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西洋が憧れる東洋文化の例を探しています。

欧米がアジア文化に影響を受けた例としてなにかいいものはありませんか? 実存主義は、仏教の影響を受けているという話を聞いた事があります。 農耕が盛んで融和的思考の強いアジアとは、対照的に欧米は牧畜と競争が盛んですね。 文化的にそれらが融合したようなよい例はありますか? これからはアジアの時代だと欧米が危機感をもっている一方、 彼らは、世界の主導権を握り続ける事にやっきだと思います。 融和的な発想は、なにか出てくると思いますか? 学問的でも全くのクリエーティブな発想でも構いません。 あと、これは全くの個人的経験に基づくものなんですが、 ロシア人と日本人は、アメリカ人よりも仲良くなりやすいと思うのです。 これは、なぜでしょうか。ここに少しヒントがあるように思えます。 こんな大きな質問を投げかけてすみません。 しかも全然まとまっていなくてすみません。 本、映画、芸術作品、でお勧めのものがありましたら教えてください。 単なる比較ではなく、共通点だとか、なにかの突破口になるような哲学があったら教えてください。

みんなの回答

回答No.6

精神の在り方だと思います。或は『自我意識』を優先にするか、或は『自我意識を引っ込めておくか』と言う意味です。 是は人間の心の在り方と共通しています。人間には全ての人と言う事では有りませんが、かなりの確率で一生の内に陥る深い悩みや疑問や、或は生や死や、或は『心の闇』を覗き込む場合があります。 この深遠なる闇を覗き込んだ場合に、陥る或る現象があります。それは地獄を見ると言う意味ですが、聖書においては『失楽園』です。或は『罪』の意識です。仏教においては『業』と云う意味です。 人間の心が『苦しくなる』と言う意味です。仏教においては『一切皆苦』と言う現象の事です。この現象の解決策が、なかなか西洋においては『実践出来ていない事です』 この問題の元を『東洋の精神世界では昔から解決出来ていて、更にその解決方法を、連綿と師から弟子へと、或は時代を超えて言葉の壁を越えて、東洋には幾通りの解決策が残されている事です。 この問題の元には深い人間としての悩みや、疑問が存在しています。その疑問とは『自分は何者か?』と言う疑問です。或は人生とは何なのか?』と言う疑問です。 この問題の解決を、西洋の精神世界では、至った人は沢山存在しているようですが、その普及がはかばかしくないという言い方が出来るかも知れません。 その訳を書いてみます。 人間は人種を問わず、脳の機能が定まっています。その機能から説明します。人間の脳内には『二つの意識が存在しています。』科学的な証拠です。ウイキペデアからです。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” この二つの意識と言う『機能が分化するのは、思春期頃です。』子供時代には、一つのものとして働いていた脳が、成長して、大人の脳に近くなる頃、其々が『独立した意識として働き始める』と言う意味です。 そうして二つになった『心は』争いを始める事になります。つまり心に『矛盾を感じたり、心の中で対立や分裂をする事になります。』この戦いが始まる事を『知恵が付いたために天国から追放された』と云う事になります。 東洋には、老子や荘子など沢山の思想家が存在しています。お釈迦様もその一人です。そういう人達が唱えている事柄に『東洋の秘密があります。』その秘密に共通する言葉があります。 それが『東洋の精神世界を代表する、無の思想です。』 字数の関係から詳しく説明出来ないと思いますので、無の思想の元になっている『右脳の世界を端的に、見たり聞いたり』出来る、動画がありますので、載せてみます。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM この動画から読み解く事は『人間の心のからくりや、人間としての生命体としてのシステムです。』 感情が如何いうシステムで湧き上がるのか、或は生命が如何にして維持されているのか、或は人間としての、或は種としての『共通した、意識=悲しい、或は不安とか、恐怖とかの共通した感情を分かち合っている事』等が、生命として芽生えた段階から備わっている事です。 自我意識には関わりがないところで、育まれている事です。人間には『誰から教わる事無く、全てが備わっている事実』です。丁度全ての種が、命の芽生えた瞬間から細胞分裂をする事も、生まれた後で直ぐに立ち上がる種であれば直ぐにに立ち上がって、飛び跳ねる事や、人間ならば、赤ん坊の時代と、子供時代が長い事も、全て備わっている『ものによって』既に知っている事です。 お釈迦様が言った『生きとし生けるもの全てに備わっている働き』=命そのものの働き=仏性の働きを『右脳が一手に引き受けている事が分ります。 右脳の意識には言葉が存在しません、左脳の自我意識は、右脳からの情報を『一旦言葉に翻訳をして』認識をするシステムのようです。 右脳から送られてくる情報は『言葉以外です。』言葉によらない情報が脳梁から送られて来ます。この情報交換がスムーズに行く場合を、健常者と言っています。 この情報の受け渡しが上手くゆかない場合に、心に圧迫感を感じます、その圧迫感が『罪の意識や業』です。つまり『心の矛盾を』漠然とした不安と感じたり、生き難い想いとしてして感じています。 『心が苦しくなる原因は、右脳との関係が順調に行っていないからです。』 右脳からの今現実の『情報を』自我意識が受取りを拒否したために、右脳の意識はその情報を拡大して再送するようです。 その情報とは、高い所にいる場合の情報、狭いところの情報、人に会った他人の印象と言う情報、今書いた事はb、おもに神経症の症状としての恐怖症の場合です。 身体の生命維持装置として働いている場合に、自我意識に送る情報の受取りを拒否する場合では、あらゆる感覚の過敏に受取る場合がありますが、『その過敏に感じられる内容が自律神経失調症の症状です。』 その情報は『自我意識たる心に直に働きかける場合があります。』それは『自我意識単体で自分の気分や心の健康を、保とうとする場合です。』この場合には『無意識の心』を置き去りにするために、全てがわからなくなってしまいます。 それらの解決策が『無の思想』です。 無の思想の枠組みを作っているものが右脳の人格たる、仏性です。自我意識が単体で、無意識の力を借りようとしないで、行動しようとする場合、或は自我意識単体で身体の機能を整えようとする場合、或は自我意識単体で、心の調子を整えようとする場合、全てが無駄に終わっています。 眠る事さえ『自我意識単体でしようとする場合』眠る事が出来なくなります、その理由は『眠るのは自我意識ではないからです。』 心地良い眠りに入る場合では『自我意識はスーッと意識が無くなってゆきます。無意識の自分と入れ替わっています。そうして無意識の自分が深くて、此処と良い眠りに入らせています。』どうしても無意識の自分の力を借りることになります。 自我意識が働かない場合(意識しない場合)には全てが上手くゆきます。 自我意識が働かないで、右脳の意識に任せた場合では、自然と上手くゆきます。そこには『人為的なものがないからです。』 自我意識のぶつかり合いの最たるものが『戦争』です。自我のぶつかりあいからは、憎しみしか生まれません。平和など望む事が出来ません。西洋社会は『我思うゆえに我在り』の世界です。 或は、叩けさらば開かれんという方法です。 東洋では、『我を去れ』です。無心や、没我です。我を忘れて打ち込んで作った仏像には、自我意識には叶わない輝きが在ります。 自我意識たる左脳の意識と、仏性たる右脳の意識が『出会う事を=見性』と言います。共に働く場合には『我が働いていません』我が働かない世界を、人為的ではない、或は結果を求めていない、或は全てを捨てた姿とも云います。それが無為自然と云う事になります。 計算を離れた計算の仕方を西洋社会は求めているような気がします。我を捨てた右脳の世界です。頭の中も、目の前も『争いがない世界です。』静寂に満ちた、平和な心の内と、周りの人達が和やかに暮らす世界です。 人生がお金儲けが全てと言う考え方の逆の世界です。人間は何の為に生きているのかを体現している世界です。 本の中に学ぶ事があるなら、鈴木大拙博士の著作集の中に在ると思います。その中の書名に『東洋』という文字が書かれているなら、東洋と西洋の事が書かれています。 ついでに書いて置きますが、見性、或は悟りに興味があるようでしたら、そのヒントを書いて置きます。自分の性を見るという、見性は『禅問答を解く中に存在します』或は神経症や心を病む事や自律神経失調症を完治する中にも在ります。自我意識と『命の働きが』相争う場合に引き起こされているからです。 禅問答は『自我意識では解けません』是は、言葉が存在しない、右脳の意識が出てこない限りは解く事は出来ません。 『禅問答』は、右脳の意識に出会うためのテキストという意味があります。

回答No.5

<< 思考の混乱を防止することも、必要と思います >>   1)欧米がアジア文化に影響を受けた例 主題や範囲が不明確です。ネライと合わない回答になることもあります。 欧米:欧米のすべてにでなくて、一部でも良いのですか アジア文化:アジアのどこでも良いのですか、 影響を受けた:文化・文物のことでしたら何でも良いのですか   回答例:紙は中国で発明実用化されて、西アジアに伝わり、ヨーロッパに製法が伝わったのは12世紀で、現在は世界中で紙を使う文化があります。 陶磁器は、製法だけでなく、デザイン面でも、中国、朝鮮、日本などアジアから、西アジア、ヨーロッパに何度も伝わり、影響を与え続けてきたものです。(陶器は英語でchina、漆器はjapanと標記されるけれど、漆器は欧米で普及はしません) 香辛料や茶葉はアジアから欧米に普及しています。 金属鋳造活字は朝鮮で実用化されて、その後ドイツで一般化します。ただし、アジアの文化が西洋に影響を与えたというものではないでしょう。 高級官僚を身分や家系相続でなくて資格試験で登用する制度は中国が元で、ヨーロッパや日本でも同様の同様があります。(アメリカは違います)   2)<<農耕が盛んで融和的思考の強いアジアとは、対照的に欧米は牧畜と競争が盛んですね>>   農耕はアジア、牧畜は欧米と思っているなら、思い込みが強すぎるでしょう。 中央アジアや中国では、農耕に並んで牧畜は重要です。インドでも同様です。 牧畜が始まったのは西アジアとされています。牧畜と農耕は併存しているのが多いです。 農耕と牧畜は別々にはじまったのではなく、ほぼ同時期に、一緒に行われていたとする説が有力でで、前6500年頃のイランの農耕遺跡で、小麦、大麦、豆などと一緒に、羊、山羊、豚、犬などの骨も発掘されています。農耕と牧畜は補い合う関係にあります。日本の牧畜も、農耕と結びついた形で発達してきたと考えられているそうです。 http://www.mahoron.fks.ed.jp/kancyou/14kancyou9.htm http://trg.affrc.go.jp/v-museum/history_text/history03_t/h03t_00.html 現状の牛の飼育頭数も参考にみてください。 http://genome.ag.saga-u.ac.jp/textbook/textbook12/textbook12-1.html 日本での馬の飼育はアジアの中で遅く、4世紀末から各地で急速に飼育が始まり、7世紀の律令制では軍の中心勢力は騎馬兵です。その後も馬の軍事重要性は増して、馬上の戦いで有利なように、刀は直刀からそりのある日本刀の形になります。日本の牧畜技術は大陸のような技術発展がなく、ただ放牧していただけに近いようですが、文武天皇の時代には、関東に大規模な御料牧場が設けられ、戦国時代に関東を制覇した北条氏政は上総・下総の広い地域にまたがる広大な牧場を作り、徳川も直轄地域(千葉野、後の小金牧・佐倉牧)で馬産をしています。 日本での牛の家畜化は縄文時代の後期から弥生時代の後期にかけてなされ、古墳時代には牛の飼育が本格化し、食用や農耕、輓用作業に使われています。天武天皇が7世紀に、4~9月は稚魚の保護と五畜(牛・馬・犬・猿・鶏)を食べるのを禁じているくらいです。    ~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~ << 融和的思考とか、競争とか、どんなものとお考えですか >> 「和」を第一とする日本人とか思い込んでいるのなら、戦国時代や鎌倉、後白河上皇、後鳥羽上皇の事跡をみてください。聖徳太子の十七条憲法や明治天皇の五箇条誓文のことなら、その前にあった政治的事変をみてください。勝った方や権力機構のトップが、話し合いと合意の重要性、争いの排除を言うのは、どこでもみられることです。アレキサンダー大王(=イスカンダル)は遠征し大帝国を作りましたが、融和政策をとった人でもあります。ローマ、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ、オーストリア、トルコの専制君主も、自分の支配する内部の和や融和は重視しています。宗教戦争のような場合でも多くの場合、政治権力・利権がらみの抗争戦闘でしたし、戦争終結後は色々の宗教の人が同じ地域で平和裏に共に住んでいます。中国や日本での宗教がらみの戦争でも同様です。 例えば、受験競争のように日本も競争は強いです。企業間競争の厳しさが、欧米と日本、台湾、韓国、中国で大きく違うということはないでしょう。政治権力との密着度が大きく影響する社会でなければ、企業間競争は激しくなります。 個人個人の競争については、ローマや西欧でも、東アジア、日本でも、身分や家柄で職業や地位がほぼ決まる社会では競争は少なくなりますが、有利なポジションを誰でもが勝者とし獲得できる可能性が出てくれば、相互の競争は激化します。   融和と競争は対抗するものではないです。多くのスポーツは競い合います。同業の企業も競い合うことが多いです。 [融和=融けて一つになる][競争=対抗心をもって張り合う]という意味なら両者は異なりますが、個々の人間は融けて一つになることはありません。[融和=競争とは別の次元で相手を攻撃しない。競争とは別の次元では尊重し、仲違いしない]というように考えてはどうなのでしょう。  ~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~ << 融和的な発想は、なにか出てくると思いますか? >> 欧州各国は、それぞれの領土内に多種多様な人種を抱えています。フランスなどはその事情があるため人種を区分する統計も作りません。米国は多様な人種を抱え、中国も多様な民族を抱えています。こうしたところでは、内部で抗争が起きないよう暮らす文化ができています。日本の場合、人種の違いや他民族に関して融和的でないところが大きかったですが、最近は、それを気にする傾向は弱くなりました。 経済は20世紀末から急速にグローバル化して、物資の輸出入だけでなく、人の移動も盛んです。地域や文化の違いで壁を作り、一国や一地域が独立・排他・敵対するのは無理になっています。 競争をするというのは、同じ土俵で経済競争するだけになりつつあります。 進学する学校も、就職先の企業も、居住する地域も、国籍や場所を気にせず、内容や諸環境をフラットに考える人が世界各地で増えています。特に「融和的な発想」ということはなくても、経済のグローバル化が進めば、垣根は小さく低くなります。 経済のグローバル化が進めば、ロシア人、日本人、アメリカ人、インド人、トルコ人、インドネシア人、中国人、朝鮮人、ラオス人、メキシコ人、イタリア人、ギリシャ人、シリア人などの区別など問題なく、宗教も、民族習慣も問題なく、仲良くやれると思います。   まさに、宗教の差、歴史的事情の差、人種や民族の差、地域や国境線を超えて、競争と融和の一体化を、経済のグローバル化が推し進めています。  (誰かの優れた議論や道徳、宗教、哲学などではでき得なかったことが、今進んでいます)    ☆★ ★☆ ☆★ ★☆ ☆★ ★☆ ☆★ ★☆ 競争のグローバー化は、少数の勝者と多数の敗者を作ります。(経済競争でも、就業上の地位でも、貧富の問題でも)競争のグローバー化では敗者ばかりの地域もたくさんできます。それは、狭い日本国内だけでも地位格差が大きいのと同じです。こうした敗者の大量増加は大きな社会問題ですから、その対策は、厚生施策、福利施策だけでなくて、もっと抜本的なものが必要ですが、融和を説く思想とかで何とかできるようなものではありません。

回答No.4

 こんにちは。  やがて憧れるであろうという事例をお示しします。  話は長くなります。すでに投稿した内容をも含みます。      *  § 1 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性を この宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。  その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。   一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。   巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た  してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。    ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし     の体を重ねてみる。      そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに     あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。  おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。  神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらにひとが身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。その山の石や木が神との交流の依り代になっているということのようです。  人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよぶようです。  § 2 ところがこれをいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。  何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。  何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界――つまりかみがみのでしょうが――に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。  § 3 さらに時を飛びます。やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも新たな心性を 人は獲得したと思われます。  単純にそれは 時間の獲得によるものでしょう。  農耕をとおして・つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおし・つまりその種蒔きから穫り入れまでの時間の経過をとおして ヒトたる自己は 時間的な存在であることを知ります。  要するに 自分たちは老いると ただ倒れるのではなく死ぬのだという認識を得たことがからんでいるはずです。時間的存在であることは 心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得させたと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。  § 4 ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。    -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム  0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り  +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも       社会力学上(政治的に) 寄せる。  ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。ここでは これは 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが マツリゴト(宗教ないし政治 あるいは 一般に共同自治の普遍化)の始まりです。  § 5 言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスム自然本性の要素を備えているでしょうから(つまり むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な――反科学的ではなく 非科学的な――心性として いわゆる信仰をも持っています。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。  さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。  § 6 単純に言えば ヨリ・アニミスムを備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの社会的な(村の)人生としており 実際に或る種の儀式として 神との共食を持ちます。つまり 農作物の収穫に感謝し供え物をして 共に味わうわけです。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。  ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうのイリ歴史知性を超えたところの精神において) 《まつりごと》として制度化したというものです。束ね寄せます。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。それとしての共同自治の様式です。  古事記には 次のようにあります。  § 7 マツリゴトの発生にかかわる古事記の記事:    その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメの   ミコトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。     四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。  これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。  かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。  § 8 つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ 人びと(アニミストの人たち)と同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。アマアガリして行きました。  嫌ったので 強引に社会のいわば第二階に みづから上がって行ったのか それとも人びとが その新型シャーマンに辟易してこれを敬遠し 人びとの合意で これを社会の一段高いところなる神棚に据えてまつろうということにしたか いづれとも推し測られます。(《国譲り》説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。  § 9 要するに ここに 神の代理が 出現しました。見えない神との共食(供え物をしてのマツリ)が 見える神との共食(貢税を伴なうマツリゴト)になったという話です。  これが 宗教の始まりであるとともに けっきょくいづれその姿を現わしてくる国家という形態における共同自治の始まりを説き明かす一つの歴史事例(そのたとえ話)だと考えます。    § 10 問題は それがここでこの日本における国家の誕生をめぐる歴史(あるいは物語)に見い出されるとすればそれは ひと言でその特徴を言えば 次にある。すなわち 歴史知性としての類型が――アニミズムのヨリ原始心性はもう措いておくとすれば―― イリとヨセとのふたつに分かれるとしたとき これら両種が ひとつの社会に曲りなりにもまじわったかたちで共生しているというところです。  § 11 国家という二階建て構造は 社会形態としてはやがて揚棄されていくであろうと見るとき 日本の国家形成にあたって用いられた方式としての《くにゆづり》は 世界から注目されると思われます。  曲りなりにも ふたつの類型の歴史知性のあいだの共生をもたらしたという点がです。  なぜなら イリ歴史知性は ふつうに世界内存在といった概念とも通底し ふつうの自然本性を有した存在類型であるところ これが 農耕民族にいちおう基礎を持つところのその意味でのアジア的な思惟および文化の形式であると考えられる。とともに その上を行こうとするヨセなる超歴史知性は 自然本性の内に理性あるいは自己の核といった何か確かなものを求めこれを梃子のごとくにみづからの自己表現ないし運動を展開する。これは いちおう遊牧民の・もしくはヨーロッパ的な思惟および文化の形式であると考えられるからです。  § 12 西洋と東洋というように二分するのでは必ずしもなく すでに たとえば歴史知性としては 一人の人にイリおよびヨセの二つの類型が形作られうるということ。(これは 勤勉とガリ勉とにたとえられるかも分かりません)。このような混合形式として捉えられる思惟・内省かつ生産・行為の形式を どの社会についても取り出してみるということ。このことが 考えられます。  § 13 歴史知性が イリとヨセとに二分されるというとき 社会階層も スサノヲ市民とアマテラス公民との共同体関係として成り立っていると見られます。  ヨーロッパでは この《 S-A 連関制》が 階級関係とその闘争として 歴史的に回転(レヲ゛リューション)すると見られます。という視点を提出することが 《くにゆづり》の史観からは出来ます。この史観は ふつうの人間スサノヲとしての イリ歴史知性のものだと考えます。  § 14 市民スサノヲが アマテラス公民をもつつみ これをみちびく。(スサノヲ主権)。このようなイリ歴史知性のふつうの人間史観をも 将来に向けて 用意していると考えます。  § 15 イリ歴史知性の回復ないしその基盤のあらためての確立は 万葉集いや億葉集のルネサンスというふうに展開していくことになるのではないでしょうか。欧米は これにやがてあこがれましょう。

回答No.3

労働集約的農業であるジャポニカ米稲作農耕文化の 日本(から中国江南地方~雲南~ブータンまで続く 温帯モンスーン=A型地域)の、協調性の高い集団主 義にとって、中国北部~モンゴル・チベット~中東~ ヨーロッパの大部分の遊牧文化=B型のゴーイング マイウェイな奔放さは、相性が悪い(血液型占いのAと Bの項参照)。 また、固定されたコミュニティにおける遠慮や以心伝心 といった島国的性格の日本と、境界が明確でなく常に 圧迫し合う大陸的性格の自己主張の強さも相性が悪い。 ヨーロッパでも、日本と並び称される事の多いドイツは、 (ジャガイモ中心とはいえ)農耕中心の文化圏であったし、 日本人と相性のいいイギリスは、慇懃無礼な島国的 性格である。 たとえば、万里の長城は、敵を防ぐというより遊牧民が 攻めてくる時に一緒に連れて来る食料の家畜を足止め する機能が第一だとされているように、揚子江周辺に 興る農業国家(A)が、北部から侵入する遊牧民(B)を 防ぐためのものであり、A型とB型の相性の悪さは、 世界最大の構造物を生み出すほどだと言える(^o^) ところが、中国の歴史を見ると、多くの国は北から侵入 した遊牧民が立てたもので、農耕民は被支配層に 甘んじやすい、という事が分かる。 実は日本も、天皇家騎馬民族説という話はあり、 古墳からの出土物や地名(~牧)、食べ物(醍醐味、 醍醐天皇の「醍醐」とはチーズ)からして、古代は 牧畜が盛んであった事をうかがわせる。 ちなみに、「日本と似ている」とよく言われるブータンも、 似ているのは被支配層の(雲南からヒマラヤ伝いに 広がってきた)ジャポニカ米稲作農耕民であり、王家は 山越えで侵入して来たチベット系(稲作はない)である。 ちなみに、ブータンの主食は日本と同じジャポニカ米 (それも日本の援助が入る前は、日本では古代米と 呼ばれる赤米)でありながら、おかずのメインは保存の きく唐辛子をチーズで煮た「エマダチ」というスープである。 (ちなみにブータンもA型がマジョリティ) あ、「アジアからヨーロッパへの影響した」というのなら、 古代の文化の中心は、エジプト、インド、中国であり、 中世以降にヨーロッパが興隆するまでは、あらゆる文化 的なものは、エジプト(アフリカ)かアジア(インド・中国) から影響を受けた訳で、文字(楔形文字)・ガラスの発祥 の地(メソポタミア)も、火薬・羅針盤・紙の発祥の地(中国) もアジアです。

noname#148745
noname#148745
回答No.2

んー。熱い質問ですねぇ。大学生になって、モノを考えようというところでしょうか。文化紹介をしてもいいのですが、そもそもの問題の捉え方が、ちょっと甘いかなと思うので指摘させていただきます。 融和的な発想は、もともと西洋にいくらもあったのです。十八世紀半ばの折衷主義というやつです。ここでは西洋を中心に、様々な文化を融合させ、世界統一(=平和)を図ろうという理想が掲げられました。 これは功罪の両側面があります。功績としては、人権宣言のように、世界の皆が等しく人権を有しているという発想を生んだことです。罪としては、中心には西欧があるという前提で話が進んでいます。そして、宗主国である西欧を中心とした植民地主義が起きたわけです。これが非人道的な行いであり、歴史によって裁かれたことは、ご存じの通りです。 だが、西欧が中心ではなくなって、もはや百年くらいは経つのです。西欧人も「俺たちが中心であるべき」などという意識は持っていないでしょう。おそらく質問者さんは、アメリカ中心主義というべきものを感じ取っているのでしょうね。対立軸がロシアだということを考えると、資本主義vs旧共産主義の思想的な土壌の違いということでも、お考えかもしれません。 だが、もはや、あまり関係ないと思いますよ。アメリカ人であろうと、ロシア人だろうと、グルジアなる紛争地域の出身者であろうと、私は何人とでも仲良くなれます。文化的なバリアーは実はもうほとんどないと思います。残る問題は、経済的な問題です。欧米の優位を脅かされるのがたまらない、という気持ちになる欧米人は多くいることでしょう。 しかし、そういう問題であるとすれば、経済の問題は、経済で解決するべきではありませんか。文化の問題と経済の問題を混ぜてしまっているところが、発想として甘いな、と思われました。

  • cbm51901
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回答No.1

こんにちは。二つばかり例を挙げてみました。 【浮世絵】: 欧米諸国では、浮世絵は印象派の巨匠たちに見い出されてその作品に影響を与え、ゴッホなどによって油絵による模写もされている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけである。ボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない。色鮮やかな紙の絵画、精緻な彫りがなされた版画群は世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが高い評価につながっていると思われる。 --- ウィキペディアより 【黒澤明】: 日本国外の映画作家らへの影響は計り知れず、直接作品の中で模倣されたものだけでも枚挙に暇が無い。ジョージ・ルーカスは代表作『スター・ウォーズ』の登場キャラクターを『隠し砦の三悪人』から着想したと述べている(そもそも『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のストーリー自体が『隠し砦の三悪人』に酷似しており、ファーストシーン・ラストシーンともそっくりである)。 スティーヴン・スピルバーグの『未知との遭遇』において砂嵐の中からジープが現れる場面は『蜘蛛巣城』、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』で主人公が後ろ姿だけで顔を見せない冒頭は『用心棒』、『シンドラーのリスト』のパートカラーは『天国と地獄』、『プライベート・ライアン』のオマハビーチの戦闘シーンは『乱』を模したと言われる。 フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』のファーストシーンの結婚式の場面は、『悪い奴ほどよく眠る』の手法を模したと言われる。 また、『七人の侍』が米映画『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督)、『用心棒』が米映画『ラストマン・スタンディング』(ウォルター・ヒル監督)などに翻案された。イタリア映画『荒野の用心棒』(セルジオ・レオーネ監督)のように、盗作問題に発展したケースもある。 マーティン・スコセッシは黒澤映画を名画座に通い続け鑑賞し、また実際にフィルムを手にしカットの構成を研究し尽くしたという。 技術的には、例えばサム・ペキンパー監督が得意として他のアクション映画でも多用されるアクションシーンのスローモーション撮影は、元を辿れば黒澤明の手法であり、アクションシーンを望遠レンズで撮る技法も同様である。また、雨や風、水といった自然描写の巧みさはアンドレイ・タルコフスキーのような芸術映画監督を感嘆させて影響を与え、『羅生門』の映像美とストーリーテリングの巧みさはフェデリコ・フェリーニが深く共感した。この映画では、どしゃぶりの雨の質感を出すために墨汁を混ぜた水を放水車で降らせる、当時の技術的タブーを破って太陽に向かってカメラを向けさせる、森の中を走るシーンを移動撮影ではなくてパニングで撮るために俳優達をカメラの周りを円を描くように走らせる、といったように視覚効果を得るため様々な工夫を凝らしている。 超望遠レンズでパンフォーカスの画を撮るためには絞りを極限まで絞って撮影しなければならない。そのためには強い照明をあてなければならず、黒澤の撮影日は電力不足で撮影所の他の仕事ができなかった。また、あまりにも強い照明を当て続けたせいで役者のカツラが燃えだしたこともあった。 さらに、『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』(ピーター・ジャクソン監督)の合戦シーンで、『七人の侍』の雨の中で弓を引く勘兵衛のショットがそのまま引用されていたり、『ラストサムライ』(エドワード・ズウィック監督)では雨や風、馬や屍の使い方など、黒澤映画から引用されたショットは多数に渡っている。黒澤を尊敬しているとコメントした映画人は数知れないほどである。『七人の侍』の影響からか、主役格が7人である映画は多い。 ジョン・ミリアス、ジョージ・ミラー、ロン・ハワードも黒澤映画の大ファンであり、自身の作品に大きく投影されている。 クリント・イーストウッドは「クロサワは自分の映画人生の原点だ」と語っている。 --- ウィキペディアより

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