積極的になると挑戦することは駄目なのか?

このQ&Aのポイント
  • 「挑戦する」ということはミスが起きる可能性を前提として行動すること。
  • ミスを咎めて気を病ませると積極性が失われる恐れがある。
  • 失敗を恐れずに挑戦し続けることが重要であると考える。
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積極的になる事は駄目な事なのでしょうか?

スポーツや仕事でもそうですが、何かを積極的にやろうとすることはつまり「挑戦する事」ですよね? スポーツなら皆のチームメイトがいる中シュートを打ったり、仕事なら新しい事に挑戦したり。しかし「挑戦する」という事は同時に「ミスが起きる」かもしれないという事です。 それは絶対に避けられない事で、ミスが起こる事を前提として挑戦します。 スポーツなら打てば外れる事はいくらでもあるし、仕事でも上手く行かなかったという事はざらにあります。そんな時に、じゃぁそのミスした事をもの凄く咎めて、その人を罵倒し陰湿なイジメまでして苦しめたりしますか?しかも長期間に渡って。  そんな事をしたら、元々積極的に何事も挑戦しようとしていた人もだんだんと気が病んで消極的になるかもしれません。 「try and error」のerrorの部分を異常なまでに非難すればスポーツでも仕事でも絶対に積極的になれないと思うのです。 もちろん、ただ何も考えずに自分の為だけにやりたい放題やってはいけません。 自分が「ここだ」と思ったとき。直感で、ないしは色々思考を練らし後に「いける」と思ったときに挑戦します。 そうして起こったミスを咎めていては誰一人、日本全国誰一人として何にも挑戦出来ないとおもうのですが、皆様もそう思いませんか? 英語でもよく「間違う事を恐れずにどんどんチャレンジすべき」といいます。 そこで間違った時にいちいち異常なまでに非難していては誰も喋れなくなります。 スポーツでも同じ事だと思うのです。 そう私が思うのも、私は昔初心者で団体スポーツを始めた時にミスを異常なまでに責められ、陰湿なイジメを何度もされたからです。 初めのうちは練習したものを実践してやろうと積極性に満ちていたのですが、ミスしたときの異常なまでの非難、そしてそれによるイジメ等を長期間に渡って繰り返されとうとう私の性格は何事にも挑戦出来ない消極的な人間、人の目を気にする人間になってしまいました。 普通のプレー中シュートを外したりした時異常に謝ったりしていました。陰湿な嫌がらせをされない為にです。 そんな消極的で人の目を気にする人間になってもう6年ほど経つのですが、ずっと心の中でそのトラウマと葛藤していました。 このままでいいんだろうかと考えた末、当時私がされた事は間違ってるじゃないかという結論が出て、昔出来たように何事も積極的に失敗を恐れず挑戦していきたいと思うようになってきました。 そこで皆様に質問です。 皆様の積極的になる事に関する私の考えに対する意見をお聞きしたいのと、もう「当時」のような幼稚ないじめ、悪口は無いのだから、私はこれから失敗を恐れずどんどんと挑戦していってもいいですよね? 回答お待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

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  • e-toshi54
  • ベストアンサー率22% (728/3265)
回答No.5

積極的にTRYすることは当然でしょ。訊くまでも無いですよ。 プロのスポーツを見たって、野球なら3割打てれば上々、つまり7割はミスしているのですから。サッカーだとシュート5本のうち入るのは1本くらいでしょう。 (でも、サッカーは「折角いいボールを送ったのにゴールできなかったな」と言われそうですね。) 会社でも、積極的にやったことで失敗しても大目にみてくれますよ。少なくとも新人のうちは・・・。 でも同じ失敗は繰り返さないように。その失敗の原因を突き詰め、その失敗から何かを学び次のTRYに役立てるようにして下さい。 (・・・余りに紋切り型の回答で、ちょっと自己嫌悪^^;)

kschoo1
質問者

お礼

いえいえ、紋切り型の回答じゃないですよ^^ 非常に参考になります。 >でも同じ失敗は繰り返さないように。その失敗の原因を突き詰め、その失敗から何かを学び次のTRYに役立てるようにして下さい。 仰るとおりです。 貴重なアドバイスありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.4

頑張ってください^^ 必要以上に他人の目を気にする事はありません。 必要最低限に他人に思いやりを持って行動しましょう。 あとは、やりたい様にやるべきです。 アナタの人生ですから、後悔のないように生きて下さい。

kschoo1
質問者

お礼

>必要以上に他人の目を気にする事はありません。 必要最低限に他人に思いやりを持って行動しましょう。 あとは、やりたい様にやるべきです。 アナタの人生ですから、後悔のないように生きて下さい。 参考にさせて頂きます。 回答ありがとうございました。

  • hi-sekai
  • ベストアンサー率41% (274/667)
回答No.3

質問者さんの意見に賛成です。 スポーツでも仕事でも恋愛でも、積極性がないと何も始まらないし、 進みもしないと思います。 失敗に対して必要以上に責めるという風潮は学校や社会で確かにありますね。 確かに適度なプレッシャーは心を強くして更に能力を伸ばす原動力になるとは思いますが、 そういった良い意味合いを完全に離れていると思います。 褒めてのびるタイプ、尻を叩いてのびるタイプといると思いますが、 その辺の見極めやさじ加減も出来ない指導者や上司は資質としてどうかと思います。 ただどちらかが一方的に悪いという事は稀だと思うので、 自分の側に反省点や改善点がないかは確認しておくべきだと思います。 その上で積極的に行動する事は良い事だと思います。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 アドバイス参考にさせて頂きたいと思います。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

私はこれから失敗を恐れずどんどんと挑戦していってもいいですよね?   ↑ 当たり前です。 聞くまでもありません。 そもそも皆、傷だらけになって生きて いるのです。 ただ、この文章を読んで感じたのですが、 そのようないじめは異常ですね。 質問者さんがいじめられたのは、失敗したからではなく、 他に原因があったのではないですか。 失敗は単なる口実で。 そんな感じがしました。

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 実際はどうかわかりませんが失敗が主な理由だったと思います。

回答No.1

詳しい状況がわかりませんが、 団体スポーツでチームメイトのミスをねたに、 いじめにまで発展させてしまうのはよろしくないですね。 チームメイトならば、試合終了後に反省して欲しい点を伝えて次回につなげる。 それでいいと思うんだけど。 考えなしに挑戦して失敗、 それが周りにとっての迷惑になってしまうかもしれない。 それがわかっていて、大丈夫だと自分で判断した上で挑戦する。 そういう慎重さもちゃんともっているのであれば挑戦していいと思います。 ただ、世の中全ての事において、 自分の行動は自己責任。 失敗すれば誰かに攻められるのが世の常です。 でも、その度に動けないほど落ち込んでいては大変です。 (もちろん周りの意見を聞いて、反省することは必要です) 経験してしまったトラウマは、なかなか癒えないと思いますが、 挑戦して、失敗して、反省して、挑戦して、、、、 その繰り返しで素敵な人になれると思います。 心を強く励みましょう。 私も修行中ですが^^;

kschoo1
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >経験してしまったトラウマは、なかなか癒えないと思いますが、 挑戦して、失敗して、反省して、挑戦して、、、、 その繰り返しで素敵な人になれると思います。 このアドバイス参考にさせて頂きます。

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  • 「挑戦する」という事が出来ません…。

    現在21歳、大学3回生です。 まず題名の様な状態になった原因は、中学の部活でされた陰湿なイジメが原因でした。 当時バスケ部に入っていたのですが、中一の時初心者だった自分がシュートを打とうとする度に 相当陰湿な悪口を大声言われたり、「外したらもう一生打つな」、「お前みたいなのがシュート打つな」とかを言われたりしてました。 時には他の部活のメンバーに「あいつにはパスを回すな」と裏工作をして皆にいい、自分だけものすごく辛い経験をしたこともあります。 初めは初心者だったので上手くなりたい一心で積極的なプレーをしようと、何事にも挑戦して行こうと決めていたのですが、上記の事が長期に渡って続くにつれ、「もし自分が何もしなければ、こんな辛いことは起きないかもしれない。じゃぁもうシュートを打とうとするのは止めて、ボールを持ったらすぐパスをし、自分は何も挑戦しないでおこう」、そう思うようなりました。 正直止めても陰湿ないじめをする人もいましたが、自分がシュートを打ったり、何かに「挑戦しよう」としたときに言われる悪口は無くなりました。(当然ですよね。何もしていないのでいいようがありませんから) 結局、相当馬鹿だった自分はその部活を辞めずに中学3まで続け、約2年半、上記の事を続けたためもう頭にその感覚がこびりついたんでしょう、それ以来何か自分が挑戦しようとして、そしてそれが少しでも周りの人達を影響してしまうような時はいつもその中学の事を思い出し、「失敗をするとまた何かをされるのではないか」と不安になり結局挑戦するのをやめる、といったような事を今の今まで続けてきてしまいました。 よく、「間違う事を恐れずに、挑戦する事が大事」といいますが、それが例えば一人で行うもの(資格勉強等)なら失敗しても自分が責任を負うだけですが、それが例えばミスすると少しでも他人に影響するものであれば、 その周りの中の何人かは「○○が失敗したせいで自分にも影響した。挑戦してくれなければよかったのに」と思う人がいるかもしれませんよね? そしてその人達が他の人達に、その気持ちを裏で言ったりして他の人達もそれに賛同するとなると、結果的にその失敗した周りの人達はその人が挑戦するのを酷く嫌い始めるのではないか……と、中学のトラウマがある私は「挑戦すること」という事に対してその様な考えが浮かんでしまいます。 なので、「間違う事を恐れずに、挑戦する事が大事」と言っている人に対して、「この人も自分みたいな過去があればこんな言葉絶対口から出てこないだろうな…」 そう考えてしまいます。 正直何度も何度も「中学の記憶が今すぐ消えてくれれば」と思った事があります。 何故なら「挑戦することが大事。間違う事はいいことだ」と言う人は星の数ほどいるので、やはり自分の考えは「たまたま辛い経験がある極まれな考え」だと気付いているからです。 もし万人が私と同じ考えならこの世の中は何も発展しないですから。 だから、私の極少数の、自分にとって何一つプラスにならない考えなど捨てて、どんどんその大多数が支持している「挑戦することが大事」というの考えを持って生活していきたいのですが、これからの私がそれをするにはどういった気持ちで生きていけば可能になるでしょうか? 私の過去の様な経験が無い方達には正直今の私の考えを本当の意味で理解する事は出来ないと思いますが、もしアドバイス頂けるならお待ちしております。

  • 失敗を恐れて挑戦できない・・・

    何かをしようと思う時、失敗を恐れず挑戦する事が大事。 もし失敗したとしても、その失敗した原因を考えて次は失敗しないようにすればいい。 とにかく挑戦する事が大事。 やってみる事、行動に移す事が大事。 何もしなければ何も始まらないから。 この様な事をよく皆さんも耳にすると思いますし、自分もこの様な言葉は至極全うな意見だと思います。 あの発明家として有名なエジソンも何千回と失敗したでしょう。 しかし失敗する度原因を探り、また挑戦するという事を繰り返した結果歴史的な発明をする事が出来たのです。 あの日本が誇る打者イチローも、毎回ヒットが打てる訳じゃないわけです。 10回に5、6回は何も出来ずに終わってしまうのです。 でもその挑戦があるからヒットは生まれるのです。 だからとにかくやってみる事が大事。 挑戦して失敗したら原因を探って改善。 これを繰り返す事が成長する為に不可欠だと自分は強く感じます。 しかしながら、私は昔のトラウマがあり未だに失敗する事を異常恐れてしまっています。 それは中学の時、初心者で入部した球技系の団体クラブに入った事がきっかけです。 当時は初心者だった為、いくら頑張ってもやはりミスをしてしまっていました。 しかし、団体クラブだったためミスをする度同級生のそのスポーツ経験者達から酷い陰湿なイジメを受けました。 その経験者達の性格も異常に悪かったと今となっては思いますが、当時の自分はそれに怯える事しか出来ず、「次はこうしたらミスせずプレー出来るのではないか」と思っても、もし万が一ミスしたときのイジメの行為を考えるとどうしても積極的にプレーする事が出来なかったのです。  そしてだんだんと私は練習中ボールが来てもパスばかり。。。。 明らかにシュート出来る時もパスばかり。。。。 自分は性格まで消極的な人間になってしまいました。 よって中学時代は本当に何にもする事無く終わり、そのトラウマを抱えたまま今(22歳男)に至ります。 しかしながら、未だにそのトラウマを抱えている自分ですが、先ほど上述した言葉から考えるとこのトラウマは(トラウマというより「ミスをしたら酷い罰を受ける」という脅迫観念は)全く抱く必要が無いものだと今は非常に強く思います。 中学生のアホのガキがした行為を、未だに覚えていて苦しむ必要等無いと思うのです。 トライ&エラーのスタンスで何事にも挑戦し、エラーをした場合はその原因を探って改善し次はミスをしない様に心がける。 こういう態度で日々生きて行けば、自分を限りなく成長させ気持ちよく毎日を生きて行けると思うのです。 そこで皆様に質問です。 この最後で述べた結論を持って自分はこれから生きて行っても大丈夫ですよね? 本来は第三者に聞くべき事ではないと思うのですが、長年抱えていた悩みなだけにどうしても他の方に答えを頂きたくて今回質問させて頂きました。 それでは回答の方お待ちしております。

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