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本能の本質と遺伝情報について
- 本能とは、生まれつき持っている行動の様式や能力を指す言葉です。
- 動物の本能は種によって異なる反応様式があり、ムカデの類でも足の動かし方が異なることがわかっています。
- 本能は生物の肉体や生理を最大限に活かし、生き抜くための指示が書かれていると考えられています。
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>今日でも新しく新種の生物が発見されているそうです。このとき、本能を誰が書き込むのだろうか、この遺伝情報はどのように記載されているのかという疑問です。> 変化の多様性の中の一部が生命体です。 >それとも全ての種や個体に共通に「お前の肉体と生理の限りを尽くして生きよ!」とだけ書かれているのでしょうか?> そのように書かれているように見えるだけです。実際は生きているのは生きているとう現実だけです。その現実に種を保するまで生きているかどうかの問題です。つまりもともと物質の性質を身にまとった我々なのでその物質の変化と外界の物質の変化との連動で生きているとう状態が派生しているわけだから、当然「生きることと種を保存すること」は初めは強く書かれていた筈です。しかしその発展のなかでどのようにすれば自分は幸福に生きられるか種を存続することが出来るのかを考えた場合。単純に無駄な争いをしない。生きながられるだけの食料を貯蔵し栽培する。という方向へ行ったわけです。なのであたかも「お前の肉体と生理の限りを尽くして生きよ!」のように見えて単純に物質変化の多様性の一部に過ぎないというわけです。社会を構成し五感に加わる刺激が多様変化していくうちにその生命力たる遺伝の変化が多様化するわけです。それが今の人間と見ていいと思います。新種の生物が現れるのも当然でメンデルの法則のように物質遺伝による派生が新種を誕生させたわけで、その新種が生きながらえ種を保存する方向性に変化していけば繁栄するだろうし、そうでない場合絶命を迎える可能性も秘めいるというわけです。 >主な理由とは「本能の命ずるままに」「つい本能的に行動した」などとの主張が単なる思考放棄の言い訳のように聞こえるからです。> それは思考性により自らによき出来事が引き起こる人が言い訳と感じるだけです。やっていることは変化のままに行動しているだけです。思考をめぐらしている人も努力しているように見えて変化しているだけです。
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- ga111
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女性が赤ちゃんをかわいいと思うのは、たぶん母性本能です。ヒトなどの動物の性的な衝動も本能です。 それは、すでに書き込まれたものが延々と続いてきたものです。たとえば、女性が母性本能がなく育児放棄したり、ヒトの性的な行動に否定的なら、その家系は存続しませんよね。すなわち、そこで自然淘汰が起きるのです。 このようにして、子孫を残せない、もしくはわざと残さない家系は死滅するわけです。 >それとも全ての種や個体に共通に「お前の肉体と生理の限りを尽くして生きよ!」とだけ書かれているのでしょうか? 基本的にはそうです。ヒトなどではそれが社会的学習によって修飾されているにすぎません。 ヒトは単細胞生物から進化したと考えられていますから、本能の書き込みは、超大昔からなされて、延々と続いてきたと考えられます。よって、質問の「本能を誰が書き込むのだろうか」はもし、どうして生命が発生したのか?という問いなら、未解決ということになります。「本能がなぜ維持されるのだろうか?」ということなら、それは自然淘汰である、という答えになります。 遺伝情報はどのように記載されているか? に関しては、その生命のDNAのあらゆるところにDNA塩基配列として記載されていると考えられ、ヒトでは単にそれが少々複雑になっているに過ぎません。誕生まではほぼ100%遺伝情報に支配されますが、その後の学習によって、本能は修飾されるでしょう。
補足
皆様から色んなご意見を頂きました。生き物の振る舞いの見事さを説明するための「説明概念としての本能」かも知れません。生後一日の意思能力と生まれた瞬間の意思能力との間には、学習が幾分か入るでしょうから差異を認める手段がないようです。そこで本能が明瞭に遺伝情報として確認するための手続きもなさそうです。 言葉「本能」を使って説明できる生き物の挙動がある。生き物のどこに・どのように記述されているかを生命科学的に確認する手段は目下ないようである、とまとめさせていただきます。有難う御座いました。
>つまり、本能というものは存在しないと考えて良いとの理解でいいのでしょうか?> いや存在しないか否かはという問題ではなく。変化の様式で存在した一部という意味です。ついでに言いますとその性質が弱い人が生き残り子孫繁栄する可能性もあるわけです。頭の良い人でしたら、「人間が増えすぎれば相対的に食物が減る故に性欲に対してなにかいい方法がないか」と考えるわけです。この場合性欲を他の代替(オナニーを含める)をすることで人間の増加を減らし生きる事を優先するとか、避妊薬の開発などの方向性に走り以外に女性が男性に魅力を感じる場合性欲の弱い人を好むなんていう人もいると思います。そういう意味で人間の生の安定と子孫の安定を目指すという行為が結果的に性欲の衰退に至る場合があると考えます。中国などは政府が乗り上げて一人っ子政策しましたね。そうしないと生が枯渇してしまうので性を抑制してきた政策と言えるでしょう。まあひょっとしたら何れ性欲事態が減衰してアダルトビデオいやエロサイト等の会社が潰れる日も近いかもしれませんw
補足
皆様から色んなご意見を頂きました。生き物の振る舞いの見事さを説明するための「説明概念としての本能」かも知れません。生後一日の意思能力と生まれた瞬間の意思能力との間には、学習が幾分か入るでしょうから差異を認める手段がないようです。そこで本能が明瞭に遺伝情報として確認するための手続きもなさそうです。 言葉「本能」を使って説明できる生き物の挙動がある。生き物のどこに・どのように記述されているかを生命科学的に確認する手段は目下ないようである、とまとめさせていただきます。有難う御座いました。
- raiden787
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>「そういうような神経系を形成するように生化学物質が適正に配置されている」ことになれば「その物質配置そのものが本能」なのでしょうか?それとも「その物質配置(後日学習により変更可能)が外部刺激に応じて反応する仕組みの基本部分が本能」と考えれば良いのでしょうか? 本能の定義ということであればあくまで行動様式です。質問者さまが広辞苑で調べられた通り、「生まれつき持っていると考えられる行動の様式や能力。動物が外囲の変化に対して行う、生得的でその種に特有な反応様式」のことです。 化学物質の配置や反応する仕組みの基本部分はあくまで本能を発生させるための仕組みですね。ここらへんはあくまで言葉の定義の問題ですけど。 質問者さまは今OKWaveを利用されていますが、OKWaveを使うにはコンピューターとネット回線、サーバー、その他色々なものを制御する多数のプログラムが必要です。しかし、それらのプログラムやコンピューターなどはOKWaveを稼働させる仕組みではありますがOKWaveそのものではありませんよね。 >本能と後天的な反応様式との区別は付き難いようですね。 そうですね。虫や魚などは分かりやすいですね。ほぼ本能のまま行動しています。しかし哺乳類、特に人類は学習に頼る部分が多く、具体的な行動についてはどこまでが本能と呼ぶべきかは難しいですね。 生得的な反射行動などは分かりやすいですが。(熱いものを触ると咄嗟に手を引く、目の前に級に何かが飛んできたら咄嗟に目を閉じる、など) 例えば栄養が不足したら食糧を求め、食べようとする。これは実のところ、人間であれば栄養が不足したら苦痛を感じる、までが生得的な反応でありそこから食糧を探したりするのは学習によるところが大きいのですよね。しかしながらその学習についても生まれつき学習を起こすためのシステムが神経系には備わっているわけで。 実際のところ本能という言葉は広範な色々な動物の行動を含んだ曖昧な言葉であり、心理学や生物学などの専門家は本能という言葉はあまり使わないことが多いようです。専門分野では役に立たない概念なので。
補足
本能とは情報処理や条件反応でなくて行動様式とのお考え有難う御座います。史上初めて発生した173対足を持ったムカデの最初の歩行を考えてみました。歩行は外部刺激への反応ではないでしょう。自分の意志を行動で表現する(歩行する)手順は「本能に書き込まれていた」のか、それとも「じたばたしていたら(肉体と生理の限りを尽くして生きたら)歩けるようになった」のでしょうか?それともあるいは、前方の体節で行った挙動を、直後の体節で行うというだけのアルゴリズムで済むのかも知れませんね。 そうであったにしても史上最初の象の鼻の使い方は「お前の肉体と生理の限りを尽くして生きよ!」から由来するような気がしております。
- kurinal
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欲張り、なんですかね。
- raiden787
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>>条件反射とその集合」が本能であり、それらもDNAに記載されていると考えて良いのでしょうか? はい。その通りです。記載、というのはあくまで便宜的な表現であることはご理解ください。 本当に何かの文章みたいに記載されているのではなく、そういうような神経系を形成するように生化学物質が適正に配置されている、という感じです。これもだいぶデフォルメした表現ではありますが。 >ムカデの足の数の相違がDNAに表れるとしても、足の動かし方までもDNAに記載されているのでしょうか? はい。これも上述した通りです。 ただ、神経系が単純な構造のムカデと違い、哺乳類や鳥類などの脳が発達した動物は経験による学習機能も備えているために環境に応じて学習によって動かし方を効率化しようとするタイプの神経を持っていたりもします。そういう生き物、例えば人間などは訓練しないと上手く歩けなくなったりします。ただし基本的な歩行のために足を動かす機構自体は生まれつき持っていますけども。 これらの仕組みもまた、DNAによって決定されます。ただ、成長後まで厳密に完璧にDNAで決まっているわけではなく、成長後の肉体はホルモンや栄養状態、環境などの影響で変化もします。DNAはあくまで基礎的な部分を担っているのです。 環境の影響を受けやすいか、受けにくいかは動物種によっても違います。
補足
「そういうような神経系を形成するように生化学物質が適正に配置されている」ことになれば「その物質配置そのものが本能」なのでしょうか?それとも「その物質配置(後日学習により変更可能)が外部刺激に応じて反応する仕組みの基本部分が本能」と考えれば良いのでしょうか? 本能と後天的な反応様式との区別は付き難いようですね。
- raiden787
- ベストアンサー率37% (179/473)
>ムカデの類では足の数が27~173対まで多様な種があるそうですが、足を動かすための本能がそれぞれ異なって書き込まれているのでしょうか? はい。種ごとに肉体を制御するための特有の神経構造を形成します。 >「本能の壊れた生き物」 文学的な表現です。学術的な表現ではありません。 >全ての種や個体に共通に「お前の肉体と生理の限りを尽くして生きよ!」とだけ書かれているのでしょうか? 基本的には膨大な条件反射の集まりです。例えるなら、「こういう刺激を受けたらこうする、ああいう刺激を受けたらああする」みたいな機構が何千何万、あるいはそれ以上複合していると考えられます。 >「本能の命ずるままに」「つい本能的に行動した」などとの主張が単なる思考放棄の言い訳 ただの文学的表現です。学術的な意味はありません。仰る通り、衝動的な行動をとってしまったことに対する言い訳か自己陶酔的表現である可能性が高いと思われます。 >今日でも新しく新種の生物が発見されているそうです。このとき、本能を誰が書き込むのだろうか、 現代の生物学的な考え方では進化の過程で神経組織が複雑化していき、それに応じて形成されていったものと考えられます。 ちなみに新種とは無から新しく生じた種という意味ではなく、昔からいたけど最近発見された種という意味です。地球には莫大な生物種が存在し、まだまだ未発見の種は多数いると考えられています。 >この遺伝情報はどのように記載されているのか 細胞内の核に4種類の核酸という物質の組み合わせによって遺伝情報は記録されています。いわゆるDNAですね。
補足
有難う御座います。「条件反射とその集合」が本能であり、それらもDNAに記載されていると考えて良いのでしょうか?ムカデの足の数の相違がDNAに表れるとしても、足の動かし方までもDNAに記載されているのでしょうか?
- 雪中庵(@psytex)
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進化には、アリ型とヒト型があります。 ヒト型の特徴は、進化を、遺伝子の変異&淘汰によって行うの ではなく、認識の発達=環境認識(自意識の目覚め)による 行動パターンのフレキシビリティによって行うところにあります。 一方アリ型は、進化における適応や多様化を、遺伝子の突然 変異とその淘汰によって行うので、時間がかかると共に、その 行動パターンも反射的になります(脳内での抽象化を経ない)。 とはいえヒト型進化の本家である人類も、その社会性のあまり の発達に、個人の生命性の社会的拡張を本能的に把握せず、 お金や法規といった“アメやムチ”によって他律的に社会行動を とらせる=予め咀嚼された社会的二次情報に対する条件反射 へと回帰し、その結果として、本来、助け合うために集まって いる社会において、意識は争い、奪い合う擬似ジャングルに なってしまっているのです。
補足
進化のタイプについてのご意見有難う御座います。ところで本能とは「何が・どこに・どのように」書き込まれているのでしょうか?ご意見下さいませ。
お礼
皆様から色んなご意見を頂きました。生き物の振る舞いの見事さを説明するための「説明概念としての本能」かも知れません。生後一日の意思能力と生まれた瞬間の意思能力との間には、学習が幾分か入るでしょうから差異を認める手段がないようです。そこで本能が明瞭に遺伝情報として確認するための手続きもなさそうです。 言葉「本能」を使って説明できる生き物の挙動がある。生き物のどこに・どのように記述されているかを生命科学的に確認する手段は目下ないようである、とまとめさせていただきます。有難う御座いました。
補足
人間の行動や思考は生きている過程で変化しているだけだとのご意見有難う御座います。つまり、本能というものは存在しないと考えて良いとの理解でいいのでしょうか?じたばたと生きている過程で学習(変化)した行動様式とのご意見と理解しました。