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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?)

聖母マリアの処女懐胎の話を直視すればどうでしょう?

このQ&Aのポイント
  • 神は人間の精神だと言う人にかぎってこのけがれなき身ごもりをあたかも信じているのではないでしょうか?
  • 母マリアは遠くダヰデの血筋に連なる男であるヨセフとの性交によって子イエスをもうけたがそれは同時に神なる聖霊によって身ごもったというかたちです 物語のうえでは 後者のキリストにかんする側面が いわゆる処女懐胎です 人格と神格の両方の側面が 同時に一体として あります
  • 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ( a )、 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた( b )のです。 この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • o-sai
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回答No.15

現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。 そういう娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。 いわゆる一神教の歴史とは差別の歴史であり、理想として「博愛」「平等」を謳います。 後の世界ではカトリックとプロテスタントが殺戮し合い、自由を求めた新世界(アメリカ)は、 奴隷による綿花農耕で栄えます。 マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。 質問者さんは宗派の細かい設定に疑問を持っているようですが、 大局的な視野でキリスト教とはなんなのかを眺めなおしてみたほうがいいように感じます。 聖書も「例え話の講話」ですから。

bragelonne
質問者

お礼

 お‐さいさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば、マリアとは、ユダヤ民族によって強姦された娘です。  ★ マリアとは、差別され続けたユダヤ以外の民族の叫びであり、歴史の必然でした。  ☆ 《差別》という《大局的な視野で》ユダヤ民族およびイエス以後の世界を見直せというご指摘でしょうか?  M.ヱーバーでしたか わたしはこの人物が嫌いですからあまり出したくないのですが そういった視点からユダヤ民族=《パリア民》説を打ち出しましたね。外部からは エジプトによる奴隷化を初めとしてそのようにいろんな意味で虐げられて来た民族であると見得るとして そのユダヤ民族の内部では こんどはさらに別に  ★  民族によって強姦された・・・娘たちは数知れず存在し、差別によって生涯を迫害されて終わっていました。  ☆ という歴史もあるのだと。のちから見てでしょうが マリアはその典型となったのだと。  そしてイエス以降の世界史においても ユダヤ民族もまだまださらに迫害を受けるわけですが そのほかの民族にしても 同じような社会的立ち場に追いやられているとしたら 言わば疑似体験のようなものを共有し その象徴としてまたはその心の拠り所として聖母マリアを 抱きつづけるようになったのだと。  ただですね。まづ この《除け者》論については 別の質問でやっているのです。  ○ 【Q:イエスは 排除された《第三項》か?】    http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7322517.html  そうして この本質問は あくまで《けがれなき身ごもり》をどう解釈しておけばよいかを問うています。    ○ 物語としてはですが 聖霊によるけがれ無き身ごもりという《神格》の貌(かお)とそして同時に DNA によるふつうの人間としての受胎という《人格》の貌 これらふたつの貌があるのだ。こう認識するなら 無理なく――たとえおとぎ話としてであっても―― 一般に共有することが出来るのではないか?  こういう問いです。  ひとつの民族が他のそれらから虐げられたということは どういうわけか 歴史的事実のようです。そしてその内部でも 除け者にされいわゆる犠牲に供される人びとがいるということも 歴史の示すところだと思います。  ただ  ★ 現実から宗教誕生の成り立ちを考察すれば  ☆ という切り口からの発議だとすれば それは違うと考えます。  1. もとは――遠くさかのぼれば―― 個人の《非経験のナゾ》との邂逅にあります。アブラム(のちのアブラハム)という個人に 神が《この父祖の土地を去って どこかへ行け》とささやいたという《非思考ないしヒラメキ》にそもそもの初めがあります。  2. その子孫にもこの神が受け継がれ それぞれにおいて《信仰》が生きた動態となって現われたが たとえばアブラハムはその子イサクをいけにえとして捧げることを止めて 《人は人を殺さない》という命題を得た。これは 人間という存在にとっての《自由》という公理ですね。  3. ところが この公理は モーセのときに《なんぢ ころすなかれ》という倫理規範としての命題となって持たれるようになった。つまり それまでは 個人個人の信仰において持たれていた公理が 人間の言葉に翻訳されてその言語表現が規範(戒め)として持たれるようになった。  4. 信仰における神が 人びと共同の倫理規範を共有することにおいて あらたに・別様に 持たれるようになった。律法とも言いますが。  5. このような人びと共同の規範が 人間の言葉に翻訳した信仰の内容であるとして持たれるということ これが 宗教の初めである。  と考えるからです。《除け者の排除》問題とは 議論を起こす切り口もその発生の情況も違うと考えるからです。  どうでしょう? と言っても問うている問題が違うのではありますが。

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その他の回答 (23)

  • alwen25
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回答No.3

>(現行聖書にもとづくかぎりでです)。 現行聖書に書いてあれば納得するというのであれば ルカによる福音書1-26から1-38を読んでください。 明確に書かれています。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ルカによる福音書1-26から1-38を読んでください。  ▲ (ルカ福音:イエスの誕生が予告される 1:26-38) ~~~  26: 〔* 洗礼者ヨハネを生むことになるエリザベトが身ごもって〕六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。  27: ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。  28: 天使は、彼女のところに来て言った。     「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」  29: マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。  30: すると、天使は言った。     「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。  31:  あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。  32:  その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。      神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。  33:  彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」  34: マリアは天使に言った。     「どうして、そのようなことがありえましょうか。      わたしは男の人を知りませんのに。」  35: 天使は答えた。     「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。      だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。  36:  あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を     身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月に     なっている。  37:  神にできないことは何一つない。」  38: マリアは言った。     「わたしは主のはしためです。      お言葉どおり、この身に成りますように。」     そこで、天使は去って行った。  ~~~~~~~~~~~  つまり こういうことでしょうか?  ▲ (1:36) ~~~     「どうして、そのようなことがありえましょうか。      わたしは男の人を知りませんのに。」  ▲ (1:37) ~~~      神にできないことは何一つない。」  ~~~~~~~~~~~  ゆえに 《処女懐胎》が 事実だというご主張でしょうか?  ▲ 文字はころし 霊は生かす。  ただの《文字》ぢゃないですか?  あるいはまた ( a )の《人間イエスの妊娠と出産》という経験事象の側面とそして( b )の《神なる聖霊による身ごもり》つまりはそれとして《処女懐胎》とを まぜこぜにしてその文字は述べている。ということでしょう。  それくらいは読み取ってください。

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noname#155457
noname#155457
回答No.2

科学者や一般の人は誰でも、この世界にはビッグバンから進化論に至る歴史があると考えています。つまり、この世界は実在の世界であると。 しかし、仏教やキリスト教など宗教の基本的な考え方は、この世界は『空(幻)』の世界であるという、科学とは根本的に違った考えに立っているのです。つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。 この世界が幻であり、この人間世界に生まれるには、条件があるのです。それは、性欲です。性欲のない天使はこの人間界に生まれることはできません。 もう少し具体的にいいますと、父親と母親が性交します。そのとき、父親に嫉妬をしてその中に入ってくる霊は男。また、母親に嫉妬をして入って来る霊は女としてその母親が妊娠するのです。 天使の世界には性欲はありません。性欲があったら天使にはなれないのです。このように性欲と嫉妬がない天使は、性欲によって生まれることはできません。だからマリアは処女懐妊だといわれているのです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 天使  ☆ は関係ありません。単に知らせを持ってくるだけです。いったいどういう勉強をしたら そういう知識が得られましょう? あまりにもばかげています。  質問を挙げた甲斐があったというものです。いったいどうなっていましょうか。日本人の哲学は。  ○ 聖母マリア    の話をしています。仏教は関係ありません。しかも《宗教》の問題ではありません。聖書にもとづく個人の信仰を問うています。その中身をです。いったいどこのどのボタンをクリックしたら  ★ 宗教の基本的な考え方は、この世界は『空(幻)』の世界であるという  ☆ ことになりましょうか。世界は世界です。事実と人の心の真実とあるいは同じ心に観念の表象を馳せる虚構としての想像と これらのまとまりとしての現実が この世界です。と見るのが 空観です。めちゃくちゃの世界観ですね。  ★ 科学とは根本的に違った考えに立っているのです。  ☆ でたらめです。めちゃくちゃの出鱈目です。信仰の世界は この経験世界を超えているのです。空観を超えています。しかも この経験世界を見る目は まったく科学と同じ経験合理性にもとづき認識をおよぼすのです。ええ加減にしてちょ。  ★ つまり、この世は夢と同じ原理で造られた世界だというのです。  ☆ いったいどこまで寝ぼけていれば済むのです?  いったい日本は どうなるのでしょう?

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  • alwen25
  • ベストアンサー率21% (272/1253)
回答No.1

通常のキリスト教の考え方では aは誤りです。 aのようなことを言うとイエスは、単なるマリアとヨセフの子であり完全に 人間でしかないということになりイエスは、神の子でもキリストでもない ということになりキリスト教そのものが否定されることになります。 3はヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。 ところで、仏教では、お釈迦様は、産道を通らずに生まれたそうですが 私には、処女懐胎よりこっちのほうが信じられません。 また、あまり関係ありませんが、人工授精などを使えば 性交なしに妊娠することも可能です。

bragelonne
質問者

お礼

 あるゑんさん ご回答をありがとうございます。    まづ もうしわけないですが 次の命題は この主題にかんして論外とします。  ★ ~~~  また、あまり関係ありませんが、人工授精などを使えば  性交なしに妊娠することも可能です。  ~~~~~  ★ ~~~   ところで、仏教では、お釈迦様は、産道を通らずに生まれたそうですが  私には、処女懐胎よりこっちのほうが信じられません。  ~~~~~  ☆ これは これもいまの主題について関係なしとします。《信じられるかどうか》で関連していると思われたのかも知れませんが 《経験事象》について《信じる》は かかわりません。やはり論外です。(帝王切開は どうなのか)。  ★ 3はヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。  ☆ 意味が取れないのですが?    ▲ 御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ( a )  ☆ ここで ヨセフはこの《ダビデの子孫》です。このとき  ★ ヨセフだけではなくマリアもダビデの子孫であれば矛盾しません。  ☆ とは どういうことを言うのでしょう? 何が矛盾しないのでしょう? この( a )は 経験事象であり 事実認識だけの問題ですよ。  さて  ★ 通常のキリスト教の考え方では a は誤りです。  ☆ だそうで さらに詳しくは 次のようだそうです。  ★ ~~~  a のようなことを言うとイエスは、単なるマリアとヨセフの子であり完全に  人間でしかないということになりイエスは、神の子でもキリストでもない  ということになりキリスト教そのものが否定されることになります。  ~~~~~~  ☆ まづ  イエスという存在は ヨセフとマリアのあいだに生まれた《ふつうの人間》です。  どうしてこの( a )を言っただけで   ★ 単なる・・・・でしかない  ☆ となりましょう? 完全にふつうの人間なのですから イエスなる存在は その身と心において――十字架に就く前に大声で泣いたとおりに・あるいは脇腹を槍で突くと 血と水が流れ出したとおりに・さらにあるいは ローマ兵士が水をあたえに行ったときすでに息を引き取っていたというとおりに――朽ちて死ぬべき人間という存在です。そのかぎりで  ★ イエスは、神の子でもキリストでもないということになり  ☆ はあたりまえではないですか? いったいどういう寝ぼけたことをおっしゃっていましょうか。  いったい どこのどういう  ★ キリスト教そのものが否定されることになります。  ☆ というそのキリスト教のことを言っておられますか?  めちゃくちゃではないですか。あいまいであることは仕方ないでしょうが めちゃくちゃなことを知ったふうに言うというのは どうしたものでしょう?  神の子でありみづからが神である《ことば》つまりキリストが 肉になったというのは むろんこのイエスにその存在が一体となったことですが 肉つまりこのばあい身と心から成るこのイエスなる存在そのままにおいて そこに同時に神としてつまりは霊なる存在として この世に現われた。  こうでないほかの解釈があるとは考えられません。(現行聖書にもとづくかぎりでです)。  いったいどこの教義をおっしゃっていますか?

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