• 締切済み

死について考えてしまいます。

最近、死について考えてしまいます。 人と接するのは苦手ではないですが、必要以上に気を遣ってしまいます。 笑っていても心の中ではどうしようもなく冷たい自分がいるんです。 中学の頃、学校を休みがちでした。 4ヶ月くらい人と口を利かなかったり、一日中部屋の中にこもっていた時期もありました。 そんな私を見て親は何も言いませんでしたが、影で泣いていたのを知っています。 すごくショックでした。 自分がたまらなく大嫌いです。 高校では休まないように頑張っていますが、正直辛いです。 逃げてばかりで、情けなくて、でも本当に辛いのです。 いっそ死んでしまえば楽になるのでしょうか。 皆さんは死について考えたことはありますか? そんな時、どうやって対処しましたか? よかったら意見を聞かせて下さい。 長々とすみませんでした。 最後まで読んでくださってありがとうございます。

noname#157310
noname#157310

みんなの回答

回答No.17

死について深く考えたことは記憶の中ではありませんでした。 この質問を見て、始めて考えてみました。結果、死ぬなんて、もったいないことできませんね。人間はいつかは死ぬのですから、それまでは生きていたいと思います。それに生きたくても生きれない人たちがいるので、その人たちの分も生きることに意味があるのだと考えます。 心に闇を待っているのなら、人のためになるような活動をされるといいですよ。自分の存在価値を見出すことができるので、生きてる意味を知ることになります。どんな人も、自分の手で、自分の命を絶つべきでは無いと思いますね。だって、そのうち死ぬのですから・・・。 辛い人生でもいいじゃないですか。あなたが死ぬときに一人でも泣いてくれる人がいるのなら・・・。あんがい、割り切って考えられるようになれば、死ぬなんてことを考えない思考回路になれるかもしれませんよ。 ※ 幸せはあと少し前に進めばあると信じることですね。

回答No.16

「死亡率100%」なので、みんないつか死を迎えます。 死んだら楽になれるかについては、誰も保障できません。 もしかしたら、今の数百、数千倍の苦しみと辛さになるかもしれません。 また、永遠の苦しみになるかもしれません。 これを考えてみましょう。 胎内の赤ちゃんは、9か月間母親のお腹で何をしますか? しっかり栄養をとり、成長して行くことは目標です。この世界に生まれるためです。 赤ちゃんは辛いから、自由がないから早く胎内から離れたいとしたら、どうなりますか? 胎内9か月の次は人生80年。 その次は、もっと広くて、長くいられるところに移ることも考えられます。それは、「永遠の命」とも言えます。 胎児が胎内で生まれるの準備を整えるように、今この世界に生きている私たちも死の後の旅に備えなければなりません。 今の状況がどんなに辛くても、生きる価値があります。 一人でもあなたに「生きてほしい」という人がいれば、あなたは生きる価値があります。 あなたに「生きてほしい」という人は、きっと何人もいるでしょう。 わたしもその中の一人です ^_^ (イエス様もあなたを愛しておられます!)

noname#259625
noname#259625
回答No.15

   実は私は中学の頃に持病を発症し、うつ病になってしまいました。高校になってからは登校拒否が続き、結局2年で中退しました。もう20年も前の話ですが。その当時、私はキリスト教を学ぶ機会があり、私が疑問に思っていた答えを聖書から見出し、また神に祈ることによって心が癒されていきました。今ではうつからも奪還し、元気に生活しています。    そうですね、私はその辛い時期には人間不信になりました。私の悩みをだれも理解してくれないと思ったからです。だれとも口を利かず、家の中でずっとテレビゲームをした日々が続きました。死ぬということまでは考えたことはありませんでしたが、理解者がいないという状況はとてもきつかったです。でも、もっと長くそういう状況が続いていたら「死ぬ」という選択肢もあるいは考えていたかもしれません。    しかし、私の場合何とかギリギリセーフで助かりました。先程述べたように、神が理解者としてすべての祈りを聞いてくださると知った時、本当に心の中のすべてのものをいっぺんに神に注ぎ出しました。お陰ですっきりし、心の整理整頓ができるぐらいの心の余裕が生まれました。神という理解者を得て私は強くなれました。    例えば、ルービックキューブをご存知ですよね。素人がやってもなかなか六面の色をそろえることができませんが、プロの世界記録は何と7秒だとか。それと同じように、自分自身では心のルービックキューブのごちゃごちゃを整理できなくとも、心の構造をよく知っておられる神ならそれを解く方法を教えることができるというわけです。神は最高のカウンセラーというところでしょうか。ということで、神に祈るというのは実際にやってみる価値のある方法の一つだと思います。実際、私の場合、それで助かったのですし。    そんな方法でよければ、詳しくお伝えできますよ。youmi-koさんのことを私の神に祈っておきますね。

回答No.14

とても辛そうですね。 高校を休まないようにがんばっているのはご両親を悲しませないためですか? 私は数年前に「死にたい」と思ったことがあります。そう思う前は「生きていたくない」でした。 どちらも同じように思えるでしょうけれど、この2つは私にとって大きな違いがありました。 後者の段階では精神的にだいぶゆとりがありましたが、前者では突発的に何かを(自傷行為)しちゃいだったのです。 その2つの思いの変化は不安神経症 → うつ病へと移行したときでした。当時いろいろあって精神科に受診し始めた頃だったので、すぐに主治医に連絡をとり受診し、精神療法と投薬を受けました。とても信頼できる医師で、毎週精神療法を受けながら投薬治療を続けているうちに少しずつ良くなってきました。 自分自身をそういう気持ちにさせているのは何が原因なのかということを精神療法(カウンセリング)を通じて気づかせてくれるんです。正直、精神科に受診するのは勇気が入りましたけどね。すでに仕事をしていたので上司からは偏見の目で見られたので、周囲の人も皆同じように見ているのかも・・・ と思いこんでしまったり。その時に主治医は「今は心が風邪を引いているだけ。」と言ってくれました。 「がんばらなくて良いんだよ。」と。ご両親が泣いていたのは、自分たちがあなたが苦しんでいるのに何もしてあげられないと思って泣いていたのかもしれないですね。 このままだとあなたはどんどん辛くなっていくと思います。一度ご両親に今のあなたの状態(気持ち)を伝えて、今後どうすることが一番良いのか相談してみると良いのではないでしょうか。 質問内容を拝見する限りでは、心療内科や精神科を受診して信頼できる医師を見つけて治療された方が良いように思いました。適応障害ということも考えられますから、そうなると今無理して学校へ行っていても辛いだけでどんどんご自身を追い詰めることになりそうです。 受診する際に1つ気をつけた方が良いのは、ろくに話しも聞かずに薬だけ処方する医師は止めておいた方が良いかもしれません。口コミなどで良く調べてからの方が良さそうですよ。 人生まだまだ長いですから、ほんのちょっとお休みしても大丈夫!! がんばらなくて良いんですよ。生きていることが大事なんです。

  • mouse_kk
  • ベストアンサー率26% (5/19)
回答No.13

私はあなたより逃げてきた人間です。 小学校6年生の1年間を丸々不登校で過ごし 中学2年生と3年生の2年間、家に引きこもり 高校2年生の1年間丸まる不登校でした。 あなたと同じように、小学校と中学校の時の引きこもり暦が私の自信を完全に破壊していきました。 中学を卒業し、「高校は頑張らんと本当にあぶない」と考え頑張って高校に通い始めましたが、 とにかく人との接触を拒み、車に乗っている人間にすら恐怖感が沸いてくる状態でした。 車とすれ違う度に鳥肌が立ち、大通りなんかはずっとゾクゾクしながら歩いていました。 通学中の電車の中なんて常にゾクゾク感との戦いでした。 最初の一年間は頑張って通えましたが、2年生になった途端、私の頑張る意欲は糸が切れるが如くプツンと消え去りました。 私が母親に「精神科へ行きたい」と相談し、精神科に通院することになりました。 軽い鬱と診断されました。 高校2年生の1年間は精神科への通院で終わりました。 友達や担任の先生に恵まれ、今年何とか高校を卒業しました。 進学は諦めました。フリーターです。 今は人との接触になれるためバイトすることでリハビリをしています。 「頑張れるところまで頑張ってほしい」 卒業した今、自分の過去に思うのはそれだけです。 担任の先生にはこう言われました。 『そんなに気を張ることはない』 『全然深く考えなくていい』 『ただ後悔はするなよ』 今もこの言葉を胸に私はがんばっています。

回答No.12

わたしもです。 心から楽しいと思えず友達といてもにしていても意味はあるのかと心が冷めきっています。 こんな自分は嫌ですが、小さいときから人間関係に悩んできたのでなかなか変わりません。 毎日死にたいと考えてしまうし朝目が覚めませんようにと思ってしまう。 朝目が覚めると胃が痛みます。 生きてくことのほうが辛くおもえます( ;´Д`) よかったらメールとかで語りあいたいです。 わたしもこんな自分をみて親が何度も悲しいそうに涙をながすのをみました。 申し訳なくなり親には弱音は言いにくいです。

  • acorn
  • ベストアンサー率40% (64/159)
回答No.11

僕が今まで生きてきて1つ言えるのは、どんな悩みでも「時間」が 解決してくれるってことです。 人間は一生今のままではいられません。肉体や精神、考え方も 変化していきます。自分が変わりたくなくても、周りが変わっていくので、 それに合わせて自分も変わるしかないんです。っていうか、いつの間にか 違う自分になっていきます。と同時に、今の悩みもいつの間にか流されて、 どこかへ行ってしまってます。 親戚のおじさんが、僕が中学生だった頃のビデオ映像を持ってて 見せてもらったことがあります。えー!これが俺かぁ?なんだこいつ。と、 まるで他人のようなその中学生は、やはり僕でした。 その頃の俺は今の俺じゃない・・と思いましたね。 あなたもいつしか変わっていきます。見た目も考え方も。変わりたくなくても。 そしてあんなに悩んでた時代が懐かしくもなり、あの頃の自分に 戻りたくもなるんです。 「時間」ってすごいチカラ持ってますd^-^)

  • YKK9696
  • ベストアンサー率100% (1/1)
回答No.10

簡潔に述べましょう。 ◯死んでしまえば楽になるのか?    →答えはNoです(後ほど) ◯死について考えた事がある   →あります。人間ですからね。 ◯対処方法    →他の人に目を向けてみる。比較する訳ではありませんが、人の必要に気づくということは大切です。何かに没頭いていると悩みって忘れますからね。    マイナス的な事を考えてしまう時は、ストレスが溜まっているときです。発散しましょう。私の場合は、大好きな音楽やドライブでストレス発散をします。自分が一番発散できる方法を見つけたらいいでしょう。        これは究極的ポジティブ思考ですが、問題、悩み、誰でもいやです。でも、私はある時から捉え方が変わりとても楽になりました。「失敗は成功の元」これは真実です。悩みや問題を通して自分が一回り大きくなる。成長すると捉える事が出来る様になりました。 なぜ? 自分が経験した事、問題、悩みって、全ての人が同じ事を経験するってこともあるけど、全く同じって、限られた人にしか起こらないんだよね。つまり、どこかに自分と全く同じ悩み、問題を経験している人がいる、既にその問題、悩みを解決しているあなたは、その人を励ますことができる。支える事が出来る、アドバイスする事が出来る。全ての人が出来る事じゃないよね。経験した人しか分からない事ってあるよね。共観できること、たいせつだよね。  例えば、私は幼い頃に2ヶ月位の入院生活をした事がある、ちいさい頃だから、大人の人と違って、寂しかったり、怖かったり色々体験した。私は同じ状況の子どもたちに共感することが出来る。励ます事が出来るし、その方法も知っている。でもyoumi-koさんは幼い頃に入院した事が内と仮定した場合(状況が分からないので、あったらすみません)。共感する事も、励ます事もその方法もしらない。 返って、youmi-koさんは学校を休みがちだったり、口をきかなかったり、引きこもっていた事もある。youmi-koさんは、同じ状況の人に励ます事が出来る。立ち直る為にはどうすればいいのかも知ってる。でも、私は、体験した事が無いので、そういった人にどう接したら良いのか分からない。 このように、一人一人大切な存在なんだよね。必要の無い人なんていないんだよね。 人間だから助け合って生きて行かないと行けないんだよね。 その悩み、問題に正面から立ち向かってく勇気が必要だね。ポジティブに捉える事。    以上です。既に長々とごめんなさい。 以下は私の考え(アドバイス)なので質問からそれている場合もあります。ご了承ください。   まぁ、でもyoumi-koさんは、インターネットを通して誰かに相談すること、分かち合うことが出来ているので、勇気があります。自分をほめてあげましょう。これもポジティブな考えです。  ポジティブに物事を捉えて行きましょう。  日本人は人種的に特にネガティブ思考なので、小さな事に感謝しましょう。ポジティブにいきましょう。楽観的だと思われるかもしれませんが、一度きりしかない人生ですから、楽しみましょう。 改めまして、こんにちは。お察しする所学生ですね。 私はクリスチャンであるので、その点から回答させていただきたいと思います。ご了承ください。それと少々長くなります。 悩みは誰にでもあります。いくら猫をかぶって明るく振る舞っていても、心の中は暗くて、冷たい。まるでアニメのように天使と悪魔が自分の中に住みついて、励まそうとする自分もいれば、谷のどん底に落とそうとする自分もいるそんな事を感じる事は少なくないはずです。 マイナス的な事を考えると当然、気持ちが沈んでしまいます。まずそこから離れましょう。 ・気を遣ってしまう。 特に日本人は人の顔色をうかがいつつ、自分に不利にならないように自分の立場を保とうとします。 神経質になってしまうのは、本当の自分を知られるのが怖いというのもありますが、上下関係が厳しい日本には仕方のない事かもしれません。生きていく上ではどうしても人間関係になってします。なかなか難しいですよね。  死について考える事は極自然な事であると思います。なぜならば、生きているからです。 『死』は誰にでも必ず訪れるものです。死から逃れる事が絶対に出来ません。 人々の最大の課題でもあると思います。  ただこの一番の問題は、youmi-koさん自身が人生の意味、目的を見出す事ができていないという事ではないでしょうか。 私たちはどんなにつらくても、苦しくても、悲しくても、生きなければならないんです。 なぜ?  youmi-koさんはたまたま偶然に出来て、そこに存在するという無意味な存在ではないからです。 また自分自身の意義というものも見えていないでしょう。 人には必ず生きる目的、意義というものが必要になってきます。 なぜ?  例えば、ゴールが見えずに走るマラソン程、無意味な物って無いでしょ? 何であなた走ってるの?急いでも何も無いでしょ?って マラソンにはゴールがあります。 賞が貰えるように走ることで、達成感、今までの努力、練習が意味をなし、報われる。自分が必死に走る姿を通して、人々を励ましたい、勇気づけたい。やれば出来るって希望を与えたい。 賞が貰えなかったら、悔しいでしょ。 スポーツ選手の思考回路は、負けた瞬間に次の事を考えてます。次こそは賞を取る。その一点だけです。 負ける事を覚悟して挑む闘いってないでしょ。  それと同じです。人生のゴールって何だと思いますか? 私たちは死ぬ為に生きているんでしょうか?死ぬ為に生まれて来たんでしょうか? それだったら別に人間でなくてもいいわけですよね。 この答えを出せるのはキリストのみです。 キリストが私たちを造ったのは「神を賛美し、喜ぶこと」 そして聖書に書かれている「神を述べ伝える」こと。 だからこそ人間として生まれて来たんだよね。 長くなってしまうので興味を持ったら教会やクリスチャンの友達に聞いてみてください。 また、特にアジアに行くと、物乞いをする子どもが多くいます。親に捨てられようが、身内がいなかろうが、彼らは必死で生きようとしています。「死んだら楽になるだろうなぁ~」って考えてるのは日本人だけだと思います。 生きたくても生きられない、必死になっても生きられない人は、世界中に多くいます。  なぜyoumi-koさんは、「死んだら楽になるのか?」と考えるのでしょうか? youmi-koさんがどう考えてるかは分かりませんが、死んだら人生終わり、何も無くなる「無」になる。または、生まれ変わる事が出来る。そんな風に考えていたら残念ですが、 クリスチャンである私から言わせてもらうと、死後の世界は確かに存在します。そしてそれが”天国と地獄”であるという事も確かであります。 なせ?  唯一全てを知っているキリストが証明しています。神であるキリストが死後の世界を語っています。 そこには「無」という言葉は一つもありません。むしろ『永遠』の世界です。言い換えると「永遠に神と共に喜び歩か。永遠に地獄で苦しみ歩か。」になります。 天国に行けれれば楽どころか喜びでしょうけど、地獄だったらひさんですよねぇ~。 短絡的に死ねば楽になれるという事は確固たる保証はありません。 ・自分が嫌い 私も思いますね。 同じ間違いをしちゃったり、迷惑をかけちゃったり、いやになる時あるね~。 でも、人間だから間違っちゃったり、迷惑かけちゃったりって当然だと思う。 だからこそ、人って一人じゃ生きて行けないんだと思う。 誰かに助けられて、励まされて、注意されて、叱られて、成長して行くんだと思う。 自分が嫌いって、自分が誇れないからだと思う。 まぁ~でもいつかす気になるときが来るよ。 一番近道が、誰かに必要とされている。誰かにありがとうって感謝される。事を感じる事だと思う。 自分自分って、自分の事だけじゃなくて、周りにも目を向けてみれば、もしかしたら、同じ気持ちになってる人が近くにいるかもしれないよ。だから、自分は置いといて周りの人の事を考えてみるのも、自分を知る、自分が今どこにいて、どんな事で悩んでいて、何で悩んでるのかとか解決が見えてくるよ。気分転換にもなるしね。 そう考えると、自分ってこんな小ちゃな事で悩んでたんだなぁ~とか、みんな思ってたんだ~とか思えるようになるよね。 物事をポジティブに捉えて行く事は大切だよ。 最後まで読んでださり、ありがとうございます。 長々と述べてすみません。

noname#174551
noname#174551
回答No.9

こんばんは。 私も対人関係で結構気を遣ってしまうことが多いです。 一度完全に逃げ出しまして、4年間誰とも口をきかずに過ごしていました。 なにもない自分が本当に嫌いで、「自分はすごいんだ!」と自己暗示までかけて逃げていたほど。 そのうち死んでもいいんじゃないかなぁ・・・と思っていたのですが・・・ 人生は一度しかない。 これを考えると、このまま終わるのは「もったいない」ような気がしてきたのです。 最近いろいろな方の体験談を見ているのですが、 20代どころか40代~の方々でも、「人生が変わった。」と仰る方も多数。 あと60年ぐらいでしょうか? これから先どのようなことが待っているか全くの未知数です。 確かに、今は辛いことがあるかもしれない。 でも、その先にものすごい幸福が待っているかもしれない。 可能性がある限り、挑戦してみたいと思いませんか? じゃあどんなことをすればいいのだろう? どうすれば自分を変えられるのかな? 回答をさせていただきながらお恥ずかしいのですが、これは私も今探している最中なのです。 アルバイトをしてみる!とか、自分で創作活動をしてみる!とか色々と考えてます。 なんにせよ、自己嫌悪の最底辺まできたのです。 あとは上を目指すことを考えるだけだと思っています。 あと、死ぬこととは一番の親不孝だと思いますよ。 親というのは子の幸せを一番に願っているはずです。 なら、質問者様が幸せになる=親御さんも幸せ。 ということなのだと思います。 一度自己中心的になってみるのもいいかもしれないですね。 質問者様は趣味などはあるのでしょうか? ないのなら、色々なことに手を出してみては? 勉強を頑張って、有名大学に行き、興味のある分野を学ぶのもいいのかもしれませんね。 自分が情けないと思うだけでもご立派だと思います。(お世辞とかではないです。) 質問者様にはご自分で気がついていない魅力があると思います。 「そんなものないよ!」 私もいつもそんなことを思っています。 じゃあ、何か胸を張れるものを作ろう、という思考に至りました。 私はこの質問に回答ができるほど、人間として出来上がっていません。 なので、質問者様と同等の立場で「意見」として言わせていただきました。 参考になれば。

noname#157310
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 私も胸を張れるよう、物事に挑戦してみたいです。 futulikeさんの前向きなお言葉に心打たれました。 ゆっくり、ゆっくり歩いていこうと思います。 本当にありがとうございました。

  • mrkawa
  • ベストアンサー率17% (5/28)
回答No.8

死については、よく考えますよ。 死のうと思ったことは、余りありませんけど。 「もうだめだ。」思ったときもありました。でも、「死んだらどうなるんだろう。」「死んでいい事があるんだろうか?」と考えている内に生きているから何でも出来るんだ。死んだらおしまいだと思うようになりそれ以来思わなくなりました。 死ぬくらい辛いなら、卑怯かも知れませんが、その場から逃げればいいじゃないかと思いました。 今までに、同級生や会社の同期、親戚等いろんな人が自ら命を絶っていきました。 共通していたのは、思いつめる。責任感が強い。そういう人たちでした。 よくよく考えてみると、本人が真剣に思いつめていることが、他人にしてみればなんでもないことであったりします。 もっと自分を客観的にみてはいかがでしょうか? 私は、死んでも楽にはならないと考えています。何も変わらないと思います。 そうするくらいなら、現実に生きている世界のほうがよっぽど変えられるような気がします。 今は、辛くとも今を変えようとする努力が必要です。 生きているうちです幸せになれるのは。今が不幸なのに死んでから幸せになれるとは思えないのです。 自殺した方には、失礼な言い方になってしまいますが、最低なことだと思います。 死ぬくらいの勇気があれば何でも出来るような気がします。簡単に幸せをつかむことが出来るような気がします。 私は、そんな勇気がないので、だらだらしているのですが、それでも不幸だとは思っていませんよ。 そんないらない命なら、私に分けてください。もっと有効に使えるかもしれません。と、思ってしまいます。 社会に出てしまうと、学校生活とはまた違う世界があるので、それを楽しみにしてはいかがでしょうか? すみません。あまり答えになっていなかったかもしれません。

noname#157310
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 いいえ、すごく心に響きました。 mrkawaさんのお言葉は心強いです。 死んでしまったら何も出来ないですもんね。 少し気持ちに余裕がもてた気がします。 本当にありがとうございました。

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    • 締切済み
  • 死について考えることは、普通のこと?

    一日の内でほんの5分か10分なのですが、死について考えることがあります。 マンションを見ると「あの屋上から飛び降りたら死ぬのかな。今日飛び降りたら、明日の今ごろはもうないんだ」という風に。他にも線路沿いを歩きながら特急電車が通りすぎるのを見ている時とか。 実際にそれを行動に移そうとは思わない…というか怖くて移せないし、そんなことしたら大勢の人に迷惑かけるしとんでもないことだと分かっています。 それに、自分はたとえどんな高いところから飛び降りても死ぬことはなくて、大怪我で残りの人生きっと一生後悔して生きていくことになるんだ、と思っています。 楽して死ねることはないだろう、と思っています。 でも24時間中のほんの数分とはいえ、毎日そういうことを考えている自分が少し不安です。 何かあったときに衝動的に行動に移すんじゃないかという気がして。 誰でも死について考えることはあると思うのですが、毎日(ここ3か月ほどです)・現実的に(哲学としてではなく、という意味で)死について考えるという行為は心理的な面から何か理由があるのでしょうか? 口に出して話す話題でもないから、みんな言わないだけで、死について考えるのは自然なことなのでしょうか? ぼんやりと死について考えてる自分が、自分自身つかめなくて怖い気がしたりします。 なので抽象的な質問ですが、死について考える人というのは例えばどんな心理状態なのか、教えてください。 よろしくお願いします。