• ベストアンサー

幕末~明治初期の鎧兜について

doyaの回答

  • doya
  • ベストアンサー率39% (70/177)
回答No.3

西南ノ役での薩軍の服装について 「天変の椅子(日露戦争と児玉源太郎)」  古川薫著 文春文庫より引用します。 ◆幹部(将校?)の服装 ・近衛・鎮台に奉職していたころの制服(軍服) ・警視庁の警部・巡査の制服 ・海軍将校の正装 ・詰襟、背広の平服 ・燕尾服に山高帽(村田新八) ◆その他 ・将校は、上衣の上から白木綿の兵児帯を締め、腰に一刀、真紅の隊旗を持ち、ズボンに脚絆、草鞋をはいている。 ・一般兵士は陸軍や巡査の制服もあれば、筒袖・股引という姿もまじっていた。  (”姿は一見珍妙”との描写あり) 小説ですので、100%正確かどうかはわかりません。(小説自体は大変良い内容でした) 薩軍に和装の者が多かったイメージはありますが、はたして甲冑を身に着けた者が戦闘に参加したかどうか。 幕府が倒れる以前の第二次長州征伐では、英国から輸入したミニェー銃を装備した長州軍が幕府軍を破りました。 戦国時代の甲冑では、最新式の洋式小銃の小銃弾を防ぐことができないことは、西南戦争の時代にはすでに明確になっていました。 従って、西南戦争の戦場に甲冑を着込んだ兵が参加していた可能性は低いと考えます。

mole_mole
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 様様なご意見があり参考になります。 私も小説で読んだものは洋装だったと思っていたのですが、そうでない場合もあるようですね。 でも幕末ならいざ知らず、明治に入ってから10年もたっているあの時代に鎧兜は無いんじゃないかと思いました。

関連するQ&A

  • 戦国時代と幕末の兵力

    戦国時代には他国との戦いは万単位の軍勢が動きます。 しかし、幕末は戊辰戦争では百人単位、多くても五千人の軍勢しか各藩とも出してません。 これはなぜでしょうか、天下分け目の戦いなのに戦国時代とは数が少なすぎると思いますが。 この違いはなんなんでしょうか?

  • 実際の殺陣はどうだったんでしょうか?

    よくテレビや映画などで侍や武士同士が刀を使って切りあってやる殺陣シーンがありますが、チャンバラといわれるようなあんな格好いい戦い方だったんでしょうか?僕だったら怖くて隙を見つけて突くと思います。実際、剣道の有段者と剣道をして籠手をして突きました。戦国時代から江戸時代まで侍同士の戦い方は実際はどんな刀さばきだったんでしょうか?また一人で何人も相手して勝てるものなんでしょうか?また、鎧を着た武士は切られずにいられたのでしょうか?あまりにも映像が想像できないのでよろしくお願いします。また、実際の侍の殺陣の映像ってありますか?

  • 武士になる方法を教えてください

    「我が家は戦国時代以来の武士の家系で~」なんてことを聞いたりすることがあると思うのですが、その戦国時代にどうやって武士になったかが何となく気になりました。 戦国時代以前は武士ではなかったということで、つまり足軽からスタートすることになると思うのですが、その足軽が貧乏侍でもいいので武士と名乗り、武士として家を存続させることが出来るまでの過程を詳しく教えて頂けないでしょうか? 出来れば秀吉みたいな特殊な例ではなく、よくあったであろう平凡なパターンだと助かります。 ご存知の方、宜しくお願いします。

  • 戦国時代の漫画

    『戦国時代』・『江戸』・『明治』などの【侍】や【武士】や【剣豪】の漫画でなにかいいのってありますか? この時代に今こっているので。 良いのがあったら教えて下さい。

  • 【戦国】のゲーム

    『戦国時代』・『江戸』・『明治』などの【侍】や【武士】や【剣豪】のゲームでなにかいいのってありますか? この時代に今こっているので。 良いのがあったら教えて下さい。

  • 戦国・幕末時の鉄砲

    戦国・幕末時の鉄砲についてお聞きしたいです。 1、「鉄砲に使う火薬が当時日本では希少で、堺を押さえた織田や島津といった貿易が強い国以外は鉄砲の数自体はかなり持っていたが、火薬がないため工芸品・美術品のような扱いになっていて、戦いには使うことは少なかった。」 という話を聞いたのですが、これは本当なのでしょうか。 2、長篠の合戦で織田軍は武田軍に大勝するわけですが、武田軍はただ騎馬軍に頼ったから、織田軍は革新的な鉄砲隊を組織したから(=騎馬vs鉄砲)なのでしょうか。武田は鉄砲を戦争で使わなかったのでしょうか。また、これは家臣ではなく、信長の考案(鉄砲への先見性、鉄砲隊組織)ですか。 3、幕末大二次長州征討で、幕府軍は長州軍の洋式鉄砲の軍に負け、「飛び道具とは卑怯なり」的なセリフをはいた武将もいたと聞きましたが、長き平和の時代が続き、長篠の合戦を忘れてしまったのでしょうか。

  • 日本の戦国時代~江戸時代初期・明治維新までの砲弾

    戦国時代の大砲(大筒)の弾って、今で言う所の徹甲弾(攻城用弾)だと思うのですが、時代劇や大河ドラマでは、砲弾の対地着弾付近の侍・武士・兵士が吹き飛ばされて死傷する描写が多数見られます。 また、幕末の外国船の砲弾も、鉄球弾であり、榴弾ではなかったと思います。 しかし、炸薬が内蔵されていない鉄球である砲弾が近くに落ちても、大したことないと思います。 実際は、榴弾やそれに近い炸薬の内装された砲弾だったのでしょうか?

  • 官軍について

    戊辰戦争時のいわゆる官軍ですが、大河ドラマ等でおなじみの黒い洋装は官軍全体で統一して用いられたのでしょうか?当時の日本人にあの格好はかなり抵抗があったと思うのですが・・・・。また、指揮命令系統はどうなっていたのでしょうか?各藩のメンツもありますし、大体西郷隆盛はじめ下級武士が指揮をとっていたなんて身分が絶対の武士には受け入れ難かったのではないでしょうか?

  • こんばんは、高校生です。

    こんばんは、高校生です。 今夏休みの課題の西郷隆盛に関するレポートを作成していますが、タイトルを映画の真似をしないほうがよろしいでしょうか。 私のテーマは西南戦争で、映画ラストサムライは西南戦争がモデルという話も有名ですので、レポートのタイトルをもうちょっと映画よりは砕けた感じで『これがまさに! THE LAST SAMURAI』というようにしたいのですが…。 いかがなものでしょう…? よろしくお願い致します。

  • 日本史

    映画「七人の侍」の舞台として、戦国時代の村が登場する。当初、野武士の襲撃に対して無抵抗なその村の姿は、歴史研究の視点からすると、不自然だと言うののです。なぜ不自然なのか、説明してください。その際、兵農分離という語を使用してください。