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小説家が小説を書く目的

https://okwave.jp/qa/q9801605.html 上記で政治家の目的を質問したのですが、小説家についても質問したいです。 百田尚樹が自身のある著作で、彼自身の右派的な思想とは180度異なるリベラルな考えを登場主人公に語らせているそうです。その理由を問われて彼は「小説はエンタテインメントだ。読者を喜ばせなくてもならない、自身の主義主張とは関係ない」と答えたとのことです。 彼は大阪人ですから、大阪人は他人にジョークであるいはおどけて笑わせ、楽しますことが日常の行動様式の一環になっていますから、彼にもその考えが入っているのでしょうし、またそうすることが本がよく売れ、彼の収入の増加になるのを目論んでいるのでしょう。 しかし、私のような大阪人でもこのような目的で本を著すことは受け入れられません。著作は矢張りその作家の思想の表現であるべきだと思います。 そこで、この国際問題カテで質問ですが。日本以外で、特に欧米ではどうなんでしょう?世界全体が軽薄化の傾向がありますから、欧米でもこの種の作家が出現して来ているのでしょうか? おカネのために小説を書くという作家はいると思います。しかし、百田のように自身の思想とは真逆のことをカネのために書く、書いている作家というのはいるのでしょうか? 質問カテが適当でないのかも知れませんが、先ずはこのカテで質問したいと思いますので、宜しくお願い致します。

  • 小説
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みんなの回答

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32959)
回答No.3

百田尚樹さんて、元々放送作家さんなんですよ。生粋の小説家ではないのです。 出身が放送作家ですから、視聴率をとらないと仕事が来ないという戦場で戦ってきた人ですから、小説の分野においても「売れなければ自分は相手にされない」という思いはあると思います。実際、そうだと思います。彼が小説を書き続けられるのは「売れるという結果を出しているから」に他ならないと思います。正直、そんなに文章が上手い人とは思わないですしね。 で、海外ではどうかというと、少なくともアメリカにおいてはもっとビジネスにシビアだと思います。 日本では芥川賞系の「純文学路線」と直木賞系の「大衆文学路線」があり、基本的それぞれの世界は川魚と海魚のように棲み分けをしています。稀に「芥川賞作家だが大衆文学路線に行った」という人がいますが、逆は絶対にあり得ません。なぜだか分かりませんが「純文学は偉い」っていうのがあるのですね。 でも、海外ではそんな棲み分けはありません。そこは平等に評価されるのです。ということは、純文学作家といえどビジネスの洗礼からは逃れられないということにもなるかと思います。 私は海外の小説というのはノンフィクション小説を翻訳したものか、フレデリック・フォーサイスみたいな作品くらいしか読んだことがありませんが、プロットのテクニックはすごいと思いますね。非常に映画的です。映画の脚本家をやっている人も多く、そういうテクニックがふんだんに使われていると感じます。だから、読んでいるとアクション映画を見ているように非常にドキドキしますよね。 面白くするために、本当の意味でのノンフィクションではないと思います。何がしか脚色したり削ったり、そういうことはあるはずです。それはおそらく質問者さんの文学性からすると「間違っている」と感じるのではないでしょうか。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6235/18581)
回答No.2

社会党が政権をとったとき 彼らはどうしたか。 自分たちが今まで主張してきたものは全て捨て去り 自民党の綱領を受け継いだ傀儡政権になった。 民主党も似たようなことでしたね。 そうしないと金が入ってこないから。 つまり 政治家も金が第一。金儲けのための職業なのです。 作家も同じでしょう。 それを受け入れるかどうかは 読者が決める。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2022/7547)
回答No.1

 小説家に本物の左派はいないと言われるほど、右派が左派を名乗って小説を書いている例が多いのが日本の実情です。本当に左派の人が小説を書くと出版社が掲載しないとか、嫌がらせを受けて追い出されるそうです。偽左派が小説を書いているのに騙されている人が多いのが日本の実情だと言われています。  本当の左派だったら、革命的な人物を登場させて戦わせたり、世の中の社会矛盾や権力腐敗を明白に描いたりしますし、旧ソ連時代に出版された小説には、そういう作品も数多くありますが、西側では出版社が弾圧を恐れてあまり出版されていないようですね。日本は偽左派が穏健な小説ばかり書いていますが、本当の左派から見ると、傀儡主義者でしかないのだそうです。武力革命を肯定しない左派は左派では無いとみなしているからでしょうね。ソ連も中国もベトナムも武力革命で作られた国ですからね。  実際、武力革命が無かった国で社会主義国になった例はありません。武力革命が起こらない日本のような国は、何をやっても失敗ばかり続く政権が続いて、衰退して行くだけです。社会主義は経済に欠陥があって、経済成長出来ないのだとさんざんコケ降ろしていた政治家が多かった日本ですが、今では経済成長が30年以上も止まったままです。経済に欠陥があるからでしょうかね。  日本のマスコミは政治・経済・社会の実態を隠蔽する為の揉み消し番組を放送しているだけですから、信じない方が良いです。経済成長が止まったり、原発が大事故を起こしたり、旧ソ連と同じ失敗を繰り返すのは、外国の悪い所だけ真似をする政策が続いているのが原因です。日本のような国では、本当の改革をやろうとすれば、明治維新のような武力革命しか無いのかもしれませんね。  小説家なんて、妄想障害の精神病患者が多いですから、信じない方が良いです。気違いが右派を名乗ったり、偽左派が左派を名乗ったりして、世の中の実態が隠されている国ですから、小説はフィクションと考えた方が良いですね。

0123gokudo
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >右派が左派を名乗って小説を書いている例が多いのが日本の実情です。 具体的な作家名を上げて頂けませんか?ランダムに、厳密でなくてもいいですから、多ければいいですね。実際に彼らの著作を読んで検証してみたいと思います。

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