まず、宗教団体の形をとっていながら、実態は宗教とは言えない団体は沢山あるようで、創価学会もその一つです。これは宗教法人の認可に大きな問題、そして難しさがあるように思います。信者や支持者が一定数いれば「宗教」と認められるのか私には分かりませんが、はっきりしていることは、人間のことをよく知っていなければ、人を幸せ(または楽に生きる)にはできない(指導できない)ということです。
このことから考えて、創価学会の「これが正しい信仰だから、布教することで皆が幸せになる」と強く信じて、一生懸命他人に勧める信者の姿一つとっても、「怪しい」ということが判ると思います。つまり指導者は宗教家ではないということです。凡人、凡夫が宗教指導者となることは非常に問題です。
凡夫は「これが正しい信仰だ」「これが本物の信仰だ」と、自分の思う「宗教」や「信仰」を信者に教えてしまうのです。
学会員を見れば解るように、先に「正しい」と強く信じ、「正しいから、他人の間違った信仰や間違った社会を変えよう」という思考に陥り、選挙や勧誘に夢中になれば当然、周囲との対立を生み恨み、苦しみを作ります。これは信者に「正しい」という価値観を植え付けてしまうわけですから、「カルト」と言われるような教団と何ら変わりはありません。
なぜ、まともな宗教家や指導者(程度の差はあれ、少なくとも寛容で謙虚さがある)が創価学会のような教団について表立って批判しないかと言えば、そのような人達は他宗を批判することで悪い因縁を作ることを知っているからです。それを良いことに創価学会のような新興宗教は、他の信仰を否定することで益々、「自分達は正しい」という自信を強くし、強引な勧誘などをして教団をここまで大きくしてしまいました。
本来なら「自分達は正しい」と拘る、その「心」について学ばなくてはならないはずです。
しかし嘘をついたり、断りにくい人間関係や優位な立場を利用してでも勧誘しようとする学会員は多く、「辞めたら罰が当たる」という恐怖で縛られているほどです。これは明らかに悪いマインドコントロールであり、人間関係を壊したり、虐待、精神疾患、自殺、犯罪などの要因となっています。
「これが絶対に正しい」という非常に偏った考え方が、ある意味では「希望」や「自信」となりますが、人によっては心を追い詰め精神を病んだり、自信過剰で傲慢な、過激な信者としてしまうのです。
周囲の人も「宗教だから仕方が無いか」「信教は自由だから」などと黙認してきたわけですが、そもそも狂信的な信仰や排他的な信仰に「信教の自由」という言葉は当てはまりません。逆に社会にとって弊害が多いわけですから取り締まるべきなのです。
このようなおかしな教団の「宗教法人」の認可を取り消すことさえできず、放っておいた国民全員にも責任があると言えるでしょう。信仰に関してもこのような問題がありますが、他に「黒い噂」と言われるような組織としての問題もありますが省略します。
お礼
ご回答有り難うございます。 その通りなのです。凡人が教祖をやってはいけないのです。 教祖様は霊界と高度な通信ができる方でなければ疑問でしょう。 あれだけの大きな組織にしてしまったのですから。 私には池田先生にそのような力があるとは思えません。 そのような噂も聞いたことがありません。 でも、私では池田先生を評価する力はありません。 最近、私自身どこかに身を置いた方がいいと思えるようになってきました。 あなた様の投稿は私の心のわだかまりを明らかにして下さいました。 1つの指針にさせて頂きます。重ねてお礼申し上げます。