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「に分かれる」と「に分かれている」と「に分けられている」の違い
日本語を勉強中の中国人です。次の三つの文の違いは何でしょうか。 1.……は5種類に分かれる。 2.……は5種類に分かれている。 3.……は5種類に分けられている。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
日本人にもこの違いは難しいですね。 まず、「分かれる」「分かれている」と「分けられている」は完全に違いがありますね。 「分かれる」「分かれている」は主語に対して能動的なのに対し、「分けられている」は受動的です。 つまり「分かれる」「分かれている」は、そのことが必然として「分かれる」「分かれている」ことを意味します。 一方、「分けられている」は他の第三者的要素によって「分けられている」ということを意味します。 例えば、人の指は5本に分かれています。これは通常は当然のことであり、意図的に分けられたモノではないですから、「人の指は5本に分かれている」というのは良くても、「人の指は5本に分けられている」と言うのは不自然な表現になります。 じゃあ誰が分けたの?って話になりますから。 「分かれる」「分かれている」の違いは難しいですね。 「~ている」とうのは英語で言う「be ~ing」と同じですから、現在進行中ものに対して使う言い回しです。ですので、逆に言えば「現在のみに限定して」という意味があるということです。 ですので、もし変化が予想される場合(分かれる数が7種類、8種類にもなる可能性がある場合)「分かれている」と言うのが妥当になります。 また「分かれている」という言葉が現在の「状態」を示す意味に限定されるのに対し、「分かれる」には動作として意味合いがあります。 「細胞が分かれる」のように、「分かれる」という動作そのものを示す場合にも使います。 したがって、先の例のように、「人の指は5本に分かれてる」(状態を示す)という表現は良くても、「人の指は5本に分かれる」(動作そのものを意図させる意味も含む)という表現は少し違和感を感じます。 まあ日本人でも「分かれる」「分かれている」のニュアンスの違いを意識して使っていることはないと思います。 「分かれる」の方が、「分かれている」に比べ、よりその事実に強調性があると思っておけばよいと思います。 あと「分かれている」は状態を示す言葉なのに対し、「分かれる」には状態を示す意味と動作を示す意味との両方を含んでしまう、ということを覚えておけば良いかと。 あと、質問文の日本語、完璧です。 まったく違和感も間違いもありません。 ご参考まで。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。