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感情

「感情こそが、人間(生きること)だ」という表現を見ました。 そこで、感情とは、いったい、なんでしょうか。 ・・・よろしくお願いいたします。

みんなの回答

noname#194996
noname#194996
回答No.10

NO.5 です。 感情について…? >いずれにしても、そんなに単純なことではないかもしれないと考え始めました。 私たちの手法としては、あるものの正体を見極めるには、ひたすらそれを裸にし尽くして、純化したあとで観察をするということです。必要なら分析したり腑分けもするでしょうが、そのものに他の要素、穢れがついていてはとかく間違えることも多いと思いますし。 感情は人間の内部では理性と結びついて複雑になっている面はあると思います。しかし、それを語り始めたらたいへんなことになるでしょう。一例として芸術論の大部が未完成になってつみあがるとか。 もちろんそれも感情の重要な側面を語る上で避けては通れないだろうとは思いますが、われわれがしなければならないのは、まず、感情そのものを語ることだと思いました。 老婆心ながら。

kurinal
質問者

お礼

komaas88様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 改めて、感情について、辞書を引いたり、検索したりしてみたところ、 「真と偽」「知・情・意」など、かつて、こちらのカテゴリーで見かけたことのあるような言葉が見つかり、また、他の回答者様のご回答には「正直」という表現もありました。 私は、なかなか、物事の繋がりということが判らない、さえないアタマの持ち主であるのですが、これには、さすがに、ようやく繋がったのかなという感想を持ちます。・・・繋がった先もともかく、足元さえも全然覚束ないわけではありますが(笑) 感情そのものについては、とりあえずは、「「これでヨシ」なのか、「このままではダメ」なのか、という判断」というふうに考えて居ります。

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.9

感情とは「私が感じた」ありのままで、私を知るのではない。 私と接して見る「相手の目線」から私を感じれたなら「気づき」を贈られる。 by 宇多田ヒカル 私にとって私の言葉や感情は、既に私の要素なので 知っておかねばならないのではないのです。 けれど、私を試そうとする、正直な他者がいてくれたなら、 私をありありと認識し確認することが出来るかもしれないのです。 有難う御座います。

kurinal
質問者

お礼

miko-desi様、ご回答ありがとうございます。 >「私を試そうとする、正直な他者」 改めて、感情について、辞書を引いたり、検索したりしてみたところ、 「「感情の表明」は、「真偽を問うことの出来る判断(の表明)」とは異なる」という表現もありました。 ・・・それは、そうでしょうね。 例えば、裁判官の事案に対する判決は、単なる感情の表明というよりは、真偽を問うことの出来る判断の表明のほうに近いと思います。 「裁判官の判断は、時代の最後尾(から、時代に付いて行く)」という表現もあったと思います。そうした事態をなんとかするためには、立法機能をなんとかマシなものにしなければならない、ということも。

回答No.8

感情的の対照として、知的あるいは論理的が挙げられると しても、その「知覚」そのものに生理的経験(本能や感情) が潜在している時、感情的から論理的までは連続的延長で あり、より短絡的なのが感情的、深い環境認識に基づいて 長期的に満足感の最大化を図るのが論理的であると言える。 たとえば、自己(個性や本能)とは独立に、外的存在がある ようだが、全ての環境認識は、認識体の感受表面における 量子相互作用(光だけでなく、音や触覚のような運動量の 交換や、味覚や嗅覚のような化合物の反応も、最終的には 量子相互作用であり、その“向こう”にある媒質の違いに 過ぎない)である。 そこにおいて、五感の相関した経験の蓄積(直感的記憶)に よって、光や音のような先行感覚(情報性の高い)に対して、 触覚や味覚のような実体的感覚の蓄積を相関させる、即ち 経験(時間的記憶)による予測(空間的広がり)として、 時空性は生じているのだ(論理的な活動は、その後の話)。 遺伝的な形質や本能に基づく衝動と、そうした自我仮説の 相補としての時空仮説の間をつなぐ相互作用のうち、本能 側からの流れが感情、環境側からの流れが論理だと言える。

kurinal
質問者

お礼

psytexさん、ご回答ありがとうございます。 基本的人権の主張には「他者の人権を侵害しない限りにおいて」という制約があるものと考えるのが「通説」と思います。 ・・・「だから、主張するな」というのではなく、といって「主張すれば全部認められる」というわけでもない、そういうものなんですね。 そういうものを「調整」と呼んでいたかと思います。 原告の「これでヨシ」があり、被告の「これでヨシ」があり、裁判官が下す「これでヨシ」がある、というわけです。そのうち、裁判官の下す「これでヨシ」が最も「論理的」に近いものでしょう。(くれぐれも、だからといって、原告は「これでヨシ」などと主張するな、というのでは、ありません) (より感情に近い感情)「これを食べれば美味い」 (より論理に近い感情)「これを子どもに食べさせよう」 こんな感じで、仰るところの「満足感」は(も)成長していくのではないでしょうか。

noname#164833
noname#164833
回答No.7

 脳の三層構造の2階。    http://www.chunichi.co.jp/hold/2007/ijime/list/200703/CK2007031802102058.html    http://blog.livedoor.jp/panda2002/archives/50177680.html  私たちの祖先が森に棲んでいたころ、毒を持った黄色と黒の縞模様の生き物を見て“不安”を抱いたり、高い木に登って“恐怖”が湧き起こったりすることは、進化として有意義なことでしょう。感情の中で、まず発達したのは危険を察知する部分です。進化の中での「感情」は必然であり、神秘的なことではありません。  本来ならば、最後に発達した3階部分の大脳新皮質(感情に対して理性)こそが人間の特質(人間を人間たらしめている特性)ですが、1階と3階をつなぐ2階を中心と考えると上手く説明できることも多いでしょう。深い部分から自らを突き動かしているような感じも有りますから、感情こそが人間(生きる意味そのもの)だと感じるのもうなずけます。  単純なイメージで捉えれば、理性は「べき」で、感情は「したい」です。どちらが本質か?と問われれば後者を選びます。よね

kurinal
質問者

お礼

gassene-ta-様、ご回答ありがとうございます。 お示しいただいたHTMLを可能な限り参照致しました。ありがとうございます。 「男性は、「問題」について、「根本的な解決」を目指して、(時に寡黙に)じっくり取り組もうとする」 「女性は、「問題」について、(話し合って)他人と共感することによって、「不安」を解消しようとする」 「男性は、頭の中で整理してから、話す」 「女性は、話しながら、考える」 面白いですね。「これでヨシ」というゴールも性差によって違うのでしょうか。 また、「ポール・マクリーン(1913-)の、脳の三層構造仮説」についてですが、 お示しいただいたのとは別のページですが、以下の表現も見つけました。 「現代の最新脳科学では、厳密なモデルとしての正確性はありませんが、脳の構造や進化についての、大まかな理解や認識を得るのには、便利な仮説である」 「ただ脳の構造と機能の差異(や特徴?)についての理論であって、「どの種の脳が優れている」といったような価値判断を含むものではない」 >「単純なイメージで捉えれば、理性は「べき」で、感情は「したい」です。どちらが本質か?と問われれば後者を選びます。よね」 「本質」とのことですが、脳の機能ということで言えば、理性的な判断が出来るのも脳の機能のように思われます。

回答No.6

あなたに感情はありますか? ある。  と答えるでしょうから、それが感情です。 質問は、感情という言葉の定義付けではなくて、なぜ、感情が湧き起こるのかということでしょう。 自分の感情なのに、自分の感情の起源が分からないのでしょう。 感情こそが人間だ。 理性こそが人間だ。 肉体こそが人間だ。 どれも正しくどれもまちがい。

kurinal
質問者

お礼

ukiyotonbo様、ご回答ありがとうございます。 「自分の感情の起源は」とのことですが、おそらくは、ミルクを与えてもらったり、オムツを替えてもらったり、もしくは、へその緒から栄養分などが流れてきて・・・というようなことまであるかもしれない、でしょうか。その辺りのことと考え始めております。 >「感情こそが人間だ。 理性こそが人間だ。 肉体こそが人間だ。 どれも正しくどれもまちがい。」 「肉体があればこそ感情が生じ、感情があればこそ理性的な判断も出来るようになる」、のではないか?と考え始めております。

noname#194996
noname#194996
回答No.5

NO.2 です。 >お伺いしたのは、「感情の効用」ではなく、感情そのものについてです。 感情とは? ですね。 生き物としての人間が、生物としてよりよく生きるために体の芯から沸き起こって自身の行動意欲に直接働きかけて指し示す情動反応とでもいいましょうか。 腹が減ったら食欲という感情が起き、いい女が前にいたらつきあいたいと思う性欲が起き、心地よい音楽が聞こえたらその場で心を静かにして聞き続けたいし、美しいものを見たらそれに同化したいと思い、嫌なものを見たらその場から離れたいと思い、敵を見たら怒り、あるいは怖くなって逃げようと思い、子供を見たらやさしく抱いて慰めたいと思い、雨の日は気がふさぎ、いい天気には外へ出て狩りをしたい機運に駆られる。などなど。 ある意味即物的で単純な人体のシーケンス作用なのでしょう。具体的になぜそんな反応がからだに起こるのかは、塩分の作用とか性ホルモンの分泌とか、関係する生理現象もさまざまですから一概にはいえないですが、進化の過程で身に備えられた人体の不思議ということでどうでしょうか。

kurinal
質問者

お礼

komaas88さん、ご回答ありがとうございます。 >「生き物としての人間が、生物としてよりよく生きるために体の芯から沸き起こって自身の行動意欲に直接働きかけて指し示す情動反応」 >「ある意味即物的で単純な人体のシーケンス作用」 (「シーケンス」の辞書的意味・・・「ひと続きの」) 私も、自分の中で「意志の力で抑えるのが難しいような欲(とか、反応)」というものを感じることがあります。 >「さまざまですから一概にはいえないですが、進化の過程で身に備えられた人体の不思議」 「進化」ということでは、偶然ですが今日の読売新聞で「ダーウィンは、「自然淘汰」という言葉は使ったが、「適者(生存)」という用語を使うことには、ためらいがあった」という記事を読みました。 いずれにしても、そんなに単純なことではないかもしれないと考え始めました。

  • tattaro
  • ベストアンサー率19% (30/153)
回答No.4

ちゃうよー 現代人も快不快で行動してるよー そうじゃないと勘違いしてるだけ 特に理屈ぽい人が。昔は俺もそう思ってた(笑)

kurinal
質問者

お礼

>「現代人も快不快で行動してるよー」 そっか(笑) ・・・そう言えば、 「罪刑法定主義というのは、「こんなことをしたら、こうだよ?!」と、あらかじめ予告することによって、「こんなこと」を未然に防ぐものである」とか。

  • tattaro
  • ベストアンサー率19% (30/153)
回答No.3

脳の勉強しな。 僕のイメージで伝えると、 感情脳が主体で、身を守る道具として理屈脳があるイメージだな。 人間が理屈で動いてると勘違いした理屈屋が多いのが現代人。 基本は、快か不快かだ。

kurinal
質問者

お礼

tattaro様、ありがとうございます。 >「人間が理屈で動いてると勘違いした理屈屋が多いのが現代人」 >「基本は、快か不快かだ」 ・・・近代以前は、もっと「快か不快か」だっただろうと想像します。

noname#194996
noname#194996
回答No.2

>感情こそが、人間(生きること)だ なるほど。 少し変えて、わたしなりに 感情こそが人間の生命力だ。  となりましょうか。 ひとに感情がなくてばら色の人生を想像することは不可能だからです。 人間が何不自由なく楽しく生きるには、理性はあってもなくてもいけれど、 感情は絶対なくてはならないものです。 笑ったり泣いたり怒ったり嫌悪したり好んだり喜んだりして楽しむのが人生(の目的)なのです。 感情は人間活動のブースターだということもいえます。 人間と動物を隔てるのは理性ですが、人間と動物をつなぐのは感情だということです。 人間と動物は感情で同化できます。そしてそれはすばらしいことです。 人間同士も理性でなく主に感情で結びつきます。 そしてそれは結びつきの最終兵器なのです。 ロボットに理性を与えることは簡単です。でも 感情を付加するのは困難です。 人間が奴隷として生きるのを拒否するのは ひとえに感情があるからです。 芸術家は巨大で繊細な感情の持ち主です。 それが彼を一般人から差別化し、芸術家にしているのでしょう。 感情は人間の生命の証であり人間の活動の源泉でもあります。 感情はいきものの精妙な生理現象の結果だと思います。

kurinal
質問者

お礼

komaas88さん、ありがとうございます。 >「感情こそが人間の生命力だ」 >「ひとに感情がなくてばら色の人生を想像することは不可能」 >「感情は絶対なくてはならないものです。 笑ったり泣いたり怒ったり嫌悪したり好んだり喜んだり」 >「感情は人間の生命の証であり人間の活動の源泉でもあります。 >「感情はいきものの精妙な生理現象の結果だと思います」 なるほど、「活動の源泉」ですか。

kurinal
質問者

補足

komaas88さん、こんばんは。 お伺いしたのは、「感情の効用」ではなく、感情そのものについてです。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.1

1,人間の脳は本能を司る部分と、理性を司る 部分とから構成されています。 前者は、先天的、後者は後天的と言い換えても 良いかも知れません。 感情は、基本的には前者の問題だと思います。 ただ、前者と後者は互いに影響を及ぼして います。 だから、美意識にしても、民族や国によって 異なってくるのです。 感情は、前者に基盤を置きながらも、後者にも影響 されて生じるものでしょう。 2,前者はいわば、神によって与えられたモノです。 これに対し、後者は人間が成長と共に醸成していく モノです。 従って、後者こそ人間特有のモノのはずです。 だから、感情こそが人間だ、というのは理性に惑わされるな てことじゃないでしょうか。 例えば、好きな人ができた。これは感情です。 しかし、身分が違うから、とためらう。これは理性です。 感情に従って愛を求める方が格好良いですが 現実的ではありません。 嫌いな奴だから殴りたい。これは感情です。 しかし、殴ったらお巡りさんに捕まるから我慢しよう。これは理性です。 感情に委せるととんでもないことになりますが 理性だけでは人生面白くありません。 要は使い分けでしょう。 3,人間行動の総ての基本には感情があるのでは ないでしょうか。 何故、仕事をするのか、勉強をするのか、何故何故、と 問いつめていけば、たどり着くのは感情です。 俗に、それは感情論だからダメ、というのがありますが、 これは問題です。 正当に保護すべき感情と、そうでない感情がある というだけです。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ありがとうございます。 「短絡的」とか、「快」といったことを、連想致しました。

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