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視線恐怖症ぎみで疲れます。

視線恐怖症ぎみで疲れます。 私は理系の二年次の女大学生で一人暮らししており、1人の友達と彼氏がいます。 友達は別の学校なので二週間に一度程度会い、彼氏は一週間に1~2回私の家に泊まっています。 地元に友達がもう一人います。 彼らは私が視線に敏感で恥ずかしがりな点を知っていてつきあっていく事を決めてくれた貴重な人たちです。 両親はとても貴重な地位と平均以上の財産を持っています。 父は目標を持ち成長することがいかに大事かを時間を割いて教えてくれます。 それは私も大事なことだと思います。それは理想の姿をできるだけ鮮明に思い描いて、それに必要だけど今自分にない能力を身につけるために時間をプランニングするということだと思っています。 この解釈は大きく間違ってはいないはずです。ただ、実感が伴いません。 私は高1くらいの頃から視線に敏感で、本当はダンスをしたり同時通訳をしたりサークルで遊んだりしたいがそういうことを楽しんでいる自分を理想にしても近付くことができません。 挙動不審になる自分をある程度まで許容でき、バイトで意識して大きな声を出すことはできます。目を見ていなければ差し障りなく会話を続けることができ、それが楽しいので、視線を気にしなければきっと楽しいだろうし成長できる可能性も大きく増え、自分の人生がある程度は確実に変わるだろうと思うのでつらいです。 何度も集団に溶け込もうとしています。いままでほとんど自然消滅あるいは弾かれていますが、その中で残った関係性が上記の友達と彼氏です。 このような状態なので、暇な時間はネットや本を使って好奇心を発生させそれに付随する知識を蓄えることで満足を得ることを目指しています。それが意味のあることであると信じたいという状態です。視線恐怖で疲れたり落ち込んだりしては、彼氏や友達に会ったり知識を蓄えて喜んでの繰り返しで気分のアップダウンが激しいです。 今大学2年で、夏休みはあと実質2回です。4年生では自由な時間は大きく減るでしょう。 社会人になるまでに時間がなく、あせっています。この状態で残りの人生を生きていくのは嫌で、でも何も変わっていないか微小にしか変わっていきません、それは大学生活が終わるまでに間に合う保証がありません。

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回答No.3

世の中には視線にほとんど不安を感じない人たちがいます。幼い子供たちです。 彼らは、他人であっても興味を引かれるとじっと見つめたりします。しかし成長して 来るとこれが減ります。相手をじっと見つめるということは、敵意と攻撃性を意味 することに気付くからです。ですから大人は、不必要なときは、敵意の無いことを 示すため、相手をみつめないようにします。逆に会話の最中に視線をそらすと 何かを隠していると誤解されかねません。視線とは誰にとっても厄介なものです。 そもそも視線は不安を感じさせるものなのです。そしてこの不安は必要なものです。 不安が無かったら、不用意に他人を見つめて平気な顔をしてしまいます。あなたの 感じている視線の不安はまったく正常なものです。正常なものを異常と考えるのは 誤りです。

  • 2080219
  • ベストアンサー率32% (627/1954)
回答No.2

こんにちは。 既にご存知の事かと思われますが、精神疾患の一種です。 ですから、精神科に通院されるのが最も有効かつ大切なことです。 こちらにも詳しい記載があります。 (※既にお読みの事と思われますが) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BA%BA%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87 精神科の先生は、他の科の医師のように威張りくさってはいませんので、 安心して通院してください。 どうしても通院に抵抗があるというのであれば、 病気を治すことはできませんが、 人と話すとき、”眉間を見て話す”のが有効です。 相手から見れば、目を見ているように見えますので、 不自然な会話にはならないと思いますよ(^_^) ただし、繰り返しますが、”疲れてしまう”と記載されていますので、 精神科にかかるべきです。 今は学生さんですからストレスも少ない事と思われますが、 社会に出れば、その数倍のストレスが毎日のしかかってきます。 今治療せずに、そのような環境に飛び込まれたとしたら、 視線恐怖症どころか、他の精神病にもおちいってしまうでしょう。 時間の自由がきく今のうちに、お医者さんに治療してもらってくださいね。 お大事に(^_^)

回答No.1

自分もそういう時期がありましたが一言で言うと 「自分が思っているほど回りは自分のことを気にしていない」 です。 というわけで周りのことを気にせず 「我が道を往く」 です。

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