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「雑駁」の肯定的な用法

「雑駁」という語はふつう否定的なニュアンスで使われると思います。 それも主に 自分のことについて謙遜的に使われることが多い。 手元の辞書をいくつか引いても肯定的な用例は出ていません。 ところが 逍遥の『小説神髄』の下巻「主人公の設定」の項には  趣向の雑駁が無いことが 良くないことであるような表現があります(原文が手元になくて不正確で申し訳ありません)。 つまり「雑駁」を良い意味の複雑さ としているように思えるのです。 これは私の理解が誤っているのでしょうか? それとも これと同じような肯定的な用例はほかにもあるのでしょうか?

みんなの回答

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

「特り小説の脚色のみならず総じて美妙の技術に在りてハ脚色の統一と趣向の雑駁とを要するものなるよし」という箇所に関しては、当時の訳語のレベルに遡って取り上げる必要があるでしょう。 「バラエティー【英 variety】(1)変化(かわり)(「諳厄利亜語林大成」1818年)、(2)種々なること、入れ替わること(英和対訳䖝袖珍辞書」1862年)、(3)雑駁(まじり)、異種(「附音挿図英和字彙」1873年)、(4)多様(「英和字彙第2版1882年」)、(5)駁斑、相違、変種(「附音挿図和訳英字彙」1888年) (「外来語の語源」角川書店) 坪内逍遥の記述した明治18年(1885年)当時としては、まだ語源のvarius(様々の、雑多の)という意味から、「変化(かわり)」「入れ替わること」「雑駁(まじり)、異種」といった表現が辞書的な汎用性を宿していた時代であり、やがて「多様(性)」「駁斑、相違、変種」などへと移りつつあったと見られます。良い側面からは「多様」、悪しき側面では「蕪雑」「煩雑」であり、その点「雑駁(まじり」についてはわりあい中性的なニュアンスだったと思われます。 ここで、逍遥における「ユニティ(脚色の統一)とバラエティー(趣向の雑駁)」においては、筋立ての統一性と展開の意外性の両立の相乗効果を齎すものとして、すなわちしっかりしたストーリー上での「趣向の雑駁」とは、必ずしも「蕪雑」な混乱を招くものではなく、むしろ適度の詠み手を飽きさせない「美妙の効力」として捉えられるべきだと論じているものでしょう。 なお、江藤淳はその若き日の論文「夏目漱石」において、漱石の「文学論」こそは、このような当時導入されつつあるこの英国文学作法のその先に潜む、更なる葛藤の深淵において漱石が懊悩した次第について喝破していると思われますが、これは全くの余談です。

kwan1234
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 よくわかりました。

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.1

こちらのコンピューターに入っている「大辞林」の文例に 「文明の雑駁なるを知らず、其動くを知らず/文明論之概略(諭吉)」 とあります。以下引用 文明の大本は私徳の一方に在らざること明白に証す可しと雖ども、彼の徳行の識者は初より議論の極度に止まり、思想に余地を遺さずして一方に切迫し、文明の洪大なるを知らず、文明の雑駁なるを知らず、其働くを知らず、其進むを知らず、人心の働の多端なるを知らず、其知徳に公私の別あるを知らず、其公私互に相制するを知らず、互に相平均するを知らず、都て事物を一体に纏めて其全局の得失を判断するの法を知らずして、唯一心一向に此世の悪人を少なくせんことを欲し、其弊や遂に今の世界の人民をして犠昊(伏犠と少昊)以上の民の如くならしめ、都会をして田舎の如くならしめ、大人をして小児の如くならしめ、衆生をして石の猿の如くならしめんとするの陋見に陥りたるものなり。 ここでは旧来の型にはまった整然とした価値観に対する異議として使われているように思います。 今日で言うなら「猥雑」などもご清潔に対してニュアンスに富んだ色合いをもつものとして肯定的に使われる場合がありますよね? なお「駁」は馬のまだら模様だそうです。字だけを観るならばひとつに染まらないと言うかニュアンスに富んでいるという意味なのでは。→反駁、論駁 「雑」を悪い意味にとる考え方はたくさんありますが、必ずその反論もあり、つまりは雑という概念そのものがそのような対立する価値観をもともと含んでいるのでは。 →雑種、雑草、乱雑、雑にやる、雑兵 「雜」は端切れを寄せ集めて作った衣、だそうです。 「雑駁」は漢語によくある「わかりやすくするために近い意味の字をふたつつなげた語」ではないでしょうか。→侮蔑、灯火、警戒、素朴

kwan1234
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 別の例も示していただきよくわかりました。

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