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ゼロ戦を牛車で運ぶ

三菱重工航空機製作所で製造したゼロ戦を、牛車に積めるほどの大きさに分割して、小牧?各務ヶ原?へ牛車で運んでいましたが、なぜ工場内あるいは近接地に最終組立ラインと滑走路を設けなかったのですか。 当時の軍なら民間の土地を強制的に取り上げて、用地を確保するなんてことは、簡単にできたと思うのですが…。 よろしくお願いします。

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  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

「ラインを組んで、効率的に大量生産する」ってのはアメリカがT型フォードで確立したやり方ですが、そういうことをやる「思想」というのが当時の日本にはなかったのです。そもそも「効率」が当時の日本のどこにもそんな思想がないのです。 例えば航空機にしてもエンジンの生産と機体本体の生産を調整するって思想がない。だから、エンジンの生産工場でなにかトラブルがあって(特に大戦後半になって物資不足になってくると)エンジンの生産数が落ちてもそれに対して機体の生産を調整する考えがないなら、「エンジンがない機体」がじゃんじゃん作られちゃう。 整備のためのエンジン本体や部品をフィリピンの港に運んできても、どこの飛行場でどんな部品が足りないという情報が皆無だから無計画に部品が運ばれるだけ。だから、前線の基地ではいつも部品が不足していた一方で後方の港では新品のエンジンが行き先がなくて倉庫に山積みになっているなんてことがザラだったのです。 特にひどかったのが陸海軍間の対立で、例えば陸軍の航空機生産工場が空襲されて当分生産できなくなる。一方隣にある海軍の工場は被害を逃れたけど、空襲で資材の補給が滞ってアルミが不足して生産できなくなったとします。陸軍の工場にはアルミがある。海軍の工場には機械が残っている。こういうときに陸軍側が資材を分けてあげるとか、海軍の機材を陸軍に貸すなんてことは、絶対に、ありえない。陸海軍は同じメーカーに作らせていたのですけれど、自分たちの敷地に相手の関係者を入れるのはご法度中のご法度だったのです。 ちなみに日本軍の整備能力の低さは戦後のアメリカの戦略爆撃調査団をして「プアー(貧弱)」とあきれさせるほどでした。試運転ゼロでいきなり使ったりしたんだぜ。

kouki-koureisya
質問者

お礼

そういうことですか! 今も変わらぬ「縦割り」ですね。 効率とか工程計画とかいう発想はなく、ただ、人海戦術で汗をかいて一所懸命にやっておる姿を見せておれば良かった、そんな感じがします。 「ゼロ戦と牛車」の組み合わせで、あの大戦をよく戦ったものだと思います。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (8)

  • makocyan
  • ベストアンサー率39% (1039/2623)
回答No.9

 なんだか妄想癖のある方がいるような。  牛車の話は吉村昭さんの著作で読んだことがあるような気がします。他の方とは別の方角からの話となりますが。  ゼロ戦というのは「艦上戦闘機」です。読んで字のごとく空母艦上から行動する戦闘機。空母からの発着艦に特殊技能が必要でもあることから、そもそも大量に装備する計画ではなかった。だから生産を念頭に置いた機体ではなく、工数も多い。いわば熟練工手による一品生産モノであればよかった。  だとすれば、作った端から基地へ移動なんて発想がそもそも無かっし、誰も考えてなかった。戦争も佳境に入って、現場からは次から次へと補充の催促が入ってはじめて現実に気づき、なんとか数を揃えはするものの、当時の土木工事技術はお粗末ですし、人手も予算も足りないので、工場併設の滑走路なんて作っている余裕は無かったというところじゃないんでしょうか。  零戦が一万機を越える生産機数になったのは、あくまで結果論だと思いますね。

kouki-koureisya
質問者

お礼

飛行機は組立が完了すると、地上テストをして、すぐに滑走路から試験飛行に飛び立つものと思っていました。 ところがそうではなく、組立工場と試験場(滑走路をもつ)とは離れているのが普通なんですね。 生産台数が一気に増えてから、滑走路を造るのは大変でしょうが、生産初期から試験飛行は各務ヶ原で行っているのが不思議です。 ご回答ありがとうございました。

回答No.8

  他の回答で   飛行場は目立ってしまい、偵察機にみつかればアウトなんです   現代のように各種ミサイルがおければ、、、たられば。   ZEKEの離陸距離は知りませんがフィーゼラ シュトルヒは向かい風なら5mで離陸可能   仏に機体がありまして実際に扱いました   ラファールMKで離陸500m 爆弾満載時 これは自機ですので   ロケットブースター仕様なら0距離発進(どの機体でも)   MIG25では1800m要りますが、速度は米国のSR71を超えるMACH3.5以上です   上記も等も載っています 機密につきこれ以上は記載できませんが

kouki-koureisya
質問者

お礼

私の知識レベルでは理解できません。 ご回答ありがとうございました。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.7

http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/atsuta5.htm ここのCに昭和19年に滑走路付き組み立て工場を用意した記載がありますね。 名古屋に飛行場を作るなんて、そう簡単なことではありません。 特に三菱は大型機も作っていますから、必要な土地は大規模になります。 そんな土地確保できなかっただけでしょう。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご紹介のURLは大変参考になりました。 小牧飛行場や甚目寺飛行場建設のいきさつについてもよく分かりました。 名古屋市内にはとてもじゃないができなかったが、念願叶って「三菱・大府飛行場」が完成したのですね。 すっきりしました。 ご回答ありがとうございました。

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.6

お金がありませんでした。 一〇式艦上戦闘機は三菱内燃機製造会社が開発しましたが、128機の生産に留まります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%80%87%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F 当時の航空業界は投資的であり赤字でした。 その為、三菱造船や三菱飛行機を合併して三菱重工業としたのです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD 第一次世界大戦は好景気に恵まれました。 しかし、その反動で不景気になり、大正12年の関東大震災から昭和恐慌。 更に日本も世界的金融恐慌の荒波に飲まれます。 時代的な難がありました。 植民地の無いドイツは失業率が4割となり戦争に解決の糸口を見出そうともくろみます。 航空業界は軒並み大変な思いで夢を作っていたようです。 http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/nkj-2.html

kouki-koureisya
質問者

お礼

やっぱり「お金」ですか。 そうですよね。 ご回答ありがとうございました。

回答No.5

 今と変わらんじゃん。  *地震だ!さあ救助だ!あれ、道がない…。  *南極観測船「宗谷」→さぞ向こうは寒いんだろう→で、足りなかった装備は?=クーラー。船が赤道を通って南極へ行くことを完全に忘れている。  *ガダルカナルへ移動するのにどんだけかかるか。→あんな遠方へ軍隊を送れば物不足はあたりまえ。→餓島の誕生は人災。(インパールも同様。)  モノは作っても、現場で使わなければ意味がない。

kouki-koureisya
質問者

お礼

>南極観測船「宗谷」→さぞ向こうは寒いんだろう→で、足りなかった装備は?=クーラー。船が赤道を通って南極へ行くことを完全に忘れている。 こんなことがあったのですか! 驚きです。 米軍のイラク作戦で、電子機器が熱と砂塵で使用できる時間がちょっとだった、と聞きましたが、 似たような話です。 ご回答ありがとうございました。

  • NURU_osan
  • ベストアンサー率50% (297/593)
回答No.3

>当時の軍なら民間の土地を強制的に取り上げて、用地を確保するなんてことは、簡単にできたと思うのですが…。  できません。  明治時代には既に財産権は保護されるようになっています。  そもそも航空機を生産していたのは民間企業であって、軍ではありません。当然、航空機の生産施設は民間企業の私有施設であって、国や軍がそれらの設備に直接関与するようなことはできません。  陸海軍は各企業に監督や指導等を行うことはありましたが、経営に直接関与したことはありません。

kouki-koureisya
質問者

お礼

>明治時代には既に財産権は保護されるようになっています。 そうなんですか。 私は、あの時代、軍の名前さえ出せば、なんでもできると思っていました。 ご回答ありがとうございました。

  • Lupinus2
  • ベストアンサー率26% (1802/6710)
回答No.2

空襲の目標にされないようにじゃないでしょうか。 工場と基地が同じ場所なら、そこを攻撃されれば再起不能ですから。

kouki-koureisya
質問者

お礼

なるほど! 納得です。 ご回答ありがとうございました。

  • AVENGER
  • ベストアンサー率21% (2219/10376)
回答No.1

日本軍の小失敗の研究か、続・日本軍の小失敗の研究に書いてあったと思いますが。 元々そう言う発想がなかったようですね。 http://www.warbirds.jp/discussion/g0225.html

kouki-koureisya
質問者

お礼

こんなBBSがあったのですね。 よく分かりました。 BBSのどの書き込みもなるほど、と納得しています。 ご回答ありがとうございました。

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