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日本に何故ハグ(抱擁)の文化が伝わらなかったのか?

私が気づいてることで、ユーラシア大陸にあって日本にない習慣、慣習は「宦官」と「ハグ」です。宦官に関しては、動物を扱って来た牧畜文化を持つユーラシア諸民族に対し、日本民族は農耕民族なので動物を去勢することが一般化しなかったので、人間を去勢するという発想も生まれなかった。これは納得します。 日本人も、ごく稀に発生する感極まった状況ではハグしますが、一般的にはしません。アフリカ人も普通にハグしますよね? 白人、イスラム、中国、韓国まで伝わっているハグの習慣がなぜ日本に伝わらなかったのか、誰か考察していますか? 日本人の意識にそれを拒否するものがあったのでしょうか? 貴方の考えをお聞かせ下さい。

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  • KGS
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もともとハグは相手に敵意がないことを表わす行為であり、チンパンジーもやります。 想像に過ぎませんが少なくとも霊長類に進化してからは、本能的に相手を害する存在ではないというアクションとして受け継がれていたのではないかと思います。 やがて道具を持つようになると、道具を持ったままハグはできなくなり手を取り合う握手が生まれた。 これも、紀元前から行われていた習慣で当時の美術品にも登場します。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/031800179/ このころから日本は農耕が盛んになり、村ができ集団で暮らすようになりお互いにハグしたり握手などいちいちしなくなります。 せいぜい、出会ってもうなずくだけ。 これがやがて礼になります。 狩猟民族であれば部族は違っても、同じ山や平原で獲物を追っていて互いに出会うこともあったでしょう。 時には獲物を協力して狩り、肉を分け合ったのかもしれません。 その中で握手やハグは敵意のないことを伝えるために有効だったのだと思います。 一方、農耕は集落で畑や田を耕して作物を作ります。 いちいち仲間同士でハグする必要もなく、もし狩猟民族や違う部族が畑の作物を盗ったりすれば戦争です。 そういう緊張感の中で、ハグや握手という行為は相手に殺害される危険性もあります。 ハグの習慣が中国、韓国のあたりまで伝わって日本に伝わらなかったというのは農耕のこともありますが、もともと古代においての日本と大陸間の往来は困難だったこともあるでしょう。 日本が朝鮮半島との往来の記録があるのは有史の後です。 仮にそれ以前に往来があったとしても、習慣が伝わるほどの濃厚接触があったとは考えにくいと思います。

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質問者からの補足

回答ありがとうございます。 チンパンジーもハグするというのは非常に示唆的ですね。 また興味あるリンクの紹介もありがとうございます。 色々思い当たるふしがあります。ヨーロッパ人よりもアメリカ人がそう言えば積極的に握手を求めて来ますね。しかも力一杯握ってガンガン振り回す。この「振る」というのが袖に武器を隠していないという意味があったというのは面白いです。動作の起源というのは得てしてそういうものが多いですから。 しかし、狩猟民族が平原で遭遇した時に、なぜ獲物の取り合いにならずに「分け合い」になるのか?農耕民族はなぜ助け合わずに他部族のものを「盗む」のか、この理由が示されておりません。これを前提にした上で結論に行ってますので、この前提の正しさの検証は是非とも必要です。

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その他の回答 (4)

  • 回答No.5
  • KGS
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狩猟についてですが、古代の狩猟道具は弓や槍、石斧くらいであって足の速い鹿や危険を伴う熊などの猛獣を仕留めるためには人数や待ち伏せなどの知恵が必要だったと思われます。 集落跡や貝塚などの遺跡を調査した結果、今の村社会のような集団生活のイメージでなく、数家族が寄り集まって生活するパターンが多いのではないかと言われています。 そんな少人数で大型猛獣の熊を弓や槍で仕留めるのは困難で危険を伴います。 独り占めを狙って返り討ちに遭ったり、逃げられることもよくあったと思います。 それよりは、違う集団であっても協力して獲物を獲得し、分配したほうが得と考えるのが自然だと思います。 農耕に関してですが、現在のように決まった場所に定着して田畑を耕してというスタイルは有史以後のことで、それより前は焼き畑といって草原や畑を焼いて灰を肥料にして作った原始的な畑が主流でした。 そのころは、自分の土地を所有するというシステム自体がなかったので、焼き畑をして作物を植えた本人以外は樹木や草原の焼け跡に、食べられる草が育っているくらいの感覚だったでしょう。 そのころは用水路などはなく、雨水か川や池から水を汲んで作物を育てていたのです。 それだけ苦労して育てた作物ですから盗む方は盗む感覚はなくても盗られた方は、食料を取られたわけですから生活に困ります。 自分たちが食べるために育てた作物が無くなれば、違う畑で盗んででも生きるしか道はありません。 作物を盗むという行為は、土地に定着した生活である現在でさえ行われる行為です。 スイカ泥棒や桃泥棒など悪いことは分かっていてやる人もいる現代ですから、古代に草原に野イチゴがあったら普通に人は食べるでしょう。 しかし、その野イチゴはほかの人が植えて育てているイチゴかもしれません。 桃や柿が実っている木があれば、植えているのか自生しているのかはわかりにくいですから。 そういったトラブルを経験しながら、盗みあうことで互いに困るよりは協力して作物を作り分け合って生活する村社会が構成されていったのだと思います。

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  • 回答No.3

大和ことばの歴史と関係づけて語っても的外れにはならないと思います。 日本語の文章には主語がないとよく言われます。 それは、お互い了解していることを省略する文化があるからです。つまり、省略しても伝わる狭い人間関係の中で日本語は使われてきたと言えます。 その中で特徴的なことは、一人称を二人称に使う例でしょうか。 「ボクきょう何時に帰る」 「うぬは悪いやつだ」 「おのれは悪いやつだ」 今日では、相手のことを呼ぶ汝がありますが、奈良時代以前ではナは「我」と同じ意味だったようです。そこでは自分と相手とのへだたりをいかに扱うかに大きな関心が払われる。 図式化していえば、ウチの人間同士で言葉を交わし、ソトなる人間はよそ者として排除してしまい、それはいわば恐怖の対象・妖怪などと同列に扱って、そこに人間関係を結ぼうと努めることは少なかった。 つまり、「我」と「汝」は利害相反する存在ととらえるよりも、基本的に共同の場で生きており、同じ感覚をもって事態に対処していくウチなる存在ととらえる。そのことは同時に、相手と自分との距離をどう測るかの問題であり、「我」と「汝」の距離感や位置づけについてこまやかな神経をつかうことになるのです。 そのことの例が人称代名詞の使い方に現れています。 これはウチとソトの意識がそうさせるのであり、それが身体動作にまで及んだ時に、文化的な態度としてハグという行為は思いもつかなかったのではないでしょうか。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。 日本語から民族性を考察するやり方は、土居健郎さんの「甘えの構造」を読んだ時、その有効性に驚きました。 しかし、回答者様の結論部分である「これはウチとソトの意識がそうさせるのであり、それが身体動作にまで及んだ時に、文化的な態度としてハグという行為は思いもつかなかったのではないでしょうか。」は何となくそうなんだろうなあとは思いますが、間が抜けているような結論の出し方で、イマイチこれこそ間違いないという確信には至りませんね。

  • 回答No.2
  • mpascal
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日本は湿度が高く、昔から伝染病に対する危機意識が高く、接触を伴う挨拶をしなくなったようなことを聞いたことがありますが。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

  • 回答No.1

大変申し訳ないのですが、私には中国人も韓国人も友人が居ますが、未だかつて中国や韓国にハグの文化があるなんて聞いたことないですよ。韓国人の友人に電話したら、そんなん知らないよと言われました。 思い込みでの質問になっておられると思いますよ。 ハグの文化は植民地支配が一番大きいでしょうね。特にイギリスが支配した国にはかなりの影響があったでしょうね。

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質問者からのお礼

回答ありがとうございます。

質問者からの補足

50年前のことです。1年ぶりに韓国扶余の旅館を訪れました。旅館のオモニは懐かしがって私を抱きしめて来たのでびっくりしました。自分の母とさえ数か月数年ぶりに逢ってもハグなどしたことがなかったからです。そのオモニは私の母と同年配でした。 半世紀のうちに、急速にハグの習慣が廃れたのではありませんか? 廃れるのは半世紀あれば十分で、50年前の世代にはハグの習慣は残っていると思います。 中国もそうだと思うのは、政府要人などが逢った時、抱擁とまでは行きませんが体を密着させ互いに背中を叩き合ったりしている光景をよく目にするからです。これは白人も家族間でよくやる仕草ですから、ユーラシア大陸で共通するものと思っています。しかし、日本人はしません。 「思い込みではないか」は失礼ですね。質問者はそれなりの根拠があって質問しているんですから。 近視眼的に最近の歴史だけ見るのではなく、人類の太古からの歴史、更には動物世界からの考察も必要だと思いますね。

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