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どこまで裏づけをとるか

jiveの回答

  • jive
  • ベストアンサー率45% (27/60)
回答No.3

論理的であるかどうかの確認も、人間が行っています。 論理的に思考することができる人間が大多数であるとも言えません。 世界のほとんどの人が論理的な思考が実はできていない可能性だってあります。 「AならばB,BならばC、このときAならばC」という3段論法ですら、 地球人全員が何か勘違いしている可能性だってあります。 となると、「絶対に正しいことを絶対に証明、あるいは確認すること」は、 地球人である我々には、まず不可能といえます。 これはまず、間違いのないことでしょう。 そのうえで、状況に応じ、必要に応じ、情報の確かさを求めることになりましょう。  たとえば、  明日が雨かどうか。  明日が長篠の合戦なら必死になって考えますが、今の私にとってはどうでもいいことです。  天気予報が言っていることを、疑うなんて面倒なことは、この場合しません。  しかし逆に、放射能による食料汚染に関する問題については、  いろいろ情報を集め、自分なりに「おそらくこうだろう」と思うところがあります。  このとき、私は自分の思考に対して、また専門家などの意見、各種資料に対して、  情報の確かさ、論理性を追及しています。 つまり、「情報の正確さ」を絶対的に保証できない以上、 状況に応じて、それなりの正確さを追及することになる。 ということかとおもいます。 私たちは永遠に神の視点を手に入れることはできないがゆえにです。

MOG777
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「AならばB,BならばC、このときAならばC」という3段論法ですら、 地球人全員が何か勘違いしている可能性だってあります。 詳しく聞きたいわけですが、またあらためて。

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    • au
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