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最近の年老いた者はまったく....
最近の年寄を見ていると、「目が悪い」だの「手が動かない」だのといっては、若者に甘える癖があります。いつから日本の年寄は嘆かわしい存在になってしまったのでしょうか。
- その他(社会)
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- Q2kirai
- ベストアンサー率16% (22/136)
誰でも赤ん坊の頃は自分でオシメを替えたりできなかったから今のお年寄りの世話になったのだと思いますが... 「最近の若い者は、大きくなっても自分が出した質問のケツも拭けないのか?」 なんて書いたら怒りますよね。 このような質問は、自分の次の世代を立派に育て上げてからにしたほうがいいかもしれません。
- kaleen
- ベストアンサー率30% (77/250)
加齢はみなが迎える現象です、ホントはここに「経験者」の書き込みがぜひ欲しいところなのですけどね! ここまで多くの方々がご回答されたように、自分の老いの自覚(老性自覚)には 個人差があります。それをネガティブに受け止め失望する人もいれば、比較的平静に受け止める人もいます。人生を登山に例えると、頂上を過ぎて、今や下山の段階というときになって、頂上を極める目標がなくなり失望を感じる人もいれば、がむしゃらに登っていただけのときには気が付かなかった、山の美しい草花や、景色を見ながら下山をゆっくり楽しむ人もいます。 おそらくこのご質問は、hirohitoさんが「こうあって欲しい」(あるいはこう歳を重ねて行きたい)という年長者の理想、とはほど遠い例を目の当たりにされてのご発言なのだと思います。 そこで人生の大先輩たる年長の方々への尊敬の念とは別に、「加齢」ということへの非現実的な美化も、確かに衰えていく肉体的面への必要以上の絶望も、好まない個人的立場から書かせていただきます。 今の、特に日本の高齢の方が消極的で、自信がない方が多いのは、やはり日本の社会構造のためではないでしょうか。vitamin-powerさんの言われる「若者文化」中心社会という面ですね。どう見ても「老人」とは言えない年代に、(多くの人にとって生きがいである)仕事から引退を余儀なくされ、経済力は低下し、子供は巣立ち、友人には先立たれ、家庭内の役割さえも少なくなっていく・・・・加えて健康問題です。 しかし、昔「老化」のせいと考えられて来た身体的変化が、実は疾病であり、健康に歳をとっていくこともだいぶ可能であると考えられるようになりました。知的能力も、昔は20歳がピ-クだなんて言われてきましたが、今の認識は変っています。50歳になっても同一人の知能は変化なし、計算などの数理的な部分は多少の低下が見られるものの推理的能力はむしろ発達、学習能力を加えても全体に、効率性は下がりますが、経験による理解力、洞察力は若者より高いでしょう、と。 優れた芸術家に高齢まで活躍している人も多いですが、彼らは決してhirohitoさんの言われるような「お年寄り」ではありませんよね? だから、日本の社会が高齢者の力を過小評価しているのが、「自信のないお年寄り」「依存したがるお年寄り」を増やしているのだと思います。 身体的に自信がなくなり、社会的に決定権がなくなったかのように思うと、人間自信がなくなるのですよ。自信を与える要素は、まわりのかかわり方による所が大きいといわれてます。元気なお年寄りを増やしたいと思ったら、自分が高齢の方を尊敬し、その人それぞれの(また、歳をとればとるほど、性格や価値観の差が大きい!)自信が出るような言葉をかけて、接していくことだと思います。 honmakainaさんとこの辺りは同意見ですが、もっと、元気のいい不良高年が増えて欲しいし、翁とか媼とか呼ばれるような上品なお年寄りになるのもすてきですが、どっちかというと、自分も思いっ切り意地悪なバーさんになって若者に悪態つかれながらも、それでもずっと構われていたい、かな。 長くてすみません~ 。
- kaleen
- ベストアンサー率30% (77/250)
面白い! 本日休みでここをのぞいています。最近のお年寄りって・・・というお嘆きに 興味をひかれました。そうですね、礼節を知り、知識が深く、わたしたちの 手本になるようなお年寄りは減ってしまったのでしょうか・・・? なお、わたしには手本になる年長者の、人生の先輩なる方々が たくさんいらっしゃり、日ごろ年長の方々に接する機会も多く、 決して年長者の尊厳を傷つける意図はないことをお断りしておきます。 というわけで、ちょっと書きたいことがあるので、またあとで 回答してもいいでしょうか?
誰もが言うような「あなたもいずれは歳をとる・・」 若ければ若いほど実感なんてこれっぽちもないでしょうね hirohitoさんがおいくつなのかわかりませんが あなたがこれまで生きてきた人生で 全く人に頼る事なく歩んできたといいきれますか? 人間はこの世に生を受けたその日から 周りの人たちに助けられ、育てられたんですよ。 確かに甘えている年配のかたもたくさん いますよね。でも実際に気持ちだけは若くても 体の衰えはどうしても避けられないんです。 体が衰えてくると心が弱くなるのは 年齢にかんけいないと思いませんか?
- Q2kirai
- ベストアンサー率16% (22/136)
江戸時代ならお爺さんも孫も、そのまた孫も同じような一生を送ったことでしょう。 だんだん時代が進むほど、生活の変化に加速度がついてきますね。 私が子供の頃は真空管のラジオしかありませんでしたが、トランジスタラジオを組み立てたり、シングルボードのマイコンを自作したりしながら現在に至っています。 でも、老眼になったのと、器用にハンダができなくなったのはつらいですねぇ。 (もっとも、基盤にハンダごてをあてなくてもパソコンを組み立てできる時代になりましたが) hirohitoさんが老いられる頃は、私なんかが辿った時代の変化よりずっとすごい変化があるでしょうね。ぜひがんばってください。
昔の年寄りと比べて最近は、という意味ならば、世の中が若者中心の文化に移行して、横文字が日常化し、生活環境もハイテク化して、昔ながらの生き方では不自由する事が増えた為でしょう。「目が良くて手が思いのままに細かく動くのなら自分で何とかしようとは思うのだが、そのへんにハンデがあるので難しい」、というのは悲しい言い訳けの要素が含まれているのでしょう。50年前に若者であった人たちの環境を想像してみれば、その人たちが激変した現在の生活環境で普通に暮らせる事の方に驚くべきです。テレビさえ無かったんですよ! 順応しようにも各種の能力は次第に減退していくなかで、生活環境の変化のスピードは加速度的ですらあります。同じ経験、経歴を経てもいないで、「努力もせずに人を頼る嘆かわしいやつ」、などというのは、甘い環境で育った若者の尊大な態度だといわれても仕方ありません。 あなた自身にも、身体が衰え、一般の生活レベルに順応するのが難しくなる時期が訪れるものと思います。あなたのこの御質問を、そのときのあなた自身はどう感じるでしょうか。 若い人にはなんでもないことでも、理解しようとしてもわからない、自分でやろうと思っても身体的理由でできない、そんな辛いみじめな事が老人にはたくさんあるのです。 因果応報、あすは我が身です。 その人の立場で考える、というのは案外難しい事です。老人の状態を再現するメガネや拘束具をつけて生活してみる、という企画をテレビでやってたことがあります。hirohitoさんもそういう体験をなさってみれば見解がおおいに変わる事と思います。
- honmakaina
- ベストアンサー率10% (30/277)
そんなこと別段驚いたり嘆かわしく思う必要はないのだ これからどんどんますます「非行中年」「不良老人」が増えていくであろう 若いモンへの逆襲が始まる 私は30代半ばであるが 少なくともそうあらんことを願っている 以上
- masatoshi-m
- ベストアンサー率37% (97/262)
いろんな若者がいるように、 いろんなお年寄りの方々がおられます。 それは「人間にいろんな人たちがいる」と同じ意味でそうなのです。 hirohitoさんが どのような体験を持たれてそのように感じられるに至ったのかは 存じ上げませんが、確かに自立心旺盛なお年寄りばかりでもないでしょう。 ですが、やはりお年を召され、 体力が衰えてくると不安になり、 ついつい甘えてしまうような状況が生じてくることがあるかもしれません。 嘆かわしい人間がいろんな世代にいるように、 嘆かわしいお年寄りがいることは少しも不思議なことではありません。 でも、それでもhirohitoさんが「日本の年寄りは」と おおまかに束ねて発言しておられますので敢えて申し上げますが、 やはり「今の日本のお年寄り」が今の社会 (その功罪についてはいろんな意見があるにせよ)を 作り上げてくださったのです。 それを「嘆かわしい存在」と片付けられてしまっては 「日本のお年寄り」は身も蓋もないですね(^_^;)。 やがて我々も行く道です。 助け合いの精神で社会を作っていきましょうよ。(^^ゞ
目が悪ければ悪いといい、手が動かなければ動かないといい、人の助けが必要でしょう。 これは、若者も年寄りも同じです。 若者が年寄りの、年寄りが若者の「悪口」ばかり言っても何も良いことは有りませんから、お互いに止めませんか。 あなたが今、目が悪くなり、手が動かなくなっても、誰にも全く頼らずに生活できますか。 いずれ、年老いてその様になった時に、この発言を思い出すでしょう。
お礼
申しわけありませんが、私は「年老いる」ほどの寿命がないのです。ですから、今のうちに言っているだけです。 仮に人様に迷惑をかける状態になりましたら、私は人生から引退しますよ。
- jj3desu
- ベストアンサー率34% (291/849)
年をとれば目も悪くなるし、手も動かなくなってきますし、他にも肉体的にはどんどん衰えてくるのは当然のことで、私たちもそれを免れることはできませんよね。医学や食料事情がよくなって、昔より老化が始まるのは遅れてきてるし、長生きにもなってますが、人生わずか50年といっていたのですから、それを越して現役でがんばっている人が大勢いるということは、逆に「最近の年老いたものは、昔にくれべて元気だな」なのではないでしょうか? とはいえ若いときには今の自分の健康が衰えてくることは信じられないし、おじさんやおばさんが、腰がいたいといったり新聞を目から離しているのを見ると、何だかみっともなく見えるのかもしれませんね。でもそのうち分かりますよ。きっと。 どんなに健康に留意しても、スポーツで鍛えても、自然には逆らえませんからみんな年は取るんです。 今、判れとはいいませんが、自分が経験していない老化というものについて、声高に批判は格好悪いからやめときませんか? 私も幸い、まだ老化がでるような年ではありませんが、それでも10代20代のときを思い出すと情けないほど体が動かなかったり、怪我が治りにくかったりしてふとしたときにショックを受けます。・・・あすは我が身ですね~。
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古代の神殿にもそのような文句が刻まれているらしいですが、最近そのようにおっしゃる方とお会いする機会が多いような気がします。時代の必然というものでしょうかね。そこから派生させて私が最近考えるのは日本人のアイデンティティーの変遷とその影響についてです。どうも最近の日本には色々な価値観が流入してきて大人も若者も道を見失っているのではないかと思うのです。 話を遡れば黒船来航以来、欧米の列強に侵略されまいという強い信念が存在していたわけですから、幕末以降の日本国としての共通目標は明確に存在していました。身分制度が廃止され、個人の安心できる肩書きがなくなったとはいえ、その共通の目標があることにより、個人が裸をさらして恐怖に怯えたりまたは無気力になることは少なかったはずです。もちろん地方の農村部など、情報が行き渡らずそのような信念が浸透していなかった地域もあったと思われますが、村社会という従来からの形態が持続していたと考えられるため個人または特定のコミュニティとしてのアイデンティティは強固なまま維持できていたと考えられます。そして世界大戦を迎えますがこれまた当時も戦うという目標が明確に存在したことにより、一丸となって進むことができました。また、終戦後はそこから立ち直り復興するという国の方向性がはっきりしており世界最高クラスの経済大国にまでのぼりつめることができました。 さて、今果たして国の向かうべき方向というものが明示されておりますでしょうか。ましてやグローバル化の進展によって様々な文化が流入し、今まで当然だと思ってきた価値観(貞操観念等)も崩壊しつつある中で、国が国民を、または大人が子供たちを導くことができているのでしょうか。国も大人たちも迷っていると思うのです。あくまでも私から見る印象ですが国全体がどこか空虚な感じがしています。ここで凶悪化する少年犯罪や無気力な若者(ニート)などの問題をつなげるのは少々短絡的であり、強引な物言いになるとは思いますが、その背景にはこのようなゆったりとした思い水が器から溢れ出し、方位磁針も流れ落ちてしましそうな日本の現状があるような気がしてなりません。「最近の若者は…」と堂々と説教できた昔とは違って、今はその言葉を発している意味合いが変わってきてるように思います。聞くたびにその言葉に寂しい響きを感じるのです。前置きが長くなり申し訳ありません。机上の空論のようで恐縮ですが (1)この解釈についてどう思われるのかということ (2)どちらにしろ日本は今後どのような方向をとるのが望ましいかということ この2点をお伺いしたいと思っております。拙い文章で申し訳ないですが、是非ご意見をお待ちしております。
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お礼
質問のケツを拭く、という意味がわかりません。それに次世代のガキなどどうでもいいし、種の保存もするつもりはまったくありません。