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次の文の違いは何ですか?
日本語の質問です。 次の二つの文の違いは何ですか? (1) 彼は私の望みを知っている。 (2) 彼は私自身の望みを知っている。 もう一つ質問で (3) 彼は喜びを彼の心に抱いている。 (4) 彼は喜びを彼自身の心に抱いている。 (1)~(4)の文で、「~自身」を付けるのと、そうでないのとでは何か違うのか気になりました。 宜しくお願いします。
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彼は私の望みを知っている。 が、正しく、自身は全く不要。「自身」という言葉に意味は無い。 彼は喜びを自身の心に抱いている。 が、正しく、こちらは、彼自身の「彼」が不要。
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>「~自身」を付けるのと、そうでないのとでは何か違うのか気になりました。 「~自身」とすると、「その人が主体となって、自分の意志で行動すること、考えたこと」を指し、外部からどうこう出来るものではない、その人の本質的なことを述べるときに使う表現だと思います。 そこで、(1)~(4)それぞれの例文のニュアンスの違いを、具体的に以下のように書き出しました。 (1) 彼は私の望みを知っている。 ・彼は、私の望みを「誰かから伝え聞いたので知っている」。 → 彼は、私の望みを第三者から情報を得ることで知っている。 (伝聞を手段とすることで、私の望みを知っている。) ・彼は、私の望みを「私と付き合っていく上で察した」。 → 彼は、私と直に接点を持つことで私の望みを見抜いた。 (当事者である私から情報を得ることで、私の望みを理解するに至った。) (2) 彼は私自身の望みを知っている。 ・彼は「私が心から望んでいること、誰にも依らずに私が自分で考えた私の望みが何なのかを知っている」。 →「私自身の望み =私が主体(中心軸)となっている私の意志に基づいた私の望み」 (3) 彼は喜びを彼の心に抱いている。 ・彼は喜びを心の中に見出している。 ・彼の心は喜びと共にある。 (4) 彼は喜びを彼自身の心に抱いている。 ・彼は喜びを第三者の心の状態から見出すのではなく、自己の心の中に見出している。 ・彼の心は、彼が自ら掴んだ喜びと共にある。 → どちらも一見(3)と似ているけれど、(3)のケースはもしかすると誰か意中の人を思うことや、意中の人に好ましいことをしてもらうことで得る喜びであるかもしれず、彼その人が中心となっている喜びとは、また意味が違います。 彼の心の在り方そのものが喜びという感情に直結している、そういう状態を表現したいのなら、(4)ということになると思います。
- SPS700
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僕なら (1) 彼は私の望みを知っている。 (3) は改造して 彼は喜びを心に抱いている。 を使います。