事があるようです 日本刀って鉄を打って伸ばしている間は真っ直ぐだという事は知っていますか? 日本刀は曲げたくて曲がっているのではありません。焼入れすると製法の都合で曲がってしまうのです。直刀や直剣は原料の玉鋼を厳選して5年がかりで作ることになります。 合理的な形状としてあの日本刀の形が作りやすいのだそうです。 あなたがいうヨーロッパは、範囲が大きすぎます(英仏西伊独露から北欧)。 また、中欧と日本とでは戦争の起きた回数が違い過ぎます。 中国だけみても20回ほど王朝が変わっておりそれだけ大きな戦争があったわけです。ヨーロッパだって凄まじい回数の大戦争が起きていて、戦争が少なかったのはメディバル時代です。日本は飛鳥時代の半島との戦争、蝦夷征伐、源平争乱、元寇、南北朝動乱、戦国時代、戊辰戦争から西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争と10回ほどで、うち3回は近代戦争です。 戦争が起きなければ武器は進化しません。 飛鳥時代の半島との戦争…環頭太刀 蝦夷征伐…黒作太刀 源平争乱…毛抜型太刀 元寇…毛抜型太刀 南北朝動乱…毛抜型太刀 戦国時代…陣太刀・大太刀 戊辰戦争から西南戦争…打刀・サーベル 日清戦争…サーベル・徒歩刀・銃剣 日露戦争…サーベル・徒歩刀・銃剣 大東亜戦争…サーベル・軍刀・銃剣 日本では大きな戦争の毎に飛び道具が発展しており、補助兵器である刀は発展しなかったのだと思います。

nobuake
質問者

補足

ご回答有難うございます。 まあ、落ち着いてご回答ください。 日本刀の作り方はひと通りわかっておりまして、焼き入れの膨張で曲がりが生ずることも知っています。 ただ、昔の日本では、大きな戦争の間では小さい争いはしょっちゅうだったと思います。源義家の場合、前九年後三年の役ばかり有名ですが、一生を追いますと争いや追討がしょっちゅうです。子孫を見ると、結構、同族間で殺し合いをしており、同族間の争いも頻繁です。義朝の兄弟だって、なにも保元の乱で兄弟がすべて討たれたわけじゃなく、それ以前に邪魔な兄弟は殺しています。例えば義賢を殺しても、義平も義朝も何も咎められていません。『私戦』は咎められないなら、じゃまならやっちまえ、となっちゃう時代だったんじゃないかと思います。 鎌倉時代だって、大きな戦争は数々で、それ以外の戦いや戦乱は数え切れないと思います。強力な統一権力がなければ、むき出しの武力が一番手っ取り早く、また有効でもあります。ですので、徳川時代前というのは、おそらく相当に武力がモノを言う時代、争いは各地でしょっちゅうだったんじゃないでしょうか。  そんな状況で、武器の工夫は相当あってしかるべきと思うのです。例えばイタリアやフランスの一国だって、剣の種類は相当有ると思うのですが、日本刀は湾刀がほとんどです。あとは長いか短いかで、曲がり方、切っ先、重ね、などの違いはあっても基本的には同じ形状です。不思議ですね・・・。  

回答No.13

日本史に登場する刀剣 環頭太刀・蕨手刀・黒作太刀・毛抜型太刀・太刀・大太刀・打刀・サーベル・徒歩刀…9種類 ヨーロッパ史に登場する刀剣 ギリシアの剣・グラディウスなどの古代剣 ファルシオンを代表とする片刃の広刃刀 ソード…いわゆるロングソード ツーハンデッドソード…16世紀頃から登場した超長剣 レイピア…17世紀主流となったハンドガードのある剣 ブロードソード…広刃剣 バスタードソード・クレイモアなど…ハーフ&ハンド剣 エペ・デーゲン・スモールソードなど18世紀以降の儀礼剣 サーベル…シャムシールの流れを汲む曲刀 カトラス…艦船作業用の曲刀 キンジャリ…コサックの刀 シャーシュカ…ロシア式サーベル 徒歩刀…兵隊が携帯する刀剣 中国史の刀剣 直剣 蛮刀(朴刀・柳葉刀・牛尾刀と称される雑兵刀) 曲剣 倭刀 サーベル 日本史に登場する刀剣は、500年スパンで大きくデザインが変わっており、製法も違っています。これに対して西洋や中国の刀剣はあまり大きな進化はしておらず、上記の分類以上には分かれようがありません。日本刀の方がバリエーションがあると思うのですが…

nobuake
質問者

補足

 ご回答ありがとうございます。  日本の刀剣は、直刀から湾刀になると、湾刀ばっかりで、直刀や両刃の剣、  幅広の剣(少しはありますが)などありません。ほとんど同じ形です。一旦形ができると  1000年も同じ形です。  日本史に登場する刀剣と言っても、ほとんどは同じ形です。(直刀以外は)  グラディウスとファルシオンだったら全く形が違います。ロングソードも全く違います。  エペ、フルーレなどまたまた全く違います。  でも、日本刀は決闘だって、戦場だって基本的には同じ日本刀です。  不思議な気がしませんか?他に刀の形が開発されないのは。

  • Streseman
  • ベストアンサー率24% (131/542)
回答No.12

日本刀のバリエーションが狭い・・という見解のようだが、果たして質問者の比較主体の成否が怪しい つまり、日本刀は日本独特のものだが、西洋の刀剣は一国で為されるものではない 一国と多数国で比較すれば、一国の方がバリエーションが少なく思えるのは必然であろう 同時に、おそらく質問者は、日本と日本以外で比較検討している部分が強く想起されることから、当然バリエーションが少なく感じられる、というしかないだろう >ヨーロッパや中国は、刀剣だけでもたくさん種類がありますが、日本刀が確立すると、ほとんど一種類のみです。直刀時代や、小烏丸のような例外もありますが、平安時代に日本刀の形が確立すると、太刀と打刀、曲がり方、重ね、切っ先の違いがあっても、根本的には同じ形です。脇差にしろ形は同じで短いだけ。 残念ながら指摘は間違いだろう その理由は、刀剣の形状だけで判断していることを指摘できよう 例えば、武家が確立する以前の刀剣は、基本的には馬上利用を前提にした刀剣が主であって、たたら製鉄が主流ではない 材料にしても、鋼はメインではない 武家成立後は、戦闘上の強度・耐久性を重んだた刀剣になるわけで、材質も鋼が多く、化合物も鋼の純度を高める意図が強く働いているそうである 江戸時代・幕末の刀剣は、装飾品・アセクサリーの刀剣が増え、刀剣の装飾部分などの技術が発展している 材質も見た目が重視された都合で、鋼が重視される時代ではないそうである 戦闘とは別に祭祀専用の刀剣になれば、もはや日本刀という価値観が崩壊するような形状も存在する 残念ながら、諸外国は、日本のような「たたら」技術の深化を見ずに鋳型鋳造がメインになった。そのため材質などに対する意識変化は硬度に対する意識だけが高まっていることが言える 極論すれば、日本刀はある時期になると戦闘ではなく、装飾・美術的価値が重んじられ種類が増えているのである そもそも、日本刀という概念は武家の護身の用途がメインに思われているが、室町時代の悪党を始め”無頼漢”も使用している。 これらは決して品質の保障された刀剣ではなかったことが指摘できる。集落同士の小規模衝突が日常茶飯事だった時期であれば、農民の成人男性は戦闘時には、武装する・・・その武装も粗末な日本刀なのである それらは滅多にお目にかかることがないが、鋳造・鋳型もので、地域的にも違いがあるようである。 これは、鋳造材質の都合で鋭利にする現実もあったし、用途性の関係からも、様々なバリエーションが存在するのが実際である フランキスカ・ダガーに近い形状も存在しているのが現実である。 しかし、おそらくそれらを日本刀とは言わないだろうが・・・ >もしかして、実際の戦闘は弓矢で行われ、近距離は昔や薙刀、中世以降は槍が主武器で、日本刀は携帯性が良かった(軽いし)から、そのままの形だったのでしょうか?どう思われますか? 正直、知らない 携帯性からの指摘はあるが、携帯性なら脇差一本で十分であり、二本差の説明が出来ない そもそも、日本刀というものは、護身用・祭祀用の分類だけだと思っている そもそも、この部類の話は、戦闘を主軸にして思慮する人が多いが、多くの日本刀は武家ではなく、集落の男が利用していたのが実情であろう そして、それらは我々が美術品・劇画などを見られる日本刀とは異なるものと言える そして、祭祀用の刀剣についてもあまり論説がないようだが、あまり総合的な見解をもった見識があるようには思えない

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.11

そうですね。 #10さんの話を読んで、ゼロ戦を思い出しました。 第二次大戦で、米軍はコルセアから始まってヘルキャットやサンダーボルト、P-38、P-51など各種戦闘機をくりだしましたが、日本軍はほぼゼロ戦一本槍、同型機を1万機も作り続け、新型機開発にはいたって消極的でした。 その原因は明らかで、日本人は、武器に関して性能よりも様式美を求めるのです。つまり美しさにこだわる。旧日本軍パイロットが米軍の重戦闘機を「空飛ぶトラック」と馬鹿にしていた話は有名ですが、パフォーマンスがよくても美しくないものは「邪道」として嫌う。だから仮に、中世の日本人にローマのグラディウスやイボイボの槌をすすめても、彼らは使うのを嫌がったはず。こんなものは邪道だと、こんな汚い兵器を使えるかと。 つまり日本人というものは、単に勝つだけでなく、美しく勝つのでなければ嫌という面倒くさい人種なのです。一本勝ちにこだわる日本柔道もそうですが、要するに、ツノの生えた刀を使って勝ってしまうのは卑怯であり、中世の日本人の美意識に反したのだと思います。 もうひとつ思い出しました。ガンダムはどうですか。敵方がザク、グフ、ドム、ゲルググ、ジオングなど続々と新型モビルスーツを繰り出すのに、連邦はガンダム一本槍。 全体に、正義の味方は同型機を黙々と使い続けるのに対し、兵器改良にいそしむのは悪役の専売特許のような空気がありますね。 足なしモビルスーツやモビルアーマーを使うのは邪道であり、そんな物で勝ってもうれしくない。これが日本人のメンタリティであり、イボ付き槌やマサカリもおそらく同じと思われます。

  • leman
  • ベストアンサー率28% (418/1455)
回答No.10

みなさん色々と意見を出していて面白いですね。では自分は自分なりの説を披露いたします。 海外のひとはあまり器用ではないといわれます。ある武器が開発されても器用に使いこなせないとなると、それぞれ個人に合わせた特別仕様のものが出るのは自然のなりゆき、またそうするのが当然と考えるほうが合理的。 それに比べよく日本人というものは昔から”手先が器用”といわれていますよね。この器用さによって使い手、今で言えばユーザーですね。これが上手く使いこなせてしまった。だから武器としてのバリエーションはたしかに少ないですけども使いかたのほうを工夫した。そのため各地に多くの”武術の流派”が誕生した。言ってみれば日本はモノよりも技のバリエーション増すほうに情熱を注いだ。 またこれは日本人同士の会話のなかで何か習うときに上手く物使えなくて不満を言ったりすると「道具の性にするな。技と精神を磨け。!!」なんて言われたりしませんか。?物自体の問題よりも精神の問題にすり替わってそれ以上の論議は不要になってしまう。このことは日本が第二次大戦のときに兵器開発が進まなかったこととよく似ています。これは日本人のまじめで器用でなんでも使いこなしてしまう面が裏目にでてしまった結果も考えられます。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3031)
回答No.9

鎧をきている相手なら野太刀がありましたよ。 ただ重すぎて実用的じゃやりません。リーチが限られてる割にはやたら重いです。 そもそも戦場で刀が実用的じゃないのに、相手を倒す目的で刀が進化すると言うのに無理があります。 槍でいいじゃんって話です。

回答No.8

ヨーロッパや中国と一括りにしていますが、日本よりはるかに 広い地域にさまざまな民族・国家が存在していましたから、 その数だけ種類があったということです。 また、他民族との接触も数多くあったので、それらに影響されて 改良・進化していったのでしょう。 (逆に、日本は蝦夷といった辺境の勢力を平定した後は、 ほぼ内戦だけでしたので、武器や戦術も最適化されて改良や進化も 小さなものだったと思われます。)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.6

1,日本刀の形は、あれが完成形で殆ど完全に近い、  ということから、バリエーションが少なくなった。   2,江戸時代になり、平和になると刀は武士のステイタス  や、装飾品としての意味しか無くなった。   3,日本人の美意識が関係している。  スーツを見て下さい。  遠くから見ると、誰も同じような形と色ですが、間近で  見ると、色々な種類があるのが解ります。  日本刀だと、やれ波紋が、沸が、ボウシが、と顕微鏡レベル  の美にこだわり、一人悦に入るのです。  だから、大まかな形などよりも、そういう微細な差異に  重きを置くのです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.5

戦闘領域と平均身長および馬の体格のバリエーションが多いから。 単純に言えば上記になるかと。 日本の場合、戦闘の行われる場所も戦闘に参加する人間の体格も馬の体格もほぼ均質。 ならばそこで使われる道具もほぼ均質になります。 それに対して、ヨーロッパや中国のように戦闘領域も平均身長もバリエーションのある地域では道具がそれに応じてバリエーションを持ちます。 http://www.livestrong.com/article/542877-the-average-height-of-humans-over-time/ 中世の身長は68.27 inches = 1.734058 メートルだそうだ。 戦国時代の日本人が5 feet 1 inch = 1.5494 metersと指摘しています。 最近の「日本に騎馬部隊なんていなかったよ説」などで指摘されているように、日本の馬は小さかった。それに対して欧州の馬はデカかったので、騎乗突進(槍を持って)というのが現実的だった。 それに対して、アラブ人などは体格がヨーロッパ人よりなく、しかし馬はでかいという状況なので、反りの入った刀が主流になっています。

関連するQ&A

  • 元祖二刀流 宮本武蔵

    本家二刀流は、どの種類の刀でしたか? 日本刀剣は、直刀、打刀、太刀、刀、脇指、短刀、剣、薙刀、槍 等々が有る様。ですが。

  • 刀に関する質問です

    日本刀(「太刀・打刀」「脇差」「短刀」といった形状のもの)は片面のみが刃になっており、外国のものでは諸刃のものをよく見かけますが、 今日ふと、この両者の違いについて疑問に思う点がいくつか浮かんできました。 単純に想像した限りでは、諸刃の方が便利といいますか、利点が多いように感じられます(「一方が刃こぼれしても、まだもう一方が残っている」とか、「両サイドが切れるので、その分殺傷の効率が良さそう」「諸刃なのでただ無茶苦茶に振り回すだけでも、当たる確率が高そう」等々というように)。 全くの想像ですから本当のところは分からないのですが、もしも上述の点が実際に諸刃の剣の利点なのだとすれば、なぜ日本刀に諸刃のものが無いのか、不思議に感じられました。 日本刀の素晴らしさに関しては、もう20年以上も前になりますが、いくつかの本を通して知ることができました。(その詳細に関しては、ほとんど思い出せない、という悲しい状態ではありますが) 数多の種類の剣の中でも日本刀(「太刀・打刀」「脇差」「短刀」)は最高峰ではないのか、といった印象すら抱いております。 (1) もしも実際に諸刃の方が利点が多いのだとすると、何故日本の刀工は諸刃の剣を作らなかったのか・・・ 日本刀のような斯様に素晴らしい剣を作り得た刀匠が、それを諸刃には作らなかったのには相応の理由がある筈、と想像致します。 諸刃にすると強度が弱まる、とか古来からなる剣道や剣術の伝統的な様式から悉く外れてしまうから、などといった技術的・精神的な問題が絡んでいたりするのでしょうか? 如何なる理由から太刀や短刀・脇差などが諸刃の形状へと向かわなかったものか、知りたいです。 (2) それとも、諸刃のものが実はあったりするのでしょうか? (3) 外国の諸刃の剣でも、日本刀の太刀に近い幅や長さのものも見かけます。重さ的にも同じくらいだとしますと、やはりその場合は諸刃のつくりの方が脆いのでしょうか?  材質や作る工程・作り手の良しあしにもよるのでしょうが・・・ 日本刀や刀全般に関してお詳しい方、お答え願います。

  • なぜ刀の姿は変化してきたか その時代背景は

    日本刀の時代別姿の背景について教えて下さい。 例えば平安時代までは太刀が主流。これは騎馬上で使われるため片手で振れ、自馬も傷つけないように工夫された形状と想像。 鎌倉末期は元寇で従来の刀では元兵の革製甲冑を切れず刺せず、その後身幅、切っ先の幅の差を小さくした等々があると考えます。 武士団はその時代の戦闘様式のニーズに合った刀を注文発注したと思われます。 この時代別戦闘方法がどうであったので、刀はこう合理的に形状(長さ、身幅、重量、反り、重ね。切っ先等)が変化したという解説書を今まで系統的に読んだことがありませんので、お教え下さい。

  • 日本侍の主要武器は「日本刀」。外国では・・・?

    現代では鉄砲(拳銃や小銃)が個人装備の主要武器だと考えていますが、 それ以前となると、どうなるんでしょうか。 日本侍は「日本刀」だと思うんですが、諸外国では何だったんでしょうか? お恥ずかしいのですが、中国では「大きな刃の刀?」のようなもので、ヨーロッパでは「フェンシングで使う針金のような物」位の認識しかありません。 時代によっても変わってくるかとは思いますが、よろしくお願いします。

  • なぜ、中世ヨーロッパの「刀」は「刃つき」でなく、「ピン型」ですか?

    なぜ、中世ヨーロッパの「刀」は「刃つき」でなく、「ピン型」ですか? まさか、「刃」をつける技術力がなくて、やむをえず、「とがったもの」と作るしかなかったと? 日本では、「切る」形で相手を倒すけれど、ヨーロッパでは、「突き刺す」形となったのはどういう理由からでしょうか? 当時のアラビアでも、「刃の広い刀」を使っていたはずですが。。。

  • 戦国の百兵戦闘について

    鈴木正哉さんの書いた「鉄砲隊と騎馬部隊」という本をよく読みました さんの論旨を見れば、戦国時代の死傷者というのはほどんど(60~80%ほど)鉄砲あるいは弓矢より出た、と思いそうです その根拠として「軍忠状」をあげています。なるほど、当時の死傷者の調子とは、鉄砲と弓矢と代表された「遠射」による被害がもっとも多いそうです。さんはこれを統計として見せます でも、1984年、「武器の進化(The Evolution of the weapons and warefare)」という本を書いたTrevor Duppyさんによると、各々の武器でできた「致命傷指数」の程度は下にあります 刀あるいは槍ー23% 火縄銃(arquebus)ー10%(日本のことにもっと近かったです) 火縄銃(musket)ー19% もちろん、この資料は西洋の場合でしょう。でも、常識的に思うとも、乱射のうちに一つ、二つの弾丸と矢のすれる場合(遠射戦)がある一人の敵兵を狙って攻撃する場合(百兵戦)に比べれば、どちらの戦闘方式がもっと威力的なのかは明らかに触れてあります。 即ち、鈴木さんはその統計を根拠によって、「戦国には鉄砲と弓矢が戦いの主軸だった」と論じていますが、「質実的な戦闘力被害」の方だけ見ると、むしろ確かな殺傷のできた「百兵戦も大切な戦力だった」と取り上げることも可能ではありませんか

  • 中国の刀も殺傷力があるのか?(日本刀と比べて

    私は日本の侍とか忍者といった文化は世界で見ても独特で特別感があり好きなのです。 さらに外国人が日本の侍について特別感を抱いたりしているので興味がありました。そこで白人の人がヨーロッパのロングソードと日本刀でどっちが殺傷力があるか試して検証する動画をみました。 驚いた事に想像以上に日本刀の威力はすさまじかったです。ロングソードで鎧を着た人形に両手で強く振ると、鎧は切れず肋骨を折る程度の威力でした。 しかし日本刀は鎧も肋骨もまとめて刃が通って、さらに心臓に達するほど剣が深く入る威力でした。日本刀恐ろしい・・・とおもいました。他にも日本刀を氷の塊に向かって振るとすぱっ!といったかんじでしたがロングソードでは氷の表面だけが切れて氷にくっつく感じでした。 さて本題です。日本は基本的には中国からの文明で発達しましたよね?では中国の刀も威力はすさまじいですか?まぁ日本刀は独自で発達したものだと思いますが・・・・

  • たしかな記録に残る最強の戦士って誰

    ここ最近で、はっきりと記録に残ってる剣士だと南京戦で中国兵百人相手と戦い勝利、戦後報復裁判で絞首刑になった日本兵がいますが。 鉄砲や弓矢などの飛び道具を除く刀、槍、素手などで彼らの記録に並ぶ、もしくは超える歴史上の人物ってどんなのがいますか。 国は日本でなくてもどこでもいいです。 宮本武蔵や岡田遺贈は伝説のような話が多いのですが、有名ということは信頼性のある記録分だけでも南京戦の記録を超えていたりするんでしょうか。 実力でなくても強くなくとも極めて幸運な人物できわめて都合よく戦闘が展開した奇跡のような例でもいいので一次資料や二次資料などの公式記録に残る戦績を持つ実在の剣士がいたらどこの国のどんな人物か教えてください。

  • 戦国時代ヨーロッパから来た文化について

    戦国時代にヨーロッパからいろんな文化が入ってきましたけど その中で大きなものといったら戦闘スタイルを一新させた鉄砲伝来ですが そのほかに何か目新しいものって何がありましたっけ? 活版印刷や船の技術なんかは覚えてるんですけど

  • 日本はいつから工業大国になったのですか?

    江戸時代までは、武家社会で農業が国の主な産業だったと思いますが、何がきっかけでいつから工業国になったのですか? たぶん、明治時代頃からだと思いますが、日本はどちらかというと、かなり時代遅れな感じがしてます。 それが、いつの間にか、時代が変わってますよね。 第二次世界大戦前から日本はロシア、中国(清)にも 戦争で勝ち、世界大戦では負けたにしろ、戦艦や戦闘機などの技術力は当時では持ってたということですよね。 何故日本は工業国を選んだのですか? 現在でもほとんどの国が発展途上国だと思いますが、 何故、こんなにも差が開いてしまったのですか? 中東の国は地下資源が豊富なのでお金もってそうですし、ヨーロッパに近いからそれなりの技術力が伝わってもおかしくないと思うのですが。 それより日本の方が島国で、アメリカ、ヨーロッパから離れてるから遅れそうな感じがするのですが。