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宗教と哲学は同じものですか?

それとも異質なものですか? もし 異質であるとすれば 違いは何処にあると思いますか? ・

みんなの回答

  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.22

#21です。お礼を読みました。 カルト宗教とそうでない宗教の違いは難しいですね カルトでは思考停止と反社会性がよく問題にされます 宗教は思考停止を基本とします=宗教の魅力 反思考は人間にプラスの面があります=カルトも同じ (1)キリスト教は神が宇宙の説明原理であり   キリストが人間の救済=物語→頭で考えないこと (2)仏教では法が宇宙の説明原理であり   原始仏教の悟りは方法論=手段→頭で考えないようにする ただ、現実は思考と反思考の<バランス>が大事になります まともな宗教はこのバランスが取れているのでしょう カルトの思考停止は極端であり操作的なのが問題かと思います 宗教の反社会性は二つの評価があります どちらにしても危険なことは同じです (1)世の制度が相当程度悪いときに(革命思想) 反社会=常識を超えて道徳を越える→反体制の宗教 宗教が改革・世直し・独立などの運動になりプラスの評価 (2)世の制度がある程度健全なときに(閉鎖思想) 反社会=非常識であり不道徳になる→カルトの宗教 宗教が妄想で暴走して狂気の事件を起こしマイナスの評価

agripapa
質問者

お礼

:原始仏教の悟りは方法論=手段→頭で考えないようにする なのですか? さとりにいたる道とはたとえば、 心に生起するあらゆる迷妄を取り除いていく作業でもあるということであると 頭で考えないという方法論とさとりにいたる道とは明確に異なっているのではないのですか? ・

agripapa
質問者

補足

カルト宗教の信者は自らの信仰している宗教が反社会的であるとの自覚はあると思いますか? 社会全体がある一つの方向を向く時 例えば 赤信号みんなで渡れば怖くないといった状況に対して ・

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  • hisya
  • ベストアンサー率22% (65/285)
回答No.21

宗教と哲学で同質な所と異質な所があります 宗教と哲学で同質なのは真理を扱う所です=思想と呼びます ↓ 宗教は真理への答で哲学は真理への問いです 宗教は真理を提示して哲学は真理を追求します 宗教と哲学では異質なのは知への評価です ↓ 宗教は人間の知に限界があるとし、反知性の要素が大きいです 要するに頭で考えなくて真理にアプローチするのです なお、理論は後つけの作業であり、教義のない宗教もあります 共通の世界観、共通の規範であり、理屈抜きの伝統的なものです 司祭者、霊媒者、預言者、解脱者は真理の媒体です=霊性の高い人 無意識の領域なので人格、権威、体験、習俗が大事になります VS 哲学は人間の知を認識の根本として、主知主義の要素が大きいです 要するに頭で考えることで真理にアプローチするのです なお、経験主義の実証性から他の学問へと分化していきました 宗教の哲学的な要素が神学や教学などになります 哲学者は真理について考える人です=知性の高い人→知識人へ 意識的な領域なので主題、論理、事実、体系が大事になります

agripapa
質問者

お礼

カルト宗教とそうでない宗教との違いは何処にあると思いますか? ・

agripapa
質問者

補足

東洋に哲学はあったのでしょうか? ・

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noname#175120
noname#175120
回答No.20

あくまで素人の認識ですが… 単純に考えて… 宗教は信者が必要だけど、哲学には信者は要らない。 逆に言えば哲学さえ信者がいるならそれは宗教とも言えるかも? ある意味で民衆の道を開くのが宗教で哲学とはあくまで個人的探求だと思います。 哲学者より宗教家の方がどことなく楽天的な気がしますがねぇ。 物理学者も似たようなもんですよ。 彼らが求めるのは「真理」です。 ただ、アプローチが違うだけ。 宗教は神ありき「神=真理」です。 哲学は概念的思考を通じて真理を探るそうですし 物理学は実験と実証により真理を探る… どの分野にも属さない素人からはそんな感じですね。

agripapa
質問者

補足

宗教の原初は 哲学であると考えますか? あるいは 何らかの宗教によると考えますか? プラトンはアカデミアを創るにあたってその入口に 幾何を学ばざるものこの門をくくるべからずという言葉を掲げたと言われていますが ユークリッド幾何は哲学とどうかかわっていると考えますか? 幾何は宗教だと思いますか? それとも単なる図形の思考遊びだと思いますか? ・

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  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.19

大きな違いは「死生観」でしょう。 宗教教義として死を不吉なもの、不浄なもの、生産的でないものとして忌み嫌う聖職者が多い。 理由として聖職者自身が自殺を選択することなどないに違いないからです。 哲学では死にも様々な存在論があって、無情な生、飽食な生より勝る人権として肯定したり、 生と死も個人の能動態としていき続けていて同等としてたり、 自殺も死に方ではなく生き方として尊重するなどがあります。 宗教が自殺は卑怯なもの、死後にも永久に救われないぞ、などと必死で否定すればするほど 生きていては得られない自由や愛や欺瞞を超越し 恐怖を克服して懸命に生きることができる死の価値を証明することになるのが面白い。

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  • el156
  • ベストアンサー率52% (116/220)
回答No.18

基本的にはNo.3の方の仰る通りだと思います。 例えば「本田宗一郎の哲学」という場合、本田宗一郎さんが自動車やエンジン、技術開発がどうあるべきなのかを探求している間は哲学ですが、どうあるべきかを悟ってしまって探求の必要が無くなった後は宗教になると思います。 悟ってしまった本田宗一郎の教義に従って技術開発をするとしたら、それも宗教だと思います。

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回答No.17

No.9です >>>補足欄 旧約聖書的に言えば 確立された宗教はバベルの塔でしかない可能性もあるわけだが 宗教暗黒時代のガリレオが観察と科学的視点から、それでも地球は回っているといったようなブレイクスルーは 別の宗教によってなされる? なんか違うな... 止揚は哲学的態度によってなされる のではないか? その違いはどこにあると思いますか? <<< どうも「何か特定の概念」に囚われておられませんでしょうか? いや、「囚われないようにしよう」という概念に囚われておられるのかもしれません。 「特定の概念(智)に囚われる」=宗教的要因そのもの(特定の概念の正当性を信じる) になるでしょう。 無論、「自身の思索・思考・態度」を「何らかの拠り所」とするのも可ですが、それすら一種の宗教的要因そのものでしょう(自身を信じる) 宗教的要因を完全に排除しようとするなら、「○○は信じる対象ではない」と全てを否定していかねばなりません。そうすることで残るものは何なのか? まさに、東 浩紀氏の「存在論的、郵便的」を地で行くようなものでしょう。 http://yamatake.chu.jp/04ori/2cri/7.html (このあたりは、No.9で提示させていただいたリンクと相応します) そもそも、宗教的萌芽(○○を信じる)の対象である「○○」や「信じようとする思い」は、排除すべきものなのでしょうか? とりあえず、「自分自身という存在」は「信じて」おかねば、ここでの質問や回答、補足やお礼を含め、思索活動自体が否定されてしまうでしょう。 さて、私がNo.9で述べているのは、そういった「対象(存在、知)が先にありき」とするのが「宗教的」(というより宗教的な要因が非常に強いもの)になるでしょうし、「信じようとする(信じたいという)思い(情、方向性)が先にありき」とするのが「広義の哲学的」(というより広義の哲学的な要因が非常に強いもの)になるでしょうということです。 そこには「正しさ」という概念はなく、宗教と哲学という「概念の方向性」について特徴的なものはなにか?といった場合の回答であり、それ以上の意味は含まれていない(含みようがない)ものになります。

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  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.16

古代ギリシャ、ペルシャはもちろん広くインド・ヨーロッパ語の文明において、神話的思弁は初期の国家および都市のもつ秩序をモデルとしており、アルケーを求める自然哲学はこの神話的思弁に支えられて起こりました。それゆえ哲学は、すでにその起こりから法と支配の体系を問う性質を担っていました。神話的思弁の根底にある法と支配は、自然哲学において秩序がなんらかの根源と運動に現出することを描き出す礎となりました。これはやがて、運動をアトムの属性であるとした概念によって科学への一歩を踏み出すことになります。 パピロニア、エジプト、インドの古代宗教は、人間の時間が天文的時間に束縛されていること、およびその上位に正義と秩序の支配が存在することを伝えます。キリスト教もまたそうしたモデルの変形にすぎないとする説もありますが、影響関係からすれば当然これらの民族宗教から多くの素地を引き受けていることは確かです。人類は、国家や都市を形成するうえで神話的思弁とともに文明を築きましたが、いわば、その求心的な力を政治としてのベクトルにまとめたのが宗教であるとすれば、神話的思弁そのものの認識と再検討と更新をはかったのが哲学であるといえるでしょう。 例えばエルンスト・カッシーラーをご参考に。

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noname#194996
noname#194996
回答No.15

異質です。 大雑把にいえば宗教はかって哲学だったもののの化石だといえます。 哲学は今も何らかの進歩(への努力)がつづけられていますが、 宗教の世界は基本的に批判できないドグマで固められています。 もっとも、仏教などの一部の宗教は哲学の研究課題になっていますが、それはもう宗教ではありません。

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  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.14

宗教と哲学は大違い 真反対です 宗教は真理が分からないけれども行動しなければならない人たちが 信仰を持って行なった方が迷い無く出来るので それで上手くいくなら多少の誤差は良しです 哲学は行動するに当たってどのような行動が あるいは認識が正しく 実際に成功するのか 真理に迫るためにああでもないこうでもないと疑い抜いて それでも疑い抜けないものを見出して そこから真理の姿を探ろうというもので 往々にして実行に決断がむつかしい  哲人政治というのもありましたが どうかTVを見てください 政治家の皆さん 哲人政治と言えるでしょうか? 批判ばかりするのは私もあまり好きじゃないですが 哲学は批判に耐え抜かなければなりません つまり宗教も哲学も真理を目指していますが 宗教は信じるもの 哲学は疑い抜くものです。 

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回答No.13

宗教味の哲学と哲学風味の宗教の話かい >糞味のカレーとカレー風味の糞    をよく知っている農夫ならわかるだろう。  糞は肛門から排出される便のことで、これがカレーの味だったらカレーと区別がつかないってことだな。そういう糞を頑張ってだしてみるから喰ってみてくれ。  

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このQ&Aのポイント
  • This question seeks clarification on the grammar structure and meaning of the sentence 'You could enjoy this very moment all the things you are praying to reach by taking the long way around-if you'd stop depriving yourself of them.'
  • The question specifically focuses on the interpretation of 'this very moment' and the role of 'all the things' within the relative clause.
  • The overall understanding of the meaning seems unclear and the request is for an explanation.
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