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末期ガンと肺炎そしてその家族

私の父(現68歳)が末期の前立腺ガンだとわかったのは5年前。様々な治療をしましたが良い結果が得られず、1年前担当医から「あと1ヶ月持たないから自宅で看取った方がよい」と匙を投げられ、自宅近くの総合病院に転院、自宅介護を始めました。介護認定も受け、抗がん剤や放射線などの一切のガン治療を行わず、痛みを取るために麻薬をかなりの量貼り、オキノームを2時間起きに投与する状態でした。 半年ほど前から脳を含む心臓以外に転移していると言われました。 1ヶ月ほど前から体力も落ち、食欲や自分で歩くことも排泄も出来なくなっておりました。 そして1週間前の朝、母が起きたら父の様子がおかしいと言うことで、至急介護士にきてもらい看て頂いた所、血圧・体内酸素共に計れないとのことで、救急車で運ばれました。 救急車内でも血圧・酸素共に計れませんでした。担当医の話では肺ガンが両肺の2/3が肺がんになっており、残りの1/3が肺炎をおこしていると言うことで緊急入院となりました。 現在では酸素を3L投与し(人工呼吸器は本人の希望で拒否)、血圧を上げるためのドーパミン(全開投与しても100/70)、肺炎を抑えるための抗生物質(入院以降熱は39度からさがりません)の点滴をしています。麻薬などの痛み止めは、肺の機能を低下させると言うことでしていません。延命治療も本人の希望ですべて拒否しました。 最近は母親以外の人の認識が出来ず、子供の私たちのことも解らなくなってきました。 言葉は口は動かしますが声にならず、まったく理解できる状態ではありません。 呼吸も浅く、時には呼吸が止まることも増えてきました。痰は自力では出せず吸引してもらいます。 変な質問ですが、このあとどのような症状が出てくるのでしょうか? またそれが起こるとどれくらいもつのでしょうか? 入院し「今日明日がヤマです。覚悟をして下さい」と言われて1週間。 状態が大きく変化しない事で母の精神状態に限界が来ております。 休ませたいのですが「私が休んでいる間にお父さんに何かあったら…」とほとんど睡眠も食事も取っていません。 担当医に確認しても「ご本人の生命力にかかっているから解らない」としか言って頂けず、どんな状態になったら危ないのか?という質問も「ご本人の体力次第なので解らない」としか答えて頂けません。 このままでは父より先に母が倒れてしまいそうです。 ただ私達は母に「父がこうなってきたら看取る準備をしてあげよう。それまでは少し休もう」と説得する言葉が欲しいのです。それには多少のずれがあっても構いません。 ぶしつけな質問で申し訳ありません。 お願いします。 どなたか情報を頂けませんでしょうか? よろしく御願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

末期ガンと肺炎そしてその家族 既婚の男です…迷いましたが回答させて頂きます。 私の妻の父親(故人)も肝臓癌(余命3カ月)で亡くなりました。 私の義父の場合、徐々に黄疸症状が出て、次第に意識が無くなり 顔つきが変わって一度小康状態後…亡くなりました。 検査で癌が発見され、余命3カ月と医者から説明を受けてから 義母・義妹は毎日のように病院に行っていました。私も妻と子供たち を連れて(子供は感染病棟の為待合室で待機)毎週末お見舞いに行って いました。はじめは元気で「本当に3か月しか余命はないのか?」 と疑うぐらいでしたが、診断の通り徐々に具合が悪くなり3カ月後に 亡くなりました。最後の一週間は義父・義母・義妹共に気の毒でした。   義父の意識が段々と無くなる中、懸命に看病をしている姿を見て2人とも 倒れてしまうのではないかと心配しました。義父はそれを察したかどうかは わかりませんが、一度小康状態になった次の日に亡くなりました…。 危篤の知らせを受けて自宅に待機していた妻はタクシ-で病院に駆けつけ 何とか最後を看取ることが出来ました。最後の最後に義父が手を力強く握り しめたそうです。 義母は「看病はきつかったけど最後を看取ることが 出来たので…」たぶん満足していたんでしょうね…。(やるだけの事はやった) 質問者さんのご家族も大変な状況が続いていますが、できればですけど お母様の自由ににさせてあげて頂けないでしょうか? お父様と知り合って 二人三脚数々の試練を乗り越えて、子供を成人まで育て上げた苦労は夫婦 しか分りません。 何十年も連れ添った連れ合いが生死の境にいる状況なので 「悔いは残して欲しくない」のが私の本音です。お母様の大変な状況は承知の上です。 ただ周りの方々がしっかりサポ-トしてあげて下さい。 人間には寿命があります。早かれ遅かれ何時かは旅立ちます…。 ですから万が一の時には「さようなら」ではなく「いってらっしゃい」 の気持ちを持って下さい。お父様はあなた方家族の中に永遠に生き続けています。 長文並びに回答になってないかも知れませんがお許し下さい…。

guchi-fm
質問者

お礼

お話頂きありがとうございます。 母が今必死になっているのは、45年連れ添ってきた父との最後の時間を大切にしているのですね。 心配は消えませんが、『行ってらっしゃい』と父を見送れるように、母を変わらずサポートしていきます。 ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • oottowe46
  • ベストアンサー率53% (7/13)
回答No.3

他の回答者様の回答を拝見し、また、質問者様の質問を読んで、他界した母を思い出し涙がでる思いですが、私は医者では無いので、ご質問に答えられる立場ではありませんが、母の時の状況を思い出しますと、お医者様の仰る通り、ご本人の体力次第ではないでしょうか。 母の場合は肺がんでしたが、亡くなる1週間前から食事が摂れなくなり、意識はあるものの、1日中殆んど眠っている状態でした。その後、亡くなる3日程前から、次第に意識が混濁しはじめ、亡くなる前日の夕方、泊まりの付添を父に交替し、帰ろうとした私に、”帰ったらダメや。もう会えなくなる”と言いました。私は、まだ、明日は大丈夫だろうと思い帰宅しましたが、次の日の夕方、病院から、家族全員が呼び出され、延命治療をするかどうかを聞かれました。 私も、父も、長年の苦しみから解放してあげたいと言う思いが強かった為、延命は拒否し、病室に戻ったら、振り絞るように、”眠る薬が欲しい”と言いました。しかし、医師に、睡眠薬を投与すると呼吸が止まる可能性が高いと言われ、父と相談し、投与は止めましたが、その言葉が最期の言葉となり、5時間後に息を引き取りました。 ですので、質問者様の文面を拝見する限り、いつ旅立たれてもおかしくない状態だと思いますが、お父様は頑張っていらっしゃるのですね。多分、夫、父親、男、としての最後の意地なのではないでしょうか。 親を亡くす事は、大変悲しい事ですが、誰もが通る道ですので、苦しみから解き放されるんだと解釈し、皆さんで、見送ってあげてください。 お父様が旅立たれた後は、お母様も大変悲しまれると思いますので、ケアをして差し上げて下さいね。

guchi-fm
質問者

お礼

お話し頂きありがとうございます。 頑張っている父と母を支えられるように家族一丸で頑張ります。 有難うございました。

noname#230777
noname#230777
回答No.2

No.1様の回答に感激し「そのとおり」と涙しました。 うちの母も、自分が体調優れないのに、ずっと父に付き添ってました。 「24時間看護なんだから、任せて少しは休んだら」と何度も言いましたが、 「付いていてやらないと、あとで悔いが残る」と・・・ 幸い、家族全員で最後を看取ることができました。 しっかりサポートしてあげてくださいね。

guchi-fm
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 家族みんなで父と母を支えていきます。 ありがとうございました。

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