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死刑囚の扱い

korokoro1980の回答

回答No.16

(1) 後藤田正晴は東大法学部出のキャリア組の警察官僚で、政治家への転身は遅かったが、すぐに政権の中枢入りを果たした。頭脳明晰で「カミソリ」と評された。彼は、連合赤軍が浅間山荘事件を起こした時、機動隊に「殺すな。生け捕りにせよ」と命令した。当時、一般庶民は「撃ち殺してしまえ!」と興奮していたけれども。 後藤田には、「殺したら殉教者を作り出すことになる」という冷徹な現実認識があった。警察は、命令通り生け捕りに成功した。長い裁判の結果、主犯格の永田洋子らは死刑判決が確定した(1993年だそうだ)。 しかし、永田には結局死刑が執行されなかった。脳腫瘍の激痛に苦しみ、廃人のようになった挙句、2011年に獄中(医療刑務所?)で病死した。 執行を約二十年も延期し続けた理由は、「共犯者の一部が逃亡しているので、事件の全貌が明らかになってないかも知れず、死刑執行には慎重を期す」という、法務省の意向だった(後藤田は「生け捕りにせよ」と言ったのであって、「死刑にするな」とは言っていない)。 しかし、国家権力には、どす黒い本音があったのではないか? 「殉教させてなるものか。長々と生き恥をさらし続けろ」と。同様のことは、例えば麻原彰晃にも適用されるかもしれない。死刑判決確定済みだが、今後何十年も執行されない可能性がある。 早く死なせれば、それだけ早く仏になってしまう。例えば、三菱銀行人質事件の梅川昭美は、やむをえず警察が射殺したが、遺骨は母親の手で故郷へ帰った。頼み込まれた寺の住職は、「どんな悪人も、死ねば仏弟子である」といい、お経をあげて供養してやった。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)。 法の執行者(司法官や法相や行刑官など)は、単なる法律ロボットではなく、人の心を持っている。それは仏教などから影響を受けている。現行法の下でさっさと死刑にすることは、むろん「判決の執行」であるが、他方、「悪人に往生を遂げさせ、国家権力の手から離して、仏様の手に委ねる」という解釈もできる。仏の慈悲は広大無辺で、悪人をも包み込む。であるならば、極悪人は死刑が確定しても、何十年も執行しないままにおくという考え方も出てくるだろう。 実際、死刑囚の精神状態を診た精神科医によれば、長期にわたって執行されないと、絶え間ない恐怖で精神がボロボロになるそうだ。1960年代末や70年代初めに極左のテロ事件で恥をかかされた国家権力は、ある意味、何十年もかけて復讐を完成したのである。国家権力は弱腰なのではなく、逆に底知れぬ悪意を秘めている。 (2) 国家権力の悪意はさておき、世界の現状を見渡すならば、今時どんどん死刑執行する先進国は、ほぼない(例外はテキサス州ぐらいか) 先進国は、日本と米国(の35州)を除き、死刑が廃止されている。米国の死刑存続州は、実際にはほとんど執行していない州がある。 日本の一般人は死刑賛成が多いようだ。一方、熱心な廃止派は、一般人にも専門家にもいる。が、意外と知られてないのは、政府当局者の中に「廃止も視野に入れておこう」と考える人がいることだ(熱心な廃止派ではないが、熱心な存続派でもないということ)。現在の日本は、「死刑囚が溜まっているが、あまり執行しない」状態である。これは廃止前のヨーロッパに似ている。 フランスは、世論調査で死刑賛成が多数派だったが、政府・議会が権限をふるって廃止を決めた。もっとも、日本は死刑廃止に近付きつつあるとは言い難いようだが。 (3) 私は死刑廃止論者である。「どんどん死刑執行」にも、「死刑判決確定後、何十年も拘禁」にも反対する。 昔、凶悪事件の被害に遭った。自慢にもなりゃしない……。加害者は初犯だったが、裁判で執行猶予が付かずに服役した。そのことからも、重い犯罪だったことが分かるだろう。初犯で執行猶予が付かないなんて、相当のものだよ。 しかし、重大な被害を受けた後で、加害者に等しく報復できたとしても、しょうがない。私がそのとき感じたのは、「目には目を、歯には歯を」がインチキで非現実的ということだった。もっと大切なのは、「犯人が必ず捕まること」、「罪の重さに応じて刑務所へ行くこと」である。 仮に、あのとき私が殺されていたとしても、「さっさと加害者が死刑になれば一件落着」とは思わない。それよりも、「加害者は何十年も拘禁されて、後悔し続けよ」。「拘禁中も出所後も働き詰めに働いて、何十年も私の家族に賠償し続けよ」。そっちの方が、遺された私の家族のためにも役に立つと思う。つまり、遺族も納得してくれる制度になるだろう。

K66_FUK
質問者

お礼

遺族によって考え違うでしょうから 「遺族に任せる」 というのはどうかと、書きました。 あなたの言う >拘禁中も出所後も働き詰めに働いて、何十年も私の家族に賠償し続けよ それも、私のいう「遺族にまかせる」の選択行為の一つと思います。

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