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多様性の思想的裏付け

ok9608の回答

  • ok9608
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回答No.4

的外れの答えかもしれません、ご容赦を。 「多様性の思想的裏付け」についてのお尋ねの思想的のところがポイントのような気がします。科学の対象について 多様な仮説を立て実証したとしても それらは結局は多様な説明が出来るということだと思うのです。あるいは一つの仮説のなかに多様な形態がある、例えば 生物の種の突然変異を含む多様性の展開は 種として多様な生存環境の変化に対応できる という 仮説が実証されても それは一つの合理的な対象の説明に過ぎないと思うのです。あるいは物理学にしても同様であります。例えば 一つとして一般相対性理論により観測宇宙の全てが説明された としても 何故にこの理論でないといけないのか、人が自動車を創るように宇宙を創ったのであれば なぜこの設計図(仮説と実証)でないといけないのか主張ができるはずですが それが出来ないのです。 これら説明は非常に重要なのですが、ここでは思想的が気になるのです。私は思想的とは主張と思うのです。主張とは目的が明示されないといけないと思うのです。しかし、この主張は論理的に構成され 公理(原則)から展開され しかも公理時自身の正しさは その論理構成のなかでは証明できない という 重要な命題がゲーデルによって証明(1930年代)されたのです。不完全性定理というモノです。これによって公理が変われば色んな多様な論理主張ができるとなったと思うのです。ポストモダン(多様な思想OK)の始まりではないか と思います。勿論、非論理の主張もありますが これは 裏づけがとりにくいと思います。

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