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「必ずしも成功しない」?

WiredLogicの回答

回答No.9

先に、 >でも実は「必ずしも幸福ではない」の方には >あまり違和感を感じていないのです。 に回答します。 >「必ずしも徳有らず」を口語で「必ずしも徳がない」と言った場合 >私のように違和感を感じるものが少なからずいたため で、「必ずしも徳はない」とすると、 「必ずしも幸福ではない」ほどでなくても、 違和感減りませんか? あるいは、「必ずしも幸福でない」にすると、 違和感増えませんか? それとも、「必ずしも成功はしない」と言いかえると 許せそうな気がしてくる、とか… 質問者さんに、それなりの増減感覚があったとして、という前提で言うと、 秘密は、明らかに「は」にあって、この区別の副助詞が付くことで、「必ずしも」がない場合でも、「徳はない」だと「それ以外のものならあるかも」、「幸福ではない」なら「他の状態ではあるかも」のような含みを感じる、それは、直接「部分否定」に繋がらなくても、そういうことはあってもおかしくなさそう、という心の準備を生むので、「必ずしも~ない」という部分否定表現になじみやすい、ということかと思います。 私の考えは、基本、#4さんと同じ、というか、もっと過激で^^ 「は」が付いたくらいで、左右されるような、「成功しない」を、全否定と見てしまう感覚ってどうよ^^、上に書いたように「は」自体に「部分否定」そのものを暗示するような意味はないのに、あれば安心する言語感覚って?それなら、「成功しない」を見ても、「部分否定」の可能性は否定できないって思ってくれよ、というものです^^ 実は、そこらへんは、漢文だけでなく、英語や数学についても、常々感じているところで、 自分で、英語の数学や自然科学の本を読むときは、自分で理解すればいいだけなので、楽チンなのに、他人に読ませるために訳をするときは、「not necessarily」をどう訳すかで、いつも苦労させられる。 私の正直な気持ちは、普通の人に、本当に基礎の基礎の漢籍の素養、高1で、1か月かそこらで教えてもらえる一番の基本の部分か、数学の論理の、一番基本の部分か、最低どちらか解っていれば(これが訳が必要な数学が必要な人でもカッチリしてないところが悲しい^^ところなのですが)、「この試みは必ずしも成功しない」と書いておけば、解るはず、それで短く済ませたいと思うのに… #8さんのように、「成功しない」は全否定(じゃ「完全には成功しない」は?)なんてことを言いだす人や、 #5さんのように「多くは、『成功率が高いのだが、不成功に終わることも考慮しておくべきだ』の意味で用いられる事が多いと思います」(そういう使われ方が多いからと言って、必ずそんな前提があるという訳じゃない)と言い出す人や、 失礼ながら、質問者さんのように、 「ところで余談ですが「必ずしも徳有らず」だと 部分否定「大部分は有徳だけど中にはそうでないのもいるよ」と言うよりも 大部分否定「結構みんな徳がないんだよ」のようにわたしは感じてしまいます」 と言う人もいれば、 (それは、漢籍の素養というか単なる練習不足なだけでは?) 「「しも」をしらべると、前に来る語の強調とあるので 必ず・しも→なにがなんでも絶対に、必ず 必ずしも成功しない→絶対に、何が何でも、どうあっても成功しない という意味にとることも出来そうです。」のようなことを言い出す人 (外国人が辞書を読んで、この言葉はこの意味、この言葉はこの意味 だから、この組み合わせで使ってもいいですよね、と、日本人からは 違和感を感じる組み合わせの言葉持ってきたとき、無批判に、 御説ごもっとも、とは言いませんよね?) などなどと思い悩んで、余分な言葉を付け足して、 「この試みは必ずしも成功するとは限らない」などと書くことに… 漢文・数学の論理、どっちも高1でやることだぞ~、と、腹の中で、読み手を頭に浮かべて、ブツブツ言いながら(その前に、「not necessarily」なんて高1の英文を訳させないでくれよ、と、文句言うのが先か^^)

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